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104. 夢のような現実 (4)

「まずはおめでとう、だね」

「えぇ。長かったわね」

「『まずは』って言う割には、結構色々言ってくれたけどね!」

「ほら、そこは娘の成長がどうのこうのってやつで」

「誤魔化されないもん!」


 軽く受け流すアーロンとレティシアに、早くも色々とからかわれたアイリスが食ってかかる。ただし、どう見ても効いているようには見えなかった。


「葵さんも何か言ってあげてください!」

「やっぱり、お二人に話すのは緊張しましたね」

「私達が『だめ』なんて言うはずがないんだから、そこまで気にしなくてもよかったのに」

「むしろ、僕達が望んでたくらいだからね」

「まさか本気で言ってるなんて思いませんよ」

「和やかにお話してどうするんですかぁ!」


 思惑が盛大に外れたであろうアイリスに腕を引かれる。抗議のつもりなのか、そのまま上下左右に振り回されている。


「もっとこう……! 『お父さん』『お母さん』発言のこととか!」

「……わざと意識しないようにしてたのに、どうしてアイリスさんがそれを蒸し返すんですか」

「あ……」


 その腕を見ないようにしてぼそりと呟く。当たり前のことだが、自分とて、あんなことを言われて普段通りでいられるはずがなかった。だからこそあれから沈黙していた訳で。


「葵君もそういうことを考えて照れるんだね」

「何だかんだ言って、やっぱりまだ高校生なのね」

「……」


 アーロンとレティシアからも全力で目を逸らす。今目が合えば、そこから先がどうなるかなど分かりきっている。


「あ、葵さんも想像しちゃったり……?」

「いや……、そこまで先のことは想像してませんでしたけど……」

「けど?」

「今ので、ちらっとだけ……」


 何が浮かんだのかは秘密だが。これは「隠し事はない」発言の例外とすることにした。


「もしかして、結婚式……、とかですか?」

「……」

「あ、図星ですね。えへへ……」

「あら、緩みきった顔」


 それなのに、アイリスにはあっさりと見抜かれてしまった。これでは、もうアイリスのことを隠し事が下手だと評することもできない。


 顔ごとアイリスから逸らし続ける中で、当の本人がどんな表情を浮かべているのかは分からない。けれども、その声音とレティシアの言葉から察するに、嬉しそうに頬を緩めてくれているのだろうと思う。


 今の流れで頬を緩めるとは、どういう意味を表すのか。それに気付いてしまって、さらにその顔を見られなくなる。


「私も想像したことがありますよ。葵さんの……」

「……」

「ウェディングドレス姿」

「どうして?」


 顔を見るしかなくなった。案の定ゆるゆるに緩んでいる。


「もちろん普通の服も想像しましたけど、インパクトはドレス姿の方が強かったです!」

「それはそうでしょうよ」


 それに勝るインパクトなど、世の中を探してもそうそうありはしないだろう。出来レースにも程がある。


「似合い過ぎて、ちょっとだけ腹が立ちました」

「前もそんなことを言ってませんでした?」

「言ったかもしれないです」

「二人は普段どんな話をしてるんだい……?」


 そんな常識ではあり得ない会話を前に、あのアーロンが若干引いていた。見れば、微かに苦笑いを浮かべている。一体どこの部分にその表情を強いられたのだろうか。心当たりが多過ぎて見当が付かない。


