放課後
肉厚のあるハンバーグに、気持ち程度に添えられたニンジン、ポテトと、一房のブロッコリー。見栄え良く敷き詰められてはいるが、おそらくご飯の量は少なめである。タンパク質と脂質に偏っていそうだったが、夕食としては十分に満足出来る品だろう。綾人は手に取った弁当の値段を見て、財布の中身を確認した。大事にしていた千円札が一枚と、小銭が少々。
栄養表示が目に入ったが、やはりPFCバランスは決して良いとは言えない。約600円という全財産の半分近くの大金をはたいて購入するには、さすがに気が引けた。
ポケットから取り出した携帯を開くと、現在時刻が18時36分と表示されている。……もう少し遅く来るべきだったか。ここのスーパーは午後9時を回ると、店員が割引シールを貼り始め、売れ残りの惣菜や弁当が半額になる。数時間経ったくらいで腹を壊す程食材が劣化するわけでもあるまいし、どう考えてもそれから買った方が得だった。
まあ、だとしても、この弁当がその時間まで売れ残っている保障はない上に、いつ帰ってくるか分からない伯母の帰宅を考慮する必要も出てくる。
自分が家にいても良い顔はしない癖に、夜遅くまで外を出歩いていると、それはそれであからさまに伯母は不機嫌になる。養われている立場の人間が、好き勝手に遊び呆けているのが気に食わないのだろう。
綾人は弁当をそっと陳列売り場へ戻した後、戦利品無しで家へ引き返すか、はたまた他の商品を見回るか迷った。
ざっと冷蔵庫の中身を拝見した限り、ろくな品揃えではなかった。だからこうして食料調達に赴いたのだが、今思えば残り物の一つ一つを良く見たわけではない。米は炊くにしろ、おかず代わりになるものはあっただろうか。
去年まで伯母は外食は殆どせず、夕食は家で自炊をしていた。あくまでついでという体ではあったが、ちゃんと二人用意してくれていたので、以前は綾人がこんな風に困る事はなかった。伯母が作る料理は特段上手いというわけではなかったが、主食、主菜、副菜を意識したバランスの優れた食事ではあった。だから、変に栄養が偏ることもなく、細身ではあったが綾人はそれなりの体形を維持出来ていたのだ。喧嘩に負けまいと身体作りに励んでいた中学生の綾人にとって、栄養面を気にする必要のない恵まれた環境だった。
しかし、最近伯母は食事をどこかで済ませて深夜に帰宅することが多い。綾人の食事に関しては、小遣い兼昼食代である、朝ダイニングテーブルに置かれている500円玉のみで、朝食も夕食もほぼないに等しかった。
そのお金を浮かしたりして、なんとかやりくりしながら綾人は今に至っている。
家にある物を勝手に使って料理はして良いとの許可は得ているが、いつも肝心の材料がないのだ。おかげでカロリー不足に陥り、体重が緩やかに減少し始めている。脂肪だけでなく、筋肉も落ちている実感があった。いかんせん、スーパーに立ち寄れば、食品の味よりも栄養価に目が行く日々である。
……調味料は一通り揃っているから、最悪具無しの味噌汁でいいか。
そう妥協し、綾人はスーパーの出口の自動ドアの前に立った。が、ある人物が目に止まり、綾人は隠れるように店内へと戻った。レジ付近の窓から、外の様子を伺う。
瑞希だった。他地域の学校の制服を着た男と話をしているようだ。男はこちらに背を向けているので顔までは分からない。構図からして一瞬彼氏かと思ったが、よく考えてみれば状況がおかしかった。
綾人は瑞希と高校で初めて出会ったわけで、言うまでもなく瑞希は地元の人間ではない。入学と同時に近所に引っ越して一人暮らしを始めたという事もなくはないが、綾人は瑞希が登下校で電車を利用しているのを見かけていた。前者はまずないと判断して良いだろう。そうして双方の通っている学校と現在地を加味すると、これが逢引現場というには少々無理がある。
ということは、十中八九、地元民のナンパだろう。まあ、端正な顔立ちの瑞希に男が寄ってくるのは、ごく自然の流れなのかもしれない。
今は放課後を遥かに過ぎた時間帯であったが、瑞希のその後の行動には明るくなかった。部活、バイト、用事など色々あると思うが、それに関しては全く見当がつかない。A高の部活は自由加入という方針で、当然綾人は帰宅部だった。故に、その日の最後の授業の終了と共に家に一直線の綾人には、同じクラスメイトの事でさえそこら辺は不明瞭なのだ。気にかけている瑞希の事ですら、綾人は何一つ知らなかった。
そんな思考を巡らせながら、改めて二人を注視すると、心なしか男の方が威勢が良く、瑞希は若干尻ごみしているように見える。
「……」
綾人は俯き、眉間に指を当てて悩んだ。初めはいつものように、見て見ぬ振りをしようと思ったのだ。綾人はそれが例え意中の相手だったとしても、他人事におせっかいをする性質ではない。現時点では一方通行のように感じるが、実を結ぶ可能性がゼロということはないはずだ。人の恋路を邪魔するのなど、以ての外である。
それに、どの面を下げて割って入れというのだろうか。例え目的が救済であっても、下手をすれば自分はしつこいナンパよりも関わりたくない風貌をしている。
……やはり、放っておくのが吉である。そうして綾人はもう一つの遠い出口の方を見やった。
しかし、視線を外す瞬間、離れて歩き出そうとした瑞希に回り込む男の姿がちらりと映り、綾人はピタリと足を止めて、口元に禍々しく弧を描いた。
(……お前なら、話は別だ)
そう、ナンパをしていた男は昔綾人に暴力を振るっていた中学のクラスメイトの一人だった。綾人は不良達のスタイルのそれのように、ポケットに両手を突っ込んでゆらりと前屈みになる。もはや瑞希がどう思うかなど眼中になかった。今にも襲い掛からんとする殺気を放ちながら、綾人は二人の元へと向かって行った。