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11. 賑やかな花 (2)

「着いたー!」


 自分に続いてバスから降りてきた莉花が、固まった体を解すように伸びをする。漏れ出す声はとても気持ちよさそうだった。一時間以上バスに揺られていたのは自分も同じなので、その気持ちはとてもよく分かる。


 隣県の山の中にある研修施設。ここが、宿泊学習における今日と明日の舞台だった。広大な土地を利用して作られており、一通りのアウトドア体験ができるようになっているそうだ。


「やっぱりちょっと肌寒いね。一枚羽織れるものを持ってきて正解だったかも」


 碧依が腕をさすりながら呟く。晴れはしているものの、吹く風は山特有の冷たい空気を運んできていた。


「準備いいね、碧依」

「湊君が話してるのを聞いたからね」

「湊君が?」

「そ。アイリスさんに、一年の宿泊学習で何を持っていったらいいかを聞かれてて、その時に」

「またその名前か」


 ぐりん。そんな音が聞こえてきそうな動きで、莉花がこちらを向く。何故かは分からないが、若干ホラー寄りに感じる動きだった。


「大好きか?」

「聞かれたから答えただけですよ」

「……そういうことにしておいてやるか」

「誰目線なんです?」


 そういうことにしておいた割には、あまり納得していないように思えるのは自分だけなのだろうか。じっとりとした目で見られている意味が分からなかった。


「全員一回集まってくださーい!」


 最後にバスを降りてきた平原先生が、二組の生徒に呼びかける。わざわざ集まるまでもなく、バスの前で屯していたクラスメイトが一斉に視線を向けた。


「まずは、事前に配った部屋割りに書いてある自分の部屋に、荷物を置いてきてください。その後は、何も持たなくていいので、もう一度この場所に集合してください。時間は十分に取ってあるので、急がなくても大丈夫ですよー。じゃあ、解散!」


 最後の一言を合図に、クラスメイトが施設の入口に向けて移動を始める。自分達四人も、その流れに乗って玄関を通り抜ける。


 施設に入ってすぐのエントランスホールは吹き抜けになっていて、外から見た以上に広々とした印象を受ける。窓からは陽の光が差し込んでいて、内装を明るく照らしていた。


「じゃあ、また後でね」

「あ、一回集まるのはここでいい?」

「いいと思います。向こうは人が多くて、探すのが大変でしょうし」

「そっか、じゃ、ここで」


 この後の集合場所を決め、碧依、莉花の二人と一旦別れる。エントランスから入って右側の棟が男子の部屋、左側の棟が女子の部屋、という割り振りだった。


「僕達も行こうか」

「ですね」


 その姿を見送りつつ、悠に促されて歩き出す。あらかじめ確認しておいた部屋割りによると、自分達に割り当てられた部屋は三〇七号室。数字からして、部屋の場所は三階だろうか。


「それにしても、思ってたよりもずっと綺麗な建物だよね」

「ですね。こういうところって、ちょっと薄暗いイメージですもんね」


 窓も多く、照明もしっかり設置されていて、施設内はかなり明るく清潔な印象だった。白を基調とした内装なのも、清潔感を強調する一つの要因となっているのだろう。


「そうそう。天井も低かったりして。あんまり夜に一人で歩き回りたくない、みたいな」

「それは羽崎君だけですね」

「え!?」


 とりあえず三階に向かいながら話す中でいきなり梯子を外すと、悠から驚きの声が上がった。


「女の子ならまだしも、高校生にもなって、ちゃんとした建物なのに夜に出歩くのが怖いって言うのはちょっと……」

「あ、あれ? でも、不気味じゃない……?」

「平気ですね」

「……湊君はこっち側の人間だと思ってたのに」

「……何となく察しはつきますけど、そう思った理由は一応聞いておきましょうか」


 残念そうに言う悠は、そんなことを言った覚えもないのに自分のことを怖がりだと思っていたらしい。嫌な推測だが、一つだけ思い付く理由があった。


「……女の子みたいな顔をしてるから」


 案の定である。というより、これ以外にそう思われる理由がないと言っても過言ではない。


「だと思いました。羽崎君と違って、みたいなのは顔だけですからね」

「僕だって顔だけだよ!?」

「それは嘘です」

「ほんと!」


 そうやって顔を赤らめて言い返す姿が女の子にしか見えないと、悠が気付くのは一体いつになるのだろうか。抗議の声を右から左に受け流しながら、しみじみとそう思うのだった。




