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124. 今と未来 (4)

 引き続き、催事場で開催されているイベントを見て回る。自らチョコレートが好きだと豪語していた蒼が落ち着きを取り戻すことはなく、繋いだ手には先程までよりも微かに力が込められている気がした。


「蒼がチョコ好きなのは分かったけど、あんまり食べてると色々気にならない?」

「色々って?」

「カロリー」


 視線をそっと蒼の腰回りに向ける碧依が、少しだけ声を落としてその単語を告げる。以前アイリスと話したことがあるが、確かにこの手のお菓子はその数値が高い傾向にある。視線が向いた場所的にも、碧依が言いたいことは何となく理解できた。


「その辺は気を付けてるからね」

「確かに細いか」

「兄さんも、妹はなるべく綺麗な体型の方が嬉しいでしょ?」

「健康的な体型なら、僕は何も言いません」

「そんなことを言ってる湊君だって、男子にしてはちょっと痩せ気味でしょ」

「細過ぎるってわけじゃないので」

「嬉しいか嬉しくないかを言わなかったのが流石だよね」

「そこは気付かなくてもいいです」


 話を危ない方向に持っていきかけている悠に釘を刺す。本人は特に何も意識していないのだろうが、この手の話題は男子高校生にとって避けるべきものだ。どこに地雷が埋まっているか分からない以上、身を守るためには近付かないことが一番重要なのだ。


 一瞬だけアイリスとおかしな空気になりかけた経験から得た、この世の真理である。


「アイリスも言ってたよ? 抱き付いて押し倒した時に、体重が軽めの方が兄さんも受け止めやすいかなって」

「どんな話をしてるんですか」


 一体何がどうなると、そんなことを話す流れになるのだろうか。そして、配慮の方向性が間違いなく間違っている。


「まぁ、アイリスさんならちっちゃいし、元々軽いって気もするけど」

「碧依も大して身長変わらないでしょ」

「私の方がちょっとだけ高いもんね」

「二センチだっけ? あってないようなものだね」

「……」

「気にするところはそこじゃないですよ」


 まさに団栗の背比べという主張をする碧依と、それを正面から潰す莉花。一方的に碧依が火花を散らしているような会話だったが、本当に気にするべきはそこではない。最初に気にするべきは、「抱き付いて押し倒す」という発言である。


「いやいや、だってあのアイリスさんでしょ?」

「最近は私達の教室でもべったりな、あのアイリスさんでしょ?」


 そんなようなことを説明してみるも、碧依と莉花から返ってきたのは呆れだけ。それどころか、自分が何を言っているのか分からないと言いたそうな顔で、二人揃って手を横に振る。


 紛れもなく、相手の言葉を否定する時の仕草だった。


「今更葵君のことを押し倒すって聞いたところで、別に不思議でも何でもないかな」

「そうそう。どうせ湊君が襲われる側なんだから」

「……」

「皆の共通認識ってやつだね。やっぱり兄さんが押し倒される側だよ」


 蒼までもが笑ってそう言う始末。これで、この場だけでも三対一である。仮に悠が自分側に付いてくれたとて、それでも三対二。そもそもアイリスが向こう側なので、ダブルスコアの四対二。紛う方なく自分の劣勢だった。


「さ、そんな帰ったら早速襲われそうな湊君は放っておいて、私達はいろんなチョコに目移りする時間にしようか!」

「たくさんは流石に無理だけど、どれか一つくらいは買おうかな!」


 劣勢を悟って撤退の判断を下したのに気付かれたのか、碧依と莉花が視線を再び周囲へ向けてそんなようなことを口にした。見捨てられたとも言う。


「帰ったらどんな風に甘えられるんだろうね。今から楽しみ」

「ぼ、僕も皆と同じ側、かな……? ……頑張ってね、湊君」

「……」


 完全に傍観者であることを決めた蒼と、やや申し訳なさそうに言う悠。真実はまさかの五対一だった。




 催事場で開催されているイベントだけあって、数多の店が出店している。当然その店頭に並ぶのは、文字通りチョコレート色をした商品の数々。普段はケーキが並んでいるところをよく目にするショーケースの中には、中身がより一層魅力的に見えるようにと、様々な工夫が凝らされた商品が陳列されていた。


