魔王の死んだ日
「異世界を救う勇者になってみたくはないか?」
その言葉を日本で生きていた頃の俺にいきなり投げかけてきたのが、銀の災厄だった。顔は隠していたが、声も体格もあの時見たやつだ。
あの時の俺はその誘いに簡単に乗り、異世界へと連れて行かれた。
騙された、なんて感覚はそのころ抱かなかったな。仲間を増やして、世界を旅して。魔物や、それを産みだしたっていう魔王との戦いは、危なかったけれど、楽しかったと思う。
冒険の最後に魔王配下の四天王を突破して、魔王も倒して、ちゃんと世界の平和を取り戻せたし。
……だが、その後だ。
魔王を倒した俺の前に、また銀の災厄が姿を見せたんだ。
あいつは、俺を元の世界に返してくれるって言っていた。俺の仲間になってくれたやつらと一緒に。
……そして、今度は俺たちが魔王と、その配下にされた。
魔法で精神と肉体を弄り回された俺たちは人ですらなくなり、俺が住んでいたはずの世界を自分の手でめちゃくちゃにしてしまったのだ。
そんな俺たちの最期は……まあ、最初に説明したような流れだった。
勇者に殺された俺は、こうしてこの世界に転生したのだ。
「……答えろよ、お前が俺を……俺たちを、死なせたあいつなんだろ」
海に漂いながら、銀の刃を決して逸らさずに問う。俺を勇者にして、魔王にして、勇者に殺させたのがお前なのかと。
トルフェスたちも、『銀の孤児院』の誰もが恐怖で動けなくなる中、俺は恐れることなく災厄を見据える。
銀の災厄は欠片も驚いた様子はなく、俺の質問へ冷静に返した。
「波乱万丈の人生だったよなあ、ザック。……いや、魔王ハインザック」
「ッ……!!!!」
その言葉に、俺は歯を食い縛りながら魔剣を振り抜く。
ようやく見つけた。俺が復讐するべき相手は、こいつだ。
「どうしたよハインザック! そんな所で振り回したって、俺には届かないぞ!」
復讐の相手は思い出した。だというのに、魔剣は俺にその真の力を貸してはくれない。未だ、切れ味のいいだけの剣だった。
我も忘れ、海上を歩いてかわし続ける銀の災厄に剣を振るう俺。それを止めたのは、トルフェスの手だ。
「て、撤退だザック! それ以上は……本当に殺されるぞ!!」
顔面蒼白、いまにも気を失うのではないかという顔色をした彼は、俺の手を掴んで暴走を制止してくれている。
彼もまた銀の災厄を恐れているだろうに、俺を連れ戻すため、決死の覚悟でここまで来てくれたのだろう。それを思い、少しだけ理性が戻ってくる。
「トルフェス……。でも、あいつは」
「魔王だか何だか知らないが、銀の災厄が本気にならない内に逃げるんだよ!! あんなものに敵う人間なんか、誰もいないんだから!!」
「ははははっ、随分と怯えて、可愛いもんじゃねえか。優しいお仲間がそう言ってくれてんだ、従っておけよハインザック」
有無を言わさず、俺はトルフェスと一緒に一番近くの船に乗り込む。その光景を、災厄は愉快そうに眺めていた。
シックスと魔術師たちに引き上げられながら、俺は再び船上で銀の災厄を睨む。
「さっきからハインザックハインザックって言いやがって……! それは魔王だった時の名だッ! 俺の、本当の名前は……!」
もっと前。俺が勇者だった頃の名を叫ぼうとして、何も出てこない。
……思い出せない? いや、違う。魔王として呼ばれていた時の名前が、俺の本当の名前だった、そんな気がしてくる。
「ッ!? ち、違う……!! ハインザックじゃない、俺のッ、俺はッ!!」
「……魔王にする時色々弄ったからな。もうお前の中に人間だった時の名は、残ってないはずだ」
「そ、そんなわけないッ!! 俺が……人間だった、時の……」
『ざ、ザック……? 大丈夫なの? その、頭のそれ……』
「え……?」
どれだけ必死に思い出そうとしても、過去に人間であった時、なんて呼ばれていたのか、思い出せなくなっている。全てを思い出したと思っていたはずだったのに、名前だけが出てこない。
そこに、シックスの息の詰まるような声がかかった。頭に何があるのか、と触ってみる。
すると、左側の側頭部から何かが飛び出ているのに気付く。ごつごつとした、それは角のような感触だ。
同時に腕を見てしまう。それは人の肌の色ではなく、真っ青な、そう悪魔とか、そう呼ばれるのが相応しいようなものに変化していた。
「なっ、何だよこれ!?」
「昔の事を思い出して、体も昔を思い出してるんだろうな。……どうよ? なんか懐かしい感じするだろ?」
銀の災厄が言うそれに、俺は魔王と、ハインザックと呼ばれていた時の姿を思い出す。
鏡で見たことがある。青い肌に金色の瞳。頭部からはねじくれた黒い双角を生やしていたあの時の姿。片方は、勇者に斬り落とされたせいか今は片角になっているようだ。
そして、俺自身がこの状態を懐かしいな、と思ってしまった。……それが、どうしても許せない気分になり、
『えっ!? ザック!?』
「おい、どこ行く気だ!!」
これ以上、こんな体を仲間たちに見せたくない。
そう思ってしまった俺は、海へと飛び込んでみんなの前から泳いで逃げてしまった。