31. 頼られて、慕われて (1)
高校生の七月といえば、夏休みが始まる月である。誰もが心待ちにするその長期休みだが、その前にはとある壁が待ち受けていた。
期末試験である。
この三か月半で教わった範囲の総仕上げ。これを突破しなければ、安寧の夏休みは訪れない。
と言っても、その内容に特に不安がある訳でもない。いつも通りの調子で受ければ、何も問題はないはずだ。だからこそ、本番まであと一週間程となった今日も、こうして余裕を持って面倒を見ることができる。
「湊先輩、ここなんですけど……」
「どれです?」
「この、エタンの燃焼熱の熱化学方程式です」
そう言って指差されたのは、今のところ自分が最も得意とする教科である化学の教科書のある一ページ。その中でも、反応熱に関するページだった。
「これがどうかしました?」
「この式、係数が分数のままでいいんですか? 前のページにも同じ反応式があって、そっちは全部整数になってたんです」
前のページの反応式まで遡りながら、とある人物がそう口にする。出てきた疑問は、熱化学方程式を学んですぐに湧くものと言っても差し支えなかった。特に、中学生の頃はほとんど化学反応というものを学ばないので、そこからの意識の切り替えが難しいのだろう。
「これは分数で大丈夫です」
「えっと……」
そんなことを考えながら、まずは正解を告げる。何かを教える時は、最初に答えを提示して、そこから過程を説明していった方が相手も興味を持ちやすい。
「ちょっと言葉が足りませんでしたね。『エタンの燃焼熱を表す式』って言い方は、もっと正確に言うと『エタン1molの燃焼熱を表す式』なんですよ」
「1mol……」
「そうです。だから、エタンの係数は必ず1で固定なんです」
「あ、そっか。全部の係数を倍にしちゃうと、1molじゃなくなっちゃうんですね」
そこまで説明したことで理解が進んだらしい。これまでは微かに傾いていた首が、その瞬間元の角度に戻る。
「そういうことです。生成熱とか溶解熱も、全部物質1molあたりで考えるので、係数に分数が出てきたりしますよ」
「分かりました。ありがとうございます」
そう言って軽く頭を下げるのは、アイリスと同じクラスの純奈。正面に顔を向ければ、そこではアイリスと紗季が一つの教科書を睨んでいる。
今いる場所は、中間試験の前にアイリスと訪れた図書館の一室である。流石に部屋までは同じではないが、その並びの部屋だった。
こうなったのには当然理由がある。事の発端は一週間程前。知り合い四人にあの姿を見られた休日が明けた、月曜日の放課後のことだった。
「葵さん。またお願いしてもいいですか?」
「何をですか」
一日の授業を全て終えて迎えた放課後。いつもはアイリスが二年生の教室に来ることが多いが、今日は自分が一年四組の教室を訪ねていた。たまにはアイリスを天敵二人から遠ざけようという、ただそれだけの理由である。
そんな、周囲が後輩だらけの中で発せられたアイリスの言葉は、ほとんど情報がないと言っても過言ではなかった。辛うじて分かったのは、以前に一度はしたことがあるという情報だけ。
「期末の対策です」
「あ、そういうことですか」
アイリスも流石に言葉が足りなかったと感じたのか、簡潔に情報を追加してくれた。どうやら、以前話していた試験対策のことを言っているらしい。
「中間の時の成績が思ったよりもよかったので、なるべく落としたくないんです」
「維持するのは大変ですからね。いいですよ。一肌脱ぎます」
「物理的に脱いで、可愛い服を着てくれてもいいんですよ?」
「やっぱりなしで」
「冗談です」
何か余計な発言があったが、つまりは期末に向けてまた色々と教えてほしいということだった。物理的に脱ぐのは論外として、それなら何も難しいことはない。二日前に無茶なお願いをされたことを思い出し、無意識に張っていた緊張の糸を緩める。
「アイリス、またお世話になるの?」
その話を後ろの席で話を聞いていたのか、どうも紗季が興味を持ったらしい。部活に向かうのか、それとも帰宅するのかは分からないが、どちらにしろ準備を終えたようで、机を回り込んでアイリスの隣に立つ。
「うん。利用できるものは何でも利用しないと」
「アイリスさん?」
「あ、間違えました。利用できる人は誰でも利用しないと」
「そこじゃないです」
言い直すアイリスだったが、自分が気にしているのはそこではなかった。「利用」という言葉が引っかかったのに、そこを訂正されても仕方がない。
「先輩に対する言い方じゃないね」
「単なる先輩後輩よりも仲が良いから」
「今それを言うとしたら、多分僕の方ですよ」
「仲良しですもんね?」
「そうですけど」
にっこりと笑って言われてしまえば、認める以外の行動は取れない。それでなくても認めはするものの、半ば脅しているのと変わらない聞き方である。
「いいなぁ。また学年五位の先輩に面倒を見てもらえるんだ」
