第9話 ニックリア平原の怪人
ラフロ。シルビアはその名に聞き覚えがあった。
「ラフロ、〈ニックリア平原の怪人〉か。生死を問わない特級指名手配犯とこんなところで会えるとはね」
「その通り。良くご存知ですね! 流石は〈ヴェイマーズの魔女〉殿だ」
ラフロは両手に持つ手斧をだらりと構える。戦闘の意思を明確に感じる。
エスリンは後腰の短剣を抜いた。ラフロと呼ばれた女相手に素手は危険だと判断したのだ。
「では挨拶も済んだので早速――」
戦闘が始まろうとする次の瞬間、ラフロの背後に剣が突き立てられた。
「――は?」
「ら、ラフロ! お前は危険だ! 後は俺達がやるから、お前は今日、ここで死ね!」
刺したのはまさかの人物、黒装束の男だった。雇い主でもある〈時雨の月〉の頭領自らが刺したのは他でもない。
生きるため。今ならばまだ、ラフロ殺害を手柄に、救済措置が与えられるかもしれない。そう思っての凶行。
手応えは十分、男は生存を確信出来た。
「アァ? それは無いですよね?」
突き刺さった剣を引き抜いたラフロ。彼女はそのまま剣を折ってしまった。なんという握力だろう。
ラフロは両手の手斧を男の体にめり込ませる。
「背後からの攻撃は礼儀がなっていないですねぇ。せめて真正面から来てくれたら、片腕で許したものを」
「止めな。そいつはもう致命傷だ」
「メイドさん、優しい言葉をありがとうございます。だけど、そいつはこのクソ野郎にふさわしくないですよ」
エスリンの静止の言葉は届かない。
ラフロの手斧が男の両鎖骨に食い込んだ。骨と肉が砕ける音。ものの数秒で、男は無惨な骸と成り果てた。
「止血は良いのかしら?」
「えぇ。私、傷の塞がりが早いほうでして」
凄惨な殺人行為を目の当たりにしても、シルビアは冷静だった。
「その自己治癒能力の高さ、ニックリア平原での逸話は本当だったようね」
「あぁ、ファークラス王国軍の弓兵五十名と槍兵五十名から針山にされた話ですか?」
「死ななかったどころか、返り討ちにしてみせたのよね、貴方。怪人か、言いえて妙ね」
「えへへ。二つ名で呼ばれるの好きなので、なんだか嬉しいです」
「――何人殺した?」
「数えていないので分かりませんが、貴方とそこのメイドさんで二名加わります」
ラフロが跳躍し、一気にシルビアの下まで距離を近づける。
振り下ろされる手斧の前に、エスリンが立ちはだかった。
「口数が多いね、ラフロ」
「……ラフロさんですよ」
手斧と短剣は拮抗しており、びくともしない。ラフロは驚いていた。大体の人間はこの初撃で腕の骨を折り、そのまま斧の餌になる。
だが、このメイドは一体――。
「ラーフーロ」
「ぶち殺す」
だが、そんな考察などドブに捨てようと思ったラフロであった。
ラフロは左の手斧を地面に叩きつける。衝撃でエスリンの体勢が一瞬崩れてしまった。その隙を見逃さないラフロは右の斧でエスリンの胴体を狙う。
直撃すれば即死。しかし手斧はエスリンに当たることはなかった。
エスリンは崩れた勢いに身を任せ、足を振り上げた。つま先は水平に向かってきたラフロの手斧を捉える。
手斧は空を切り、ラフロにとって大きな隙を作り上げる。
体勢を戻したエスリンはラフロの腕を掴み、がら空きの体へ短剣を突き刺した。
ラフロの体から流れる血を見ながら、エスリンは撤退を提案する。
「ちゃんと手当てをすれば死なない所に刺した。もう帰ったほうがいいよ」
「ご忠告痛み入ります。ですが、私はこれくらいならすぐ塞がりますので」
エスリンはラフロの傷口を見る。すると、いつの間にか出血が止まっているではないか。
(なるほど。自己治癒能力が高い、か)
再び攻撃を再開するラフロ。短剣を器用に使い、手斧をいなすエスリン。
防戦一方の中、エスリンは考えていた。ただ攻撃するだけでは止まらない。かといって、殺したくない。
