黒紫の毒獣
リィンの元から更に森の奥へ。10数分くらい走った俺はそこでようやく魔獣を発見する。
敵は4本の足を蜘蛛のように生やし、その全身は紫がかった黒色の泥のようなものに覆われた姿をしていた。
印象としては大型トラックほどある巨大蜘蛛のような生物だが、胴体はナマコのような長い楕円であり、顔はないものの同じく楕円型の口からは鋸のような鋭い歯が無数に覗いている。
「気持ち悪いな、ここから見てるだけで吐き気がしてくる」
全身を覆う黒紫の泥は体内から常に滲み出てでもいるのか常に流動し、魔獣の足跡からは微かに毒を含んでいそうな湯気が立ち上っている。
気付かれないように10メートルほど離れた所から見ているだけで、俺はそのおぞましい姿を見て胃の辺りが締め付けられるような感覚を覚えた。
あと、なんか指先が痺れてるような気もする。
「……。あれ、なんか……いつもより体の動きが鈍い、ような」
手足のピリピリする感覚におかしなものを感じ、ちょっと体を動かしてみる。
一瞬反応が遅れるというか、そんなに重度ってほどではないものの、ぶっちゃけ麻痺してる。
「……め、女神様???? 俺って毒効かないんじゃ……?」
魔獣の撒いた毒はまだ残っていたのか、さっき見た冒険者ほどじゃないものの俺の体にも毒が回っているみたいだ。
シルバー級の俺なら毒とか無効化できると思っていたが、もしかしてそういう話じゃない?
そう思った俺は、女神様が夢の中で言っていた言葉を思い出してみる。
『毒の事なんか気にするな』
そう、女神様は確かに言っていたのだ。毒を気にするなと。
……。あれ?
「効かないとは言ってないじゃん!!!!」
「!?」
思わず叫んだ。まあ死ぬほどってわけじゃないけど、普通に今俺の体は魔獣の毒の影響を受けていた。
そして、その絶叫で魔獣は俺の存在に気が付いたらしい。驚いたように口しかない頭をこっちへ向け、俺を敵と認識して図体の割に凄まじい速度で迫ってくる。
丸太のように太い脚の一本が俺を叩き潰すように振り下ろされる。きっと、あの黒紫の泥は魔獣が放つ毒液なのだろう。空気中のそれを吸っただけで少し麻痺するのだから、直撃すればどうなるか分かったものじゃない。
かなりの速度だったが、やはり女神様から聞いていた通りにプラチナ級程度での速さの話だ。シルバー級の俺には見切れないものではなかった。
魔獣の攻撃を避けると、俺はカウンターとして銀の魔剣を鞘から引き抜き、その勢いのままに眼前に叩きつけられた脚へと斬撃を打ち込む。
流石に両断とまではいかなかったが、魔剣による一撃は魔獣の脚を深々と切り裂いた。
「ヴフォォォォォッ!!!」
「うわッ!?」
魔獣は悶える。絶叫を上げながら俺の目の前でのたうち回った。
思いの外大ダメージなのかと思ったが、そうではないみたいだ。魔獣の口から、体表の毒液と同じ色の霧が爆発的に周囲へ拡散していき、俺もまたその猛毒の霧の中に包み込まれる。
「ッ……」
流石にこの中で呼吸しないようにはした。だがこの霧は触れただけでもその毒に犯されるのか、視界と聴覚に異常をきたす。
近くの物がとても遠くにあるように感じられ、何の音もしていないはずなのに凄まじい騒音が頭の中に響いているような。
シルバー級の俺には耐性があるのか即死するようなほどの威力ではない。だがまともに立っているのすら辛く感じるほどに精神が揺さぶられる。
毒を操る魔獣なのだ。長引かせていいことなんてないのは理解していたが、やはり早期決着を狙うよりほかない。
「うあああッ!」
とにかく俺は銀の剣を振るった。だが遠近感のなくなった俺の剣は魔獣に届かず、それどころか魔獣は既に俺から大きく距離を離していた。
それがヤツの必勝法だということだろう。攻撃された時に致命の威力を持つ猛毒を撒き散らし、毒を浴びた者が死ぬのを待つ。
分かりやすく、そして自身の武器を最大限理解した戦法だ。プラチナ級と推測されるだけあって、非常に賢いのだろう。
俺も立っているのが辛くなり、その場で仰向けに倒れ込んだ。大の字になり目を閉じると、少しだけ気分が楽になった気がする。
そんな俺の元に魔獣はゆっくりと近付いてきた。これまではこうして敵が毒で死んだのを確認して捕食してきたのだろう。
そうだ、これまでは。
「ッ!!」
「ヴォフォォォォォッ!!!」
不快な生暖かい吐息を顔に感じ、俺は銀の剣で魔獣の頭を下顎っぽい部分から貫く。
自分の猛毒に相当の信頼を置いていたのだろう魔獣は俺の死んだふり(マジで辛かったから寝転がってただけだけど)を見破れなかったらしく、無防備に不意打ちを受けた。
最初の一撃の時と同じく猛毒の霧が串刺しになった魔獣の口から噴出するが、暴れまくる敵に構わず剣を右方向へと倒していく。
死ぬほどではないと分かったので魔獣の体に飛びつき、そのまま剣で魔獣の頭をてこの要領で切り裂く。
吹き出す霧と体表の毒液で俺の体はどんどん毒が回っていく。死ぬ予感はしないが、少しずつ意識が飛びそうな感覚が近付いてくるので、気合で乗り切る。
魔獣の頭左半分を切り裂いた魔剣の刃が飛び出し、それに合わせて魔獣の放つ毒霧もだんだんと収まっていく。
すぐに霧は完全に晴れ、そこには仰向けになって死ぬ魔獣の姿が転がっていた。それまでずっと魔獣の体を覆っていた黒紫の泥が流れ落ち、まるで血の代わりかのように大地を染めていった。
さして毒液と色の変わらない本体の皮が姿を現したのを見て、そこでようやく俺も勝利を確信した。
「俺の、勝……っうおおぉ……」
が、勝ちを宣言しようとした途端に俺自身の声が頭に響きめちゃくちゃに気持ち悪くなる。
魔獣を倒したとはいえ、俺の体の毒が一緒に消えてくれたわけではないのだ。
視界もガンガンに揺れるし、とりあえず俺はこの毒が体から抜けるまで、魔獣から少し離れた場所で横になってゆっくりと休むことにした……。