「ちなみに、中間で二位まで上がりました」
「うわぁ……」
自分の一言で、紗季の目がどこか遠くを見るようなものに変わった。その目が表すのは、一体どんな感情なのだろうか。
「紗季も来る?」
「え? いいの?」
「葵さんがよければ、だけど。……どうです? 葵さん」
「別に大丈夫ですよ」
するすると話が進んでいく中で、アイリスから尋ねられる。どうせいつも通り、自分の分の勉強はほぼ終えている。アイリスに教える余裕くらいならいくらでもあるので、その人数が多少変わったところで特に問題はない。
「ほんとにいいんですか?」
「えぇ。一人も二人も、そんなに変わらないですから」
予想外の提案だったのか、紗季が改めてそう確認してくる。こう言っては何だが、莉花と同じような雰囲気を感じる紗季だが、こういったところはしっかりしている。自分が先輩であるということもあるのだろうが、それを差し引いても、莉花なら返事はもっと軽い。
「じゃあ、お願いします!」
「任されました」
勢いよく頭を下げる紗季に対して、自分も軽く頭を下げる。どちらもそこまでする必要などないのだが、何となくお互いにこうしてしまった。
「あの……」
「はい?」
そんなタイミングで声をかけてきたのは、これまたアイリスの友人である純奈。おずおずと、その右手を小さく掲げている。
「私もいいですか?」
「純奈も?」
意外そうな声を上げたのはアイリス。少しだけ話を聞いてみると、純奈の方がアイリスよりも成績がいいらしい。そんな純奈が参加したいと言い出すのは、想像もしていなかったとのことだった。
「ちょっと範囲が広がって、不安なところも多いから。できれば、分かる人に教えてもらいたいなって」
「先生に聞けばいいのに」
「紗季はできるかもしれないけど、私には難しいね」
「そう? 純奈はもっと積極的になった方がいいね」
「それができたら苦労してないよ」
そう言って苦笑いを浮かべる純奈。具体的に何か思い出すことでもあったのだろうか。
ちなみに、自分はその苦笑いを見て悠の姿を思い出した。
「先生は難しくても、一個上の先輩ならどうにかなりそうかなって思って」
「女の子みたいだしね」
「そういうことなら。一人も二人も、そんなに変わらないですから」
「ありがとうございます」
先程紗季もそうしていたように、純奈も小さく頭を下げる。他の上級生がどうかは知らないが、自分に対してそこまでしなくてもとは思いつつ、根が律儀なのだろうということで納得しておく。
「あれ? 三人じゃないんですか?」
「星野さんと長峰さんの二人なので、これで合ってますよ」
一連の会話におかしなところでも見つけたのか、アイリスが不思議そうにそう問いかけてくる。だが、教える相手は紗季と純奈の二人だけなので、その表現で何の間違いもなかった。
「あれ? 私は……?」
いきなり名前が消えたアイリスの首の傾きが、徐々に大きくなっていく。
「知りません。一人で勉強したらいいんじゃないですか?」
「あ……。『女の子みたい』って言ったの、根に持ってます?」
「まさか。どうしてかは分からないですけど、アイリスさんには教えたくないなって思っただけです」
「絶対根に持ってるじゃないですか! ごめんなさい!」
その理由に気付いてから謝るまでが神速だった。その速さで謝るのなら、最初から言わなければいいのにと思うのは自分だけなのだろうか。
「……二人も三人も変わりませんから」
「よかったぁ……!」
それは置いておくとして、改めてそう口にする。その途端に、アイリスが安堵したように小さく一言呟いた。「ほっとした」という表現がよく似合うその表情は、こんな流れでなければ、もっと素直に可愛いと思えたはずである。
「懲りないね、アイリス」
「勝率が五割くらいになるまで、私は諦めないよ!」
「多分無理だと思うけどな……」
純奈が小さく零した一言は、安心しきっているアイリスには届いていないようだった。届いていれば、不満そうにしながら即座に反論があったはずだ。その反論に力があるかどうかは、また別の話だが。
とにもかくにも、こうしていつもの後輩一人と、その友人二人を巻き込んだ勉強会の開催が決定したのだった。
「二人は何を悩んでるんですか?」
完全に手が止まっているアイリスと紗季のことが気になって、思わず声をかける。見たところ、二人が開いているのも化学の教科書のようだが、一体どこで分からない部分が出てきたのだろうか。
「濃度の調整です」
「分かります? 湊先輩」
「ちょっと見せてください」
そう言って、アイリスから教科書を受け取る。言葉の通り、開かれているページには濃度に関する記載がされていた。その中で、印が付けられていた問題は。
「20%の希硫酸を200g作るのに、98%の濃硫酸と水はそれぞれ何g必要か」
問題の内容を理解するために、あえて声に出して読む。試験中にはできない方法だが、一人で勉強をしている時には有用な方法だった。
