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鋼鉄令嬢は何があろうと揺るがない

作者: とんでー




 後から振り返ってみての話でございますが。

 あの騒動は、わたくしでも男爵令嬢でもなく。

 もしかすると、凍るような瞳を持った鋼鉄令嬢こそが、真の主役だったのかもしれません。



「私はここにロムアリアとの婚約破棄を宣言する! マリドゥ・ランスター男爵令嬢に対するおぞましき行為の数々、天も私も見逃さぬとしれ!」

 「しくじった」と思ったのは、フェスリン国王太子、バーラード様によって婚約破棄宣言をされた時だった。

 ああ失礼、わたくしの名はフェスリン国はアレクサルド公爵家が長女、ロムアリアと申します。


 そして目の前で、私に婚約破棄をかましたのはこの国の王太子バーラード様。

 眉目秀麗といえば聞こえはいいが、見た目だけは完璧ともいう。性格は尊大、小心者、嫉妬深いと悪いところを挙げればきりがありません。


 ため息をつきたくもなります。

 ゲームの頃は、そんな彼が世界で一番素敵なキラキラ王子様に見えたものですが。現実の俺様王子ヤキモチ焼きって、割と地雷なのですね……しょんぼり。


 失礼。「ゲームの頃」でピンと来た方もいらっしゃるでしょうが、わたくしはいわゆる一つの前世持ちです。


 前世のわたくしは慎ましい、日本という国で事務員などをこなしておりました。趣味はゲームであり、もちろん乙女ゲームなども嗜んでおりましたとも。


 故に、この世界がそこそこヒットを飛ばした乙女ゲーム『儚き聖女と星の騎士』(略称:はかぼし)であったことも承知しております。


 さて、わたくしと彼との婚約は貴族としての義務であり、基本的に愛情らしい愛情はないものでした。

 とはいえ、互いにある程度の義理を果たす程度の交流はあったし、わたくしとしてもこのまま結婚というところに異議を唱えるつもりは毛頭ございませんでした。


 が、王太子の方は違ったようです。

 年月を経るにつれて、徐々にその態度は尊大なもの、かつ劣等感溢れるものになってきて、王太子としての政務も滞りがちになり、仕方なくわたくしがどうにかフォローすると、更に機嫌が悪くなる。

 悪循環、というやつですね。


 これでも、これでも子供の頃はまだ良かったのです。

 お互いに国のために力を合わせてがんばろう、という気概がわたくしにも、彼にもあったはず。

 だが、もうそれは失われてしまったものです。

 徐々に徐々に、手のひらから零れる砂粒のように。


「――ロムアリア様、どうか謝罪をお願いします。わたしは、それだけで……」


 そして、バーラードにある意味でトドメを刺したのが、彼女です。ピンクブロンドの派手な髪、明らかにバーラード様の礼服と合わせた王族並みの豪華なドレス。


 マリドゥ・ランスター男爵令嬢。彼女こそ「はかぼし」の主人公であり、わたくしロムアリア・アレクサルドこそが彼女のライバル……というよりは、いわゆる一つの悪役令嬢なのです。


