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パラドックス  作者: 柊
《SCENARIO:H》 ー盟約ー
3/9

入学式


 だだっ拾い体育館の会場が大勢の人で溢れかえっている。いくつかのブロックに分けられ、ずらりと立ち並ぶパイプ椅子の前列に、綾人は退屈そうに座っていた。


 入学式も中盤に差し掛かった頃で、来賓達の祝いの言葉が次々に述べられてゆく。既に学校長の式辞辺りで綾人の忍耐は限界に達し、一応初日なのだからと柄にもなく正していた姿勢は、少々行儀の悪い崩れ方をしていた。


 ……正直こういうのはうんざりなのだ。たかが顔合わせ程度で、いちいち畏まった場を設ける必要性はあるのか。


 綾人はぶっきらぼうに視線を周囲に泳がせた。会場に居る誰もが静まり返り、粛々と壇に立つ者に耳を傾けている。


 こうした堅苦しい式場を見ると、両親や伯父の葬式を思い出してしまう。子供ながらにおぼろげに覚えている、蔑みと憐みの目の数々。その中で一際目立った伯母の責めるような眼差し。気鬱な沈みきった空間で同じように悲しみに浸る事を許されず、憎悪の矛先を向ける罪人として招かれたようだった。


 どろりと心を覆う不快な忌まわしい記憶に、綾人は小さく嘆息しながら背もたれから身体を少し下へ滑らせる。……そういえばさっき受付でも嫌な思いをした。当たり前のように親を連れる新入生達に紛れた、一人だけの自分。案内人のあの怪訝な表情は、どちらに対してのものだったのか。 


 外見については慣れたが、身内の事情については未だに耐性が付かない。その事に向き合うと、忘れかけていたロクでもない出来事すら頭からどんどんとひっぱり出してきてしまう始末だ。綾人は一度悪い方へ傾いた思考は中々元に戻らない性質だった。


 肩慣らしの一日目にして、なぜこんな気持ちにならなければならないのかと、綾人はずり落ちた背中を戻し、一度負の連鎖を断ち切るために感情をシャットアウトする。そうして無理矢理白紙に戻した後、気分転換に今日も見たあの夢の事を考える事にした。


 頻繁ではないが、時々見る同じ内容の夢。夢によくある俯瞰した視点であるのと、登場人物全ての姿がはっきりとしないのもあって断定は出来ないが、多分あの少年は自分だ。


 そしてなんの根拠もないのに、もう一人の主役であろう少女に、この現実のどこかで会った事があるような気がしていた。


 どうして少女の死を見届ける同じ夢を定期的に見るのか、無作為にしてはいささか不可解である。しかし実体験など皆無であったし、そうでなかったとしてもあの状況に覚えがない。


 まあ、きっと記憶の片隅に残っていたドラマや漫画などの創作物のワンシーンが反映しただけなのだろう。結局そういつもの答えに落ち着き、綾人は次の暇つぶしの主題に頭を悩ませた。


「――在校生代表、今庄翔真(いまじょうしょうま)


 そうこうしている内に式は着々と進み、新入生歓迎の言葉を締める声が響き渡る。綾人は現実逃避した思考を中断し、壇を見上げた。


 清潔感のある短髪で、人当りの良い顔立ちをした上級生が深々とお辞儀をしていた。隙のない自信に満ちた面持ちだ。世間の学校行事にあまり詳しくはないが、こういった場で発言する代表者は大体が生徒会長であろう。数多の視線を正面から受けてなお、物怖じ一つ見せず毅然とした態度。他者に対して、綾人とは違った本物の余裕というものを持ち合わせているようだった。いけ好かない様子で、綾人は眉を潜める。


 一番嫌いなタイプだ。立場上表向きに取り繕っているだけかもしれないが、それならそれで腹黒さを感じてどっちにしろ性格が合いそうになかった。


「続きまして、新入生代表からの挨拶に移ります」


 堂々とした姿勢で席に戻る上級生を目で追っていると、今度は自分達の代表が返しの言葉を贈るようだった。おそらくはこちらも優秀な人材が選ばれるはずで、入試試験の首席辺りが役割を担うのだろう。といってもここは文武において平凡な成績の中学生が目指す、良くも悪くもない平均レベルの普通高で、人より勉強やスポーツに秀でた者が通う所ではない。だから、特別目を見張る程の人物でもない、ということだ。


 綾人はただ地元である事だけを考慮しただけだった。勉学に意味を見出せなかった綾人には、どの道丁度良い偏差値の高校だったが、もしもここの入学難易度が高かったとしても、それに応じた努力はしていただろう。伯母にこれ以上負担や迷惑をかけず、家からなるべく早く巣立つ事。それが綾人にとって第一の優先事項だった。


 そんな動機で選んだとはいえ、多少気にはなった。学年トップは果たしてどんな人間なのだろうか。暇を持て余した綾人に、僅かな好奇心が湧いた。


「新入生代表、藤阪瑞希(ふじさかみずき)