「それですそれです。そんなに難しくないのかもしれないんですけど、まだどうにも考え方が慣れなくて」
化学が得意と言っていたアイリスだが、こういった計算問題はまた別なのかもしれない。もしくは、先程の純奈もそうだったが、中学生までの理科とは違って少しずつ深くなっていく内容にまだ慣れていないだけの可能性もある。
と言うよりも、慣れていない可能性の方が遥かに高い。こう言ってしまっては何だが、別段悩む程の難易度の問題でもなかった。基本中の基本の問題である。
「そこまで複雑に考える必要はないです。説明はいります?」
「お願いします!」
その返事は、アイリスではなく紗季から。一緒に悩んでいた辺り、紗季も説明を欲しているのは明らかだった。
「じゃあ……。まず、20%の希硫酸を200g作りたいんですよね?」
説明を始めるに当たって、問題文の中で一番重要な部分を確認する。この問題文であれば、ここさえ理解しておけば何も難しいことはない。
「別に作りたくはないです」
「……」
「嘘です。嘘ですから、そんな目で見ないでください」
思わず黙ってしまった自分を見て、アイリスが懇願するようにそう口にする。自分が今どんな顔をしているのかは分からないが、どうやらアイリスがそうなってしまうような顔をしているらしい。
「ねぇ、アイリス。私達、説明してもらってるんだよね? 何遊んでるの?」
「ごめんなさい……。つい……」
真面目に取り組んでいる紗季から注意され、アイリスが体を小さくする。何となくイメージとは反対のやり取りだったが、気にしていても仕方がないので、話を続けることにする。
「ってことは、この200gの中に、硫酸が何gあるかは分かりますよね?」
「えっと……、ちょっと待ってください……」
言いながら、紗季が計算を始める。単純な計算なので、そこまで時間はかからないはずだ。案の定、暗算でもすぐに答えが出たようである。
「40gですよね?」
「そうです。なので、硫酸が40gになるように98%の濃硫酸を用意すればいいんです」
「じゃあ、必要な量をxにして、それに0.98を掛けたものが40になればいい、ってことですか?」
「正解です」
やはり慣れていないだけだったのか、少しヒントを出しただけで、紗季が一気に解法を思い付く。しっかりと数字を口にしている辺り、理解が進んでいるのは確実だろう。
「計算するので、また待ってもらってもいいですか?」
「焦らなくていいですからね」
今度の計算は少しだけ面倒である。暗算は最初から選択肢に入っていなかったようで、手元のノートで計算を始める紗季。自分も正誤の判定用にざっと計算を進めていく。
「40.8gですか?」
「そうですね。僕も同じ答えになってます」
やや間が空いてから出てきた数字は、手元の計算結果と同じ数字だった。答えを見てはいないが、間違っていることはないはずだ。
「じゃあ、あとはこれを200から引けば……」
「必要な水の量が分かります」
「159.2gです!」
「多分正解だと思います」
必要な二つの数字が分かったからなのか、これまで曇り気味だった紗季の顔が綺麗に晴れる。
「ありがとうございます! これで他の問題も解けそうです!」
「作りたいものが硫酸じゃなくても同じ方法で解けるので、今のさえ解けたら大丈夫なはずです。あと、濃度がモル濃度で書かれていても、それも似たような考え方で解けます」
そこまで紗季に教えたところで、その隣で黙って計算していたアイリスから疑問の声が上がる。上げられた顔は、紗季とは違ってまだ曇っていた。
「あれ? 硫酸は40gなんですよね?」
「そうですね」
「じゃあ、水は160gじゃ……? でも、それだと200.8gになる……?」
「あぁ」
その口から出てきた疑問は、こういった計算に慣れていない段階では浮かんで当然の疑問だった。紗季のことを悪く言うつもりは全くないが、よく考えているからこそ出てきた疑問でもある。
「『98%の濃硫酸』って表現されてますけど、言い方を変えれば、『98%の硫酸水溶液』なんですよ」
「水溶液……」
「なので、残りの2%は水です」
「あ。その2%の水と、後から足す水で合わせて160gってことですか?」
「そうです。ちょっとややこしいですけどね」
「なるほど……、分かりました」
アイリスも紗季も、教えたことの飲みこみが速かった。もちろん、先程話していた純奈も、だ。きっかけさえあればすぐに答えまで辿り着くというのは、教えていて楽しい相手だった。
それからしばらくは、紗季から出る質問にアイリスが答え、ところどころその補足をする程度で時間が過ぎていく。不安なところが多いと言っていた純奈からも時折質問は出たが、どれも問題なく答えられるものばかりだった。
「ちょっと休憩にしましょうか」
午前九時にここにやって来て、かれこれ一時間半が経った。そろそろ集中力を保ち続けるのが難しくなってくる時間帯である。これ以上続けていても効率が落ちるだけなので、一度完全に手を止めてしまった方がいいだろう。
