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123. 今と未来 (3)

「高い!」

「首が痛くなりそう……」


 碧依と莉花が見上げる先。天を衝くかのように遥か高くまでそびえ立つ建物を前にして、二人はそんな当たり前の感想しか浮かんでこないらしかった。それはもちろん、自分も同じで。


「こんなの、絶対に近くにはできないですもんね」


 口にするのは、またしても地元のこと。一番栄えていると言える駅前のビル街ですら、目の前の建物の三分の一程の高さしかないだろう。


「これだけ高いと、多分景色も凄いんだろうね」

「ほらほら、早く行こ?」

「分かりましたから。引っ張らなくても大丈夫ですって」


 そんな見たこともない高さからの景色が楽しみで仕方がないのか、蒼が率先して入口へと向かっていく。未だに手を繋いでいる自分も、そのまま歩みを進めることとなった。


「展望台は有料だっけ?」

「ですね。高校生ですし、そこまで高いわけでもないみたいですけど」

「まぁ、湊君達はバイトしてるもんね」

「自由に使えるお金は大して多くないですよ」


 一緒についてきてくれた悠と、そんな何でもない言葉を交わしながら入口を通り抜ける。その途端、これまで立っていた外の喧噪とはまた違う、音楽混じりの喧噪が身を包んだ。一つ一つの音は意味を持っているはずなのに、集まると「ざわざわ」という効果音でしか表現できないような音になる。それだけ、この場所に人が集まっているという証拠でもあった。


「そういえば、蒼も同じ店でバイトを始めたんだっけ?」

「うん。兄さんと一緒」

「碧依」

「分かってる」

「町ごと出禁ですよ」

「まだ何も言ってないって」


 何やら神妙な面持ちで頷き合う碧依と莉花。何を考えているかなど、手に取るように分かる。


「何? どうかしたの?」

「去年、碧依さんと渡井さんがお店に来たことがあるんですよ」

「葵君とアイリスさんがいるって知らなくて、ほんとに偶然ね」

「あ、もう何となく分かったかも」

「これも偶然だけど、湊君がウェイトレス服を着てるタイミングで。町ごと出禁になったよね」

「ごめん。分からなかった」


 一瞬納得したような様子を見せた蒼だったが、直後に首を横に振りながら自身の言葉を否定することになっていた。それだけ、莉花の言葉が謎の飛躍を見せているということである。


「僕と言うより、アイリスさんに悪戯をしようとして出禁になってました」

「あー……」

「何で納得したの?」

「碧依達ならやりそうだなって」

「……」


 そう言われて悲しげな表情を浮かべるくらいなら、最初からあんなことをしなければよかったのにと、そう思ってしまうのは、自分が間違っているのだろうか。


「あ、向こうのエレベーターに乗ればいいみたいだね」

「……羽崎君も強くなったよね」

「今の流れを全く気にしなくなりましたからね。人は一年で成長するんですよ」

「何で兄さんが親目線なの?」


 碧依と莉花の行いに蒼が呆れる中、全く会話に参加せずに館内を見回していた悠から、自分達を促す声が届いた。今の流れで会話に参加したところで、悠が望まない方向に話が進んでいくのは明らかなので、実に的確な行動を取っていると言える。


「ま、何でもいいか。とりあえずは展望台だね」

「何でもいいって言われた!」

「どうせお店に来られない人なんて、何でもいいってことですね」

「莉花! 双子がいじめてくる!」

「普段穏やかな二人だからこそ、こういう時の言葉が刺さるんだよね……」

「そこまでは言ってないよ」

「勝手に気持ちを読んでみました。双子ですし」

「勝手にって」


 微かに苦笑いを浮かべる蒼だったが、普段はその蒼がよくしていることである。自分がしている訳ではないので精度は高くないだろうが、大まかな方向性は合っているはずだ。


「確かに、今は碧依達の出禁より、展望台の方が興味あるけど」

「ほら」

「泣いちゃう!」

「胸なら貸すよ?」

「渡井さんも言われてるはずなのに、どうしてそんなあっけらかんとしてるんですか」


 思わぬところで、莉花の精神の強靭さが発覚してしまった。仮に自分が同じことを言われた場合、気分としては碧依と似たようなものになることだろう。この莉花の精神力もまた、この一年で成長した部分なのかもしれない。


