消えた山岳
「そ、そんな……消えてる……!?」
夢から覚めた俺はすぐさま孤児院を飛び出し、街まで行った。
まさかとは思うがこの街を消すつもりなのか……と不安でいっぱいだったものの、それは杞憂で終わった。
街は無事だった。……まあ、すぐに異常には気付きもしたのだが。
街の通りから辺りを見回すと、西の方角がやけにさっぱりしているのだ。そっちは確か遠方に山岳地帯があったはずなのに、何も見えない。
さらによく見てみると俺と同じように道行く者の中には足を止めて西方にあったはずの山を探している者が何人もいた。
想像は付くけど、何があったのかを彼らに聞いてみる。
「あの、何があったんです?」
「お前は……シルバー級の」
俺が声をかけたのは冒険者であったらしい。俺のランクを知っている彼は快く話を聞かせてくれた。
「銀の災厄が現れたんだ。空から、禍々しい銀を纏い流星のように山へと落ちてきたヤツは、そのまま山岳を喰らっていった」
やはり俺も考えていた通り、あの山を消したのは銀の災厄であったらしい。
……そして、出現のタイミングからして間違いなくあれは女神様、なのだろう。
「……しかし腑に落ちないな。銀の災厄が現れるのは決まって都市部であったはず。人の命を奪うために出現するような存在が、なぜあんな人間のいない場所へ現れたんだ……?」
「お、脅し、とかですかねぇ……」
「脅し? ……ううむ、そんな生易しい事をする相手だとは思えないんだが……いや、しかし今はこの街まで迫ってこなかった事を喜ぶべきか」
「そ、そうですよねぇ」
聞きたい事も聞けたので、俺はその場を後にする。どうやら銀の災厄は既にどこかへと帰っていったらしい。
話しかけた冒険者の人は俺の話を真に受けてはいないが、これはどう考えても俺に対するメッセージだろう。
あれが本当に女神様なのか、それとも女神様が銀の災厄を操ってやらせたことなのかは不明だが、その気になれば直接アレを俺へぶつける事だってできるという脅迫なのだろう。
銀の災厄には、触れる事さえ叶わない。その身体に触れてしまえば、即座に全身が水銀のようにドロドロに溶けて災厄に喰われてしまうのだそうだ。
そして銀の災厄は自身の体を自在に変形させられるらしい。触れれば死が確定するその体を高い波のように伸ばして周囲を押し流せば、誰もそこからは逃げられない。
……確かに、この光景を見せられれば俺も女神様の事を舐めていたというのを実感させられてしまう。
どれほど弱く見えようと、相手は神を名乗る者で、世界最大の災厄として恐れられる存在とのつながりを持つ相手だったのだ。
今になって夢の中での俺の言動が怖くなってきた。あの神はシスターを守りたいだけであって、俺の事はどうだっていいはずなのだ。
もしかして俺、この後殺される?
「そこの君、少しいいかな」
「え、なんでしょう」
前方から俺を呼び止める声がして、そちらに視線を向けた。
そこにいたのは知らない人だ。長い金髪をした色白の美人。全身をゴツい鎧で覆った女の人だった。冒険者の人かな。
「誰……?」
「ああ、私はビスクだ。『不滅の勇者』と聞けば分かるかな」
「勇者……」
ビスクと名乗った見ず知らずの人は、勇者だと名乗った。
奇遇だなあ、俺も前世では勇者って言ってたみたいだし……うっ頭が。それは忘れよう。
「む、知らないか。私もまだまだ努力が足りないのかもしれないな」
「すみません、多分俺が詳しくないだけです」
まさかこの世界にも勇者がいるとは思わなかった。……いや俺のいた世界にはいなかったと思うが。俺のごっこ遊びだろうし。
「それでその、真の勇者様が俺に何の用でしょうか」
「ふふふ、真の勇者か。悪くない響きだ」
そんなつもりはなかったのだが、ビスクという人は俺の呼び方が気に入ったのか嬉しそうに笑う。
「それで私の用事なのだが……君は奴がどこに行ったか見たか?」
「奴?」
「銀の災厄の事さ。この近辺に現れたと聞いて急ぎ参上したのだが」
勇者を名乗るだけあって、強大な災害である銀の災厄を討ちに来たらしい。
正直言って俺はあんなの相手にしたいとは微塵も思えなくなっているので、その勇ましさが羨ましいくらいだ。あ、だからこそ勇者なのか。
「それならタイミングが悪かったですね、もう帰っちゃったらしいですよ」
「……そうか、もっと早く動くべきだったな」
間に合わなかった事を知り、彼女は悔しそうな顔をしていた。事前に銀の災厄を止められなかったのが残念でならないようだ。
「今日はすぐにいなくなったみたいですから、仕方ないですよ。勇者様も頑張って……」
そこまで言いかけて、俺は止まった。
俺って銀の災厄と関りの深い女神様に目を付けられてるんだから、あんまりこの人の事を応援すると女神様からの不興を買ってしまうのでは?
彼女が勇者なら、銀の災厄の立ち位置は魔王だ。そう考えると俺って魔王側の勢力に組してるんだし、協力的な態度を取るのはよくないかも。多分今も見てるもんな。
「ん? どうかしたかな?」
「いや、えっと……倒せるといいですね」
「フッ、任せておいてくれ、私は不滅の勇者なのだからね。アレは必ず私が討ってみせるよ」
俺の言葉に、ビスクは軽く片手を上げて返すとそのまま去っていった。銀の災厄を追いかけていくのだろうか。
一夜の内に地形を変えて去っていくような敵を相手に戦えるようには見えないけど、大丈夫なのかな。まあ勇者を名乗るだけあって何かすごい能力があったりはしそうだが……。
ともかく、俺は銀の災厄、そして女神様の恐ろしさを再認識した。これからはきちんと節度ある対応をするべきだろう。