「ですね。ちょっとだけ疲れました」
「久しぶりにこんなに集中したかもしれないです」
その提案にアイリスと純奈はすぐに乗ってきた。そこまで詳しく見てはいなかったが、どうやらちょうど問題を解き終えたところだったらしい。だが、そうではなかった紗季の手はまだ止まらない。
「これ、もうすぐ解き終わるので……」
「あんまり気にしないでください。ゆっくりでいいですから」
「……終わりました!」
そうは言ってみたものの、本当にもうすぐだったようで、直後に問題を解き終えていた。そのままの勢いでペンをノートの上に置いている。
「んぅー! 捗った!」
凝り固まった体を解すように、紗季が大きく伸びをする。伸びの分だけ背が高くなったように見えて、相対的に隣のアイリスがより小さく見えてしまう。
「何か飲み物を買ってきますけど、皆さんはどうします?」
「一緒に行きます!」
伸びからそのまま挙手に体勢が変わった紗季が、一番に名乗りを上げる。
「私も行きます。喉が乾きました」
「それなら私も……」
続いて、アイリスと純奈からも同意の声。軽い気持ちでの提案だったのだが、思いの外タイミングがいい提案だったのかもしれない。
「全員いなくなるなら、貴重品は必ず持っていってくださいね」
「鍵はかからないんですか?」
「残念ながら。そもそも鍵がないんですよ、この部屋」
そう言って、入口の扉を指差す。そこには簡素なドアノブが一つあるだけで、紗季が望んだ鍵の姿は見当たらない。不便と言えば不便な仕様だが、そういうものなので仕方がない。文句を言ったところで、いきなり鍵が現れる訳でもなかった。
「ほんとですね。何もない」
「あると便利なんですけどね」
「鍵をかけて、一体何をするつもりなんですか?」
そこで嫌な笑顔を浮かべながら問いかけてきたのは、もちろんアイリスである。今のところ、紗季と純奈がそんなことを自分に問いかけてくる気配はないので、当然と言えば当然である。
何はともあれ、こういった時のアイリスは絶対に面倒なことを考えている。
「女の子三人を閉じ込め……、四人?」
「からかうんだったら最後まで頑張ってくださいよ」
「ついうっかり……」
考えていたことはそういうことだったようだが、からかい方自体は何ともお粗末なものだった。そもそも、最後まで言いきれていないのだから、からかい方がどうこうという次元に到達していない。
「と言うか、内側から鍵をかけるんですから、誰でも出られるじゃないですか」
「確かに。何にも考えてませんでした」
「はぁ……」
「あ、ため息まで……」
少しだけ声が沈むアイリスだったが、こんなやり取りに巻き込まれてしまえばため息も出る。むしろ、ため息程度で済ませた自分を褒めてほしいくらいである。
「どっちかって言うと、アイリスの方が湊先輩のことを襲いそうだよね」
「そんなことしないよ。私、清純派だもん」
紗季の予想もどうかとは思うが、今はそれよりもアイリスの発言である。自分がこれまで感じたことがない印象に、思わず小さく首を傾げてしまう。幸いにも、紗季の方を見ているアイリスには気付かれなかった。
「清純派? お笑い担当じゃなくて?」
「そんなわけないもんっ」
「湊先輩もそう思いません?」
「そうなんですか!?」
「まぁ……」
そこで話を振られて、アイリスの目が自分の方へ向く。何らかの意味が込められていそうな眼差しだが、その二択のどちらかを選べと言うのなら。
「お笑い担当と言うか、賑やかしの外国人タレント枠と言うか……」
「賑やかし……」
正確には三つ目の選択肢のようなものを選んだ訳だが、つまりはそういうことだった。期待を裏切られたアイリスが、がっくりと肩を落とす。
「あ、それは分かります」
「純奈まで……!」
自分達四人の中の唯一の良心まで敵に回った今、本人以外に誰もアイリスのことを清純派だと認める者はいない。これにて勝負あり、だった。
「ま、クラスの男子は騙されてるかもしれないけどね」
「騙してるつもりなんて全くないよ?」
「こっちの素のアイリスを見たらどう思うか」
「今の私がだめみたいに言うね?」
「いや、まぁ……、これはこれで人気は変わらないか?」
アイリスの抗議など一切受け付ける気のない紗季が、一人で勝手に話を進めていく。漏れ聞こえてくる声から察するに、やはりと言うべきなのか何なのか、アイリスはクラスで人気があるらしい。推測でしかないが、きっと男子からの人気は特に凄まじいものがあるのだろう。
「何を言ってるのかは分からないけど、私が清純派じゃないなら、誰がそう名乗れるの?」
「羽崎先輩とか」
「……あぁ」
「納得するんですね」
個人的には紗季の意見に同意するが、アイリスとしてはそれでいいのだろうか。今は納得していい場面ではなかったような気がした。
「だって、羽崎先輩って葵さん達四人の中で一番女の子っぽくないですか?」
