凶夢
――それは陽炎に揺らぐように、酷くぼやけた光景だった。
おそらくは朝方から昼下がりにかけての時分であろうか、ある一点を囲んで大勢の人だかりが出来ていた。面子は携帯電話を耳にあてたスーツを着た男性、買い物袋を地に落とし口を震わせる若い女性、驚愕の顔をそれぞれ浮かべ悲鳴を上げる学生達、驚きの余り呆然と眺める老夫婦など、様々である。
そんな有象無象を掻き分けて、少年は中心で横たわる一人の少女に駆け寄った。額から出血している所以外は、いつも見慣れている顔だ。恐れていたほど頭の損傷は激しくはない。飛び降りの多くは足から落ちるとどこかで耳にしたことがあるが、怪我の状態から察するに少女もそうして落下したのだろう。そのせいか、手足に関しては骨折が見て取れる程酷い有様だった。
少年は少女から視線を外し、天を仰いだ。目に映るのは高々と聳え立つ古びたマンション。長年強い日差しや雨風に耐えたせいか、全体的に外壁が黒ずんで色褪せている。この何階から少女は落ちたというのか。
救急車のサイレン音がどこからともなく聞こえ始めたが、過度のストレスからか次第に少年の意識は遠のき始め、いつまでも到着することなくこの場と永遠に距離を保っているような錯覚に陥っていた。
激しいトラウマを植え付ける、血のように紅く瞬く光。それが少年の目に焼き付いて離れなかった。
どうしてこんなことになってしまったのか。記憶が酷く曖昧で上手く思い出せない。重度の眩暈と荒々しい動悸に身体は思い通りに動かず、少年は成す術なく思考を闇に落とす。
……これだけは分かっていた。少女を追いつめたのは、紛れもなく自分だ。いや、それは正確には間違いであるように思う。己の認識に、直接的な罪の意識はなかったからだ。ではなぜ、こうも責任感に捉われ、少女の死に対して罪悪の念にかられるのか。
(失いたくない大切な存在だったから?)
そうだとも感じる。だが、何かが違うのだ。少女とは言葉では表せない何らかの関係があるような気がしてならなかった。そしてこの胸に渦巻く絶望は、決して手の届かぬ絶対的な因果に向けてのもののようで……。
(……また、救えなかった)
唐突に心にポツリと浮かぶ、その言葉。
そう、自分はまた同じ過ちを繰り返してしまった。……己の時間も、命も、存在すらも。全てを捧げると誓った少女を、この運命から救い出すことが出来なかったのだ。
そうして少年は、この慟哭の記憶と一意の決心を、再び魂に深く刻む。今度こそ忘れない為に。
もう間違わない。ここから解き放つべき、少女の名は――。