第5話 護衛任務
ある日、エスリンは主であるシルビアに呼び出された。彼女がヴェイマーズ家の生活に慣れ始めた辺りだ。
「おはようエスリン。だいぶこの屋敷の生活に馴染んできたみたいね」
「おかげさまで。といっても、フラウリナやメイド長がいたからこそ、なんですけどね」
「あらあら。褒めたって何も出ないわよ」
シルビアの傍で控えていたメイド長がくすくすと笑う。あの日以降、エスリンはメイド長に対して、一定の注意をしていた。
敵意だとか、そういう類ではなく、単純に敵に回さないように心がけている程度だが。
「そうでなくては困るわ。メイド長とフラウリナはこのヴェイマーズ家が誇る最高の戦闘メイドなのだから」
シルビアはエスリンを指差す。
「その最高には貴方も含まれる予定よ。早く私に心からそう言わせなさい」
「期待には応えるつもりです。それで今日は何を?」
「察しが良くて助かるわ。今日は貴方に護衛任務を命じるわ」
「護衛、ですか」
エスリンは〈焔眼〉と呼ばれ、恐れられた元殺し屋だ。護衛、という言葉は世界一似合わないという自負がある。
聞き間違いであってくれという思いを込めて、あえてエスリンはとぼけた返事をしてみせた。
「えぇ、その通りよ。今日は貴族の家を回るのだけど、その道中の護衛をお願いしたいの」
「貴族の家を回る道中に付き添うだけならそう言えば良いはずです。それをあえて護衛と呼ぶということは、何か面倒事があるんですか?」
「元殺し屋だけあって、こういう類の話は通りが良いわね」
褒められている、と受け取るべきか、エスリンは悩んだ。
そうしてエスリンが悩んでいる間に、シルビアは話を進める。
「このヴェイマーズ家に与えられた役目の一つに、貴族の監査があるわ」
貴族の監査。それが、王より与えられた役割だ。
貴族の腐敗は国の腐敗。今その瞬間は良くても、長期的に見れば、国の存亡に関わってくる。
そこで作られた制度が貴族による貴族への監査だ。
「貴族の監査なら、貴族じゃなくて一般国民にやらせれば良いじゃないですか。どうして貴族がやるんですか?」
裏の世界にいたエスリンはヴェイマーズ家の役割をなんとなく知っていたがゆえに、長年抱いていた疑問をぶつけてみた。
貴族の方針で生活が左右されるのはいつだって一般国民だ。故に、一般国民が監査を行うのは自然といえた。
その疑問に対し、シルビアは即答した。
「正当性が保証されないのよ。一般国民が監査を行っても、金や権力でその結果が変わる可能性があるの。実際、あったしね」
「だから貴族なんですか? 金や権力という飛び道具が効かない相手だから」
「その通りよ。公平な監査を確実に行う、それがこのヴェイマーズ家に与えられた使命なの」
「でも、そうなると、この家が与える影響力は相当なものですね」
「そう。だからこのヴェイマーズ家は定期的に王国の監査を受けているの。もしも不適切な監査があった場合、即このヴェイマーズ家には重い罰がくだされるようにね」
強い権限を持つ代わりに、重い罰が約束されているヴェイマーズ家。
エスリンはこんな感想を抱いた。
「疲れる立場ですね」
「ふふっ。あっ……」
メイド長が顔をそらし、笑いを抑えていた。シルビアはそんなメイド長を横目で睨んだ。
「何を言いたいのかしら、メイド長」
「失礼しました。シルビア様もそう言っていたなと思い出しまして」
「昔の話よ」
「だからこそですよ。エスリンと相性が良いんじゃないですか?」
「言ってなさい。行くわよエスリン」
「今からですか?」
「今からよ。監査先に何も準備させないためよ」
そう言って、シルビアは出ていった。
エスリンも部屋を出ようとすると、メイド長に呼び止められた。
「エスリン、一つだけ確認させてほしいことがあるの」
「なんですか?」
「もしもシルビア様の命を狙う者が来たら、貴方はどう対応するつもりなの?」
「死なない程度にボコボコにします」
エスリンは人を殺さない、と決めていた。相手がどんな人間だろうが、殺さないと誓ったのだ。
そんな彼女の回答に、メイド長は首を横に振った。
「満点の回答ではないわね」
「すいません。ですが、私はそう決めたので」
「違うわ。殺すのが駄目という訳ではないのよ」
メイド長は微笑みながら、こう言った。
「生かして帰すのなら、ヴェイマーズ家の名前を聞いただけで失神するようにしなさい。メイド長として、私から貴方にする最初で最後の命令よ。お願いできる?」
「そういう命令なら、喜んで受けますよ」
◆ ◆ ◆
エスリンとシルビアが出発したのと同時刻。
ガルドル・カティザーク伯爵の下に黒装束の男がやってきた。
「カティザーク卿、ヴェイマーズ家の馬車がカティザーク領へ向かっております」
「ちっ。とうとう来たのか、我ら貴族の粗を探して喜ぶハイエナの家が」
「どうされますか?」
次の瞬間、黒装束の男の頭にコップが飛んできた。
ガルドルが勢いよく投げたのだ。
「言わなくても分かれ。何のためにお前らのような殺し屋集団を雇ったというのだ」
「……無論。我ら〈時雨の月〉は雇い主の望むままに」
シルビアの監査はすんなり終わらないだろう。