「一文で三人に喧嘩を売りましたね」
「ちなみに、二番目は葵さんです」
「訂正です。四人全員に喧嘩を売りましたね」
アイリスからのその評価には慣れはしたが、受け入れるかどうかはまた別の話である。そして、男子二人よりも女子扱いされていない碧依と莉花が今の話を聞いてしまったら、アイリスには一体どんなお仕置きが待っているのだろうか。
あるいは、その矛先が何故か自分に向く可能性もある。理不尽極まりないが、あの二人なら十分考えられる。
「葵さんは話し方が丁寧過ぎて、そこがちょっとだけ減点です。少し丁寧ってくらいなら完璧でした」
「三人に何か飲み物を買ってあげようかとか思ってましたけど、アイリスさんの分だけは買わないことにしました」
「嘘です! 葵さんが一番男の子っぽいですよ!」
「評価が変わってないんですよ」
男子が二人しかいない中で二番目に女の子っぽいということは、裏を返せば二人の中では男の子っぽいということになる。言い方が変わっただけだ。
ただし、一番男の子っぽいのが碧依か莉花になる可能性は考えないことにした。
「……あれ?」
言われて初めて気が付いたのか、アイリスの目に不思議そうな色が宿る。どうやら言った本人も混乱しているらしい。
「やっぱりアイリスさんの分はなしですね」
「冗談です! 私も欲しいですっ」
「自分で買ったらいいじゃないですか」
「葵さんが買ってくれたら、この後も頑張れそうな気がします」
「僕が買わなくても、やる気くらいは出してくださいね」
「私にどうしてほしいんですかっ」
何を言っても響いていない様子の自分に、アイリスが目に見えて焦り始める。どうしてほしいのか尋ねられたところで、自分が求めていることは最初から一つである。
「謝ればいいんじゃないかな?」
「確かに! ごめんなさい!」
「よろしい」
そのことにしっかり気付いていた純奈の助言で、ようやくやり取りに終止符が打たれる。誰も何も得られない、本当に不毛な時間だった。
「とりあえず、自販機があるところまで行きましょうか」
あれこれと話しているうちに、休憩を提案してから少し時間が経ってしまった。時間に余裕はあるのでそこまで気にする程でもないが、あまり休憩ばかりなのは避けた方がいいだろう。
そう考えながら扉を開ける。その先は、今までいた部屋の中とは違って静寂に満ちた空間である。どうしても話す声が自然と小さくなる。
「そういえば、前に来た時は自販機のコーナーって行きませんでしたね」
「始めた時間がちょっと遅くて、すぐにお昼でしたから」
「そっか。確かにそうですね」
「午後はアイリスさんが寝てましたし」
「うっ……」
中間試験の少し前のことを思い出しながら言うアイリス。その時は何か特別な理由があった訳ではなく、単純に行くタイミングがなかっただけの話だ。
「何? 教えてもらってたのに、途中で寝たの?」
「はい……」
「うわ……、ないわ……」
「お昼を食べた後で眠くなっちゃって……」
「熟睡でしたね」
「その節は大変ご迷惑を……」
何も言わなければ話題にはならなかったのに、自身で切り出してしまった話によって、痛いところを突かれるアイリスなのだった。普段ならあれこれ反論するアイリスも、流石にこの話題では反論できないらしい。紗季の非難するような目に、素直に罪を認めることしかできていなかった。
「今日は寝ないといいですね?」
「寝な……! ……いですもん」
からかうようにそう口にした自分に対して思わず大きな声を上げそうになり、咄嗟に声を潜めていた。そんな意図はないと分かっていても、小さな声だと途端に自信がないように聞こえてしまう。本当に大丈夫なのか、今から不安になってきた。
「コーヒーとか、眠気覚ましになるものにした方がいいんじゃない?」
そんな話を聞いていた純奈から、午後に向けての提案がなされる。対するアイリスの返答は。
「苦いのは苦手です……」
「舌までお子様か」
「う……!」
どうやらコーヒーは苦手なようで、残念ながら採用とはならなかった。小さく呻き声を漏らして目を逸らす辺り、冗談で言っている気配は微塵も感じられない。
「苦いのがだめなのは、何となくアイリスさんっぽいですよね」
「そう言う葵さんはどうなんですか」
「僕も苦いのはあんまり得意じゃないですね」
「だったらいいです」
「何がですか」
とはいえ、苦いものが苦手なのはアイリスのイメージ通りである。わざわざそんな考えを口に出したりはしないが。
そうこうしているうちに、受付を通り過ぎて自販機コーナーまで辿り着く。三台並んだ自販機から、低い駆動音が鳴り響いていた。館内とは扉一枚を隔てているので、ここなら普通に会話しても大丈夫なはずだと考えて、いつも通りの調子で切り出す。
「どれにします?」
「え? ほんとに買ってくれるんですか?」
「えぇ。アルバイトはしてるのに、大して使いもしませんから。気にしなくていいですよ」
「そういうことなら……」