 照明の光を反射するかのように光沢のあるものから、わざと表面をくすませたようなマットな質感のチョコレートまで、見ているだけで楽しくなってしまう程の種類がある。


 これだけのものを見せつけられてしまえば、蒼のようなチョコレート好きではなかったとしても、あれやこれやと目移りしてしまうのは仕方のないことだろう。


「どう? 兄さん」

「だめです。どれも美味しそうに見えます」

「『美味しそう』じゃなくて、絶対に美味しいよね」


 そんな中で、隣の蒼と共にあちこちのショーケースを見て回る。いつの間にか自分達以外の三人も自由に見て回り始めたのか、気付けば二人だけになってしまっていた。


「そんなことを言ってる蒼は決めたんですか?」

「決まらないよね!」

「だと思いました」

「流石は兄さん。双子の本領発揮だね」

「蒼の顔を見てたら、誰にでも分かりますって」


 今の言葉のどこに喜ぶ要素があったのか、にっこりと笑みを深めながら蒼が言う。一応だが、恐らくは心情を理解してくれたことに対して喜んでいるのだろうとは思う。


 だが、落ち着きなくあちこちに視線を向けては思い悩む蒼の姿を見てきた側からすれば、想像できない方が不安になるレベルの分かりやすさだった。


「だってさ、買えても精々二つくらいまでだよ? そんなの、なかなか決められないよ」

「まぁ、その辺の気持ちは分かります」

「ほら。兄さんだって優柔不断」


 こんなところで仲間を見つけて嬉しいのか、悩みに悩んで若干険しかった蒼の表情がふっと綻んだ。


「仕方ないじゃないですか。どうせ僕一人で食べるんじゃないですし」

「……」

「何です?」

「いや……。多分アイリスとって言いたいんだろうけど、自然に考えてるんだなって……」

「あ」


 言われて気付く。自分一人ではあまりお菓子を食べないとはいえ、いつの間にか自然にアイリスと一緒に食べることを想像していた。しかも、それが当然のことであるかのように、一切の違和感を抱くこともなかった。


「そっか。そうだよね。兄さんもアイリスのことが大好きなんだもんね」

「ぐ……!」

「いいと思うよ? アイリスなら絶対喜ぶし」

「それは……」

「言い出した時に押し倒されないように、今から気を付けておかないとね?」


 一瞬だけきょとんとした顔を浮かべた蒼が、再びその顔を綻ばせる。ただし、今度はうっすらからかいの色も含まれていた。こうなってしまった蒼に勝てるとは、とてもではないが思えない。


 そして、蒼の言った光景が容易に想像できてしまったことも、言葉を失った理由の一つではある。真正面から満面の笑みで抱き付いてくるアイリスの姿は、これまでにも何度か目にしてきた。その度に驚きの声を上げ、情けない姿を晒してきたのはもちろん自分である。