「嫌な成長……」

「兄さん? どうかした?」

「いや。何でもないです」

「うん?」


 そんなことを考えて思わず漏らしてしまった声に、すぐ隣の蒼が素早く反応する。小さく首を傾げながら覗き込んでくるその姿は、どことなく誰かを彷彿とさせるものだった。




「たかーい!」

「きれーい!」

「お、思ったより怖いね、これ……」

「そうですか?」

「ぼ、僕、案外高いところがだめなのかも……」

「ここまで来ておいて」


 展望台への入場券を購入し、その足で地上数百メートルへ。普段は絶対に見ることができない高さからの景色に、蒼と自分のせいで気分が地面にめり込んでいた碧依も、幾分か回復しているようだった。莉花と共にはしゃぐ姿は、何となくだがいつも通りの後ろ姿に見える。


 対して、ここまでやって来て意外な事実が判明したらしい悠は、あまり窓際まで近付けずにいた。どうやら足が竦んでしまったようである。


「せっかく来たんですから、見ておかないと後悔すると思いますよ」

「見た方が後悔するかも……!」

「どうして今まで高いところが苦手って分からなかったんですか」

「こんな機会なんてなかったから……」

「兄さん。羽崎君はもう手遅れだよ」

「言い方。まだ救える可能性だって……」

「と、とりあえず二人は先に行っててくれる……? 落ち着いたら大丈夫かもしれないから……」

「……手遅れですかね」


 蒼の言葉通りなのかもしれなかった。外の景色を見ているようで見ていないその視線の向きからも、今の悠の気分が伝わってくるようだった。


「じゃあ、僕達は向こうに行ってます。大丈夫そうなら来てくださいね?」

「無理はしなくていいからね?」

「う、うん……。お気遣いどうも……」


 そう言って引きつったような笑みを浮かべる悠を残し、蒼と自分も窓際まで近付いていく。少し離れた場所からでもその景色は見えていたが、遮るものがガラスだけになると、その迫力はより一層増す。


 林立するビルも、さらに背の低い民家も、何もかもを足元に置く感覚は、こんな場所でもない限りは味わうことができない感覚である。晴れてくれたおかげで綺麗に見える山々も相まって、まるで一枚の写真を見ているような、そんな気分になる景色だった。


「やっぱり、こういう景色っていいよね」

「飛行機みたいに高過ぎるところからじゃなくて、ちょっと手が届きそうな高さってところがまたいいんですよね」

「そうそう。あ、あの辺がバスを降りた駅かな?」


 全く怖がる気配を見せない蒼と共に、眼下に広がる景色を見下ろす。少し後ろにいるはずの悠とは違って、その目はきらきらと輝きを放っていた。


「こうやって見ると、意外と遠くはないんですね」

「田舎と違って、電車で大抵の場所まで行けるのは羨ましいよね」

「迷子になったりしません?」

「兄さんが手を繋いでくれるから大丈夫」

「どうして常に僕がいる前提なんですか」

「いっつも私の手を引いてくれたからね」

「そんなこともありましたけど」


 あちこちに目を遣りながら、いつまで経っても兄離れできなそうな蒼の言葉に耳を傾ける。こんな話をしている間も、当然手は繋がれたままだった。


「と言うか、別に今は迷子にならないですよね?」


 そうして手を意識してしまったからなのか、ここに至るまで気付かなかった事実に気付く。これまでは迷子になる可能性がない訳ではなかったが、今いる場所は展望台。多少はぐれたところで、行ける場所はかなり限られている。迷子になる心配など、ほぼないと言っても過言ではなかった。


「今更気付いたの? アイリスと腕を組んでばっかりだから、その辺の感覚が麻痺してきてない?」

「……それはちょっと否定できないです」

「まぁ、まだ繋いでるのは、私がそうしたいからって理由だけど」

「兄離れとかって、考えたことはあります?」

「ないよ」

「……そうですか」


 即答の一言だった。間違いなく、一瞬たりとも考えていない。


「そんなに気まずい?」

「いや、そうじゃなくて」

「うん」

「やけに周りから見られてる気がして」

「周り?」


 自分の言葉を受けて、蒼が周囲を見回す。同じようにして見回してみれば、外の景色を眺める展望台だというのに、何人かは蒼と自分の方に目を向けていた。有料の展望台まで来て、一体何を見ているのだろうか。


「……見られてるね」

「見られてますよ」


 ようやく蒼も自覚したのか、視線を窓の外に戻しながらそう口にする。その頬が若干赤に染まっているのは、他人の視線を意識してしまったからだろうか。心なしか、先程よりも視線が下を向いているような気配もある。