「どうして……」

「四階……?」


 階段を三階分上がり、辿り着いたのは四階だった。目の前には目的の三〇七号室。周囲を見てみれば、そこには三百番台の部屋が並んでいる。


 理屈は分かる。館内図を確認してみたが、一階には大きな会議室を始めとした、共用の部屋が並んでいた。宿泊のための部屋が並び始めたのは二階からなので、四階に三百番台があるのは理解できる。


「普通に四百番台じゃだめなの?」


 理解はできるが、結局気になるのはそこだった。無理に百番台から数え始める必要もないのだから、階数と合わせてくれた方が助かった。無駄に三階を彷徨い歩いた時間を返してほしい。


「縁起が悪いとかなのかな?」

「病院でもないのにですか?」

「確かに……」

「まぁ、気にしても仕方ないですし、さっさと入りましょうか」

「だね。お邪魔します」


 そう言いながら、悠が一足先に部屋に足を踏み入れる。続いて自分も部屋の中へ入ってみれば、人の出入りが少ない部屋に特有の匂いが鼻を刺激した。


「何て言うか、こういうところっぽい部屋だね」

「でも、思った以上に綺麗で安心しました」


 置いてある家具は机、ベッド、クローゼットがそれぞれ二つずつと、とてもシンプルな部屋だ。左右対称になるように、それぞれの家具が配置されている。この階にある部屋は全て二人部屋だが、他の階の三人部屋や四人部屋は、また違った造りになっているのだろう。


 建物全体の内装と合わせてあるのか、室内も白を基調として、所々にアップルグリーンが配置されたものになっていた。こういった施設はどこかうっすらと汚れがあるようなイメージだったが、その予想を覆す、清掃の行き届いた部屋だった。これなら、二日間快適に生活できそうだ。


「湊君はどっち側にする?」

「どっちでも変わらないと思いますけど、じゃあ、こっち側で」


 悠にそう問いかけられ、部屋に入った時の立ち位置そのままに、入口から見て右側の一式を選択する。全く同じものが揃っている以上、深く考えるようなことは一切なく、ただ単に何となく選んだだけである。


「じゃあ、僕はこっちを使うね」


 自分が選択しなかった左側。悠がその机の上に持ってきた鞄を置く。自分も同じように鞄を置いて時計を確認してみれば、集合時刻まではまだ少し余裕がある時間を指し示していた。


「まだちょっと時間があるね。どうしようか」


 同じく時計を見ていた悠が、ベッドに腰かけながら呟く。その体が、視界の中で思った以上に沈み込んだ。


「わっ! 結構ふかふかだよ、このベッド……!」

「おぉ……」


 その言葉に釣られて自分も腰かけてみれば、長時間の移動で微かに疲れが溜まった体が、優しくゆっくりと沈み込む。


「確かに、これは……」


 思わず声が漏れる。こういった施設にありがちな硬いベッドを想像していたところに、この柔らかさである。一日動き回って疲れた夜には、一瞬で深い眠りに落ちそうな予感がした。


 反対側のベッドでは、気分が高揚しているらしい悠が、楽しそうに小さく体を跳ねさせていた。




「あ、来た」

「湊君、羽崎君! こっちこっち!」


 部屋で少し時間を潰してからエントランスに向かえば、そこには既に碧依と莉花の姿があった。合流しやすいようにとこの場所を選んだのだが、結局他の生徒もたくさんいて、碧依が手を振りながら場所をアピールすることになってしまっている。


「お待たせしました」

「そっちの部屋はどうだった?」

「特に言うこともないくらい普通の部屋かな。家具もシンプルだったし。ね、碧依」

「そうだね。特に不満はないよ」


 合流してから軽く話を聞く限り、女子棟の部屋も男子棟と大した差はないらしい。勝手に男子棟と女子棟にしているのが自分達の学校なので、当たり前と言えば当たり前なのだが。


「人も増えてきたし、そろそろ行こうか」


 碧依の一言で周囲を見回してみれば、エントランスホールから集合場所へ向かう人の流れが生まれ始めていた。もうすぐ集合時間になるということもあって、四人揃ってその流れに混ざる。