先程の言葉を冗談だと捉えていたらしい紗季が驚いていたが、あの言葉を冗談として言ったつもりはない。あれこれ頑張っている後輩に飲み物を買うくらいのことをしなくて、一体何が先輩なのだろうか。
そんなようなことを説明すると、それでもまだ少し遠慮がちな様子で紗季が自販機を眺め始めた。
「私もいいんですか?」
「もちろんです」
「ありがとうございます」
そしてもう一人。純奈が丁寧に頭を下げる。この三か月と少しの間で出会った人の中では、頭一つ抜けて礼儀正しい。他が個性的過ぎるだけの可能性も大いにあるが。
「私はどれにしようかな……?」
「アイリスさんは自腹ですよ」
「あれ!?」
その二人を見て、まるで自らも買ってもらえるかのように選んでいるアイリスだったが、生憎自分は一言もそんなことは言っていない。
「でも、さっき『よろしい』って……」
「『よろしい』って言っただけです。買ってあげるとは一言も言ってないですよ」
「うぇ!? そんなのありですか!?」
いきなり一人だけ梯子を外されて狼狽えるアイリス。見ていて面白いくらいにわたわたと両手の行き先を探している。
「この後も頑張りますから! だからどうか!」
「飲み物一つのために、どこまで必死なんですか」
「せっかく葵さんが買ってくれるって言ってくれてるのに、私だけ仲間外れは嫌ですっ」
「分かりましたよ。好きなのを選んでいいですから」
どうせ最初から三人分買うつもりではあったが、その妙な必死さに押されて、思わず早めに折れてしまった。
とはいえ、ただで折れる訳にはいかない。
「ただし、アイリスさんはここからここまでの中から選んでください」
そう言いながら示した範囲は、三台並んだ自動販売機のうち、中央のものの下段。端から端まで似たような色合いの缶が並んでいる。
「全部コーヒーじゃないですか……!」
「何事も挑戦ですよ」
「……いじわる」
様々な種類の飲み物が並ぶ自動販売機で、何故そこだけが同じような色合いなのか。その答えは、アイリスが口にした通り全てコーヒーだからである。苦手なものしか並んでいないそこを見る目は恨めしそうで、視線が自分と自動販売機を行ったり来たりしていた。
「……じゃあ、これで……」
やがて、何かを諦めたかのように肩を落としながら、アイリスが一つの商品を指差した。
「一番甘そうなやつですか」
「せめてもの抵抗です」
「無駄になると思いますけどね」
そう言いながら百円玉と十円玉を一枚ずつ入れ、アイリスが指差したコーヒーを一本購入する。がたんと音を立てて出てきた缶を取り出して、そのままアイリスへと手渡す。
「どうぞ」
「わーい……。ありがとうございます……」
嬉しそうな雰囲気を一切漂わせていないアイリスが、小さな両手でその缶を受け取った。
「二人は決まりました?」
「はい! 暇だったので、湊先輩とアイリスのじゃれ合いを眺めてました!」
「お見苦しいものを」
「いえいえ、楽しかったですよ?」
「私は楽しくなかったし……」
見世物にされたことへの不満なのか、コーヒーを渡されたことへの不満なのか。少し頬が膨らんでいるように見えるアイリスが、小さくそう呟いていた。
「長峰さんは?」
「私はこれでお願いします」
そう言って純奈が指差したお茶と、紗季が選んだ紅茶も購入して二人に手渡す。これで残るは自分の分だけだ。軽く全体を眺めて、目に留まった一本を購入する。
再び音を立てて出てきた小さめのペットボトルを取り出して、既に両手で缶コーヒーを持っているアイリスへと差し出した。
「どうぞ」
「はい?」
「コーヒーは貰いますね」
「あれ?」
咄嗟にそのペットボトルを受け取ったアイリスから何かを言われる前に、片手に残った缶コーヒーを受け取ってしまう。未だに理解が追いついていないアイリスは、渡されたペットボトルを見て首を傾げている。
「うん?」
その手元にあるのはオレンジジュース。先程自分が言った「無駄になる」とは、こうするつもりだったからこそ出た言葉なのだった。
「え?」
「いつまでそんなことをしてるの」
「んぐっ」
いつまで経っても理解が進まないアイリスの頭に、紗季の手刀が落ちる。アイリス本人にとってはなかなか理解が進まないことでも、近くで見ていた紗季にとってはそう難しいことではなかったらしい。
「交換してくれたんでしょ」
「コーヒーを買った時の反応で、十分元は取れましたから。もう満足です」
「いいんですか?」
「もちろん。それだけの反応を見せてもらえたので」
「ちょっと複雑ですけど、ありがとうございます……?」
どういう感情を抱くのが正解かすら分かっていないアイリスから、それでも感謝の言葉が届けられる。ちらちらとこちらを見る瑠璃色の瞳には、まだうっすらと困惑の色が残っていた。
「よかったね、アイリス。優しくしてもらえて」
「変化球過ぎて、優しいのかよく分からないかも」
「アイリスさん、『真っ直ぐ優しいのがいい』って言ってたもんね」