思考するエスリンに、一瞬隙が出来てしまった。
「ぐっ……!」
次の瞬間、エスリンは吹き飛んでいた。
ラフロは唐突にタックルを仕掛けてきたのだ。体重の乗った一撃はまるで馬車との正面衝突に匹敵する。
壁に叩きつけられたエスリンは飛びそうになる意識を捕まえ、何とか受け身を取ってみせた。
「私って、かなり頑丈な方だと思いますが、メイドさんも相当ですね」
「宣伝はしていないけど、長所の一つなんだ」
「骨、いくつかヒビ入ってますね。呼吸をするのも辛いでしょう」
「そう? ようやく本調子に戻ったところだよ」
エスリンは立ち上がり、短剣を構え直す。
それを見たラフロは再び突撃する。
「それは良かったです。なら、今度こそ死んでもらいましょう」
「シルビアさんを守らなきゃならないから、それは無理」
エスリンの黒い瞳が焔のように紅く染まっていた。
「その焔を思わせる紅い眼は――!」
「――!」
エスリンは短剣を投擲した。狙いはラフロの眉間。
すぐにラフロは手斧で短剣を弾き飛ばす。しかし、目の前にいたはずのエスリンがいなかった。
勘の鋭いラフロはすぐに後ろを振り向いていた。
「後ろにいると相場が決まっている!」
「正解。だけど、遅かった」
ラフロの視界は天を向いていた。エスリンによるアッパーカット。更にエスリンは大きくのけぞるラフロのこめかみへ強烈な蹴りを入れた。
ゴトン、と鈍い音が響く。ラフロの頭が地面にぶつかった音だ。すぐさまエスリンはラフロの首に腕を回し、酸素の供給を絶ちにいく。
「あらら。してやられましたね。確かにこれは効果がありますよ」
「それなら良かった。殺しはしない。その代わり、目覚めた時に捕まってても文句は言わないでね」
「心得ています。今日のところは私の負けを受け入れましょう」
「出来れば、二度と会いたくないよ」
「そんなこと言わないでください。私はまた会いに行きますよ。というか、まさかあの伝説の殺し屋、〈焔眼〉とやり合えるなんて思いませんでした」
その言葉を聞いたシルビアはどこか納得したように、首をゆっくりと縦に振った。
「そうか、やっぱりね」
ラフロはエスリンの腕を掴みながら、こう聞いた。
「私のこと、忘れないでくださいね?」
「忘れたくても忘れられないから大丈夫。安心して。……超不本意だけど」
「あはは。もうちょっとオブラートに包んでくだ――」
言いかけ、ラフロの意識が消失した。
エスリンは改めてラフロの耐久力に驚いた。力加減としては、極めた時点で意識を刈り取るつもりだったのに。
ラフロの沈黙を確認した後、エスリンはシルビアに逃走を提案した。
「逃げるの?」
「はい、逃げましょう。多分、ラフロはすぐに起き上がると思います。外にファークラス王国軍がいるのなら、さっさと合流して、数の暴力で制圧したほうがいいです」
「……一理あるわね。分かったわ」
エスリンとシルビアはその場を後にした。
施錠されていた扉を純粋な腕力でぶち破り、ファークラス王国軍の警備兵と合流することに成功した二人。
「エスリンの言う通りね」
「いや、私の予想以上です。少なくとも、最速で戻ってきても間に合うように気絶させたつもりなんですけどね」
ファークラス王国軍の警備兵を連れ、地下広場に戻ってきたが、すでにラフロはそこにいなかった。
置き手紙とばかりに、壁に文字が彫られていた。
シルビアがそれを読み上げる。
「『貴方を私の敵と認めます。次は勝ちますので、よろしくお願いします』か。厄介なのに目をつけられたわね、エスリン」
「何度来ても、倒すだけなので、何も気にしていません」
ガルドル・カティザークが死亡したことにより、監査は執行中止となった。
しかし、これで一件落着ではない。
始まりだ。
これはエスリンとシルビアに襲いかかる数々の事件の始まりに過ぎない。
第10話は18時更新です!
感想いただけたら、とても嬉しいです!