「ま、さっきの『お父さん』『お母さん』発言も、いつかそうなったらいいなっていう私達の願いだから。今はあんまり気にし過ぎないで」

「あれだけ煽っておいて?」

「あなただって煽ったでしょ?」

「それはぁ……」


 気まずそうに目を逸らすアイリス。それは自覚があることの何よりの証拠である。


「それよりも。私達としては、気になるところがたくさんあるんだけどな?」

「……」

「……」


 そう言って朗らかな笑みを見せるレティシア。そんな表情とは裏腹に、口にした言葉はこちらの警戒心をこれでもかという程に刺激してくる。


 いよいよ、一番厄介な時間が訪れようとしていた。


「そうだね。どこから聞こうか……」

「まずは、やっぱりあの日のことかしらね?」

「あ、あの日って何……?」

「気付いてるんでしょ? あなたがそれはもう嬉しそうに帰ってきた、バレンタインの日に決まってるわ」

「う……」


 その言葉通り、アイリス本人も何を言っているのか気付いていたに違いない。だからこそ、これだけ素早く頬を染めて俯けたのだろう。


「あ、葵さーん……」

「僕には止められませんよ。何なら僕も攻められる側です」

「ですよね……」

「どうせ学校で友達から聞かれたりしたんだろう? 今更何を恥ずかしがることがある」

「それはそうだけど、友達に言うのと親に言うのって、気持ちは全然違うでしょ」

「妙に積極的な親だものね?」

「ほんとにね!」


 それを自ら言うのかとは思ったが、わざわざそれを口に出したりはしない。どうせ何もしなくても話の矛先は自分にも向くのだから、いちいち藪を突く必要はどこにもなかった。


「親子仲は良い方だと思ってたけど、こんなところでそれを発揮しなくていいのに……」

「これからはそこに葵君も加わるわけだ?」

「『気にし過ぎないで』って言ったばっかりだよね?」

「気にし過ぎない程度に気にしておいて」

「訂正してって意味じゃないから!」


 レティシアの目がはっきりとこちらを向く。いつかも思ったように、何故か外堀から埋まりに来ているような気がした。


「もう! あんまり色々言ってると、何にも教えてあげないからね!」

「あなたが話さなくても、もう一人当事者がいるでしょ?」

「葵さんと一緒に二階に逃げるもん」

「もう部屋に連れ込もうって? 早いわね」

「冬休みにお母さんが勝手に許可したこと、忘れてないからね?」

「私は忘れたわ」


 全く悪びれる様子もなく、はっきりとそう言いきったレティシア。あの時はそこまで思えなかったが、おかげで久しぶりにアイリスの寝顔を見ることができたので、あれはあれでいい機会ではあった。


「……葵さん。何か変なことを考えてませんか?」


 とりあえずの矛先がアイリスに向いているのをいいことに、悠長にそんなことを考える。その心の動きをどう読んだのか、的確なタイミングでアイリスが疑うような目を向けてきた。


「何も」

「ほんとですか?」

「寝顔が可愛かったことしか思い出してません」

「だからそういうところですって!」

「ちょっと怒ってる風だけど、内心嬉しくて仕方がない」

「お父さんは静かに!」

「でも、今は恥ずかしさが一番大きい」

「お母さんが解説していいって意味じゃないから!」

「忙しいですね、アイリスさん」

「葵さんのせいですよぉっ!」


 またも腕が上下左右に振り回される。興奮そのままに突っ込みを続けるアイリスが落ち着くまでは、まだ多少時間がかかりそうだった。




「で、そろそろ聞いてもいい?」

「誰のせいでこうなったと思ってるの……」


 ようやくアイリスが落ち着きを取り戻して。待ち構えていたかのようにレティシアが切り出した。


「はぁ……。……何?」

「いや、どうせあなたが我慢できなくなって葵君に告白したんだろうけど、何て言って告白したのかなって」

「……」

「……」

「え、何?」


 そうして提供された話題は、いきなり話しにくさが詰まったもの。アーロンも何も言わなかったということは、二人揃って自然にアイリスから切り出したと考えているらしい。


 だが、急に黙り込んだ自分達の様子に、ほんの少しの困惑が生まれ始める。


「やっぱり言うのは恥ずかしいって?」

「それか、その言葉は二人だけのものにしておきたいとか?」


 だが、二人はこの沈黙をそんな風に解釈したらしかった。ここまで至っても、まだアイリスから告白したものと思っている口振りである。


「いや……、その……」


 やっと口を開いたアイリスだが、その口から漏れるのは曖昧な言葉だけ。言ってしまってもいいのか迷うように目を向けてくる辺り、どうやら自分の心境を考えてくれているらしい。


