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89. 初夢よりも眩しく (2)

「……」


 最初に行列を見た時はどうなることかとも思ったが、意外と時間はかからなかった。参拝という性質上、あまり長居することがないからだろうか。


 葵と話しているだけで。ついでにたまに両親にからかわれているだけで、あっという間に順番が回ってきた。


「……」


 黙って手を合わせる。普段であれば願い事は口に出すが、こんな場では心の中で願うだけ。


 そして、願い事はただ一つ。


(葵さんに好きって言ってもらえますように……!)


 この願いが叶うのかは、結局のところ自分次第ではある。けれども、それは「大半は」という話であって、全てが自分でどうにかできる訳ではない。


 それこそ、自分がどれだけ頑張ったところで、そもそも葵の好みに合っていなければどうしようもない。だからこそ、その部分は神頼みにするしかなかった。


「……」


 毎年何を願うか迷うのが恒例行事だったが、今年は少しの迷いもなく願う。意識していなければ閉じた目に力が入ってしまいそうな願い事を唱え終え、そっと隣の葵を盗み見る。


「……」


 そこには、未だに目を閉じて手を合わせる葵がいた。


 夏祭りの時とは反対の立場である。あの時は葵の方が先に願い終えていた。それに、確か願い事は自分で叶えたいとも言っていたような気がする。そう考えると、祈りの時間が長いのはやや気になるところではあった。


「……あれ。今回は早かったんですね」


 そう考えているうちに、葵の願い事も終わりを迎えたようだった。本当に願い事を伝えていたのかは不明だが。


「ほら、二人共こっち」


 先に自らの番を終えていたアーロンに促されるようにして、社殿の脇に移動する。人の多さは大して変わらないものの、行列の中よりは幾分か空いているように感じられた。


「今回は一つだけでしたから」

「へぇ。夏祭りの時は色々って言ってたのに」

「覚えててくれたんですか?」

「何となく、ですけど。そんなことも言ってたなと」


 そう言いながら、葵が少しの間離していた手を再び取ってくれた。僅かに落ち着きを取り戻していた鼓動が、その動きに合わせて速さを増していく。言葉といい行動といい、とにかく全てが嬉しくて仕方がない。


「そ、そう言う葵さんは長かったですね?」


 緊張を悟られないようにと思いつつも、少し言葉に詰まってしまう。幸い、葵がそれを気にする様子はなかったが、いつまで経っても隠せるようにならない自分が何となく恥ずかしく思えた。


「色々ありましたから」

「あ、誤魔化しましたね?」

「誤魔化しましたよ?」


 対して、葵は隠す気が一切ないらしい。願い事と恥ずかしさという違いこそあるが、羨ましく思えてしまう程の精神の強さである。


 そして何より、少しだけ意地悪そうに笑う葵の姿が眩しかった。


「それじゃあ、次はあなた達が話してたおみくじかしらね」

「人が多いから、なるべくはぐれないように気を付けないとね」

「流石にお二人を見失ったりはしませんよ」

「どうかしら? 意外とはぐれて二人きりになった方が、あなたにとっては嬉しいんじゃないの?」

「うぇ……!?」


 葵に聞こえないようにしているのか、レティシアが耳元で小さくそう囁いてきた。妄想力が逞しい自分の頭は、その一言で即座にその光景を描き出す。


 多くの人で賑わう境内の中、お互いに手を繋いで行列に並ぶ。順番が回ってくるまでの間に、他愛のない会話を交わす。そして順番が回ってくれば、願うのは当然葵とのこと。先に願い終えて、その横顔を眺めるのもいいかもしれない。そうやって二人して願い終えたら、再び自然と手を繋ぐ。


(あれ……?)


 そこまで鮮明に描き出して、やっと気付く。


(今日、全部やった……!?)