「ああ、マリドゥ。心優しい君が心痛めることはない」

 バーラード様が切々とした表情で声を掛ける、髪を撫でる。何をおやりになられているのですかクソ野郎が公衆の面前で。


「……コホン」

 いけない、前世のことを思い出したせいで妙に口が悪い。

 こうなる前に動けば良かったのだが、何しろ思い出したのは、昨日なのです。


 普通はこういうの、幼い頃の熱病だの転落事故だのがきっかけになると思うのだけど、わたくしはつい昨日まで、この世界にひとかけらの疑問も抱いていなかったのですわ。

 そしてたった一日で何ができるはずもなく。

 卒業パーティで婚約破棄を宣言されるという、不名誉極まりない事態に陥っているのであります。


「マリドゥ、落ち着きたまえ。ここにいる全員、君の味方さ」

「ありがとう、キース」

 栗色の髪をした優男、キース・シュラウディスが声を掛ける。我が国切っての切れ者であるドラウコス宰相の長男である彼もまた、マリドゥ嬢の虜になった一人です。


「ああ、どうか悲しまないで。僕の煌星」

 マリドゥ嬢より小柄なこの少年は、この国の守護魔術師であるギリヌ家の跡取り息子クラット。

 あらゆる魔術を使いこなし、飛び級でこの学園に入学した方です。


「……大丈夫だ」

 穏やかな低音で声を掛けるのは、我が国の騎士団長の息子であるゲラウド。

「俺にあるのは剣だけで、難しいことは分からん」

が口癖のいわゆる脳筋男でございます。

 そんな彼も言うまでもなくマリドゥ嬢の虜に。


 もちろん全員「はかぼし」の攻略対象であり、マリドゥ嬢が最上級グッドエンドである逆ハーエンドを狙ったのは、確実というところです。


「それで殿下。彼女に対するおぞましき行為とは、一体何でしょう? わたくし、何のことだか」

「空とぼけるか、ロムアリア! マリドゥ・ランスターへの暴虐、忘れたとは言わさん!」


 ……さて。わたくしもいい加減、現実を見つめるべきですわね。

 婚約破棄自体に異論はありません。問題は、わたくしに冤罪を被せようとしていること。

 父は公爵であり、任地は遠い。冤罪から今すぐ、わたくしを救出するのは難しいでしょう。

 となれば、国王陛下にわたくしの主張を聞いてもらう他ないのですが――


(陛下は卒業パーティへの出席予定はない。ですが、パーティ直前に早馬を出せたお陰で、到着まで後わずかのはず)


 国王陛下は王太子である彼に、国王としての資格があるかどうか訝しみ始めておりました。

 わたくしの訴えは恐らく聞き届けられるはず。

 ただ、そのためには少なくとも王太子のこの弾劾を受け止め、平然と反論するくらいでなければいけませんわね。


「マリドゥ・ランスター男爵令嬢について、名前と姿は知っていますが、『お話』したことは一度もありませんわね。ええ、わたくしは彼女に一言お伝えしただけですので」

 日常会話など、仮にも公爵令嬢であるわたくしと、男爵令嬢である彼女で成立するはずがない。


 そも、クラスや学年からして異なる上に選択授業も違うのであれば、交流など有り得ない。

「嘘をつくな! おまえはマリドゥに暴言を浴びせ、」

「暴言とは『わたくしの婚約者である王太子殿下と、あまり距離を近付かないように。誤解を招きますから』という助言でしょうか? 婚約者に密接な距離を持とうとする人に対して、当然の理屈では?」


 わたくしの言葉に、周囲の生徒たちが頷いて同調する。


「私とマリドゥはあくまで友人だ。貴様のねじまがった妄想で彼女を汚すな!」

 そう言ってマリドゥを抱き寄せるバーラード様。

 いやいや、いやいやいや。

 誰がどう見ても恋人か愛人関係です。

「……わたくしにはとてもそうは見えませんが。いずれにせよ、助言を投げただけで『おぞましき行為』とは過言にもほどがありましてよ、バーラード様」


「でも、まだあるよ。君、攻撃魔術でマリドゥを殺そうとしたよね?」

 クラットの言葉に、わたくしは小首を傾げる。

「あの……それはいつのお話ですの?」

「七日前の選択授業中。君は教室を途中で抜け出しただろう? あの後で、どこからともなく飛来した攻撃魔術が魔術訓練中だったマリドゥを危うく殺害しかけた。僕が防護魔術を起動させていなければ、どうなっていたか……!」


 クラット様が幼いながらも殺意を満たした瞳で、わたくしを睨み付けてきます。

 なるほど、七日前の授業中。それは確か……。

「七日前の授業中であれば、わたくしは国王陛下の呼び出しを受けて、早急に宮廷へ向かった時ですわね。わたくし、呼び出しを受けて真っ直ぐ向かい、送迎用の馬車に乗り込んだので、訓練中のマリドゥ嬢を殺す余裕はありませんわよ」

「は?」

 ぽかんとクラットが口を開ける。


「わたくしの行動は王家によって記録されていますし、門番などによる目撃証言もあるでしょう。魔術訓練の場所は、校内でしたか?」

「い、いや。屋外の……特殊訓練場……」

 クラットが口をもごもごと動かす。

 ……屋外の特殊訓練場といえば、基本的にクラット様以外は使用不可能な場所ではなかろうか。

「つまり、クラット様とマリドゥ様は屋外の特殊訓練場で二人きりで訓練していた、と。クラット様、婚約者がいらっしゃるのに、マリドゥ様と二人きりで長い時間を過ごすのは、いかがなものかと」