「うん。でも、葵さんってあんまり素直じゃないから……」
「コーヒーの方がいいんですか?」
「葵さん、とっても優しい」
「今更片言?」
あっという間に意見を翻したアイリスの言葉に何か小さな違和感を抱きつつも、これ以上考えても仕方がないと振り払う。ここでこれ以上の問答を続けても、得られるものは何もないはずだ。
「さ、そろそろ戻りましょうか」
そう切り出して、館内に繋がる扉を開く。受付近くにあった時計で時間を確認してみれば、休憩に入ってから十五分程が経とうとしていた。
「……」
今買った飲み物よりも遥かに高くなることが分かっている昼食代を支払うのに、どうやって三人を丸め込むか。期末試験の範囲よりもそちらに思考を割きつつ、再び静寂が支配する空間に向けて一歩を踏み出すのだった。
「でも、何でオレンジジュースにしたんですか?」
先程まで部屋に戻ってから、純奈がふとそんなことを口にした。考えるまでもなく、自動販売機の前でのやり取りのことを言っているのだろう。
「特に深い意味はないですよ。確か、前に柑橘系の飲み物が好きだって聞いた覚えがあって」
アイリスとはあれこれ話し過ぎて、最早いつどこで話していた時に聞いたことかも思い出せないが、そんなことを言っていた記憶だけはあった。一応は記憶力に自信があるので、間違ってはいないはずである。
「……っ」
「柑橘系が好きなくせして、ほっぺたは林檎か?」
「ちょっとだけっ! ちょっと照れただけだからっ」
何がどう響いたのかは知らないが、アイリスの頬が赤く色付いた。自分がどうこうというだけではなく、紗季にからかわれた分もありそうだが。
「アイリスさんのこと、色々知ってるんですね」
「朝は一緒、帰りも一緒、アルバイト先も一緒ですから。話す機会はいくらでもあります」
そう考えると、二年生になってから、生活に占めるアイリスの割合が多過ぎる。
「……ほとんど毎日会ってないですか?」
改めて考えて気付いた、今まであまり意識していなかった事実。こうして誰かに指摘されて意識してみると、会わない日の方が明らかに少なかった。
「バイトが被ってないお休みだけですよね、会わないのは」
「それってほとんど家族じゃ?」
「兄さん! 代わりに宿題やってください!」
「僕が倍の量の課題を出します」
「自分でやりまーす……」
紗季の言葉で調子に乗ったアイリスが、たった一言で意気消沈する。その呼び方にも前回の一件で慣れたので、もう自分には効かないのだった。
「『兄さん』ねぇ……」
「何?」
「そのお兄さんのこと、アイリスはどれだけ知ってるんだろうなって思って」
「何でも答えてみせます!」
何かを諦めてペンを持とうとしたアイリスを、紗季がどこか挑発的な言い方で煽る。そんな紗季にあっさり乗せられたアイリスを見て、微かな不安を覚えてしまった。
具体的には、アイリスが敗走することになりそうな、そんな予感である。
「じゃあ、湊先輩の誕生日は?」
「八月十四日!」
自信満々に答えたアイリスを一旦無視し、紗季が視線をこちらに向ける。正解かどうかを問うているのだろう。
「正解です」
「どう?」
「誕生日を知ってたくらいで威張られても」
自慢げな表情を浮かべるアイリスだが、紗季には響かない。確かに、紗季や純奈がいるところでそんな話をした覚えがあるので、下手をすると二人でも覚えている可能性すらあった。これでは何の自慢にもならない。
「じゃあ、次。好きな料理は?」
「……」
「まだ二問目だぞ」
そんな自慢げな表情も、続く紗季の質問で即座に消えた。一問目とは違って即答できなかったアイリスは、目を閉じてこれまでの会話を辿っているらしかった。だが、これに関しては話した覚えがないので、いくら過去を漁ったところで答えは見つからないだろう。
「……」
少し間が空いた後に、ゆっくりと目を開くアイリス。当たり前だが答えは見つからなかったようで、内心の焦りを示すかのように視線があちこちを泳いでいた。
そうして絞り出された答えは。
「……金平糖?」
「料理だって言ってるでしょ」
お菓子だった。これでは当たる訳がない。恐らくは、何か答えないといけないと焦り、頭の中に浮かんだものをそのまま口にしてしまったのだろう。
だからと言って、金平糖を好きな料理として答えることなど、自分では絶対にありえないのだが。
「ちなみに何なんですか?」
アイリスと紗季の話を聞きつつ、お茶で喉を潤していた純奈が尋ねてくる。その尋ね方は、アイリスの答えが間違いだと信じて疑わないものだった。アイリスも含め、この場の誰も正解とは思っていないはずなので、それも仕方のないことである。
「惜しいですね。筑前煮です」
「当たるわけがないじゃないですか!」
「渋……」
「惜しい……?」
そうして告げた正解に対して、三者三様の反応が返ってきた。アイリスは憤慨、紗季は困惑、純奈は疑問だ。
「どっちも漢字三文字ですから」