 思い返してみれば、今日の一連の流れはまさに妄想と一致していた。唯一違う点といえば、来ているのが二人だけではないという点くらいのものだ。


 現実と妄想の区別がつかなくなったと思われても仕方がない、そんな光景だった。


「アイリスさん?」

「はひっ!?」

「……いきなり何ですか」

「ななっ、何でもないですけど!?」

「何でもない人の反応じゃないです」


 思わず奇妙な声を上げてしまったせいなのか、葵の表情が怪訝そうなものに変わっていく。言葉もそうだったが、間違いなく自分の心の中を探ろうとしている。


 本気で知られたくないことだと伝われば葵は引いてくれるが、それでもそんな何かを考えていたという事実は伝わってしまう。それはそれで恥ずかしいものがあるが、一体どちらがましなのだろうか。


 そう考える間にも、葵の頭は素早く回転していることだろう。いつか妄想逞しいと評されたことがあったような気もするので、答えに辿り着いてしまうのもそう遠くないのかもしれない。


「……お母さんのせいで、ふ、二人だけで来ることを考えちゃいました……」


 ならばいっそ、自分から答えの一部を明かしてしまった方が、まだ傷は浅いのかもしれない。混乱した頭で出した結論に従って、大半をぼかした答えを口にする。


 流石に妄想の内容まで公開する勇気はなかった。例えそれが現実とほとんど変わらなかったとしても、だ。


「あぁ、またいつもの妄想ですか」

「いつも……」


 たった一言なのに、自分がどう思われているのかがよく分かる発言だった。複雑な気分である。


「中身までは聞きませんけど、そういうのは一人の時にしてくださいね」

「あ、止めないんですね」

「考えるのは自由ですから」


 これに関しては、優しいのか優しくないのかはっきりしないところだ。内容は話せないと考えたばかりだが、仮に教えたらならば、葵は一体どんな反応を見せてくれるだろうか。


(照れて……、くれるのかなぁ……?)


 想像したことは全て現実で行ったと気付いているのに。そして、葵の様子が普段と大して変わっていないことにも気付いているのに。


 それでも、何かしら反応してくれることを願わずにはいられない。


「……」


 そう思って、少しだけ距離を縮める。手を繋ぐだけではなく、半ば腕を抱き締めて隣を歩く。


「アイリスさん?」

「……」


 再び不思議そうに問いかけてくる葵だったが、今回は無言でその腕を引くだけだった。




「さて、新年最初の勝負ですよ」

「またすぐそういうことを……」


 行列を挟んで、社殿とは反対側に位置する仮設のテント。そこでおみくじの販売が行われていた。


 外の空気を遮断するように幕が張られたその中は、置いてある暖房の効果も相まってほどよく暖かい。訪れた参拝客のためというより、中で働く関係者のためなのだろう。


 だが、訪れた側からすればどちらでも構わない。外の寒い空気から逃れることができるのならば、こんなに嬉しいことはない。


「神様の前ですし、負けても罰ゲームとかはなしにしてあげます」

「もう勝つ気じゃないですか」

「こういう時の私は強いですよ?」

「何となく知ってますけど」


 そう言って苦笑いを浮かべる葵。もしかすると、文化祭での出来事でも思い出しているのかもしれない。残った巫女服を着ることが決まった、あの文化祭を。


(巫女服……)


 その紅白の衣装を思い浮かべながら、そっと周囲を見回す。こういった場なのだから、当然そこには巫女がいる。おみくじやお守りを販売しているのは、ほとんどが紅白の衣装を身に纏った彼女達だった。


 一年のうちで、こんな時にしか目にしない存在。そんな特別感もあって、誰も彼もが可愛らしく見えてしまう。


「葵さんの方が可愛いし……」

「何なんですか」


 それでも、目の前の想い人が巫女服を着れば、絶対に一番可愛くなると断言できる。好意を持っている相手だからというのもあるのだろうが、それを抜きにしても言いきることができそうだった。