「アイリスさんからじゃないです」

「うん?」

「え」


 その気遣いをありがたく思いつつ、アイリスが何かを言う前に自分から切り出す。こればかりは、他の誰にも任せてはいけない役割のはずだ。


 そうして呟いた一言は、アーロンとレティシアが全く想定していなかったであろうもので。結果、二人の表情は揃って困惑から不思議そうな表情へと移り変わっていった。


「僕から、アイリスさんに告白しました」

「さ、されました……!」

「……」

「……」


 珍しく、と言うより、これまでに見た覚えがないような顔で固まるアーロンとレティシア。どうにかそこから何かしらの感情を読み取るなら、一番近いのは驚愕だろうか。


 とにかく、リビングには再び静寂が訪れた。今度の静寂は、先程のものよりもやや長い。


「……」

「……」

「えっと……」


 相手が何を考えているのか分からない、そんな静寂。どことなく不安な気持ちを増幅させるようなその静けさに、大丈夫だと分かっていても心が揺らぐ。先程の話で、二人共賛成してくれたことなど理解しているはずなのに。


「……葵君」

「は、はい……」

「何て言って告白したの? この子、どんな感じだった? どの辺が好き?」

「え……」


 杞憂だった。軽く身を乗り出すレティシアの瞳が、やたらきらきらと輝いている。こんなところも親子でそっくりだった。


「いやぁ! 私、てっきりこの子が告白したものだとばっかり思ってたけど、実は葵君からだったのね!」

「ちょっとどころか、かなり意外な展開だったんだね」

「え……、あの……?」


 これまた見たことがないくらいに興奮したレティシアが、矢継ぎ早にあれこれと質問を飛ばしてくる。隣のアーロンは落ち着いているようにも見えるが、その目に宿った興味の色を隠しきれていない。


「ほんとは私から言うつもりだったんだけど、葵さんから大事な話があるって言われちゃって……!」

「へぇ!」

「なるほどなるほど……」

「……」


 そんな圧に押されて困惑したままでいると、突然一家の間で話が進み始めた。レティシアの言葉を借りるなら、当事者が一人抜けたまま、それでもつつがなく会話は続く。


「でも、私も一緒に話し始めちゃってて……。ほんとは譲りたくない気持ちもあったけど、葵さんが見たことないくらい真剣な顔をしてたから」

「譲ったら告白された、と」

「何て言ったのかな?」

「そ、れは……」


 続きはするが、そこはやはり当事者が二人揃っていた方がスムーズではある。そんなような意味が込められた眼差しが三人分、自分の方を向く。最初から逃げるつもりなどなく、こうなることは薄々分かってはいた。


 だが、実際こんな場面に直面すると、どうしても尻込みしてしまうのもまた事実。


「その……、好きです、と……」


 それでもどうにかあの時の言葉を口にできたのは、その言葉を待ち望んでくれている相手が隣にいたから。


「あら。ストレート」

「確かに、さっき『言葉を飾るのが苦手』って言ってたね」

「まぁ……」


 改めてそう言われると、どうしても羞恥心は湧き上がってくる。みっともないことを言ったつもりはないが、それとこれとは話が別だった。


「で、あなたは何て?」

「抱き付きました!」

「行動派だね。アイリスらしい」

「ちょっと泣きそうでした!」

「ちょっと……?」


 記憶に間違いがなければ、泣きそうな具合は「ちょっと」どころではなかったはずだ。あの光景を忘れるはずがないのだから、「間違いがなければ」などという前置きは意味がないのだが。