「この後って何があったっけ?」


 自分と悠の前を歩く莉花が、誰に尋ねるでもなく呟く。重要な部分は覚えていても、それ以外の興味がない部分は覚えていないところが、実に莉花らしかった。


「入所式だって。僕達が何かすることはないと思うよ」

「それいる? 施設の人からしても、あってもなくてもいいんじゃない?」

「身も蓋もないことを言わないでくださいよ」


 例えそうだったとしても、建前は大事である。自分達にとっては必要のないものであっても、学校側としては疎かにしていいものではないのだろう。


「ふーん……。そんなものかね……」


 そんなようなことを説明してみたが、莉花はあまり納得していない様子だった。とはいえ、普通の高校生ならばそのくらいの感覚が普通で、いちいち建前を考える方が少数派であることは、自分自身も理解していた。


 何より、自分もこういった時間は苦手なので、それ以上強くは言えないのだった。




「長いっての」

「長かったけど、もう終わったんだから忘れよ?」


 入所式から始まり、今後の予定の説明、クラスごとに職員による施設内の説明などが続き、気が付いた時には午前が終わっていた。


 現在は、食堂で昼食を食べている真っ最中である。周囲は人で溢れていて、とても賑やかな空間だった。


 そんな中、一言不満を零した莉花を、碧依が宥めている。


「入所式と予定の説明は百歩譲っていいとして。施設の説明なんて一番いらないでしょ。どうせこの後、自由に散策していいですって時間があるのに」

「建物の中はそんなに面白いものがないから、先に案内してしまおうって魂胆じゃないですか?」

「確かに面白くなかった!」

「そこまではっきり認めますか」


 本当にそんな思惑があって組まれた予定だったのかは知らないが、自分が適当に口にした推測に、莉花が持っていたスプーンでこちらを指しながら宣言する。


「言い出したの、湊君だからね?」

「知りません」

「湊君、よく梯子を外すよね」


 隣に座っていた悠からは、一つまみの恨みを込めた言葉が聞こえてくる。どうやら、先程のことをまだ根に持っているらしい。


「よく?」

「うん。さっき僕もやられた」


 莉花を宥めるのに苦労していた碧依が話題を変えるチャンスと見たのか、悠の言葉に反応する。そんな碧依の問いを受けた悠は、珍しく不満そうな雰囲気でこちらを見つめていた。


「こういうところで夜に一人で出歩くのが怖いって、羽崎君が」

「怖がりなの?」

「省略し過ぎだって」


 こんな時は、風向きが悪くなる前に先手を打つに限る。表現を少し変えたのは、もちろんわざとである。


「こういう場所って、夜は意外と不気味だよねって話だったよね?」

「知らない話です」

「何にも知らないね、湊君」


 先程莉花にも同じようなことを言っていたのを覚えていたのか、碧依が困ったように眉を下げながら笑みを浮かべる。そんな顔を向けられる覚えは全くないのに、不思議なこともあったものだ。思わず少しだけ首が傾いてしまう。


「可愛く首を傾げてもだめだからね」

「可愛さをアピールしたつもりはないです」


 あちこちを経由しつつも、結局会話がいつも通りの流れになっていく。場所は違えども、人が同じなら雰囲気も同じものになる。そんなことを証明するかのような、何でもない一幕だった。




 あれから鈍色の雲は空一面を覆い、ついにはその内に蓄えていた水分を、雨という形で校庭まで届けていた。


「あー……、びしょびしょ……」

「一気に降ってきたね……」


 折り悪く体育の授業の真っ最中に雨に降られてしまい、濡れた体操服の裾を絞りながら愚痴を零す。隣では、同じく濡れ鼠になった紗季が空を見上げながら小さく呟いている。


 降り始めた時から既に雨脚は強かったが、雨宿りをしている間に、その勢いはさらに強くなったような気がした。


 この様子では、体育の授業は中断から中止に変わるだろう。場所を屋内に変更して続けるにしても、体操服がここまで濡れてしまっていては、あちこちから不満の声が上がりそうである。


「男女別でよかったね」

「確かに。今のアイリス、クラスの男子になんか見せられないよ?」

「紗季もだからね?」


 そう言いながら紗季に目を向ければ、水を吸った体操服が、その体のラインを浮き彫りにしてしまっていた。紗季の言葉から想像するに、自分も似たようなことになっているのだろう。濡れた服が肌に触れる感覚が気持ち悪いという以上に、あまり積極的に見られたくはない格好なのは間違いない。