「ま、何だっていいんですよ。とにかくおみくじです」

「何もよくないですよ?」


 まだ何か言いたげな葵の腕を引いて、短い列に並ぶ。社殿の前にできているものと比べれば、順番が回ってくるのは遥かに早そうだ。


「……!」


 その途中、おみくじの種類の中に「恋みくじ」の文字を見つけてしまって一瞬悩みもしたが、結局はスタンダードなものにしておいた。葵の前で堂々とそれを買う勇気はない。


「さてさて。じゃあ、まずは私から開けますね?」

「あなた、毎年運勢はいいのよね」

「さぁ、今年はどうかな?」


 アーロンとレティシアも覗き込んでくる中、手を切らないように注意しながらおみくじを開いていく。


「中吉……」

「あら、今年は中途半端」

「大体大吉か吉のイメージなんだけどね」


 二人が言う通り、そこに書かれていたのは「中吉」の文字。吉の半分の運勢を示すその二文字は、ここ最近ではあまり見かけなかったもの。


「強い、んですかね……?」

「強いんですよ。葵さんよりは」

「僕は開けてもないのに」


 先程自分が口にした言葉に疑問を抱いたのか、葵の不思議そうな声が聞こえてくる。まだ結果が分かってもいないのに何故か悔しくて、どこか好戦的な言葉を返してしまった。言ってから、今のはまずかったと気付く。


「あ、いや、葵さんの運が悪いとか、そういうことじゃなくてですね……?」

「大丈夫です。気にしてませんから」


 だと言うのに、葵は何も気にした様子がない。やはり、相手の言葉に一喜一憂してしまう自分とは違う。


「それに、元気さと運勢はアイリスさんに吸い取られてるなって、普段から思ってましたから」

「なんでですか!」


 その言葉に、口癖のようになっている一言がついつい飛び出してしまう。冗談で言っているのは顔を見れば分かるが、それにしても、もう少し別の言い方があっただろうと思う。わざわざそんな言い方をするところが、実に葵らしかった。


「学問は励みなさいだって」

「健康は心配ないみたいだね」


 そうして葵とやり取りを繰り広げている間に中身を見たのか、アーロンとレティシアがそう口にする。釣られて自分もおみくじに目を落とせば、確かにそんなようなことが書いてあった。運勢自体は中途半端ではあったが、内容自体はそう悪いものではない。


 そんな中、一際喜ばしいものが一つ。


(恋愛……! 近くにあり……!)


 ちらりと隣に目を向ける。自分と同じように視線を落としている葵が、今どこを読んでいるのかは分からない。けれども、その部分を読んで少しでも意識してほしいと考えてしまうのは、果たして悪いことなのだろうか。


 答えは見つからないうえに、葵の心の中も分からない。それでも、気分が高揚していることだけは確かだった。


「じゃあ、次は葵さんですね」

「……」

「葵さん?」

「え? ……あぁ、はい」

「どうかしたんですか?」

「気にしないでください」


 ある意味このおみくじで一番大事な部分を確認し、順番を葵に譲る。


 しかし、その反応はやたらと鈍いものだった。


「え。気になります」

「気にしたら負けですよ」

「負けでもいいので」

「そう言う人は初めて見ました」

「そうですか? えへへ……」

「褒めてません」


 そんなことを口にしつつも、葵の手はおみくじを開いていく。何を考えていたのかは、やはり教えてくれないらしかった。


「……見ます?」

「見るに決まってるじゃないですか」

「ショックを受けても知りませんよ」

「……」


 何故か確認を挟んできた葵。その表情はどこか優しそうなもので、本気で自分のことを思って言ってくれているのが伝わってくる。


 だからこそ、その結果もある程度予想できてしまったのだが。


「……もしかして」

「アイリスさんの負けですね」


 言いながら、運勢が開示された。開かれたのは、自分が持っているものと全く同じおみくじ。当然、運勢も同じ場所に書かれている。


 自分も含めて三人が見守る中、そこに現れたのは。


「大吉……」

「負けちゃったわね?」

「うぅー……」


 いくら諸説あろうが、特殊なものを除けば一番上に君臨していることが確定している運勢だった。


「まさか引けるなんて思ってもいませんでした」

「どうしてこんなタイミングで引いちゃうんですかぁ……」


 悔しさで口が尖ってしまうのがはっきりと自覚できた。運勢という名前が付いている通り、何を引くのかは運次第だ。もちろん、必ず勝てる訳ではない。


 それでも、なかなか葵に勝てる場面が少ない自分にとって、この勝負は是が非でも勝っておきたい勝負だった。少しでも葵と釣り合っていると感じたかったからだ。


 それなのに、この体たらく。自分のおみくじを見て高揚していた気分が、少しだけ冷えてしまうようだった。


(そうだ……! 恋愛……!)