「男女の双子でこうしてるのが珍しいんでしょうね」


 ほんの少しだけ手を持ち上げてみせる。力の入っていなかった蒼の手も、その動きに合わせて持ち上がる。自分の手よりも少し小さくて、そして羽のように軽い手だった。


「そう言う割には、兄さんから離したりはしないんだね」

「蒼がそうしたいんですよね? だったら、僕から離す理由はないです」

「……そういうところだと思うよ、アイリスがやられたのって」

「はぁ……?」


 ちらりと目を向けてきたかと思えば、ぽそりと小さな声でそんなことを呟く蒼。真意がいまいち理解できない一言ではあったが、別段悪く言われている訳でもないので、そこまで気にする必要もないだろう。


「二人共ー? ちゃんと景色見てるー?」

「何か蒼の顔が赤いような気がするけど、湊君何かしてない?」

「してませんよ」


 そんなことがあって不思議な空気が流れかけたところに、二つの明るい声が響く。言わずもがな、碧依と莉花である。今まで自分達とは違う方向を眺めていたようだが、次はこちら側らしい。背後から歩み寄ってきた二人は、共に楽しそうな笑みを浮かべていた。


「周りから見られてるって話をしてただけです」

「周り?」

「あぁ……。確かに、言われてみればそんなような気も……?」


 相変わらずアイリスや蒼に何かあると真っ先に疑われるのはどうかと思うが、今回は直接の原因にはなっていない。自分の言葉を聞いてぐるりと近くを見回した莉花も、その辺りは納得してくれたようだった。


「まぁ、二人は目立つよね」

「私は湊君が蒼のことを口説いてるのかと思ってた」

「妹を口説いてどうするんですか?」

「た、試しに口説いてくれてもいいよ?」

「しませんって言ってるんですよ」


 何故か乗り気の蒼を一旦落ち着かせつつ、もう一度繋いだ手を軽く持ち上げる。


「こんなこともしてますから。余計に目立つんだと思います」

「可愛い男の子と女の子の双子が、高校生になってもまだ手を繋いで、仲良く展望台から景色を見てる」

「そんなの見るよね」

「最初の一言は必要でした?」

「絶対いる」

「……」


 わざわざ言葉にしてくれた碧依に問いかけてみるも、返事は力強い肯定だった。そのあまりの力強さに、思わず閉口してしまう。


「何にせよ、有料の展望台に来ても思わずそっちを見ちゃうくらい、葵君と蒼が仲良いってことだよね」

「そう言われるのは悪い気はしませんけど、可愛いって言葉を使ったのは認めてないですからね?」

「じゃあ、蒼は可愛くないの?」

「可愛いに決まってます。自慢の妹ですよ?」

「……っ」

「じゃあ、葵君も可愛いんでしょ。双子なんだから」

「それは……」


 強烈な反論の仕方だった。この方法を取られてしまえば、自分は絶対に否定することができない。ある意味妹離れできていない兄が、ここにいた。


「蒼の顔が真っ赤になっちゃったんだけど。ほんとに口説いてない?」

「違います」

「ここがそれっぽい場所だからって、そんな気合いを入れなくてもいいんじゃない?」

「入れてません」

「じゃあ素か。それはそれでどうなの」


 いつの間にか赤みを濃くして俯いてしまった蒼を見て、莉花が茶々を入れてくる。その顔には、先程までとはまた違った種類の笑みが浮かんでいた。


「アイリスさんも蒼も、葵君の相手をするのは大変なんだね」


 同じく、何が楽しいのかは分からないが、にこにことそう口にする碧依。迂闊に聞き返すと手痛い反撃がありそうだったので、今は何も聞かなかったことにするのだった。




「蒼と手を繋いでる時にこんなことを言うのもどうかと思うんだけど」

「じゃあ、言わなくていいんじゃないですか?」

「いや、言うね」


 あれから少しして。それまで眺めていた方向と違う景色を楽しむ中、今度は一緒に行動している碧依から力強い言葉が聞こえてきた。


「アイリスさんと一緒に見たかった、とか思ってそうだなって」

「……本当によくこのタイミングで言いましたね」


 ようやく先程の一悶着から蒼が回復し、今まで通りの雰囲気で眼下を見下ろしてしたというのに。これでは、また気まずい空気が流れ始めてもおかしくない。


 そう思って、横目でちらりと蒼の様子を窺う。


「私は別に? だって、アイリスの定位置は兄さんの左隣でしょ?」

「気にしないんですね」

「しかも、一緒にいる気だよ、これ」

「あ、お邪魔だったら、その時は別の場所で眺めてるよ。……兄さんとアイリスを」

「一緒に来ることは譲らないんだね」

「景色を見てくださいよ」


 さも当然のように言っているが、果たしてそれはどんな状況なのだろうか。もしかすると、蒼の頭の中の自分は、アイリスと蒼によって両手の自由を失っているのではないか。そんな光景を彷彿とさせる口振りだった。