 そんなことを考えていると、その紗季から視線を向けられていることに気付く。何故か、頭の天辺から爪先までを何度か往復している。


「な、なに……?」


 何となく嫌な予感がして、無意識に両腕で体を抱くようにして視線を遮ろうとする。そうこうしているうちに、やがて紗季の視線が腰辺りで止まった。


「んー? アイリスさ、スタイルいいよね。ちっちゃいのに」

「ちっちゃくないもん!」


 自分が上げた抗議の声は、紗季の言葉に被ってしまう程に素早く出た。自分で言うのも何だが、ほとんど反射の域に達している。


「紗季と比べたら少し小さいかもだけど、百五十五センチはあるもん!」


 そんな失礼なことを言う相手には、具体的な数字を出すのが一番効果的である。最近行われた身体測定の結果で以て、紗季の言葉を否定しにかかる。


「嘘はだめだよ、アイリス。ちょっとだけ盛ったよね?」

「な、なんのこと、かなぁ……?」


 だが、さらに否定を返されて、思わず目が泳いでしまう。出てくる言葉も曖昧なもので、これでは何も誤魔化せていないのは明白だった。


「入学してすぐの身体測定、一緒に回ったもんね?」

「……」


 しっかりと記憶に残されていた事実に、とうとう曖昧な言葉すらも出なくなってしまった。泳いでいた目も、紗季から逸らしたままで固まってしまう。


「確か……、百五十三センチだったっけ?」

「う……」

「ちっちゃくて可愛いなって思ったから、覚えてたんだよね」

「ちっちゃくないもん……」


 やはり、具体的な数字は効果抜群だった。しかも、それが嘘ではなく本当のこととなれば、その威力は桁違いである。先程と全く同じ言葉が口から零れたが、勢いは完全に失われていた。


「って、身長は別にどうでもいいの」

「どうでもよくないもん……」


 小さな小さな自分の抗議は、雨の合唱に遮られてしまったのか、はたまたわざと聞こえなかったふりをされてしまったのか、紗季には届いていないようだった。言葉通り身長の話を切り上げた紗季の視線が、再びこちらの腰に戻ってきている。


「スタイルの話。何を食べたらそんな健康的に腰がくびれるわけ?」

「……小さい子供が食べてるものなんて、気にしても仕方ないでしょ」

「わ、意外と根に持つタイプだ。ごめんって」


 拗ねたようにそう呟けば、慌てたように紗季が両手を合わせて謝ってきた。少しだけ、ほんの少しだけだが、溜飲が下がった気がした。


「はぁ……。別に、食べてるものは皆とそんなに変わらないと思うけど」

「じゃあ何か? やっぱり血か? 外国の血がそうさせるのか?」

「血って」

「羨ましいなぁ……。アイリスの血を吸ったら、ちょっとは効果ないかな……?」

「発想が中世過ぎて怖い……」


 完全に吸血鬼の発言である。現代に存在していい生き物ではない。


「アイリスぅ……」

「それ以上近付いてきたら、その時は悲鳴を上げるからね?」


 怪しげな口調で自分の名前を呟きながら近付いてくる紗季は、濡れた髪が肌に張り付き、目もどこか虚ろで、まるで幽鬼のような見た目だった。割と本気で不気味である。


「ちぇ……。だめか」

「何でいけると思ったの」

「だって、アイリスって押せばどうにかなりそうだから」

「私のことを何だと思ってるの?」

「気を付けて見てないと、悪い男に引っかかりそうな子」

「ひどい!」


 悲鳴という言葉が効いたのか、とりあえず様子はいつも通りに戻った紗季。だが、失礼なところは何も変わっていなかった。一体どこをどう見てそう思ったのか、納得するまで問い質したい気分である。


 絶対に納得などしないつもりだが。


「だってアイリス、なんかちょろ……、……素直過ぎるところがあるから」

「今『ちょろそう』って言おうとした?」

「何でもない」

「ねぇ」


 思っていた形とは違ったが、偶然にも問い質す形になった。先程の言葉もそうだが、今の言葉も十分失礼だ。


 一足早い梅雨のようにじっとりとした眼差しになっていることを自覚しつつ、紗季の顔を覗き込む。誤魔化しきれない言葉を誤魔化そうとした辺りから、何故か目を合わせてくれない。