 その場にいなくても、アイリスは自分のことを圧倒できる。そんな今更過ぎる事実を理解してしまった、どこか切なくなる午後の一幕だった。




「ってことがあって」

「へぇ……。大好きなんだね」

「悪いんですか」

「葵君さ、最近開き直ることが多くなったよね」

「多分、認めた方が楽って気付いたんだろうね」


 全員が集合して、そして蒼から事の経緯を聞いて。碧依と莉花が、これまでのことを思い出しながらそう口にした。


「あんなに恋愛に興味がなさそうだった葵君がねー……」

「今ではこんなになっちゃって……」

「二人は親戚か何かなの?」

「まだおばさんって歳じゃないから」

「莉花はたまにおじさんっぽいもんね」

「は?」


 そのまま感慨深そうに目を細めた二人だったが、碧依の一言で急激に雰囲気が変わる。細さに鋭さを加えた莉花の目付きとは対照的に、碧依は意地悪さを付け加えていた。


「何だか仲の良さそうな二人は放っておこうか。湊君はどんなのを買ってきたの?」

「逞しくなりましたね。まさかそんな反応が見られるとは思いませんでした」

「巻き込まれたら、どうせ僕達が大変なことになるだけだからね」

「全くです」

「去年の二人の様子が目に浮かぶなぁ……」


 何やら楽しそうに火花を散らせ始めた二人を蚊帳の外に置き、何も見なかったかのように悠が違う話題を振ってきた。一年の成長が、こんなところにも発揮されている。


「僕は林檎を使ったチョコレートですね。あんまり見たことがなかったので、これにしてみました」


 言いながら悠に見せるのは、色々迷った末に購入した、シーグリーンが鮮やかな一つの箱。やや平坦なその箱の中には、全部で十二粒の様々なチョコレートが収められているはずである。陳列されていた中身を見る限り、その全てに林檎が使われているらしかった。


「なるほど……。それを一緒に食べるんだね」

「その感想は合ってます?」

「細かいことは気にしなくてもいいよ」

「細かいですかね……?」


 どこかずれたような感想を呟く悠。ここでは一年の悪い成長が顔を覗かせていた。


「兄さんね、今からどきどきしてると思うんだ」

「はい?」


 逞しさを得るのと引き換えに、悪戯心の控えめさを失ってしまった悠のことを悲しんでいると、突然何の脈絡もなく蒼がそう話し始めた。何を言い出すか分からなくて怖さを感じるのに、何故かその表情は至って真面目なもの。口調と顔の差が実に激しい蒼である。


「どうせ『食べさせてほしい』って言われるんだろうなって」

「それくらいは予想してますけど……」

「あ、してるんだ」

「あのアイリスさんですよ? そうならないわけがないです」

「それは信頼してるって言うのかな?」


 若干悩みながら蒼が首を傾げるが、言葉は止まらない。本当に言いたかったのはその先のことと言わんばかりに、しっかりと自分を見つめて、再度口を開いた。


「食べさせる時、指が口に触れちゃわないかなって」

「……」

「あぁ。何なら、湊君の指ごと食べちゃいそうな感じあるよね」

「そうなったらもうね、兄さんの顔は真っ赤だよね。可愛いぃ……!」


 流石にこれは予想の斜め上だった。心の奥底にすら浮かびもしなかった光景を意識させられて、思わず言葉に詰まる。


 それでも、一旦意識してしまえばどうしようもない。少しだけ指が触れてしまい、微かに頬を赤らめるアイリスの姿が鮮明に浮かぶ。恥ずかしそうではあったが、それよりも幸せそうな顔をしていそうだというところまで思い浮かべて、そこでやっと現実に戻ってくる。


「……想像したでしょ?」

「し、してませんけど……?」

「したんだ? 湊君も大概分かりやすいね」

「してないって言ってるんですよ」


 した訳だが。何なら、その様子を眺めるアーロンとレティシア、そして蒼の姿まで想像した訳だが。ここでそれを認めてしまえば、この先しばらくこの話題でからかわれること間違いなしだ。


 確かに、一番からかってきそうな組み合わせである碧依と莉花は蚊帳の外にいる。これで目の前の悠が去年までのように悪戯心を控えめにしてくれていれば、案外そこまで気にする必要もなかったのかもしれない。


 しかし、残念ながら目の前にいる悠は、悪戯心も成長させてしまった悠だった。ならば、向けるべき警戒心は一段引き上げたものにしなければならない。たとえ嘘が見抜かれていようとも、それを押し通す強引さもたまには必要なのだった。