「小学生みたいなことを言いますね、湊先輩」
「アイリスさんには甘いんですね」
「金平糖だけに?」
「アイリスは黙ってて」
「はい……」
余計なことを口走ったアイリスが、今度は紗季に黙らされた。正直、今の言葉はアイリスに甘いらしい自分でも擁護はできない。
「干し椎茸の戻し汁で煮る派です」
「誰も聞いてないですよ。高校生にしては本気過ぎません?」
「料理は全力ですし、アイリスさんをからかうのも全力です」
「嬉しくないんですけど」
「アイリスさんにだけで……」
言葉を続けようとして、ふと思い留まる。自分がからかいの矛先とする相手という意味であれば、それは何もアイリスだけではないと思い至ったからだ。同じクラスにも、思い当たる人物がいる。
「羽崎君も……? そういうことなら、碧依さんも……」
「増えてますね」
「嬉しくないんですけど!」
「アイリスさんはどうしてほしいの?」
「私にだけ全力をぶつけてください!」
「それでいいんだ?」
「よくないね!」
「迷子かよ」
最早アイリスが何を言いたいのか分からなかった。これは自分の勝手な予想だが、アイリス自身も分かっていないに違いない。そうでもなければ、自らのことを全力でからかってほしいなどという発想は出てこないはずだ。
「一回落ち着きなって」
「……。私のことを程よくからかって、全力で甘やかしてください」
紗季に促されて落ち着いたところで、発想が独特なのは変わらなかった。何かしらの期待を込めた眼差しを向けられたところで、前者と後者、どちらを期待しているのかは分からない。前者を前向きに期待することなどないのが普通なので、きっと後者なのだろうが。
「湊先輩。この子、面倒じゃないですか?」
「何を今更」
「ですよね」
どうやら、紗季とは思いが一致したらしい。お互いに大きく頷き合う。
「まぁ、これからも全力でからかって、程よく甘やかします」
「逆です! 逆!」
アイリスの懇願が続いているが、残念ながらこれは聞き入れない。全力で誰かを甘やかすなど、今の自分に向いていないのは自分が一番よく分かっている。
「……十分甘やかされてると思うんだけどな」
机を挟んで座るアイリスにまでは聞こえていないと思っているのか、隣の純奈が小さくそう呟いていた。
いつかも聞いたような小さな音が、またしても聞こえてきた。顔を上げたところで、アイリスと目が合う。
「違います」
「何も言ってませんよ」
ただ顔を上げて目が合っただけなのに、何かを否定されてしまった。その反応が答え合わせになっていることにアイリスが気付くのは、一体いつになるのだろうか。
「目がそう言ってます」
「何と?」
そんなことを思われているとは考えていないらしいアイリスが、何やら不思議なことを言い出した。諺に「目は口程に物を言う」とあるが、どうやら今の自分がそうらしい。
「『また可愛い音がしたなぁ。こんなに可愛い音を出すんだから、きっとその子も可愛いんだろうなぁ』って」
「テストなら補習決定ですね」
「なんでですかっ」
雄弁にも程がある。そこまでになると、むしろどんな目なのかが気になる程だった。
「何? お腹空いたの?」
「今のは紗季……」
アイリスが罪を擦り付けようとした辺りで、もう一度音がした。それも、アイリスの方から。これでもう言い逃れはできない。
「お腹が空いたんだね」
断言は純奈から。そこまでされて、やっとアイリスが白旗を上げた。
「空きましたぁ……」
「ちょうど十二時ですし、お昼にしますか」
「一階のあそこですか?」
「気付いてましたか」
「さっき飲み物を買いに行った時、受付の辺りでいい匂いがしてましたから」
何をするにしても、提案するのは先輩である自分からの方が楽だろう。そんな訳で昼食休憩を提案したところ、自分の言葉の先を読んだかのような質問が紗季から上がった。思い返してみれば、あの時紗季が受付近くの扉を眺めていたような気がしないでもない。
「特に何もなければそこにしようかと思ってますけど、大丈夫ですか?」
「私は大丈夫です。この辺はあんまり詳しくないですし、知ってる人にお任せします」
「私もです」
先輩からの提案で若干断りにくい部分があったかもしれないが、それでも嫌そうな雰囲気は感じられない紗季と純奈の二人からは了承を得る。残るはアイリスだけだが、こちらの答えは正直聞くまでもない。
「アイリスさんは大丈夫ですよね」
「もちろんですけど、どうして私だけそんな聞き方なんですか?」
「食べた後に熟睡するくらい満足してましたもんね」
「……そうですね、美味しかったです。だから忘れてください」
両手で顔を覆いながらの返事だった。少しだけくぐもっていて聞き取りにくいが、それでも異論はないらしい。ちなみに、忘れたところで写真が残っているので意味はない。
「じゃあ、休憩ってことで」
「はーい」
「お疲れ様です」
「忘れてください……」
ここでも、返ってきた反応は三者三様だった。