 ならばと、自分で決めた境界線を踏み越え、さらに一歩紗季に近付く。まだ、顔ごと明後日の方向を向いたままだ。


「ねぇ」

「……」

「……」

「……言われたこと、何でも信じてそうだし」


 そこまでしてやっと自分の圧に負けた紗季が、目を逸らしたままようやく心の内を明かす。どうやら、そんなことを考えていたらしかった。


「そんなに何でも信じるわけじゃないよ」

「もしそうだとしても、そう見えるのが心配なの」

「そういうものかな……?」

「そういうものなの! だから、私が守らなきゃいけないんだよ!」

「さっき襲おうとした人に言われても……」

「愛だから!」

「欲だったよね?」


 この短時間で忘れる訳がなかった。自信満々に言いきる目の前の吸血鬼は、雨に打たれても大丈夫なのだろうか。


「ま、でも? アイリスは普段から大好きな先輩と一緒にいるから、その辺は大丈夫かもね?」

「だ……!?」


 ついでに十字架でも用意しておいた方がいいのかもしれないと、そんなくだらないことを考えていると、紗季がいきなりとんでもないことを言い出した。あまりの衝撃の大きさに、上手く言葉が出てこなかった程である。


「違うの?」


 対して、紗季は当たり前のことを言ったというような様子で、小さく首を傾げている。


「そんな風に考えたことないよ……! お世話になってる先輩さんってだけで……」

「誰、なんて言ってないけど」

「……っ! ……っ!」

「痛いっ! ごめんって!」


 具体的にとある顔を思い浮かべた自分に対し、紗季は惚けるようにそんなことを口にする。あまりに大きな衝撃の次は、あまりに大きな恥ずかしさ。その恥ずかしさに後押しされるようにして、紗季の腕を何度も叩く。


 非力な自分では、その威力はたかが知れていたが。ぺちぺちと情けない音が雨音に混ざる。紗季も紗季で、笑いながら「痛い」と言っているので、やはり大した威力はないのだろう。


「もうっ!」


 全ての恥ずかしさを打撃に変えてから、再び空を仰ぎ見る。降り続く雨は、まだしばらく止みそうになかった。




 一日目の予定については、ほとんど語ることもない。昼食の後に地域の伝統芸能の紹介を受け、各班で自由に施設の周辺を見て回っているうちに、いつの間にか日が落ちていた。結局のところ、この宿泊学習の本番は二日目からで、今日一日は環境の変化に体を慣らすことが目的なのだろう。


 この後は夕食の時間がやって来て、それを終えれば、全員集合しての明日の予定の説明、入浴で一日が終わる。


「夜になると結構寒いね」

「山ですからね。さっきから曇りだったのもあると思いますけど」

「僕も何か上着を持ってくればよかったかも」


 夕食の時間まで部屋で待機している間に、悠が微かに体を丸めながら後悔を口にする。その言葉通り、平地よりも早く訪れた日没以降、気温はどんどん下がっていた。部屋に暖房はあるものの、あまり性能がよくないらしく、何もないよりはましといった程度の活躍具合だ。


「もう一枚持ってきてますけど、使います?」

「え? いいの?」

「もちろん。どうせサイズも同じくらいですよね?」

「多分ね」


 そんな悠を見ながら、鞄の中からもう一枚の上着を取り出して手渡す。


「ありがと」

「サイズは大丈夫そうですね」

「うん。そんなに身長変わらないから」


 ベッドの縁に座りながら上着を羽織る悠に、確認のために問いかける。あくまでも念のためだ。案の定、特にどこかの丈が余るといったこともなく、問題なく着られるようだった。


「でも、何で二枚も上着を持ってるの?」

「誰かが忘れると思ったからです」

「行動を読まれてる……」

「羽崎君の行動は特に読みやすいですね」

「え」


 開いた鞄を元に戻しながら、当然とも言える悠の疑問に答える。悠が上着を忘れそうだと名指しで想像していた訳ではないが、悠としてはそんな風に聞こえなかったのか、驚いたように小さく声を漏らして固まっていた。まさか、自覚していなかったのだろうか。