「葵さんにそっちを言われちゃったから、私からは『付き合ってください』って!」

「全部任せきりにしなかったのは偉いわね。流石私達の娘」

「ちなみに聞くけど、告白はする方とされる方のどっちがよかったんだい?」

「自分からするつもりだったけど、ほんとはされる方が理想だったり……」


 そこで恥ずかしそうにちらちらと自分を見るのは、反則と言ってもいいのではないだろうか。


「……僕から言えてよかったです」

「はいっ!」


 弾けるような笑みを浮かべたアイリスに、そのまま腕を抱き締められる。ここ数日、幾度となく同じことを繰り返してきたが、その度に心臓が高鳴るのは変わらない。


「親の前で見せつけてくれるね」

「いくらお父さんとお母さんでも、葵さんは絶対に渡さないもんね」

「この子、今なかなか重たい発言をしたと思うんだけど、葵君的には大丈夫?」

「重たいって何」

「これくらいなら気にならないですかね」

「そ。じゃあ安心したわ」

「……葵さんも、『重たい』ってところは否定しないんですね」

「……」


 声に不満の色をたっぷりと乗せ、囁き声すら聞こえる程の距離でアイリスが呟く。気のせいか、先程よりも体重をかけられて、物理的にも重たくなっている気配すらある。


「そういうところよ」

「片方が一方的に大きい感情を持ってると、もう片方は大変な思いをするからね」

「あら。何か経験がありそうな言葉な気がするけど?」

「何でもないです」


 そんなアイリスに自分が思っていることを言うべきかどうか迷っていると、目の前の夫婦が何やら怪しげな雰囲気になっていた。


 それがアイリスと自分の間にも流れたことのある雰囲気に感じられたことは、勘違いだったのだと思いたい。


「私達と同じくらいの時に、お母さんから攻めていったらしいです」

「あぁ、それで」


 アイリスの言葉で納得した。アーロンの言葉は、過去の自らの経験から来たものだったのだろう。そう思うと、今は随分と穏やかな間柄になったものだ。


「今、何に納得したんですか?」

「アイリスさんが考えてるようなことじゃないですって」

「将来、この小さいのにあんな風に言われるのか、とかって考えてたりしたんじゃないですか?」

「久しぶりに聞きましたね、それ」


 思えば、最近そんな話をした覚えはない。いつの間にかアイリス自身が言い出さなくなっていたことに、今更になってようやく気付く。


 ちなみに、今この時は完全な被害妄想である。


「そういえば、『小さいには小さいなりのいいところがある』って言ってたような気が……」

「……」

「今なら教えてもらえたりします?」

「……」

「アイリスさん?」


 そして、気付いたからこそ、その先を思い出す。もういつのことかは忘れてしまったが、確かにいつかアイリス本人がそう話していた。あの時はその中身までは教えてもらえなかったはずだが、今なら。


 そう思って問いかけたのに、返ってきたのは沈黙だけ。ぴくりとも動かず固まってしまったアイリスは、まるでよくできた彫像のようで。


「何か面白そうな雰囲気を感じるわ」

「……う」


 アーロンと何かを話していたレティシアまで興味を抱いてしまってから、少しして。微かに零れた声は、赤い頬と揺れる瞳と共に。


「ど、どうしても聞きたい……、ですか……?」


 まだどこか躊躇うように。内心の葛藤がありありと伝わってくるその上目遣いは、よく見れば少しだけ潤んでいるようにも見える。


「絶対に無理だって言うなら、もうこれ以上は聞きませんけど」

「無理ってわけじゃないですけど……」

「けど?」


 そこで口を閉じてしまったアイリスの緊張を解すように、なるべく穏やかな声を意識する。


 それに効果があったのかは疑問だが、やがて意を決したように再びその口が開かれた。


「そ、その……」

「はい」

「……ちょっと小さい方が、葵さんの胸元に収まりやすいかなって……」

「……」

「……」

「……」


 明かされた理由には、自分を含めた三人を沈黙させるのに十分過ぎる程の破壊力があった。ただし、自分とアーロン、レティシアの両親組では、その破壊力の方向性が違いそうだったが。