「え、じゃあ、口移しで食べさせてあげるくらいを想像してたの……? 兄さんって案外大胆……?」

「摘んで食べさせてあげるのを想像してました」

「だよね。知ってた」

「全くもう……」


 だというのに、蒼の言葉でそんな気持ちもあっさり崩壊する。それ以上のことを言われてしまえば、両手を上げて認めてしまうより他なかった。


「最初から素直に認めてくれたらよかったのに」

「恥ずかしいじゃないですか。そんなことを想像しましたって」

「ちゃんと認めてくれてたら、私の買ったチョコも食べさせてあげたのに。……私が」

「遠回りしてよかったです」

「それどういう意味?」

「そのままの意味です」

「……」


 蒼の目が少しだけ雰囲気を変える。そこに浮かんだのは、間違いなく不満の色。


「……絶対に食べさせてあげるから」


 そうしていつもよりも低い声で呟かれたのは、また一騒動を巻き起こしそうな宣言で。


「遠慮しておきます」


 だからこそ、一切間を空けることなくそう返す。それなのに、返事はさらに騒動を大きくする一言。


「わざわざアイリスの前で、兄さんを押し倒して食べさせてあげるから」

「やめてくださいよ。怖過ぎますって」


 その状況そのものではなく、主にその後の方が怖い。


「ふふっ……」

「……」

「ほんとに仲が良い兄妹だなぁ……」


 怪しげなのに綺麗な笑みを浮かべる蒼と、完全に的外れな印象を抱く悠。突っ込みを入れるべきなのは悠の言葉のはずなのに、まるで蒼の笑みに縛られてしまったかのように、口はいつまでも閉じられたままだった。




 さて、そもそも何故一日目の自由時間が短いのか。それは、夜にとある予定が控えていたからである。


 そんな訳で、もうすぐ午後七時になろうかという時間帯。ほんの少し前に太陽が水平線に隠れ、仄かに明るいながらも夜の気配が色濃くなってきた今、自分達は揃って海の上にいた。


「修学旅行でこんなこともできるんだね」

「予定を見た時は結構驚きましたよね」


 隣に座って夕食を口に運ぶ悠が、一旦その手を止めて物珍しそうに口にした。その目は、明る過ぎず暗過ぎず、程よい明るさに調整された船内へと向けられている。視線の先には、照明の役割を果たす小さなシャンデリア。通路に沿っていくつも配置された煌びやかな照明は、空間に非日常感をもたらすのに一役買っていた。


「見た時から楽しみにしてたんだ、ディナークルーズ」

「蒼はずっと言ってましたもんね。家でも」

「そんなにだったの?」

「だってさ、一回も経験したことがないんだよ? 調べたらすっごく綺麗な船だったし。期待するなって方が無理だよ」


 乗船する前も乗船した後も、とにかくわくわくが抑えられていない蒼に、碧依がどことなく意外そうな目を向ける。蒼の言わんとすることはよく分かるが、それにしても目がとにかく輝いていた。


 それはまるで、シャンデリアの光を反射するだけでなく、自らも輝きを放っているかのようにすら見える。


「そう言う碧依は結構落ち着いてるね? もしかして経験したことがあるとか?」

「ないよ。今日が初めて」

「へぇ。碧依ならあってもおかしくないかなって思ってた」

「そう?」


 半円状に弧を描いたソファの両端。自分が奥まった真ん中に座り、右隣には当然のように蒼が。そして左隣には悠が。さらに二つ右、つまりは自分から見て半円の右端に碧依が、そして左端に莉花が。


 そんな並びで運ばれてくる料理に舌鼓を打つ中、正反対の位置に座った碧依へ向けて、莉花が何となくのイメージを告げる。対する碧依は心当たりがないのか、やや不思議そうに目を丸くしていた。