「素直過ぎるんですよ。行動から、反応から」

「そう、なのかな……?」

「こうして読まれてたんですから、首を傾げても説得力はないです」

「う……。確かに」


 痛いところを突かれたとでも言うように、続けて呻き声を漏らす悠。素直なのは悪いことではないので、そこまで落ち込む必要もない気がするが、本人的には何か思うところがあるのだろう。その辺りまでは流石に読めない。


「少しくらい、考えてることを隠せるようにしたいんだけどな……」

「無理ですね」

「否定が早過ぎるよ。もうちょっと考えて?」


 そう言いながら苦笑いを浮かべる悠だったが、無理なものは無理である。余計な希望を持たせるくらいなら、早めに摘み取ってしまうのが本人のためだ。隠し事をするには、悠は純粋過ぎる。


「さ、羽崎君は隠し事ができないって分かったところで、食堂に行きますか。もういい時間ですよ」

「嫌な話の切り方するね?」

「気のせいですって」

「その誤魔化しは流石に通用しないかな」


 鞄を元に戻したところで、意識を変えるようにしてそう切り出す。笑みの種類を変えた悠と揃って部屋を出て、持っていた鍵で扉を施錠する。


 昼には山々の景色が映っていた廊下の窓は漆黒に染まっていて、今は自分達の姿を映すだけだった。




「羽崎君も上着持ってたんだ?」

「あ、違うんだ。これね、湊君が貸してくれたの」

「湊君が?」


 食堂の前で碧依と莉花の二人と合流してから少しして。一学年分の生徒で混雑している食堂にて、何とか空いているテーブルを確保し、最後に悠がやって来たところで碧依がそう切り出した。


「二枚も上着を持ってきてたの? 寒がり?」

「そうじゃなくて。誰か忘れるかもと思って」

「あー……。何か湊君らしい答え」


 自分と悠の状況を簡単に説明してみれば、納得したように碧依が頷いた。アイリスと三人で話していた時のことが、今になって影響を及ぼしているのかもしれない。


「で、予想通り羽崎君は忘れたわけだ」

「その通りです……」


 自分と碧依のやり取りを聞いて、莉花が悠をへこませていた。会話の行き着く先は、先程の部屋での会話と同じだった。


「でも、誰かってことは、私達が忘れても貸してくれたの?」

「水瀬さん達が男物でもいいなら、ですけどね」

「んー……?」


 そんな自分の答えに、碧依が何かを考えながらこちらの目を覗き込んでくる。


「うん。湊君のなら、忘れてたら借りてたかな」


 やや間を空けてから、またしても何かを納得するように頷いて、碧依がそう口にする。答えがどうこうよりも、その間の方が気になった。


「今の間は?」

「別に大したことは考えてないよ? 湊君なら、ちゃんと洗濯してそうだなってだけ」

「そうですね。その辺はしっかりしてるつもりです」


 どうやら、そんなことを考えていた間だったらしい。わざわざそんなことを確認されずとも、洗濯もせずに自分の服を誰かに貸すなどということは流石にしない。そんなことをすれば、貸してもらった方も微妙な気分になること間違いなしだ。


「それにしても……」

「はい?」


 自分と碧依の知らないところで一通り悠をへこませ終えたのか、莉花がこちらを向く。何か言いたそうな切り出し方だが、果たして何を言い出すつもりなのか。


 ちなみに、隣で何故か恥ずかしそうにしている悠は見えなかったことにした。


「準備が万全過ぎない? 私達のお母さんなの?」

「あ、お母さん、お醤油取って」

「せめてお父さんで。というか、醤油は水瀬さんの目の前じゃないですか」


 思いの外まともな冗談で安心した。今までの経験から、「女子に自分の服を着せようと企んでいたのか」といった辺りを警戒していたが、流石にそこまでのことは考えていなかったらしい。相変わらず性別がおかしいという部分を「まとも」と表現していいのか、そこは判断に迷うところだったが。


 そんな莉花の冗談に乗ってきた碧依は、まともに相手をすることなく、とりあえず軽くあしらっておいた。




 自分達四人も賑やか、周囲も賑やかな夕食を済ませ、明日の予定の説明が行われるホールへと向かう。


 思えば、あんなに賑やかに夕食を食べたのは、個人的には久しぶりだった。当然、去年も宿泊学習はあった訳だが、とてもそんな雰囲気ではなかったということも影響している。それだけ、今年は期待が高まっているということだ。