「夜景とかを眺めてる兄さんとアイリスって、ちょっといい雰囲気になってそうじゃない?」

「あ、それ分かる。絶対素で口説いてるよ」

「さっきみたいにね」

「……」


 二人の言葉に、またしても思わず口を閉じてしまう。あれから先程の自分の言葉を改めて考えてみた結果、莉花にあんなことを言われても文句は言えないという結論に至った。何も考えずに口にしていたが、蒼が顔を赤くするのも無理はない。


 だからこその閉口。自分よりもずっと客観的に自分のことを見てくれている二人が言うのだから、きっと周囲には自分がそんな風に映っているのだろう。


「『夜景よりもアイリスさんの方が綺麗ですよ』とかって言ってそう。兄さんだし」

「でもなぁ……。前にアイリスさんは綺麗より可愛い寄りって言ってた気がするし、案外定番のそれは言わないのかも?」

「そんなことを言ってたの?」

「……言ったような気もします」

「ほんとに大好きなんだね」

「うっ……!」


 人間、予想もしていないタイミングで攻められると、無意識に呻き声が出る。知らなくてもいい事実を、上空数百メートルで知ることとなった。


「い、いいじゃないですか、別に……」

「あ、開き直った」

「アイリスさんが関わると、葵君の普段見られないところが見られるから楽しいよね」

「私はそうじゃなくても見られるもんね」

「や、別に張り合うつもりはないけど」


 心に浮かんだ羞恥をどう表現するべきか迷った挙句、何故か開き直るような一言を口にして目を逸らす。こんなことをしているから碧依達にからかわれるのだと分かっていても、どうにも慣れない感情が押し寄せてきて、結局こんな態度になってしまう。この辺りは、いつまで経っても変わらない一面なのだった。


「そ、そんなことより、羽崎君はどうしてます? 結局景色は見ずじまいですか?」

「いつも思うんだけど、葵君って話の逸らし方が下手だよね」

「そんな兄さんも可愛いでしょ?」

「蒼のその感情は独特かな」

「そう? あわあわ慌ててるところなんか、ちょっと小動物みたいで可愛いと思うんだけどなぁ……」


 そうこうしている間にも、何やら蒼と碧依の間で恥ずかしい会話が進んでいく。参加などしていないはずなのに、どんどん顔が熱くなっていくのが不思議でならなかった。


 そんな感覚に耐えられずに無理矢理話を変えようとしてみても、自分が恥ずかしい思いをする流れは大して変わらない。やはり、この二人を相手にするには、自分のコミュニケーション能力が足りていないと言わざるを得ない。


「ちなみに、羽崎君なら、あんまり外が見えないところで莉花にいじられてるよ」

「外が見えないところでってところが、莉花のちょっとした優しさなのかもね」

「……」


 羞恥の感情から逃れるために引き合いに出した悠だったが、結局高さを克服することはできなかったらしい。碧依の言葉に振り返ってみれば、確かに外が見えにくそうな場所で、莉花と何やら話をしている姿が見て取れる。


 碧依に「いじられている」と表現された通り、何やら慌てた様子で両手を振っている姿を見ていると、「小動物みたいで可愛い」という蒼の言葉が少しだけ理解できてしまいそうだった。




「やっぱり、人は地面の上で生きていくべきなんだね」

「ここ、九階ですよ」

「さっきよりは地面が近くていいよね」


 ついぞ展望台から外の景色を見ることなく終わった悠が、生き返ったようにそう口にする。何かの真理に至ったような顔付きをしているが、そんなことでこの先大丈夫なのだろうか。


 目先の出来事で言えば、今日の夜である。宿泊する予定のホテルは、部屋によっては高層階になるはずだ。もしそうなってしまった場合、果たして悠は無事に安眠できるのか。関係のない自分が何となく不安になってしまう。