 そこまで考えて、また一つ大事なことを思い出す。


 自分の恋愛の項目は喜ばしいことが書いてあった。だが、葵の持つおみくじの方も同じくらい重要なはずだ。運勢が大吉である時点でプラスのことが書かれていそうではあるが、もし自分にかすりもしないことが書いてあれば、向こう一週間は落ち込む自信がある。


(お願いします……!)


 祈るような気持ちでその項目へと視線を移す。いくつかの項目が並ぶ中、そこに書かれていた一文は。


(既にあり……! 周りをよく見よ……!)


 これ以上ない程に完璧な一文だった。冷めかけた心が、瞬く間に沸騰していく。


 思わず顔を上げる。


「へぇ……。旅行なんかもいいみたいだよ?」

「この歳で一人旅は難しいかもですね」

「学問は上手くいくって。元々上手くいってるんじゃない?」

「結局自分次第ですけど、そう言われると嬉しいです」


 わざとその項目に触れていないのかとすら思えるような会話を、アーロンやレティシアと繰り広げていた。どの項目も基本的にはいいことばかりが記されているのが嬉しかったのか、葵の顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。


「……っ」


 上げた顔が少しだけ下がる。そんな動きは葵には見られていないだろうが、他の二人はどうだろうか。特に、母親に見られると厄介なことになりそうだ。


「あら。恋愛は既にあり、みたいよ?」

「え?」

「……っ!」


 さらに俯く。このタイミングで切り出したということは、きっと先程の仕草を見られていたのだろう。レティシアの声は、聞いているだけでその表情が頭の中に浮かんでくる程に感情が込められていた。


「恋愛、ですか……?」

「そ。葵君も高校生なんだから、そういうことの一つや二つはあるんじゃないの?」

「あんまり多くてもとは思いますけど……」

「それはそうね。でも、とにかく何かあったりしないの?」


 レティシアがやたらと押しているのは、一体何が目的なのか。尋ねていること自体は自分も聞きたいことではあったが、もしかするとそんな気持ちを汲んでくれたのだろうか。


「……あんまり考えたことはないですね。と言うより、考えられるような状況じゃなかったので」

「ちょっと間があったわね。それに、これからなら考えられるんじゃない?」

「これから……」


 そこで葵の言葉が途切れる。何かを考えているのかもしれないが、その顔すらまともに見られない今の自分に分かる訳もない。


「……機会があったらってことで」

「へぇー……」

「何ですか」

「いいえ? そういう人ほど、機会が来た時には大変なことになったりしてね?」

「恐ろしいことを言わないでくださいよ」


 これまたその表情は見えないが、きっと葵は苦笑いを浮かべていることだろう。そんな小さな変化すら分かる程に、葵のことは見てきたつもりだった。


「お、葵君。願い事は叶うって」

「身も蓋もないことを言うと、来年が受験なので、その時にこれの方がよかったです」

「来年もいいのを引けるさ」

「だといいんですけど」


 そのタイミングで、アーロンが別の話題を振って話が逸れていく。まるで狙ったかのようなタイミングだった。


「アイリス」

「な、なに……?」


 そして、葵との会話を終えたレティシアは自分に近寄ってきた。葵との間に壁を作る位置関係である。どうしてわざわざそんなことをしたのかは分からないが、どうやら葵に聞こえないようにしているらしかった。


 その証拠に、話しかけてきた声は小声である。


「さっき、葵君が『あんまり考えたことがない』って言ってたでしょ?」

「……うん」

「でもね、そう言う前に、ちらっとあなたの方を見てたわよ」

「うそ……!?」

「ほんと。一瞬だけだったけど。それに、あれは多分無意識ね」

「……!」


 自分が見ていなかった間に、まさかそんなことが起こっていたとは思いもしなかった。もう心の中は沸騰だけでは済まないかもしれない。


「意外といい感じに意識してもらえてるんじゃないの?」

「ほぁぁ……!」


 自分以外にそう言われると、途端に上手くいっている気がするから不思議なものである。実際に上手くいっているのかは誰にも分からないけれども、少なくともこれまでの頑張りは無駄ではなかったと、葵本人からそう言ってもらえているような気分だった。




