少しだけ、待ってほしい
俺は再びのビスク襲来を警戒していたが、どうももうフォラグレイン大陸にはセーブポイントが無くなったのか、港には静かな熱気がゆらめくばかりだった。
カトレアさんも近くに勇者がいないのを感じ取ったかのように武装を解除している。手甲は塵のように消え、炭化した手に戻っていた。
「さ、これでお家に帰れますね。丁度乗り手のいなくなった船もありますし、お2人はあちらでどうぞ」
白い手袋を嵌め直しながらカトレアさんは1隻の舟を示す。
……これ、ビスクが乗ってきたやつなんだろうな。乗るやついなくなったって言ってるし。
助けてくれた人に言うことでもないが、あの銀の災厄の奥さんだけあって結構いい性格してるな……。
「あ、食料もある」
「まあ幸先の良い。カーナちゃんと仲良く分け合って食べるんですよ?」
ビスクはこの大陸に長居するつもりはなかったのか舟の中には食べ物が置かれたままだった。
勝手に食べるのもどうかとは思うけど、まあ本来食うはずだったやつが戻ってくるの待ってたら腐っちゃうかもしれないし、気にしないでおくか。
カーナはもちろん、魔王の力に目覚めた俺もお腹は減る。しかしこれだけあれば孤児院に帰るくらいまでの船旅もなんとかなりそうだな。
「……。孤児院に、帰るのか……」
最後に残した言葉から考えて、ビスクは俺の暮らしていた孤児院で待ち構えているはずだ。
俺以外には手を出さないような事を言ってもいたが、あんなやつの言葉なんて信頼できないし、シスターたちを守るためにも帰らなくてはいけない。
……帰らなくては、いけないんだけれど。
「……」
「ザック様……?」
海に映る自分の体を見つめる。
青い肌に、ねじくれた片角。異形と化してしまった俺はまだ、シスターたちにも、パーティを組んだ仲間であるリィンたちにもこの姿を見られたくない。
一言で言えば……まだ帰りたくない。
子供っぽいことこの上ない話だが、もしもこの姿を見たみんなから拒絶や、嫌悪の感情を向けられた時の事を思うと、足がすくむのだ。
嫌われたくない。元の姿に戻るか、決心が付くか。それまでの間、せめてもう少し、時間が欲しい。
「……おやおや、もしかして家を飛び出して来ちゃったのって、私だけじゃなかったのかな?」
「っ、カトレアさん」
しまった、何も言いはしなかったが、何を考えていたかは顔に出てしまっていたのかもしれない。
仲間を見付けたようなカトレアさんは「しかたないですねー」と言いながらポンと小さな胸を叩いた。
「事情は知らないけど、このカトレアさんにお任せなさーい。お家に帰りたくないザックさんに代わって、同じくまだ帰りたくないこの私があなたのお家を守りに行ってあげましょう」
「え、いいんですか、そんなの!?」
「ずっとはダメですけどね。私もしばらくしたら夫に会いたくなると思うので。せいぜい1か月くらいですね」
1か月か。……それだけあれば、例え元に戻れなかったとしてもせめて覚悟を決める事はできるだろう。俺は心から感謝してお願いすることにした。
「……俺に決心するための時間を作ってくれて、ありがとうございます。いつか、お礼をさせてください」
「いいですよそんなの。代わりにカーナちゃんと観光旅行デートでもしてきてください」
「カトレア様……!」
「観光旅行かぁ」
露骨に反応するカーナを尻目に、後半3文字を聞かなかった事にしながら俺は繰り返す。
そうだな、この機会に人間の姿になれる方法を探りつつ行ったことのない島に行くのも悪くないかもしれない。
「オススメはここからずっと北に行った所のおっきな大陸ですよ! メルキオっていう国があるんですけど、きっとビックリしますよ、ビュンビュンなので!」
「ビュンビュン……?」
よく分からないが、カトレアさんは熱量高くメルキオという国を推してきた。
期限付きだがビスクの事を引き受けてくれるというし、せっかくだから彼女のオススメに従うのもいいかもしれない。
そう考え、俺はカーナと共に北へ、メルキオという国を目指して舟を漕いでいくことにした。