 ホールに入り、クラスごとに整列する。いつもの出席番号順ではなく、班ごとの整列だった。どちらにしても、目の前に碧依がいることには変わりない。


「全員揃ったようなので、そろそろ始めます」


 生徒達の前に立った学年主任が、ホール全体を見回してから説明を始める。


「まずは皆さん、今日一日お疲れ様でした。今日はここの環境に慣れるための一日としてかなり緩めに予定を組みましたが、どうでしたでしょうか?」


 そこで一度言葉を区切り、またしてもホール全体を見回す。やはり、今日は慣らしの一日だったらしい。


 このタイミングで生徒から返事があることは、最初から想定していなかったのだろう。一通り見回した後に、そのまま言葉が続く。


「今日は慣れるため、と言った通り、明日から各班で様々な体験をしてもらいます。もちろん、私達教師も施設の職員の方も安全には最大限配慮しますが、皆さんも危険な行動はしないように気を付けてくださいね」


 まずは注意からだった。確かに、明日予定されている体験は、どれも特有の危険が伴うものばかりだ。ある程度注意を促しておかないと、思いもしない事態を招くとの判断に違いない。


「さて、注意に関してはこの辺りにしておいて、そろそろ本格的に明日の説明に移りましょうか。今から明日の体験の予定表を配るので、まずはそれを見てください」


 言うが早いか、各クラスの列の先頭から順番に、予定表が手渡されていく。自分も碧依から受け取って後ろのクラスメイトに渡してから、手元に視線を落としてその中身を確認する。午前、午後の割り振りの他に、その集合場所といった細々とした情報が記載されていた。


「午前はアーチェリーで、午後はオリエンテーリングだね」


 一つ前に並んでいた碧依が振り向いて、割り振りのことで話しかけてくる。周囲も同じように、班ごとに確認を行っている真っ最中だった。


「ですね。寝起きで山歩きは大変そうですし、ちょうどよかったかもしれないです」

「そっか、確かにそうだよね。ラッキーかも」

「アーチェリーはアーチェリーで多少力がいるでしょうし、そこは大変なことに変わりないかもしれないですけど」

「力か……」


 そう言いながら、碧依が右腕を曲げて二の腕辺りを何度か触っている。どうやら力こぶを作っているようだが、服の上からでは見えるはずがない。そもそも、碧依に力があるようなイメージもなかった。