「ち、違う! 僕はそんな不純な……!」

「まあ、それはクラット様の問題ですので。いずれにせよ、わたくしが攻撃魔術を放ったというのは有り得ませんわね」

 クラット様はもごもごと口を動かしていたが、やがてふて腐れたように目を逸らした。


 そして、観衆の中から一人の令嬢が進み出る。

「クラット様、よろしいでしょうか?」

「誰だ! 僕は今、忙し――」

「ピオですわ、クラット様」

 クラット様の婚約者、ピオ侯爵令嬢でございますね。クラット様も思いがけない、という感じに表情を凍り付かせています。

「クラット様のお気持ちはよく理解いたしました。婚約破棄の手続き、進めさせていただきますね」

「いや、それは、待って、ちが」

 慌てて言い訳を始めるクラット様だが、時すでに遅し。まあ、後はお二人でごゆっくりお話しくださいませ。


「……俺は、マリドゥのカバンに入っていた私物が盗まれた、と聞いているが……」

 うろんなことを、ゲラウド様が言う。

「それはいつ、どういう状況なのですか?」

「……どういう状況だった?」

 ゲラウド様がマリドゥ様に尋ねる。


「ええと、確か五日前だったかしら。うん、そう。置き忘れたカバンから私物のハンカチがなくなっていたの! 怖いと思わない?」

「怖いな。……という訳だ」

 頭が痛い。根拠すらないではありませんの。

「動機すら見当たりませんが、反論させていただきますわ。五日前、わたくしはそもそも学園に来ておりません。王城で王妃教育を受けておりましたので。証明する方は王城勤めの教師、バラム先生ですわ」

 ゲラウド様に冷たい視線が降り注ぐ。彼はああ、とかうむ、とか生返事をすると、無言で一歩下がった。


「これで終わりですか、バーラード様」

 わたくしの言葉に、バーラード様は怒りに顔を歪ませた。端正な顔立ちが台無しですわね。

 さて、残るはキース様。彼は薄笑いを浮かべて、こちらを見やる。腹立ちますわね、その顔。

「では、最後は私です。ロムアリア公爵令嬢、あなたはマリドゥの母上の形見である宝石を窃盗しましたね?」

「……は?」

「二日前の夕方。あなたは取り巻きであるフラン子爵令嬢に命じてマリドゥの寮部屋に侵入させ、宝石を盗ませた。そうですね、フラン子爵令嬢?」


 その言葉に、わたくしの取り巻きであるフラン子爵令嬢が進み出た。


「……はい。わたくしはロムアリア様に命令され、マリドゥ様の寮部屋から宝石を盗みました……」


 そう来たかー。確かにそう言えば、彼女はここ数日、挙動が妙だった。お茶会でもぼんやりしていたようだし。しかしわたくしだけならともかく、取り巻きに手を出すとはなりふり構わないにも程があってよ。