「うん。碧依って、見た目はどこかのお嬢様って言われても、ちょっと納得できるかもしれないし」

「納得できる『かも』なんだ。納得してよ」

「見た目『だけ』はどこかのお嬢様とかって言われても、ちょっと納得できるし」

「中身も納得してよ」

「中身は庶民派でしょ」


 余計な一言が付け加えられた莉花の言葉に、不思議そうだった碧依の雰囲気が変わっていく。それでも莉花には引く様子が見られなかった。


「中身もお嬢様っぽいでしょ? ほら、『あおい』って名前も綺麗じゃない?」

「ここに三人もいるけど」

「葵です」

「蒼です」

「湊君が一番お嬢様っぽいかな」

「何でですか」

「それじゃあ、妹の私もお嬢様だね」

「どっちかって言うと、蒼は使用人の手を焼かせるお転婆お嬢様って感じ」

「何で」


 望んだ未来を得られなかった蒼が、その頬を微かに膨らませる。お嬢様にしては、そしてこの歳にしては、どこか幼さが強く印象に残る仕草だった。


「あ、僕も湊君がお嬢様に一票で」

「ついでみたいに投票しなくていいんですよ」


 しばらく静かに会話の流れを見守っていた悠が、ここぞとばかりに割り込んできた。どう考えても、割り込むタイミングを間違えている。


「何て言うか、一番穏やかな感じがするから、そんなイメージにぴったりなんだよね」

「一番穏やかだった羽崎君が成長してしまったからですよ」

「私達が育てました!」

「見違える程に逞しくなりました!」

「余計なことを」


 まるで自身の手柄だとでも言うように、碧依と莉花が胸を張る。いつまでも控えめ過ぎるのがいいとは言わないが、それにしても成長の方向が嫌過ぎる。明らかに誇っていい場面ではなかった。


「で、そんな一番のお嬢様な兄さんは、お料理が気に入っちゃったのかな?」

「どうしてです?」

「さっきから、お料理が運ばれてくる度にじっと見つめてるよね」

「あぁ……、そのことですか」


 そんな碧依達三人を軽く意識の外に追いやり、この中で自分のことを一番よく見ていた蒼が、気付いて当然といった様子で尋ねてきた。そのこと自体を意外でも何でもなく思ってしまうのは、やはり相手が蒼だからなのか。


「何でもないですよ。美味しそうだったので、どうにかして似たようなものを作れないかと思ったくらいで」

「……お嬢様じゃなくて、使用人の方が向いてるのかもね」

「そうかもしれないですね。家事は得意ですし」


 苦笑いを浮かべる蒼が、背もたれに体を預けながらそう口にする。その動きに引きずられるように、自分の体も少しだけソファに沈み込んだ。


「あ、何? 葵君がメイド服を着るって話?」

「もう着たことがあるので結構です」

「その返しはどうなの?」


 そうして蒼と交わす穏やかなはずの会話を耳聡く聞きつけたのか、碧依がまた訳が分からないことを言い出した。この辺りは、アイリスとさして変わらないような気がする。


「着なくて済むなら何だっていいです」

「着なくて済むかはアイリス次第な気が……?」

「葵君、アイリスさんに着てほしいって頼まれたら断れないみたいだもんね」

「……断ってみせます」

「そんなことを宣言しないといけない時点で」


 ぼそりと呟かれた莉花の一言が胸に刺さる。からかうように言う訳ではなく、心の底からそう思っていそうなその様子が、より一層その言葉の物悲しさを底上げしていた。




「美味しかったぁ……」

「ねー。修学旅行でこんな思いしていいのかな?」

「先生達が認めてるから問題なし!」


 最後に運ばれてきたデザートまでしっかりと食べきった後、名残惜しさを吐き出すかのようにして莉花が呟いた。同調の言葉を返す碧依も、その表情は満足そうなもの。


「蒼はどうでした?」


 そんな二人の様子を見てしまったせいなのか、気が付けば自然と蒼にそう問いかけていた。言い換えれば、何も意識せずに話しかけることができる、とても気楽な存在ということでもある。


