狼との遭遇
川沿いに南下していった俺の旅は想像以上に順調だった。
通行を妨害するような悪天候や野盗の類いに出くわすようなこともなく、2日ほどはただの散歩のようなものだった。
3日目となる本日からは川は森林の中へと入り込むルートで流れているので、ここからは多少の危険も出てくるだろう。
実を言うと、もうデモンソルジャーにも出くわした。まあはぐれた1匹が偶然ここまで迷い込んできたという感じだったので簡単に倒せはしたが。
デモンソルジャーのランクはゴールド級らしい。当然、俺には難なく討伐できる。
ただ数が増せばその危険度は高くなると俺は思っている。わりとすばしっこかったし、もしゴールド級かその一つ上の冒険者でも多数に囲まれれば危ういかもしれない。
この付近には多くはいないだろうが、魔物の姿を見たということはその群れに近付いてはいる証拠だろう。
不意打ちを警戒する意味も込めて、俺は周囲の物音をよく聞きながら先へと進んでいく事にする。
「フゥーーーーッ、フゥゥーーーーッ……」
森の中を進んでいた時、俺の耳に川のせせらぎと混ざって荒い呼吸の音が響く。
「! 近くにいるのか……!?」
音はそう遠くからしたものじゃない。森の奥の方から聞こえてきたものだ。
魔物が隠れて俺の様子を伺っている、そう一瞬だけ考えたものの、どうもさっき遭遇したデモンソルジャーの声とは似ても似つかない。
その低い声はどちらかといえば人間の発するものに近く思えた。
単に人の声を真似て獲物をおびき寄せるタイプの魔物である可能性もあるにはあるが、どうしてもその声を無視する気にもなれず、俺は音が聞こえた方へと進んでいった。
少しして、その音の主を発見する。
最初に目に入ったのは、残念ながらデモンソルジャー3体の姿だった。やっぱりこいつらの声だったのか……と一瞬がっくりしたが、すぐにその奥に何かいるのが見える。
そこにいたのは女の子だった。狼か犬? みたいな耳と尻尾を生やした銀髪で褐色の肌のその子は、鋭い牙の生えた歯を剥き出しにしてデモンソルジャーたちを威嚇していた。聞こえたのは、こっちの声だろう。
魔物はよく見たら俺ではなく、その子の方を向いていた。どいつも俺の存在など気付いていないみたいだ。
魔物に襲われたのか、女の子はわき腹から血を流している。状況を見るに、あの獣人の子はかなり追い詰められているようだ。
「ふん!」
「ギャァァァァァーーーーッ!!!!」
そうと分かれば迷う必要もない。俺は銀の鞘から魔剣を抜き、背後から3体のデモンソルジャーを一気に横薙ぎにして切り裂いた。
大絶叫と共に紫色の肉塊が6つ地面へ転がった。
剣を鞘に戻し、俺は目を丸くして声を失っている獣人の女の子に声をかける。
「大丈夫だった!? ケガはしてない!?」
「……???」
「あ、してるか……。えっと、君の声が聞こえて、俺は助けに来たんだけど……傷は大丈夫かな」
人のピンチを救ったのなんて少なくともこの世界では初めてなので、俺はどうすればいいのか少し慌てていた。
見れば分かるような事を聞いてしまった俺は、それからリィンに荷物の中に入れるべきだと言われていた応急処置用の薬品があるのを思い出す。
脇腹はデモンソルジャーの爪でやられたのだろう、内臓までは届いていないもののかなり深い傷のようで出血が酷い。
それどころか彼女は足もやられていたようだ。魔物たちでよく見えなかったが、右足には幾度も魔物が噛み付いてきたのかズタズタにされていた。これのせいで動けず、俺が発見した時のような状態になってしまったのかもしれない。
急ぎ、背負っていたカバンの中から治療薬と包帯を取り出し、彼女の元へ寄る。
「っ!? ウウゥ……!!」
「えっ、あ、違うよ、大丈夫だから……!」
酷い傷を見て慌てたが、それはこの子には恐ろしく見えたのか、威嚇の声が俺に向けられた。
「傷、手当させて。安心して、俺は敵じゃないから」
敵意がないことをどうにか言葉と身振り手振りで伝えつつ、少しずつゆっくりと彼女の元へにじり寄る。
このままだと近付いたら引っかかれるかな、とも思ったが、俺の意思はどうにか伝わってくれたのか、彼女の唸り声は次第に小さくなり、そばに行くことを許してもらえた。
「じゃあ先に足から……えっと、これってもしかして先に傷口洗った方がいいのかな。さっきの川まで戻るべきか……?」
「……」
「あ、ごめんね。一旦あっちの川まで戻ろうと思うけど、立てる?」
「……」
「……無理だよね、その傷だと立つのも辛そうだし……っていうか俺の言葉通じてるのかな、ノーリアクションだけどもしかして全部意味通じてなかったりする……?」
女の子は髪色と同じ銀色の瞳で俺の方をじっと見てきて、特に返事はない。
うーん、やっぱり俺の言葉とは違う言語の場所で暮らしていたのかもしれない。どうしたものか。
「……何もしないよりは先に少しでも応急処置した方がいいか。最初に包帯で止血だけして、それから川に……」
「……っ!」
「え、どうし」
一瞬手元に目をやった時、彼女は俺の眼前に飛び込んできた。
そのまま俺の剣の柄に喰らい付き、銀の刃が奪い取られる。
しまった。やっぱり俺の話は何も理解してもらえてなくて、隙を突いて俺を殺すつもりだったのか。
口に魔剣をくわえた彼女はそのまま俺の背後へと左足だけで飛ぶ。
このまま首を落とされるのか、と怯えながらも素早く振り返ると、そこには紫色の肉塊が10個、転がっていた。
「まだ、残ってたよ」
増えた魔物の死体の数からして、2匹のデモンソルジャーがどこかに隠れていたらしい。
俺の剣を器用にくわえたままにそう言った彼女は、魔物たちの死体の上に立っていた。