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3. カンパニュラ

「犯罪者?」

「らしいぞ。しかも、かなり大きめの事件を起こしたって。その家族とは関わらない方がいいに決まってるって」


 つまりはそういう話だった。何のことはない、中学生の頃から言われ続けてきた言葉だ。先程も考えた通り、自分が何を思おうと周囲からすれば関係ないようなので、今更特別何かを考えることもない。


「え? でも、湊君が何かをしたわけじゃないよね? それとも、湊君とその事件って、何か関係あったりするの?」

「え……? あ、いや……、そこまでは知らないけど……」


 こんな話をすぐ近くでされて、一体どんなタイミングで教室に入ればいいのか。むしろそちらの方に思考を割いていると、碧依が不思議そうな口調でそう口にした。その途端、男子生徒が狼狽え始める。どうやら、碧依に話しかけたはいいものの、事件のことはあまり詳しくないらしい。


「……しっかり関係あるんですけどね」


 ガラス窓を挟んだ向こう側はおろか、廊下を行き来する生徒達にも聞こえないような、本当に小さな声で呟く。未だに記憶から消えることのない顔が、頭の中に朧げに浮かぶ。


「何かよく分からないけど、誰と仲良くするかは私が決めることだから、誰かに指図されるつもりはないよ」

「いや……、でも……」


 曖昧な言葉しか言えなくなった、誰かまでは分からないクラスメイト。これ以上話していても仕方がないと判断したのか、碧依がやや強めの言葉で話そのものを打ち切ろうとする。


 だが、クラスメイトはそれでも食い下がる。自分が彼に何をしたのかは分からないが、随分と嫌われたものだ。そもそも、今話しているのが誰か分かっていない時点で、何をしたのか分からなくて当然なのだが。


 そんなことよりも、教室の前でずっと立っているのも、そろそろ不自然になってきた。教室の中にはどこか微妙な雰囲気が漂っていそうだが、もう贅沢は言っていられない。


「あ、湊君……」


 細かいことを考えるのをやめて、後方の扉を開く。教室に入ってきた自分の姿を一番に見つけた悠が、気まずそうな声を上げた。悠には何も関係ない話なのに、それでもこちらを気にしてくれるのは優しさの表れなのだろう。色々と苦労しそうな性格だ。


 話している内容は聞き飽きたものなので、別段気にすることもなく自分の席へと向かう。碧依と話していたクラスメイトは、その様子を見て背を向けて立ち去って行った。去り際、半ば睨むような形で自分のことを見ていたのは、とりあえず気付かなかったことにする。


「聞こえてた……?」


 椅子に座るのと同時に、悠が不安そうにしながら尋ねてくる。碧依も気になっているのか、自分の方を振り返って無言で見つめてきた。


「『関わらない方がいい』の辺りからですね」

「それ、全部聞いてたってことだね……」

「全部でも一部でも何でもいいですよ。聞き慣れた話で、特に気にしてないので」


 そんな悠を安心させるように、はっきりとそう口にする。これで安心できるのかというところに疑問は残るが、何も言わないよりはましだろう。


「本当に?」


 今度は碧依からだった。直接話をされた側からすれば、やはり多少は気になってしまうらしい。


「えぇ。本当に」

「そっか。じゃあ、私も気にしないことにするね」

「そうしてください。本人が気にしてないのに、周りに気を遣われても気まずいだけなので」

「ん。分かった」

「羽崎君もですよ」

「うん。湊君がそう言うなら……」


 二人にそう告げて会話を切り上げる。あまり長々と話していても、気持ちがいい話ではない。そんな自分の考えを察してくれたのか、二人がすぐに引いてくれたのはありがたかった。


 高校生が二十人以上集まっていれば、話題の移り変わりは激しいものだ。教室の中に漂っていたどこか不穏な空気は、気が付けば綺麗さっぱり霧散していた。




 昼休みの一件のような大きな出来事などそうそう起こることもなく、午後の授業を二つ終え、既に放課後になっていた。多くの生徒が新入部員の獲得に奔走する中、自分は一人、図書室にいた。