「大丈夫そうかな?」

「不安しかないです」

「だめだった時は助けてね?」

「アーチェリーで何を助けるんですか?」

「さぁ? 二人羽織とか?」

「絶対に嫌です。本気で言ってます?」

「冗談」


 軽く笑って言う碧依に対して、自分は冗談でも一瞬想像してしまったのが悔しかった。心臓に悪過ぎるので、実現しなくてよかったと言える。


 実現してしまった時に痛いのは、心臓ではなく周囲の視線だろうが。


「そもそも、湊君もそんなに力はないよね」

「水瀬さんよりはあります」

「ほんとに?」

「何で疑われてるんですか?」


 何故か疑うような眼差しを向けてくる碧依だったが、流石にその辺りで負けるつもりはない。もしそこまで負けてしまうようなら、それはもう性別を疑われても仕方がない。


「だって湊君って、重たい物を持ち上げられなくて、顔を赤くしてるのが似合いそうだし……」

「絶対にその姿は見せないようにしますね」

「持ち上げられる、とは言わないんだね?」

「……」


 負けるつもりはないが、そこまで重たい物を持ち上げられる訳でもなかった。


「楽しみにしておくね?」

「……」


 重ねられた碧依の言葉に、目を逸らすことしかできなかった。


「一通り話は終わりましたか?」


 そうこうしているうちに、予定表が配られてからの喧噪もある程度落ち着き、再び学年主任がそう切り出す。


「明日は書いてある通りの割り振りで、集合場所に集まってください。そこからは、各体験を担当する職員の方に詳しく説明をしてもらうことになっています」


 他の教師と一緒に並んでいた数人の職員が、そのタイミングで軽く頭を下げる。今の話の流れから考えるに、それぞれの体験の担当職員なのだろう。


「そこからは職員の方の指示に従ってください。体験が終われば、午前も午後も一度この母屋に集合です。それから……」


 昼の入所式から続いた一連の流れのように、説明することは自分達が想像している以上に多くあるらしい。手元にある資料を見ながら、学年主任がひたすらに説明を重ねていく。


 それでも、明日の予定がはっきりして一度昂った空気は、なかなか収まる気配を見せない。どこか浮ついた雰囲気のまま、まだまだ説明会は続くのだった。




「ただいまー」

「お帰りなさい」

「お帰り」

「あれ? お父さん、今日は早いね?」


 帰宅した自分にかけられる声が、いつもとは違って今日は二つ。女性の声は母親のレティシア、男性の声は父親のアーロンだった。


 レティシアとは違い、アーロンは基本遅くまで仕事があるようだが、こうしてたまに早い時間に帰ってくることがあった。どうやら、今日がそうらしい。


「今日は早めに仕事が終わったからね」


 そう言って朗らかに笑うアーロンは、高校生の娘がいるようには思えない程に若々しい見た目だった。以前そのことについて尋ねてみたことがあるが、若作りをしていると仕事の人間関係で上手くいくこともある、とのことだった。


「あなたも今日はちょっと早いんじゃない?」

「今日から先輩達が宿泊学習で放課後いないからね」

「例の葵さん達かな?」

「うん」


 キッチンで二人揃って何かをしていたらしいが、その手を止めてそう尋ねてくる。アーロンの口から名前が出た通り、既に葵のことは話したことがあった。というよりも、積極的にあれこれを話しているような気がする。アーロンからしても、それだけ仲良くしている先輩のことは気になっているらしかった。


「レティは会ったことがあるんだったね?」

「そうね」


 葵のことが気になっているアーロンが思い出しているのは、以前、家の前でレティシアも含めて葵と話した時のことだ。あの時もアーロンは家の中にいたが、玄関先までは出てこなかった。後から話を聞いて、出ていかなかったことを後悔していたのを覚えている。


「今度機会があったら、ぜひ話をしてみたいね」

「えー……? 変なことを言われそうだからやだ……」

「そう言わずに。娘がお世話になってる先輩なら、挨拶はしておきたいし」

「……葵さんがいいって言ったらね」

「いっそのこと、アイリスがバイトから帰ってくるのを待ち伏せしたらいいんじゃない?」

「やめてよ!?」


 そんなアーロンに向けて、レティシアから恐ろしい提案がされる。そんなことをされた日には、恥ずかしくてまともに話ができなくなる自信があった。誰と、と問われると、それは葵とである。


「流石にそこまではしないよ。タイミングが合えば、ね」

「わざわざ機会を作ってまで会うのって、結婚の挨拶みたいだものね」

「けっこ……!」


 恥ずかしくてまともに話ができなくなるのは、今も同じなのかもしれなかった。いきなりの爆弾発言をしたレティシアは、娘である自分が言葉に詰まっているのに、何故かにこにこと楽しそうに微笑んでいた。


「あぁ、確かにそんな気がするね」

「お父さんまで!」


 顔を真っ赤にして慌てふためきながら、視線をあちこちに彷徨わせる。普段であれば、こんなことをほとんど口にしたことがなかった両親の変化に驚きこそするものの、ここまで狼狽えることもなく受け流せたのだろう。


 だが、今日は訳が違った。昼に紗季と話した時の言葉が、まだ頭の中に残っている。


「もー! 葵さんはそういうのじゃないって!」

「そう? 結構楽しそうに話してたじゃない」

「あれはからかわれてたって言うの!」

「アイリスはそれでいいのかい……?」

「よくないよ! いつか絶対に泣かせるもん!」


 混乱したままに不思議なことを口走ってしまった自分に、どんな話をしていたのか知らないアーロンが若干困惑した顔を向けてくる。立場が反対なら、きっと自分も同じ表情をしていたことだろうと、頭の片隅に残った冷静な部分が判断する。


「それもそれでどうかと思うけど。でも、仲は良いみたいだね」

「私の知ってる『仲が良い』とは違う……!」

「ま、『今は』仲が良いでいいんじゃない?」

「今はって何!?」


 アーロンとレティシアに挟まれて、忙しく突っ込みを入れ続ける。ここ最近のいつもとは違って今日は静かに帰ってきたはずなのに、結局こんなことになってしまった。


「……っ」


 これならば、葵と一緒に賑やかに帰ってくる方がずっと楽しいと、ほとんど無意識にそう考えてしまって、うっすらと頬を赤らめてしまうのだった。


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