「ん? 私も満足だけど、そんなに物足りなそうに見えた?」

「いや、単にあの二人に引っ張られただけです」

「そっか。そう言う兄さんは?」

「美味しかったですよ」

「それならよかった」

「何か、二人の普通の会話を久しぶりに見た気がする」


 お互いに満足感を確かめ合っていると、自分達二人をじっと見つめていた悠からはそんな感想が聞こえてきた。何やら珍しいものを見るような目である。


「何を言ってるんですか? いつも普通の会話ですよ?」

「そうそう。変なところなんて、どこにもないと思うけど」

「嘘だよ……。自覚がないの……?」

「何か失礼なことを言われてる気がします」

「ちょっとお互いが好き過ぎるくらいで」

「それだよ」

「ん?」


 蒼がふと口にした言葉に、悠が素早く反応する。


「気付いてるのにそれなの?」

「気付いてるからこうなんだよ?」

「あー……」


 指摘したはずの悠が、むしろ反対に追い詰められ始めていた。あまりにも純粋な目で話す蒼の姿は、これまでの自身の態度を疑う空気を全く感じさせないものである。


 何の意味も持たない呟きを漏らしながら自分を見つめてくる悠だったが、この手の話題で蒼をどうこうできるとは思えない。残念ながら、蒼を言い負かすのは諦めてもらうより他はない。


「……うん。仲が良いのはいいことだよね」


 ということで、諦める悠の完成だった。


「そんな仲の良い葵君と蒼は、この後も二人で色々見て回ったりするのかな?」

「まるでデートみたいに!」

「しちゃう? 兄さん?」

「言い方は気になりますけど、せっかくですから見て回りましょうか」

「やった!」

「おうおう……。純粋に喜んじゃってまぁ……」

「からかったはずの私達が恥ずかしくなっちゃうんだけど」

「やっぱり普通の兄妹じゃないと思うんだけどな」


 自分のたった一言だけで喜びの感情を表に出してくれる蒼の笑みは、にやにやと話しかけてきた碧依と莉花を弾き飛ばすには十分な代物だった。本人は何も意識していないのだろうが、だからこそカウンターが綺麗に刺さった形だ。


「今日はアイリスがいないから、代わりに私が思いっきり甘えてあげるね?」

「代わりって何ですか?」


 当たり前のことを言葉にしたかのように言う蒼だったが、流石にその言葉の意味は理解できなかった。そもそも、既に今日一日十分に甘えていたような気もするが、蒼からするとまだ足りないとでも言うのだろうか。


「ほら。毎日アイリスに甘えられてるから、そろそろ兄さんの体も誰かに甘えられないとだめな体になっちゃったんじゃないかなって」

「アイリスさんを中毒性のある薬か何かだと思ってません?」

「『可愛さ』って毒が、兄さんの全身に回っちゃったんだね」

「否定はできませんけど」

「やっぱり」


 してやったりと笑みを深める蒼。その言葉に癖はあるものの、完全に否定することができないのが悔しかった。確かに、アイリスの可愛さは全身で理解している。


「まぁ、甘えるか甘えないは置いておくとして」

「甘えるよ?」

「置いておくとして」


 頼むから置いておいてもらいたい。不思議なものを見るような目でこちらを見ないでほしい。


「実は、言う程見て回るところがあるわけでもないみたいなんですよね」

「それはぁ……、うん。観光のための船じゃないからね」

「デッキに出られるくらいだっけ?」

「そこですぐに出てくるってことは、羽崎君も楽しみにしてたんですね」

「あはは……、まぁ、ね?」


 そわそわとした雰囲気が滲み出始めた悠が、早くも意識を甲板に向けるようにして口にする。滅多にない機会なので仕方がないと言えるが、それにしても、悠がここまで何かを楽しみにしているのは珍しいのかもしれない。