「……」


 貸出カウンターの内側で、持参した本に意識を集中させる。今日は当番制の貸出係が回ってきているが、図書室には自分以外、人の気配は全くなかった。一年生の時も同じ係を何度も担当したが、実際に誰かが本を借りていったことはほとんどない。ましてや、今日は新学年、新学期が始まってからまだ二日目だ。はっきり言って、誰も来なくて当たり前である。


 需要がありそうで、意外とそうでもない。高校の図書室などそんなものだ。せいぜいが、試験前に勉強目的で訪れる人の数が増えるくらいか。


 だからこそ、図書委員の仕事は「楽」の一言に尽きる。訪れる者がないからこそ、意識を活字の世界に沈ませることができる。


「……?」


 そんな図書室の入口から微かに聞こえてきた音に、沈んでいた意識が浮上する。あんなことを考えていたが、今日は珍しく誰か利用者が訪れたようだった。


「あれ?」


 持ち上げた視線を入口に向けるのと同時に、利用客からも声が上がった。今日一日で、多少は聞き慣れた声。


 入口の扉の前には、驚いたような表情を浮かべる碧依が立っていた。


「湊君だ。何してるの?」

「図書委員の仕事ですよ。今日が当番なんです」

「へぇ。湊君、図書委員だったんだ」

「ですね。ちなみに、羽崎君もです」


 周囲に人がいれば若干声を潜めるが、今は自分と碧依以外に誰もいない。教室で話していた時と同じ調子で返事をする。


「水瀬さんはどうしてここに?」


 何やら興味深そうに図書室の中を見回している碧依に、気になっていたことを問いかける。全くないとは言わないが、転校してきて二日目に、図書室に何かの用事があるとはなかなか思えなかった。


「えっとね、図書室に用があったわけじゃないんだ。どこにどんな教室があるのか、ふらふら歩いて見て回ってたの」

「あぁ、それでここに」

「そ。昨日は見て回る余裕がなかったからね」


 案の定、ここに特別な用事があった訳ではなかった。気の向くままに校内を歩き回る。つまりは、校内の散策だった。昨日は大勢に囲まれて、散策どころではなかったのだろう。


「そういうのって、誰かが案内役を買って出そうなものじゃないですか?」


 こういう言い方をするのは何だが、特に男子生徒が買って出そうなイメージだ。それが、碧依のような相手なら尚更。


「あー、うん。何人か『案内する』って言ってくれたんだけど、断っちゃった。自分のペースでゆっくり見て回りたかったし」

「なるほど、そういうことですか」


 そう思ったのだが、碧依の説明である程度納得する。やはり予想通りの動きをしたクラスメイトが何人かいたようだが、本人にそう言われてしまっては、なす術なく引き下がるしかなかったのだろう。朝の一件といい、見かけに反してやはり押しが強いらしい。


「図書室って、いっつもこんなに人がいないの?」


 碧依が辺りを見回しながら言う。こうして碧依と話している間も、新たな生徒は訪れていない。やはり、人の少なさは気になるようだ。


「そうですね。ほとんどこんな感じです。本の貸出がある日の方が珍しいですよ」

「湊君は借りたりしないの?」

「本は買って本棚に並べておきたい派なので。勉強するにしても、家でしますし」

「あー……、本棚に並べたいのは分かるかも。読んだなって感じがするよね」


 何度か軽く頷きながら、碧依が同意してくれる。電子書籍派が増えている中、紙の書籍派である自分の意見に理解を示してくれるのは、素直に嬉しかった。


「湊君はどんな本を読んでるの?」

「僕ですか? 決まったジャンルはないですけど、今読んでるのはミステリーです」

「ミステリーかぁ……。難しい話が多いよね……」

「ですね。でも、考えながら読むのも意外と楽しいですよ?」


 ただ、読書のジャンルに関しては、あまり意見が合わなかったらしい。碧依の目が、困ったように少しだけ細められる。


「そういう水瀬さんは?」

「私も特に決まってないかな? 読む時は何でも読むよ」

「乱読派ですか」

「そ。何でも楽しめる性格だからね」


 そんな表情から一転して、両手を腰に当てながら、碧依が笑顔で主張する。興味の幅がやや狭い自分からすれば、羨ましい限りだ。


 こうして話していて分かったことだが、碧依とは意外と波長が合うのか、流れるように会話が進んでいく。気が付けば、最近読んだ本や、お互いの好きな本のことまで話していた。