「フラン様。あなた――」

「申し訳ありません、ロムアリア様!」

 その表情は本当に申し訳なさそうであるが、わたくしに冤罪を押しつけることに躊躇がない。

 わたくしは少し考えて、ああ、と思い至った。

「フラン様、あなたの婚約者は確か宰相直下の文官でしたわね」

「……はい」

 わたくしがキース様を睨むと、彼は肩を竦めた。

 コイツ、婚約者の件で脅しやがったな。

「さあ、どうしたロムアリア! フラン嬢は確かに自白したぞ!」

 そして何も理解していない王太子。

 周囲の反応は……一部はわたくしに好奇の目を向け、大半はこちらの指摘を受けてか、王太子たちへ軽蔑の視線を向けている。


「加えて。証言者をもう一人用意しています。ソールディ子爵令嬢、よろしくお願いします」

「!?」

 キース様の言葉に、さすがに周囲がざわめいた。

 ソールディ・アントラスト子爵令嬢はわたくしたち高位貴族の間でも、ある意味で名の知れた方だ。

 実家が有名という訳ではない。

 むしろ「アントラスト……? それ、どこだったっけ……?」と小首を傾げられる始末である。


 ではなぜ名が知れているかというと、強いのである。そして凄いのである。

 この学園では、国風のせいで男女問わず武芸を学ぶことが求められている。

 わたくしも王妃教育の一環として武術全般に関しても厳しい教育を受けており、男女含めても上位であることは間違いない。


 が、ソールディ子爵令嬢にはおおよそ全てでそれを上回られている。

 剣術とか、弓術とか、最近生み出された銃による射撃術とか。

 唯一、生まれた頃の魔力の多寡で成績が決まる魔術のみ、彼女は中位に甘んじているが、それでも筆記成績はトップ。

 つまるところ学園に一人はいるスポーツ万能の大天才。みたいな感じでしょうか。


 ……問題なのは、彼女が「儚き聖女と星の騎士」の登場キャラクターではないことだ。

 ゲーム本来であれば、学業の上位はわたくしやバーラード様、魔術の上位はクラット様、武術の上位はゲラウド様、主人公は成長システムによる育成次第、というところ。

 ソールディ子爵令嬢はゲームに出てこない人物である。少なくとも、わたくしの記憶している限りでは。


 さて、公爵令嬢よりも成績の良い子爵令嬢ともなれば、当然ながらやっかみがありました。

 が、彼女には何というか、奇妙なオーラがありました。人を畏怖させる何かが。

 それが彼女を取り囲んで詰問するというような行為を忌避させていたのです。

 婚約者もおらず、友人らしき人間と喋ることもなく、ほぼ誰との交流もなく。

 しかし、誰からも一目置かれる奇妙な子爵令嬢。

 ついたあだ名は「鋼鉄令嬢」。

 それがソールディ・アントラストという不思議な少女なのですわ。


「さて、ソールディ子爵令嬢。君の証言が決定打となるはずだ。どうか、真実を証言して欲しい」

「真実、ですか」

「そうだ。先の証言を繰り返してくれればそれでいい」

「はぁ」

 ソールディ様は冷たい、刃のような瞳でこちらを見やる。

 ぞくりとした。

「わたくし、ソールディ・アントラストはロムアリア・アレクサルド公爵令嬢がフラン・トセトラ子爵令嬢から、マリドゥ・ランスター男爵令嬢の母上の宝石を受け取る瞬間を、目撃しました」


 目の前が真っ暗になる。

 鋼鉄令嬢に一目置いている人間は多い。

 彼女の発言はかなりの影響力でわたくしを圧し潰すかもしれな――


「……という虚偽の発言をするよう、先ほどシュタイナー伯爵令嬢を通して、キース・シュラウディス様から強制されました。証言は以上でよろしいですか?」


「…………は?」


 声を上げたのは、わたくしだったか。バーラード様だったか。あるいはキース様だったかもしれない。

 いずれにせよ、彼女の発言が浸透するとあっという間に周囲がどよめき出した。

「な、何を言っているんだ。ソールディ子爵令嬢。僕が? 証言を強制?」

「直接的に関係のないシュタイナー伯爵令嬢を通したところは良かったですが、それ以外は落第点ですね。彼女の実家が困窮しているところに大金を支払うと申し出た、あたりでしょうか」


「まあ」

 思わず呟いた。

「キース様の失敗は、わたくしへの報酬として指輪を提示したことです。しかも質の悪いガラス玉を使った贋作を」

「な、何を言っているか分からないな」

 ソールディ様は突然つかつかと歩き出すと、群衆の中に腕を突っ込み、ぐいと引っ張った。

「痛っ……な、何をなさいますの!?」

 シュタイナー伯爵令嬢が、悲鳴を上げつつ引っ張り出された。

「シュタイナー様、報酬の装飾品をすり替えましたね?」

「ひっ……し、知らないわそんなの! わたくし、何も知らない!」

「別にそれでも構いませんが。シュタイナー様がすり替えた指輪も贋作ですよ」

「え、嘘!?」

 悲鳴を上げたシュタイナー様が、自分の指から指輪を引き抜いた。

「馬鹿ッ……」

 その呟きは間違いなくキース様のものだ。


「本当ですとも。キース様のお父上である宰相様は清廉潔白で有名です。後継者に内定しているキース様が、伯爵の年収に匹敵する価格の指輪を購入できるはずがございません。監視の目が厳しすぎます」