「こっちを見るのはだめですからね」

「分かりましたって。見ませんから」


 先程おみくじを見ていたテントから場所を移して、今度はお守りの販売を行っているテント。場所は変わっても、人の多さは相変わらずだった。


 これだけ人がいるのなら、買っているところを見られないようにすることもできそうではある。それでも、一応釘は刺しておくが。


「それじゃあ、ちょっと待っててください。先に買ってきますから」

「えぇ。ゆっくり選んできてください」


 特に何かを気にした様子もない葵に送り出されて、人混みの中へと向かっていく。本当に覗かれないかは葵の良心次第だが、恐らく大丈夫ではあるだろう。よくも悪くも、こういった場面で葵が約束を反故にするとは考えにくい。


(恋愛のお守りを買ってるところなんて、絶対に見られるわけには……!)


 結局そこに尽きる。葵に意識してもらいたいのは本音だが、そんな形で何かしらがばれてしまうのは避けたかった。


「えと……」


 様々なお守りが陳列されている中、目当てのものを探す。恋愛のものは当然として、高校生の本分たる学問のお守りも、目的の一つではあった。葵が言っていた通り、買うものを一つに絞る必要はない。


「これじゃないの? あなたが探してるのって」

「え……?」


 あちこちに視線を彷徨わせていると、いつの間にか隣に並んでいたレティシアからそう声をかけられた。そのレティシアが指差す先には、分かりやすくハートが描かれたお守りがある。どこからどう見ても恋愛のお守りだった。


「そ、そうだけど……」

「やっぱり。そんなことだろうと思った」

「何で?」

「わざわざ葵君に見ちゃだめって言ってるんだもの。いつものあなたなら、それこそ一緒に選ぶとか言いそうなのに」


 鋭いというよりも、流石は母親といったところだった。何もかもを見抜かれている。


「で? どっちにするの?」


 そんなレティシアからの、再度の確認。どちらとは、恐らく買う色のことを尋ねているのだろう。そこには、赤いお守りと青いお守りが並んでいた。


「んー……」


 混雑していることは分かっているが、少しだけ悩んでしまう。これまでの自分であれば、好きな色である青を選んでいたことだろう。


 ただ、あくまでイメージではあるが、この二色なら男性が青、女性が赤を持つというのも納得できる。ましてや、自分の場合は葵である。少しずつその色を受け入れると言ってくれた葵にそちらを持ってもらいたいと思うのは、ある意味当然と言えば当然だった。


 葵が恋愛のお守りを買っているところが想像できないのが、その考えの唯一の欠点だとしても、だ。


「……両方買う」

「へぇ? 何でまた両方?」


 悩んだ末に導き出した結論に、レティシアが意表を突かれたような声を上げる。どうやら、どちらか一方を買うと予想していたらしい。


「私が持つのは赤い方にする。で、上手くいったら葵さんに青い方を渡す」

「なるほど。色違いでお揃いにしたいのね」

「それもあるけど、葵さんはそもそも買わないと思うし」

「まぁ、確かにそれもそうね」


 そう言いながら、レティシアが背後に目を向ける。恐らく、その先に葵がいるのだろう。


「すぐに渡すのはだめなの?」

「だめに決まってるでしょ……!」


 それはあまりにも不自然過ぎる。最悪の場合、そこで気持ちがばれてしまうことすら考えられる。それで上手くいく可能性がない訳でもないが、そうならなかった時が悲惨だ。なるべく考えたくはない。


「残念。面白いところが見られるかと思ったのに」

「娘で遊ばないで?」


 その姿を見るに、どうも本気で残念がっているらしい。こういったところでは優しさの欠片も感じられない母親なのだった。


「それじゃあ、お父さんが葵君の目を逸らしてくれてる間に買っちゃいなさいな」

「家族総出で隠されてる……!」

「早くしないと見られちゃうかもね?」

「か、買う……!」


 振り返れば、確かにアーロンが葵に話しかけていた。どう見ても親子には見えないその組み合わせは、明らかに周囲から浮いた光景になってしまっている。


 そして、レティシアの言う通り、葵の意識はこちらから逸れている。見られる可能性が高いのは、選んでいる時よりも購入する時だ。つまり、今が見られずに購入できるチャンスなのだった。