「っと……、あんまり長話してると、お仕事の邪魔になっちゃうね」

「人がいないので、仕事も何もないですけどね」

「それでもだよ。一応、当番の人を捕まえちゃってるから」


 相変わらず声を潜めることもなくしばらく二人で話した後に、碧依がそう切り出した。他人のことを「気遣いの鬼」などと表現していたが、碧依も碧依でそれに片足を突っ込んでいるのではないだろうか。


「それに、あんまり長居すると、他を見て回る時間がなくなっちゃうからね」

「確かに。それもそうですね」

「うん。だから、今日はこれで。また明日ね」

「えぇ、また明日」


 そう言いながら手を振り、碧依は図書室から出て行った。結局、自分と話しているだけで、碧依が図書室の中を見て回ることはなかった。もし必要であれば、またこの場所を訪れるつもりなのだろう。必要になることがあるとは、図書委員である自分ですら断言できないのだが。


 それはともかくとして、またしても一人だけになった図書室をぐるりと見回す。碧依が訪れる前と何も変わらない一人の図書室のはずだが、何故か今はより空虚な景色に思えてしまった。




「……っ」


 再び活字の世界に沈んでいた意識が浮上したのは、完全下校時刻を知らせる鐘の音が鳴り響いた瞬間だった。案の定、碧依が立ち去ってから、図書室を訪れる生徒は一人としていなかった。


 長時間座り続けて凝り固まった体を解しつつ、室内を一通り見て回る。放課後になってすぐにやって来た時と変わりがあるはずもないが、見回りも決められた仕事の一つと割り切って歩みを進める。


 問題なく見回りを終えてしまえば、あとは施錠して、鍵を職員室に返すだけだ。十分とかからずに全ての作業を終えて学校を出る。大分日が長くなってきたとはいえ、まだ四月上旬だ。辺りは既に薄暗い。


 それに比例するようにして、気温がゆっくりと下がっていく。昼間はやや暖かかったものの、今はその面影すらも残っていない。春に入ってもう一か月以上経ったはずなのに、それでもまだ寒さを伝えてくる空気を恨めしく思いながら、気持ち早足で駅へと歩いていく。


 近くの車道を走る車のヘッドライトが、少し先にある横断歩道を照らし出していた。
















 朱と黒が迫ってくる。気が付けば、その二色で辺り一面が染め上げられていた。近くには、黒い物体がいくつか転がっている。


「……え?」


 何が起こったのか分からなかった。あるいは、何が起こったのかを理解することを、本能が拒んでいただけなのかもしれない。


 転がっている物体からは、何か細長いものが飛び出している。真っ直ぐに伸びているものから折れ曲がっているものまで、物体によってその形は様々だった。その正体を確かめようとするが、どうにも意識がはっきりしない。


「……え」


 再度、自分の口からそんな声が漏れる。何故かは分からないが、急に湧いてきた恐怖に突き動かされ、得体の知れないそれから逃れるように、僅かに後退る。
















「っ!?」


 その光景まで見て、飛び起きるようにしてベッドの上で目を覚ました。


「はっ……! はぁっ……!」


 自然と呼吸が荒くなり、額には汗が滲み出す。前髪が額に張り付いて、少しだけ気持ち悪かった。


「夢……?」


 どうにか呼吸が整うのを待ってから、それだけを小さく呟く。それからゆっくりと周囲に目を向けてみれば、そこにはもう朱と黒は存在しておらず、ぼんやりと自分の部屋が見えるだけだった。


 随分と懐かしく、そして久しぶりに見る夢だった。一時期は毎日のように見ていた夢だが、ここ最近は鳴りを潜めていたので油断していた。


(お昼にあんな話を聞いたから……?)