「はい」


 体育館全体によく通る凛とした声音と共に、近くの新入生が立ち上がった。綾人はいかにもな男子の姿を予想していたが、反して実際は長い黒髪を背中で束ねた女生徒だった。


 呼ばれた女生徒は、先程の上級生に負けず劣らずしっかりとした足取りで壇に上がってゆく。壇の前まで来るとくるりとこちらに向き直り、女生徒は長い髪を垂らしながらゆっくりと頭を下げた。


 突然ドクンと、大きく胸が高鳴った。綾人は思わず目を大きく見開いてしまう。


 眉を僅かに見せる、切り揃えられた見栄えの良い前髪。その下にある、小さめの顔に釣り合う程よい大きさの瞳が、綾人を鋭く貫いた。


(なんだ、これは……?)


 色白で女性らしさを前面に出した華奢で綺麗な両手が、設置されたマイクの向きを口元へ合わせる。顔のどこを切り取っても欠点がなく、かつそれら全てが個々に反発することなく見事に調和の取れた、完璧な美貌。小柄な女生徒の背格好に合った、日本人ならではの控え目で柔らかな美しさがそこにあった。才色兼備とはまさにこのことを言うのだろうか。彼女を見た誰もがその姿に太鼓判を押すに違いなかった。


 ……いや、それは重要ではないのだ。今問題なのは、突如芽生えたこの激しい感情。強く締め付けられるような痛みを、綾人は感じていた。


 なぜか無性に惹かれ、いてもたってもいられない想いが駆け巡る。


 一目惚れ?


 断じてありえないと、綾人はおもむろに否定した。綾人に限っては、ただ容姿が良いというだけで異性に好意を抱くはずがなかったのだ。


 大人達の顔色を伺う幼少期を過ごしてきた綾人にとって、人間のある程度の本質を見抜く事は比較的容易だった。その洞察力のせいで、深読みした決めつけの憶測が常に付きまとった。


 真摯に接しているようでそれは建前だ、とか、優しい素振りを見せておいて実は周りの評価の為の計算だ、とか。


 そうやって想像の中でとことん相手を貶めていき、期待の数値をゼロにする癖がある。思えばそれは自分の脆弱だった心を守る為の保険だったのかもしれない。


 そんな事を繰り返していく内に、綾人は根っからの悪人よりも、外見や外面の良い人間の方が信じられなくなっていた。先程の上級生が良い例だ。


 だというのに、彼女に対するこの反応はなんなのか。ただ模範をなぞっただけの挨拶に心地よさを覚え、その作られた笑みに切なさが募ってゆく。


 もはや完全に正気を失っている。常軌を逸した狂い方だ。そう頭では分かっていても、気持ちが言うことを聞かなかった。


 ガタン!


 そこで、女生徒に引き付けられる綾人の視線を断ち切るかのような、大きな物音がした。綾人は反射的に目を奪われ、その方向を見やった。


 近くの椅子から前に転げ落ちて、身体を抱えながらうずくまった同じ新入生の少女。全生徒黒一色に染められた会場に一人だけ浮いたその焦げ茶色の髪が、小刻みに揺れていた。


 少女の呼吸は荒く、全身が震えている。貧血か何らかの発作のようだったが、その様子に綾人は一つだけ心当たりがあった。


 周りの新入生達は驚くばかりで、誰一人手を差し伸べようとはしない。いつの間にか女生徒も挨拶を中止していて、辺りは静まり返っていた。嫌という程に目立つ状況だった。本来なら見向きもしないが、なんとなく他人事ではない気がして、綾人は席を離れて少女に近寄った。


「……過呼吸か?」


 正確には過換気症候群というが、綾人も過去に同種の症状に苦しめられた時期があった。自律神経系の異常で呼吸が正常に出来ず、血液中の酸素濃度が上がってしまって起こる発作だ。原因は様々だが、多くはストレスからくるものなのだという。


「いえ、違っ……、なんっ……でもっ……」


 そう言って綾人に目も向けずに少女は首を振る。なんでもないと言いたかったようだが、その割には明らかに苦しそうだ。


 綾人が屈みながら少女の容態をじっと観察していると、ようやく女性の教員が駆けつけてきた。


「具合が良くないみたいね。後は任せて」


 女性の教員は慣れた手つきで少女の肩を担ぎ、共に会場から退場してゆく。綾人は自分の席に戻りながらその姿を見送った。


 一時的に少女に注がれていた皆の視線が、今度は綾人に集中してゆく。その無言の訴えかけは空気を読まずに先陣を切って偽善に出た事に対してか、はたまた言うまでもないこの醜貌に対してか。


 ……本当に最悪な出だしだ。


 コホン、と小さく咳払いし、女生徒が発言を再開する。もう言い終える寸前だったようで、最後に自分の名を告げて挨拶を締めくくった。


 「藤阪瑞希……、か」


 当然初めて聞く名前だったが、なぜかその響きに綾人の心はざわついていた。


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琴音
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