「もう空気が甘いよぉ……!」

「で、蒼はどうしたんですか」


 展望台から下りてきてから、妙に生き生きとしだした悠とは反対側。ここしばらく一切手を離していない蒼が、どこか恍惚とした声音で嬉しそうに呟いた。その表情も、これまた妙に上気している。


「チョコがたくさん……!」

「好きなんじゃない? チョコレート」

「みたいですね。昔はそこまででもなかったと思うんですけど」


 どうやら、悠の推測が当たっていると考えていいだろう。思い返してみれば、最近はあまり蒼と食べ物の話をしていなかったので、ここまでチョコレート好きになっていることなど知らなかった。双子の妹ではあるが、まだまだ知らないことはたくさんある。


「行こ! 兄さん!」

「はいはい。分かりましたから。何も逃げませんし、そこまで急がなくても大丈夫ですって」

「あれ。これ入口でも見た気がする……?」


 満面の笑みを浮かべながら手を引く蒼に続いて、フロア全体に漂う甘い香りの中心地へと近付いていく。楽しみな気持ちが隠しきれていない蒼の笑みは、見ている自分すらも笑顔にしてしまう威力を秘めていた。


「何で五月にこんなイベントをやってるのかは分からないけど、私は幸せだから気にしないことにするね!」

「まぁ、美味しいものはいつ食べても美味しいですからね」

「そう! 流石は私の兄さんだよ!」

「様子が大分おかしいですよ。一旦落ち着きません?」


 どうせ無理なのだろうと思いつつ、一応そう提案してみる。近くに出店している店の店員から微笑ましいものを見るような目で見られたのが、どことなく気恥ずかしかったからだ。


 もちろん、高校生と思しき男女の双子が目の前で仲睦まじくはしゃいでいれば、自分もそんな目付きになる自信がある。問題は、自分がそんな目付きで見られる側だということだった。


「落ち……、着く……?」

「言葉の意味も忘れるくらいですか」

「いい具合に暴走しそうだね、湊さん」

「大丈夫。兄さんが止めてくれるから」

「嫌な信頼のされ方ですね」

「暴走するのは決まってるみたいな言い方だしね」


 気持ち早足になっていたのは落ち着いたものの、心の方はそうでもないらしい。そんな中でも、信頼と呼んでいいのか分からない感情を向けてくれるのは喜ぶべきなのだろうか。


 より一層、近くの店員の目が優しくなった。


「あ、バレンタインで思い出した」

「何をです?」

「兄さん、何か好きなチョコとかってある?」

「好きなチョコレートですか?」


 何やら、以前にも聞かれたことのあるような質問である。あの時はアイリスからだったが、まさか同じ質問を蒼からもされるとは思っておらず、ほとんど無意識に首が傾いてしまう。


 何より、その質問をされた理由を思い出して、少しだけ鼓動が速くなる。


「何となくホワイトチョコレートが好きだと思います」

「何となくって」

「大体どれも美味しく食べますからね」

「ふーん……」


 そんな曖昧な答えを受けて何を考えているのか、口元に指を当てた蒼が、どこか遠くへと視線を向ける。


「いきなりでしたけど、どうかしました?」

「あぁ、えっとね? 来年のバレンタインをどうしようかなって思って」

「気が早くないですか? まだ五月ですよ?」

「別に今から準備するわけじゃないって。何となく、兄さんの好みを聞いておこうかなってくらいで」


 言いながら優しく笑みを浮かべる蒼の姿に、何故かアイリスの姿が重なる。あの時は何も明かしてくれなかったはずだが、どうして今、二人の姿が重なったのだろうか。何となく不思議な感覚だった。


「どうせなら、好きなものをあげたいしね」

「無理はしなくていいんですよ?」

「無理なんてしてないよ」

「だったらいいんですけど」

「ん。これで来年は二つ以上が確定だね?」


 楽しそうに繋いだ手を振る蒼の様子からは、確かに無理をしそうな雰囲気は感じられない。


 正直な話をすれば、この歳にもなってバレンタインに妹からチョコレートを貰うというのは、どうしても微かな恥ずかしさがある。だが、今からその日を楽しみにしていそうな姿を見てしまうと、そんな恥ずかしさもどこかに消えてしまいそうな気がした。