 思い当たる節はそれしかない。面と向かって言われた訳ではなかったが、それでもあそこまではっきりと過去に言及されたのは久しぶりだった。気にしていないつもりだったが、自分でも気付かないうちに、心の奥底に澱が積もっていたのかもしれない。


「すぅー……、はぁー……」


 若干震える深呼吸を繰り返して、気持ちを落ち着ける。しばらくそうしてから改めて部屋の中を見回せば、そこは既にうっすらと明るくなっていた。どうやら日の出が近いらしい。時計は午前五時十五分を指している。


 寝起きのまとまらない頭で考える。普段ならもうすぐ起きる時間だが、今日は事情があって、そこまで早起きする必要がない。このまま登校の準備を始めたところで、時間を持て余すことは目に見えていた。


 そこまで考えてから額の汗を拭い、再び横になる。ちょうどいい時間にもう一度起きられるか不安ではあったが、今の気分で動き始めるのも、それはそれで気が進まなかった。若干迷いつつも目を閉じれば、すぐに眠気らしきものが戻ってくる。


 今眠ってしまえば、もう一度あの夢を見てしまうのではないか。そんなことを考える暇もなく、再び意識は暗闇の中へ落ちていった。




 何とか無事にもう一度目が覚め、いつもと変わらない時間に教室まで辿り着いた。ここだけを切り取れば何でもない一日の始まりだが、残念ながら、一つだけ普段の自分との違いがあった。


「ふぁっ……ぐしゅっ!」


 外に出てしばらくした頃から、くしゃみを繰り返している点である。鼻をすする音も響き続けている。


「大丈夫? 風邪?」


 そんな自分の様子を見たからなのか、悠が心配そうに声をかけてくる。


「いや、花粉症です。普段なら鼻炎止めの薬を飲んでるんですけど、今日は飲むのを忘れて」


 この時期は毎朝薬を飲んでいるが、今日に限ってはそれを忘れていた。普段通りの朝なら、絶対に忘れることなどない。あの夢を見て、自分で思っている以上に動揺していたのかもしれない。


「あ、花粉症だったんだ」

「小さい頃は大丈夫だったんですけど、一昨年くらいから急に症状が出始めて……ぐしゅっ!」

「大変そうだね?」

「発症してしまったものは仕方ないです。今日一日はうるさいかもしれないので、先に謝っておきますね」

「いいよ、気にしなくても。僕もポケットティッシュなら持ってるから、もし足りなくなったら言ってね」

「ありがとうございます」


 まさかこうなるとは思っていなかったので、持ってきた分だけでは心許ない。悠の申し出は、まさに渡りに船である。ありがたく厚意を受け取ることにした。


「おはよう、湊君、羽崎君」

「おはよー」


 そうこうしているうちに、碧依と莉花が揃って登校してきた。知っているのは自分だけだが、碧依と莉花は住んでいる場所が違う方角のはずなので、恐らくは校門前で偶然出会ったのだろう。


「おはよう」

「ぐしゅっ! ぐしゅっ! ……おはようございます、水瀬さん、渡井さん」

「湊君、風邪?」


 自らの席に鞄を置いた碧依が、悠と同じ勘違いをしていた。今の自分の様子を見れば、それも仕方のない勘違いだ。


「花粉症です。薬を飲み忘れてしまって……」

「え、大丈夫なの? それ」


 莉花からも心配の声が上がる。少しだけ話を聞くと、どうやら莉花も花粉症の症状を薬で抑えているらしい。


「どれくらい症状が重いのか分からないけど、一日それって辛くない?」

「我慢する以外にどうしようもないですね。……我慢できないからこうなってるんですけど」

「それはそうだけどさぁ……」


 同じ症状を持つからこそ、その心配も深いようだ。初めての会話が自分を女装させようとしていたとは思えない程に、今の莉花の目付きは気遣わしげなものだった。


「鼻炎止めの薬なら持ってるけど、よかったら飲む?」


 莉花の新たな一面を知ったところで、思いもしない方向から救いの手が差し伸べられる。今の自分にとって一番ありがたい言葉をかけてくれたのは、鞄の中に手を入れている碧依だった。