「な、なにか言ってくださいよぉ……!」

「妄想逞しいわね」

「娘がここまで考えてるのを知るのは、親としては少し複雑だったりする」

「お父さんとお母さんには言ってないぃ……!」


 恥ずかしさを誤魔化すように、アイリスの腕に力が入る。照れ隠しの仕草すら破壊力が凄まじい。


「私は葵さんに言ってるの……!」

「だそうだけど、葵君はどう?」

「え……? あ、いや……、その……」


 そんな中で何かを求められたところで、まともに頭が働く訳もない。口からは意味のない言葉だけが零れ落ち、素直な感想すら浮かんでこない。


「その反応で何となく分かるけどね」

「えぇ。こんなに言葉が出てこない葵君なんて、なかなか見る機会はないわね」

「あ、葵さん……!」


 必死な声と共に向けられるのは、羞恥と不安が入り混じったような瑠璃色の瞳。それを見た途端、これまで浮かんでくる気配すらなかったはずの言葉の影が、うっすらとその輪郭を覗かせ始めた。


「えっと……」

「……!」

「ぴ、ぴったり収まる感じがして、その、ちょうどよかった、です……」

「……」

「……」

「ふあぁぁ……!」


 今度の沈黙は二人分。まだアイリスの声がするだけ、先程よりはましなのかもしれなかった。


 沈黙している二人の顔がにこにこしていなければの話だが。


「案外、葵君からの感情も大きいのかしらね」

「その辺はちょっと意外かもしれないね。告白したのが葵君からってところもそうだったけど」

「葵さん! 葵さん……!」

「うぁ……!?」


 何がそんなに琴線に触れたのか、最早押し倒される寸前にまでなった。ソファの端に座っていたから何とかなっているものの、そうでなかったらアーロンとレティシアの前で愉快な姿を晒していたのかもしれない。この場所を定位置にした過去の自分を褒めてあげたかった。


「葵君のことだから、その辺も理屈で考えてそうな気も」

「い、今それどころじゃ……!」

「ここまで慌てる葵君も珍しいね」

「アイリス。あなたが落ち着かないと、ゆっくり葵君を質問攻めにできないでしょ?」

「今の私は葵さんの胸元に収まるので忙しいの!」

「親の前で何をしようとしてるんだい?」


 いきなり騒がしくなったリビングで、落ち着きを失ったアイリスの魂胆が明かされる。そんな余裕はどこにもないが、それでも何とかその動きを捉えてみれば、確かに頭が徐々に胸元に迫ってきていた。


「今はここに収まるべきなんですっ!」

「今じゃないですって……!」


 どうにか押し返そうとするも、何故かいつもよりアイリスの力が強いような気がして、なかなかその均衡が破れない。


「……本当に何をしてるのかしらね」

「一応、仲が良いってことにしてもいいのかな……?」


 すぐ近くでアーロンとレティシアが何かを呟いていたが、それを聞き取ることなどできるはずもなかった。




「……」

「……っ! ……っ!」


 結論から言えば、負けた。ただし、全面降伏だけは避けた形である。正面からは流石に恥ずかしかったので、どうにか必死で受け流していたところ、最終的に横から抱き付かれる形になっていた。


「大変そうね」

「……レティシアさんの娘さんですよ」

「そうだけど、もう最初に来るのは『葵君の彼女』よ?」

「それは……、その……」

「えへー……」


 レティシアの言葉を咄嗟に否定することもできず、ただアイリスの重さだけを受け止める。ソファの端に座っているせいでこれ以上逃げることもできず、寄り掛かってくる分だけ密着具合が増す。