「でも、あれだね。僕達くらいの歳でお兄さんにちゃんとしたのを渡すって、ちょっと珍しい気がするね」

「そうかなぁ……? 別におかしくはないと思うけど……」

「言っても、蒼は特殊な方ですからね」

「あ、ちゃんと本命だから安心してね?」

「義理でお願いします」

「聞いたことない会話だ」


 特殊で暴走気味だった。


「私から兄さんに渡すんだよ? 本命以外の何があるの?」

「どうして曇りない目なんですか……」


 そう考えるのが当たり前とでも言いたそうな、とても純粋な色をした目だった。こてんと小さく首を傾げる仕草も、相手によっては絶大な効果を発揮したのだろう。


 だが、生憎自分は兄だった。


「凄いね。自分の発言に一切疑問を持ってないよ」

「褒めるところじゃないと思うんです」

「一途なんだね」

「精いっぱいのフォローですね。ありがとうございます」


 お礼を言うのは何か間違っている気がしないでもないが、とりあえずそう口にしておいた。言葉に詰まった瞬間、蒼から次の言葉が生み出されそうで怖かったというのもある。


「さっきの言葉は訂正するね?」


 だからと言って、話し続けていれば、蒼が何も言わないということではないが。


「これで来年は本命が二つ確定だね?」

「片方が妹からってところが複雑過ぎます……」

「湊君、本命が『二つ』ってところは、さらっと受け入れるんだね」

「……」

「いや、皆分かってるんだから、別に顔を赤くしなくていいと思うんだけど」


 だったら、わざわざそんなことを言わないでほしかった。まだまだ先のイベントなのに、今から意識してしまって頬が熱くなってしまった。


「なになにー? 何の話ー?」

「葵君の顔が赤くなってるってことは、また蒼に何か言われたの?」


 しかも、そんなタイミングで前を歩いていた碧依と莉花に追いついてしまう。自分の頬の変化に目聡く気付いた碧依もそうだが、きっと何の気なしに話題を探ってきた莉花も、考えようによっては恐ろしい反応ではあった。


「来年のバレンタイン、湊君は本命が二つ貰えそうだねって話」

「あぁ、アイリスさんと蒼から?」

「……どうしてそこですんなり蒼の名前が出てくるんですか」

「見たらわかるでしょ」

「だって、兄さん」

「複雑です」


 それほど仲が良い兄妹だと思われていることを喜べばいいのか、あまりにも特殊な兄妹だと認識されていることを悲しめばいいのか。自分にはとても判断できなかった。特に変わった様子もなく言い放った碧依のことを考えると、単に仲が良い程度に思われているような気もするが。


「そういえばさ、前からずっと聞いてみたかったんだけど、いい?」

「内容によります」

「じゃあ話していいってことだね。よし」


 ずっと手を離さないのもそう見られる原因なのだろうかと考えていると、何やら莉花からそんな問いがあった。こんな導入にしては珍しく、からかうような色はどこにも見えない。


「湊君がアイリスさんから貰ったチョコさ、どんなだったの?」

「それを聞いてどうしようって言うんですか」

「いや、別に何もないって。こんな場所にいるんだし、ちょっと思い出して気になっただけ」

「はぁ……? まぁ、いいですけど」


 ここまで聞いても、やはり莉花にからかいの色が浮かぶことはない。その言葉通り、純粋に気になっただけなのだろう。それならば、特に隠すこともない。


「本気のチョコレートでしたよ」

「本命なんだから、それはそうでしょうよ。そうじゃなくて、どんなチョコだったかって……」

「僕達がアルバイトをしてるお店の二人に手伝ってもらったらしいです」

「本気かよ」

「だからそう言ってるじゃないですか」


 莉花の言葉を遮ってそう口にする。そこまでしてやっと意味が伝わったのか、微かに苦笑しながらの言葉が返ってきた。


「そんな意味の本気とは思わないでしょ」

「その辺りの常識はアイリスさんには通用しないですからね」

「常識が壊れかけてるのは、多分湊君に対してだけだと思うよ」

「否定できないのが辛いですね」


 痛いところを突かれたという訳でもないが、まさにその通りのような気がするので否定の言葉が浮かんでこない。この一年の付き合いで、莉花もまた、ある程度アイリスに対する理解を深めているらしい。


「来年は大変そうだね、蒼?」

「だ、大丈夫。気持ちの大きさは負けてないから……!」

「一番大変そうなのは湊君だけどね」

「……頑張ります」


 既に大変なことになるのが確定している未来を知ることになった、何でもない一幕。話の締めくくりに悠から向けられた労わりの眼差しは、すっと心に染み入るような、そんな不思議な眼差しなのだった。

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