「え? 碧依、薬持ってるの?」

「うん。私も花粉症だから。症状はかなり軽いけど」


 莉花が驚いたように碧依を見る。どうやら、特にそういった話を聞かない悠を除き、ここにいる三人は同じ症状を持っていたらしい。だが、今気にするべきはそこではない。


「貰ってもいいんですか?」

「うん。私はもう飲んだから大丈夫」


 そう口にした碧依が鞄から取り出し、そして差し出してくれた錠剤のシートを受け取る。自分が普段飲んでいるものとは違う薬で、小さくて真っ白な錠剤が、濃い青のシートにいくつか並んでいた。


「ありがとうございます。助かりました」

「どういたしまして。ちゃんと効いてくれるといいんだけど」

「少しでも楽になれば、それだけでも十分なので」

「そっか。じゃあ、遠慮なく飲んじゃって」


 その言葉を受けて、錠剤を水で流し込む。効き始めるのは少し先だろうが、何もしないよりは格段に楽になるはずだ。


「湊君って、そういうところしっかりはしてそうな感じだけど、意外と忘れっぽかったり?」


 自分にどんな印象を抱いているのかは知らないが、少しだけ不思議そうに碧依が言う。


「まぁ、今日はちょっと色々……」


 夢を見て動揺したのかもしれない、とは流石に言えなかった。




 碧依と莉花が登校してきてからしばらくして、朝のホームルームの時間になった。鐘の音から少し遅れてやって来た平原先生が、今日の連絡事項を話し始める。


「それと、今日は午後のホームルームで宿泊学習の班決めをします。クラス替えがあってすぐだけど、一か月程しか準備の期間がないので、早めに行うことになりました」


 大半の連絡は聞き流しても問題がないようなものだったが、最後に告げられた今日の予定に、教室の中が一瞬だけ騒めいた。


「詳しいことは、またその時に話しますね。それでは、朝の連絡は以上です」


 そう言って、平原先生は教室を出て行った。一限の授業が始まるまで僅かな時間、当然ではあるが、教室内の話題は班決めのこと一色だった。そこかしこから、期待や不安の声が聞こえてくる。


「やっぱりすぐにありましたね」

「だね。午前中はずっとそわそわしてそうだよ」


 班決めの話が出た瞬間、その肩をぴくりと小さく跳ねさせた悠に話しかける。本人がわざわざそう口にしなくても、若干強張った顔を見ていれば、既に緊張し始めているのは誰にでも分かるだろう。


「まぁ、気にしてもどうしようもないのは分かってるんだけど」

「ですね。なるようにしかならないですから」


 ここで自分が何を言っても、悠の不安や緊張は大して解消されないのだろう。まだまだ短い付き合いだが、何となく悠はそんな性格をしていそうだ。


 そんなようなことを考えつつ、自分も少し気になっているのもまた事実。あまり表に現れていないだけで、不安や緊張は心をじわじわと侵食していく。


(できるだけ気楽な班になれば……)


 横目でちらりと悠の様子を窺う。自分でもほとんど意識していない行動で、それだけに、そこに込められた考えは、きっと誰から見ても明らかだっただろう。


 授業が始まるまでの僅かな時間は、気付けばあっという間に過ぎていった。




「それじゃあ、皆が気になって仕方がなかったであろう班決めをします」


 五限の授業まで終わり、本日最後の六限の時間。朝に話があった通り、ある意味宿泊学習を楽しめるかどうかを左右する、大きなイベントが始まろうとしていた。


「一班は四人で、全部で九班作ってもらいます。で、問題のどうやって班を決めるかですが……」


 教卓の向こう側に立った平原先生が、そこで一度言葉を切って、全員の注目を引きつける。期待と不安で教室内の空気が膨らんでいく中、再度その口が開かれた。


「今年は、生徒同士で話し合って、ある程度好きに班を作ることになりました。いつも通りならくじ引きだけど、『流石にクラス替えをしてすぐにそれは』って話が先生達の間でもあってね。結局こういう形になりました」


 そうして告げられたいつもとは違う結果に、教室全体から喜びの声が上がる。自分も少しだけ胸を撫で下ろしながら隣の悠に目を向けてみれば、そこにはあからさまに安堵の表情を浮かべる悠の姿があった。


「それでも、一つだけルールはあります。どの班も、必ず男子と女子が混ざる形にしてください。それぞれの人数が十八人ずつじゃないから、必ず男女二人ずつの班にならないといけないわけではないけど、男子だけ、女子だけの班は認められません」