 明日の自由時間を除いて、だが。


「でも、こういう船ってなるとさ、やっぱりどうしても豪華なのを想像しちゃうよねー」

「分かる……! 何日もかけて船旅するのもいいよね……!」


 そして、碧依の目も輝き始める。悠とはまた違った理由ではあるが、いつもと違う状況で気分が高揚しているのは二人共同じ。こんなことを考えている自分も、当然ある程度気持ちがふわふわとしている感覚があった。


「今度はアイリスと一緒に船旅するのを想像しちゃった?」

「しました」

「あれ。素直だ?」

「前に、ちょっと話してたことがあるんですよ」

「船旅?」

「あ、いや、そうじゃなくて」


 昼に引き続き、またも心を見透かすようにして問いかけてきた蒼が、どこか興味ありげな空気を漂わせる。ふと周囲を見てみれば、他の三人の視線も自分の方を向いていた。


「海外旅行に行くなら、お互いにどの国に行ってみたいかって話です」

「新婚旅行のお話?」

「付き合い始める前でしたけど?」


 仮にそうだとすれば、気が早いにも程がある。いかに蒼といえども、アイリスの心までをも見透かすことはできなかったということだろう。


「でも、今はそれっぽいお話になっちゃったね」

「僕達にはまだ早いです」

「そうは言うけど、兄さんもアイリスも、もう何年もしないうちに結婚できる歳になるんだよ?」

「結婚式には呼んでね!」

「私と碧依で新婦側のスピーチをやるから!」

「誰を新婦だと思ってるんですか」

「二人共!」

「分かりました。呼びません」


 一切躊躇することなく言い放った莉花は、きっと当日その場にはいないのだろう。まず前提として、アイリスが天敵の招待を許可しない可能性すらある。


「まだ早いって言う割には、湊君も結婚する前提で話すんだね?」

「『まだ』早い、だもんね。兄さんも意識はしてる証拠だよ」

「……してたら悪いんですか」

「本人に言ってあげたら、多分喜ぶんじゃないかなって思うだけだよ」

「その手のことは本番で言いたいので」


 ちょっとした言葉遣い一つで、あっという間に形勢が悪くなる。油断するとすぐにこんな事態になってしまうのが、この四人と会話する時の特徴だった。嫌な特徴もあったものである。


「でもさ、湊君の言葉じゃないけど、確かに意識するのは早いような気もするよね」

「仕方ないんじゃない? 葵君とアイリスさん、一年くらい前から付き合ってるみたいな感じだったから」

「そんな前からアイリスって兄さんにべったりだったの?」

「それはもう。自覚はしてなかっただけで、絶対あの頃から葵君のことが大好きだったね」

「付き合い始める前から手は繋いでたし、腕を組んだりもしてたか?」

「夏休みなんかは、ずっと一緒にいたんでしょ?」

「なんか、色々なお話が出てくるけど」

「どれも本当の話なので、僕からは何も言えないです」


 碧依と莉花の言葉によって思い出される、この一年の記憶。言われてみれば、確かにその頃から付き合っていると思われても仕方のないことをしてきていた。無意識とは実に恐ろしいものだ。


「そんなわけで、葵君が結婚を意識しちゃうのも無理はないよねって」

「そういえば、もうアイリスの両親にも気に入られちゃってるから、外堀はしっかり埋まってるもんね」

「外堀から埋まりにきたんですよ」


 去年の記憶を思い出していたからこそ、アーロンやレティシアの言動もすぐに頭に浮かぶ。夏休みには明らかに結婚を意識させるようなことを言われた気がすれば、面と向かって息子がどうこうと言われた記憶もある。


 何にせよ、自分からアーロンやレティシアに対して何かをした記憶はあまり浮かんでこなかった。


「で? そんなもうすぐ新婚な湊君は、アイリスさんとどこに行きたいって話をしてたのかな?」


 この一年のことを思い出す自分を見つめながら、莉花が話の軌道を元に戻す。いつもと違う修学旅行の中の、いつもと違うディナークルーズという空気。全員がふわふわとした気分で過ごす中で、アイリスと自分のことへの興味は尽きることがないらしかった。

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