「キース様! ひどい! ひどいわ!」

「ち、違う! 何を言っているんだ貴様ら!」

 シュタイナー様が髪を振り乱して絶叫すると、キース様は慌てふためき、我を失ったように叫んだ。


 バーラード様は何が起きているのか分からず狼狽しているだけ。

「キース様。差し出がましいですが、一言よろしいでしょうか?」

 ソールディ様が、微かに笑った。ひっ、とくぐもった悲鳴を上げたのは、シュタイナー様か。

 すぐ傍にいたわたくしにも、彼女の笑顔が見えた。

 ソールディ様のそれは、さながらカミソリのような笑い顔だった。


「お父上の権謀術数を真似するには、経験も技術も才能も、全てが足りませんわ。あなたができるのは、安っぽい脅迫がせいぜいのもの」

「ふざけるな! 僕を……僕を誰だと思っている! キース・シュラウディスだぞ! おまえがどんなに凄くても、たかが子爵令嬢が……」

「――だから、安っぽい脅迫は止めろと言いましたのに」


「……なんという体たらくか」


 キース様がその声に凍り付いた。

「ち、父上?」

 狼狽しきった声。父上、すなわち宰相であるドラウコス様がいらっしゃったようだ。

「低頭せよ、陛下のおなりである!」

 その声に、王太子であるバーラード様と彼にしがみついていたマリドゥ様以外の全員が、礼をした。

「よい、楽にせよ」

「父上! 私は――」

「王太子、静粛に。陛下の御前ですぞ」

 すかさずドラウコス様が制止する。バーラード様もさすがにその雰囲気に圧されたのか、口ごもって目を伏せた。

 国王陛下が頷き、口を開く。

「事の次第は、既に承知だ。ロムアリア嬢より報告を受けておる。――まったく、厄介なことをしてくれた」

 陛下の目は鋭く、声色にもおおよそ容赦がない。

「い、一体私が何を」

「痴れ者が! 周囲を見るがいい!」

 その言葉にバーラード様は、慌てて周囲を見回す。そこにあるのは、王太子でありながら不貞を働いて反省もなく、婚約破棄を宣言した挙げ句に、冤罪を被せようとした男に対する、軽蔑と失望の視線だ。