 一気に賑やかになった空気を制するように、追加でルールが提示される。一応は自由に班を組めるが、最低限のルールはあるらしい。それも、ある意味では簡単で、ある意味では難しいルールが。


「それと、先生達で確認して、問題のありそうな班があったら、その時は組み直しもあります」

「問題のある班って何ですかー?」


 さらに付け加えられた情報に、生徒から当然の質問が出る。自分はあまり気にしていなかったが、確かに今の情報は曖昧な表現だった。


「あー……、ほら、言う事を聞かない子が集まってたりとか……」


 ただ、その答えに関してはあまり堂々と話すことができないのか、やや言葉に詰まりながらの説明だった。要は、教師側で制御しにくい班は認められないということだろう。そんな生徒がいるような学校ではないので、念のため設けておいたルール、くらいに考えておけばいいのかもしれない。


「何にせよ、一旦この時間に皆で話して、仮の班を作ってみて。はい、どうぞ!」


 その一言を合図に、多くの生徒が一斉に席を立つ。教室内が一気に騒がしくなった。


「まさか、本当に自由に組めることになるなんて思ってなかったよ」

「僕も冗談のつもりで話してたんですけどね」


 喧騒の中、悠が驚きを隠すこともなく、それでいて少し安心したような様子で話しかけてきた。やはり、先程見た表情は安堵で間違いなかったらしい。


「誰かを誘ったり誘われたりっていうのも、それはそれで大変だけど、完全に運よりはいいかな」


 自らの人見知り具合を自覚しているからなのか、若干の苦笑いを浮かべた悠が、窺うような視線をこちらに向けてくる。何を言いたいのかなど、考える必要すらなかった。


「組みますか?」


 まず間違いなく、そんな意味の視線だと断定して問いかける。自分としても、悠と同じ班になるのが一番気楽なので、誘わない理由はどこにもない。


「いいの?」

「もちろん。羽崎君が同じ班なら、僕としても気が楽ですから」

「僕も。それじゃあ、よろしくね」


 そんな思いで誘った結果、明らかに嬉しそうにする悠が誕生した。不安と緊張から解放されたからなのか、その反動でこれまでの数倍は可愛い姿を見せつけている。見る人が見れば、うっすらと頬を赤らめてしまいそうな姿である。


「一瞬、一人で溢れたらどうしようとか考えちゃったから、安心したよ」

「この後二人で溢れるかもしれないですけどね」

「嫌なことを言わないで……」


 男子二人で組んだところで、女子を含めて残り二人を探さないと溢れることには変わらない。ある意味、ここからが本番と言ってしまっても過言ではない。


「羽崎君は誰か誘えそうな人っています?」

「……」

「どうして目を逸らしたんですか?」

「いや……、特に深い意味は……。そういう湊君は?」

「……」

「目を逸らさなかったら無言でもいいってことはないよ」


 とりあえず、一人で溢れることはなくなったものの、ひたすら不毛な時間も生まれてしまった。お互いの交友関係の狭さが露呈したことで、やはりここからが本番なのだと悟る。


「女の子も含めてってところが、また難しいんだよね……」

「ですね。とりあえず、二人組のところに声をかけてみますか?」

「そうだね。動かないとどうしようもないか」


 このままここで話していても埒が明かないということで、残りの二人を探す旅に出ることにする。男女一人ずつでペアになっているところはなかなか想像しにくいので、やはり女子二人のペアを探すのが無難か。


 すぐ近くから声がかかったのは、そこまで考えて席を立とうとしたところだった。


「湊君と羽崎君って、もう四人になってる?」




 教室が騒めき始めたのと同時、一人で考える。


(男の子も含めて……)


 転校生ということもあり、クラスメイトは色々とよくしてくれているが、それとこれとは話が別だ。宿泊学習の班決めとなれば、多少は慎重になった方がいいのは間違いない。


(誰と組むのがいいのかなぁ……?)