「お母さんも一応そこで壁になってて」

「あら、壁だなんて。言うようになったわね」

「よく分からないからかい方をしてきたんだから、それくらい協力してくれてもいいでしょ」

「そう言われたら仕方ないわね」


 さらに念を入れて視線を遮る。これだけの防衛網であれば、何を購入したか葵に見られる心配はないだろう。


「うちの娘が必死で可愛い……」

「そういうのは葵さんに言っておいて」


 選んだお守りの代金を支払いながら、突然よく分からないことを言い出したレティシアに突っ込みを入れておく。これまでも、そしてこれからも、可愛くなるのは葵の方だ。


「うちの将来の息子が可愛い……」

「……っ!」


 まさかの反撃。残念ながら、レティシアの方が一枚も二枚も上手だった。




「そういえば、アイリスさんは百円でしたよね」

「え? 何がですか?」


 参拝、おみくじ、お守りの三つを済ませ、駐車場へと戻る帰り道。その途中で、思い出したように葵が口にした。


「さっきのお賽銭ですよ」

「あぁ……。確かに百円でしたけど、それがどうかしました?」

「いえ、何か理由でもあったのかなって」

「ありますよ」


 特段いつもと変わらない表情で問いかけてくる葵に、何でもないようにそう返す。これまでは色々と隠したいことがあった自分だが、これは別に隠したいようなことではない。


「去年は五円だったんですよ。四月から高校生でしたし、ありきたりですけど、いい出会いがありますようにって」

「まぁ、よく聞きますよね」

「はい。で、お願いした通りにいい出会いがありました」

「……っ」


 誰のことを言っているのかは伝わっただろう。そう言うのと同時に、ほとんど抱き締めていた腕に力を込めたのだから、伝わっていない方がおかしい。


 階段を下りる時に滑るのが怖いからという理由で認めてもらったが、そんなものは当然表向きの理由である。本当の理由は、ただ近くにいる自分を意識してもらいたいだけだった。そのおねだりが、こんな意外なところで役に立った形である。


「どうかしました?」

「……何でも」

「そうですか?」


 明らかに何でもないとは言えなかった。葵が最近よく見せてくれる、どこか照れたようなその表情。寒さのせいもあっていつもよりも赤い頬と、まさに恥ずかしそうに逸らされた視線が、何よりも分かりやすくその感情を教えてくれていた。


「ま、いいですけど。それでですね? そのお礼と、今年は百点の年になりますようにって思って、それで百円にしました」

「へぇ……。色々と考えてたんですね」

「もちろんです」


 そう願ったところで、本当に百点満点の一年になるかどうかは、結局のところ自分の頑張り次第なのだが。


(あと、穴が開いたお金は縁が零れていきそうだったから嫌だった、なんて理由もあるんですよ?)


 口にすることなく、心の中でそう話しかける。言ってしまっていいような気がしないでもないが、何となく言葉にするのは躊躇してしまった。きっと、単に恥ずかしかったのだと思う。


 ただ、そう伝えた時の葵の反応が見たいのも確かだった。


「何です?」

「いーえ? 何でも?」


 そんな訳で葵の顔をじっと見つめてみたが、案の定伝わることはなかった。葵の言葉を借りるなら、「伝えたいことは言葉にしないと伝わらない」だ。


「また何か隠してますね」

「隠してますよ? 今は教えてあげませんけど」


 そんな態度を取っていれば、中身は伝わらなくとも隠し事があること自体は伝わってしまう。しかも、相手は葵だ。自分のことをしっかりと見てくれている葵に、そんな程度のことが分からないはずがなかった。


「ってことは、いつか教えてもらえるってことですか?」

「その時が来たら、ですかね」


 その時とはつまり、自分の想いが成就した時。そうなった時は、今まで色々と隠してきたことを教えてあげてもいいのかもしれない。あれこれと明かされた後の葵は、一体どんな姿を見せてくれるだろうか。まだ成就すると確定した訳でもないのに、今から楽しみで仕方がなかった。


「こんな会話、前もしませんでした?」

「そんな気もしますね。それだけたくさん一緒の時間を過ごしてるってことですよ」


 そんな会話を交わしながら、少しだけ下り坂になった参道を歩いていく。いつもなら転ばないようにと慎重に歩いていたのだろうが、今日は少しだけ気持ちに余裕があるような、そんな気がした。

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