 先程とは違って、この場所を定位置にした過去の自分を恨んでしまいそうだった。


「いいね。どんどん新しい葵君が見られる」

「そんなに楽しいものでもないと思いますけど」

「楽しいわよ。そうやって年相応に照れてるところとかは特に」

「……何も見なかったことには」

「できない」

「できないわね」

「そうですか……」


 間髪を容れずに、揃ってそんな答えが返ってくる。これまで心の奥底を隠し続けていたせいなのか、その部分を覗き込まれることに耐性がなさ過ぎる。なるべく素直になると口にした以上、もうそこを隠すことはないけれども、自分がどう感じるかはまた別の問題なのだった。


「でも、そうやって照れる割には、ちゃんと言葉にしてくれるのね」

「葵君くらいの歳だと、そういうのは恥ずかしがってなかなか口にしない、なんてこともあると思うけど?」


 そうして、今の見た目を見られる恥ずかしさと心を覗かれる恥ずかしさをやり過ごそうとしていると、二人からふとそんなことを尋ねられた。


 内容的に考えて、どう答えても恥ずかしさという面では今と状況は変わらないのだろう。それでも、一方的に攻められる事態だけはどうにかできそうな、そんな問い。


「話したい相手、会いたい相手。そんな人が、いつでも自分の傍にいてくれるわけじゃないってことを知ってますから」

「……それもそうだね」

「その言葉、葵君が言うと重みが違うわ」

「だから、一緒にいられる時は一緒にいたいですし、思ったことはできるだけ素直に言葉にするつもりです」


 我ながら似合わない台詞だと思いつつも、それでも目を逸らしてはいけない場面だと思って二人を見つめる。


「まぁ、迷惑に思われない程度に、ですけど」


 だが、結局恥ずかしさに屈してその一言を付け加える。今の言葉をしっかりと口にできるようになるまでは、まだもう少し時間がかかりそうだった。


「そこは心配しなくていいんじゃないかしら」

「そうですよ! 迷惑だなんて思ったことがないですもん!」

「そう言ってもらえるのは嬉しいんですけど、そろそろ離してもらっても……? もう心臓が限界なんですけど……」

「やです!」

「えぇ……」


 元気いっぱいの拒否だった。表情と言葉が全くと言っていい程釣り合っていない。


「こういう表現がちょっと激しめなのは親譲りだね」

「あら?」

「何でもないよ」

「……」


 またしても、夫婦の何かを垣間見た気がする。


「今日はもう離しませんよ!」

「私より激しいと思わない?」

「それを自分で言うんだね」

「まだ午前ですけど」


 本気で言っているのなら恐ろしい宣言である。そんなことをされた暁には、自分は明日の朝日を無事に拝めないような気がした。暁なのに。


「それに、帰る時はどうするつもりですか」

「え?」

「え?」

「……」

「……」


 アイリスとの間に流れる、唐突な沈黙。何を言っているのか分からないとでも言いたそうに、目の前でぱちくりと瞬きが繰り返される。その姿を見ているうちに、不意に浮かび上がってくる記憶があった。


「……どうして今、冬休みのことを思い出したんでしょうね」

「葵さんも気付いちゃったからじゃないですか?」


 抑え込むことができずに口にしてしまった一言に、にっこり微笑むアイリスが答える。危うく状況も忘れてその可愛さに見惚れてしまいそうになるのを必死に堪えながら、また微かに迫ってきたアイリスから離れるように体を反らす。


「今日はもう帰しませんよ! ……あ、お泊りの荷物は取りに帰りますけど」

「……あぁ」


 わざわざ少し前の台詞と同じ口調で告げられた事実。それは、こんな時間が最大限長く続くことを表していて。


 いくら「一緒にいられる時は一緒にいたい」と口にしたとはいえ、誰がここまでの事態に発展すると予想できただろうか。


「私よりかなり激しいと思わない?」

「思うけど、見ているだけなら楽しいものだね」

「あ、あの……、助けてもらえたりは……?」


 一縷の望みをかけてアーロンとレティシアに縋る。


 だが、心のどこかではうっすらと理解している。先程から過去のあれこれが垣間見えているレティシアと、この状況を楽しんでいることがたった今判明してしまったアーロンでは、ほぼ確実に助けなど得られないことくらい。