「碧依ー、一緒に組もー?」


 何となく視線を感じる中であれこれと考えていると、すぐ横に移動してきた莉花に話しかけられる。内容はもちろん、班へのお誘い。このタイミングでそれ以外のことで話しかけてきたなら、きっと苦笑いを浮かべていたことだろう。


 それはともかく、莉花は転校してきてからの二日間で、一番仲良くなった友人と言ってしまってもいい。断る理由などない。


「もちろん、よろしくね」

「うん、よろしくー」


 申し出を快諾して、莉花と二人組になる。その様子を見て、何組かの女子のペアが残念がっていた。ありがたいことに、どうやら自分を誘ってくれるつもりだったらしい。


 対して、男子の二人ペアが、何組か勢い付いたように近付いてくる。


「水瀬さんと渡井さんって、もう班決まった?」

「んーん。まだ二人だけ」


 まだ正確に名前を覚えていないクラスメイトが話しかけてきて、莉花が返事をする。決定的な言葉はまだ出てきていないが、どう考えても、同じ班にならないかという流れになるに決まっている。


「じゃあさ、俺達と組まない?」

「んー? どうしようかなぁ……」


 案の定の申し出に、莉花が少しだけ考え込む。自分はまだ大半のクラスメイトのことを詳しく知らないので、あれこれ判断するにも情報が足りていないのだが、莉花としては何か思うところがあるのだろうか。


「あー、ちょっと遠慮しておこうかな……?」

「え! 何で!」

「何か下心ありそう」

「ひどい!」


 やや時間を使ってから、控えめに断りの返事をする莉花。どうやら先陣を切ってきたクラスメイトは、何らかの審査を通過できなかったらしい。それでも、断られた後に仕方ないと呟いて潔く立ち去った姿を見るに、根が明るいのは間違いなさそうだ。


 ちなみに、莉花はその後も数組にお断りの返事をしていた。


 自分には難しい判断をしてくれている莉花を頼もしく思いながら眺めていると、後ろの席の会話が耳に入ってきた。


(湊君と羽崎君で二人組……)


 莉花が何を基準として判断しているのか、流石にそれが分からないと言える程、自分が鈍感であるとは思っていない。それで全てを判断しているとは思っていないが、少なくとも、その部分に関しては莉花の審査を通過しそうな二人組である。


「ねぇ、莉花。湊君と羽崎君は?」


 そう思ってふと口に出した言葉に、莉花が反応する。


「あー、そっか。確かにその二人なら……」


 一瞬だけ件の二人に目を向けて、納得したようにそう口にする莉花。どうやら、莉花の基準に照らし合わせても、葵と悠なら問題ないらしい。そうと決まれば、早速声をかけるに限る。


「湊君と羽崎君って、もう四人になってる?」




「湊君と羽崎君って、もう四人になってる?」


 悠と相談をしていると、前の席から碧依が振り返って話しかけてきた。


「いや、まだ僕と羽崎君の二人です」

「他に誰か誘えないか相談してたところ」

「じゃあ、ちょうどよかった。あのね、私も莉花と二人なんだけど、よかったら一緒に組まない?」


 自分と悠が答えると、碧依からそんな提案があった。最初に尋ねられた時点で何を言いたいのかは半ば分かっていたが、これで話の内容は確定した。声をかける相手に悩んでいる自分と悠にとっては、とてもありがたい話である。


「僕達としては断る理由はないですけど、色々誘われてたのはいいんですか?」

「いいのいいの。だって、話しかけてくるのって、揃いも揃って碧依目当てなのが透けて見えてたんだもん」


 莉花がそう言うと、近くにいた男子達の目が一斉に泳ぎ始めた。どうやらその予想で正解だったらしい。


「私の目が黒いうちは、碧依はそう簡単に渡さないよ!」


 そんな様子を一瞥し、にこにこと笑みを浮かべた莉花が、まるで碧依の保護者かのような宣言をする。


「それじゃあ、この四人で一班ってことでいい?」


 対象となった碧依がその宣言に苦笑いしつつ、班を確定させるための言葉を口にした。自分にとっても、そして恐らく悠にとっても、断る理由がない。


「えぇ。よろしくお願いします」

「よろしくね」


 二人して返事をして、これで四人班が決定した。知り合ってからまだ二日しか経っていない四人だが、それでも賑やかな宿泊学習になりそうだと、そう予感させる班になったのだった。


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