 そしてそれはもちろん、キース様にも注がれている。クラット様とゲラウド様にもだが、キース様に対しては一層厳しい。

「失望したぞ、キース」

「ち、父上?」

「だが幸運だったかもしれん。お前のような無能に国を任せられぬと気付けてな」

「ひあ?」

 無能という言葉にキース様は口をぽかんと開けた。恐らく、人生で一度も聞いたことがない罵りだろう。

 それが尊敬する父親から、というのが一層の衝撃だったようだ。

 キース様が状況を理解できないまま、ドラウコス様は陛下に深々と頭を下げた。

「陛下。キースは廃嫡といたします」

「よきにはからえ。バーラード、汝の処分も追って下す。そこの男爵令嬢と共にな」

「しょ、処分ですと!? 一体なぜ……!」

「つくづく呆れ果てたわ。身勝手な婚約破棄に留まらず、冤罪を被せるとは」


 陛下の視線は極寒である。ちなみにわたくしが思うに、バーラード様が責められているのは冤罪を被せたことではなく、冤罪を立証できなかったことに対してだ。


 陛下はそれほど甘い人間ではない。わたくしに冤罪を被せるのであれば、証拠という証拠を盛らなければならなかった。


 まあ、キース様は良い線を行っていたかもしれない。ソールディ子爵令嬢が彼のそれを上回る冷徹さを持ち合わせていなければ、あるいは脅迫に屈しない人間でなければ。


 がくりと膝を突くバーラード様。寄り添い続けるマリドゥ様の表情は呆然としていて、「どういうことなのよ。おかしいわ、ゲーム通りじゃない」とヒステリックに叫んでいる。


「皆の者。すまないが、これから急を要する話し合いとなる。パーティは後日、やり直しとさせてもらいたい」

 その言葉に、卒業生たちは仕方ないかという感じで顔を見合わせる。

「ロムアリア嬢。すまないが……」

「ええ、参ります」

 さて、これから改めて話し合いだ。一連のやりとりから考えるに、ソールディ子爵令嬢も立ち会うべきだろう。

 そう思ってソールディ様に顔を向けて――

「え?」


 先ほどまでそこにいたはずのソールディ子爵令嬢は、霞のように姿を消していたのです。





 ――さて、後日の話。

 わたくしは婚約破棄を了承し、賠償金を王家から思う存分ふんだくらせていただきました。


 バーラード様は王太子から降格。死罪こそ免れたものの、幽閉処分を受けることと相成りました。少なくとも表舞台に出てくることは、もう有り得ないでしょう。


 キース様は廃嫡処分。その後、毒を呷った……という話であるが、恐らくは宰相様による口封じだろうと、わたくしは考えております。


 クラット様は婚約破棄の後、魔法封じの環で魔法を封印された。魔法の技量が全ての価値観だった彼には、死ぬより屈辱的でしょうね。


 ゲラウド様は行方不明、そして何とマリドゥ様も行方不明になっていました。

 ……もしかすると、あの二人は連れ立って逃避行にでも走ったのでしょうか。


 フラン様は残念ながら学園から退学せざるを得ませんでした。ただ、お父上が巻き込まれ処分されることは回避できたのが不幸中の幸いでしょうか。

 ともあれ、婚約破棄騒動は一件落着、のはずなのでございますが。


 ソールディ子爵令嬢は、姿を消したままなのです。

 いや、それどころか空前絶後の事態が発覚いたしました。


 ソールディ子爵令嬢は、この世に存在しない人物だったのです。

 自分でも何を言っているか分かりませんが、王家の調査でソールディ子爵令嬢は、十七年前――要するに、生後すぐに亡くなっていたことが判明いたしました。


 王家に呼び出されたアントラスト子爵は自分の娘と称する人物が学園に通っていたことに仰天していたとのことです。

 念のため子爵の背後関係を洗ってみたものの、不審な点は皆無。


 彼女が偽の令嬢であったことは、確かな事実。

 でも、それならどうしてわたくしを庇ってくれたのでしょうか。

 あの時、バーラード様やキース様に唯々諾々と従うこともできたはず。


 学園を卒業した形となったわたくしは、幸いにも新しい婚約者を見つけることができました。

 幸福な毎日、幸福な生活。

 王家と縁遠くなったこともあり、わたくしは貴族として比較的気楽な人生を送っていると思います。

 そうして、ふとした拍子に思い返すのです。

 ソールディ・アントラストという名の、謎めいた少女を。





 かつてソールディ・アントラストと名乗っていた少女は、自分が奇妙な世界に転生したものだ、と思った。

 チグハグな文化レベルの国々、前世には存在しなかった魔法の存在、日本語を基礎とした言語体系。


 少女はゲームの存在を知らないまま、前世の記憶と経験を活かし、己のルールを遵守して必死に生きるしかなく。


 彼女は覚えていないだろう。

 自分が投げかけた言葉を。与えてくれたものを。


 ――あら、まあ。ひどい様ですわね、あなた。

 ――救って上げられるのは一度きり。わたくしの財とて、無限ではないのです。

 ――偽善? ええ、ええ。お父様、そんなことは理解していますとも。

 ――それでもわたくしは、可能性を信じたいのです。気紛れに救った誰かが、幸福になることを。


 幼いロムアリアの気紛れと偽善に救われて以来、少女は決意していた。

 受けた恩は、必ず返す。救われたならば、必ず救う。


 少女は呼吸を速やかに整えて、スコープを覗き込んだ。その先には、標的であるマリドゥ・ランスターの顔。

 ゲラウドと連れだって隣国へ逃げるつもりだろう。

 それだけなら見逃してもいい。だが、彼女の執念深さを学園生活を共にした少女は知っていた。


 マリドゥは間違いなく、いつかロムアリア・アレクサルドに復讐しようとするだろう。それが逆恨みであったとしても。


 だから、少女は名を捨てて身分を捨てて、森の木々に隠れて、自分で作り出した狙撃銃を構えている。


 少女は引き金を引いた。

 ロムアリア・アレクサルドに幸福あれと祈りながら。

 吹き飛ぶマリドゥ・ランスター。ゲラウドは隣にいた少女の命が突然奪われたことに、呆然としている。

 命を懸けて守ると誓ったのだろう。

 命を懸けて愛すると祈ったのだろう。

 その誓いを無意味にするように、少女はもう一度引き金を引いた。

 ゲラウドが倒れ、後には死体が二つ。


 少女にとって、もう死体に意味はない。何の関心もなく、背を向けて歩き出す。

 その様は鋼のように冷たく、硬く、鋭かった。


 ――あなたの幸福が、わたくしの幸福なのです。ロムアリア・アレクサルド様。


 鋼鉄令嬢は、静かに笑った。



読んでくださってありがとうございます。

どうか点数をつけていただければ、感謝の至りです。

日間恋愛異世界転生/転移ランキングデイリー1位! 本当にありがとうございます!

誤字報告ありがとうございます、いくつか修正させていただきました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] これはカッコいい!ラストが最高です。 それにしても前世は何者だったのか…… 子爵令嬢を偽る辺りはエージェントとかだったのかも?
[良い点] かっこいい!!の一言です。
[一言] ラストがスカッと!!! ソールディさんはグリーンベレー上がりのスナイパーですね!
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