 それでも、縋る先は二人しかいなかった。


「いきなり一人増えるのは……、とか……」

「まだ今日のお買い物は行ってないわね」

「前に使った部屋と、寝具一式もあるしね」

「……」


 けれども、返事は案の定といったもので。


「今日もたくさん一緒にいてくださいね?」

「……はい」


 小さく首を傾げながらの一言が、これ以上ない程のとどめとなった。




「このお部屋が葵さんのお部屋になっちゃう日も、案外近いのかもしれないですね」

「僕はどう反応したらいいんですか」


 アイリスの言葉通りに荷物を取りに戻ってから、冬休みにも使わせてもらっていた部屋へと運び込む。


 と言っても、今回はどう考えても今日一泊だけ。すぐに平日が始まる以上、冬休みのように長々と滞在することもなければ、あの時程の荷物もない。そこまで大きくない鞄一つを部屋の隅に置いてしまえば、あとは特にすることもなかった。


「素直に嬉しいって言ったらいいと思いますよ?」

「素直に複雑です」

「なんでですか」


 握られた手に微かに力が込められる。家の中でも腕を組んで歩くのは流石に避けたのか、先程からはずっとこうだった。正直、どっちもどっちとしか言いようがない気もする。


「いつでもアイリスさんがすぐ傍にいると思うと、どうも落ち着かないような気がして……。冬休みもそうでしたけど」

「そんなの、私の方が落ち着かなかったですからね? 寝る時なんて特に」

「そう言う割には、結構な頻度で早起きして寝顔を見に来ましたよね」

「それだってそわそわしてたからですよ」

「体に悪そうじゃないですか」


 それは俗に言う「寝不足」なのではないだろうか。あの時のアイリスにそんな様子は見られなかったが、本当はそうでもなかったのかもしれない。


「今なら大丈夫ですもん」


 もっとよく見ておくべきだったと反省しそうになった瞬間、当のアイリスからそんな一言が届く。何やら嬉しそうな表情を浮かべているが、一体何が大丈夫だというのだろうか。


「あの時は落ち着かなくなるどきどきでしたけど、今は落ち着くどきどきですから」

「……」


 恥ずかしがる様子もなく、はっきりと言いきっていた。むしろ、聞いている自分が恥ずかしさを覚えてしまいそうな言葉である。この手の感情表現は、やはりアイリスの方が何枚も上手だった。


「気を付けておかないと、このどきどきのまま葵さんのお布団に潜り込もうとするかもしれませんよ?」

「……それは流石に僕が逃げ出します」

「……自分で言っておいて何ですけど、私も流石にまだしないと思います」

「まだ……?」

「まだ」


 結局勢い任せの冗談だったのかと安心しかけたところに、その言葉。今度は冗談でも何でもなさそうな真剣さで頷くその姿は、自分の中の警戒心を一段階引き上げるのには十分過ぎる姿だった。


「いつかのお話ですよ、いつかの」

「アイリスさんのことは大体信じてますけど、その言葉だけは絶対に信じられないです」

「いやいや、まだ恥ずかしいですって」

「アーロンさんとレティシアさんの前で僕を押し倒そうとした人が何を」

「……あはっ」

「誤魔化せてませんよ」


 不思議な間が空いてからの、明るい笑み。浮かべるタイミングが違えば魅力的だったはずのその笑みも、このタイミングでは怪しさしか感じられない。


「やっぱり、罠か何かを仕掛けておいた方がいいのかもしれませんね」

「生半可な罠じゃ、私は止まりませんよ!」

「全力過ぎる……」


 寝不足になるのは、自分の方なのかもしれなかった。

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