6.伝説の王国
その書物は、私の知らない言葉で書かれていた。
手にした途端ぴしりと固まった私を見て、ジュードは「ああ……」と納得したように言い、淡々と、けれども時々こちらの様子を心配そうに窺いながら、涼やかな声で、その内容を口にした。
『神話の時代には、空にも王国があったという。
雲の王国ヌージュモルンがその一つ。
かつて竜たちが治めていたその国は、あるとき人間の少女を迎え入れたことをきっかけに、哀れな境遇の人間たちが目指す桃源郷として少しずつ知られていった。
竜たちは快く人間たちを受け入れた。そして長い年月が過ぎた。
少しずつ血が混ざり、竜の姿が消え、先祖返りさえ珍しくなったころ、ーーヌージュモルン王国は突如として滅びた。
白く柔らかな大地に、白い花しか咲かぬ幻想的な土地であったと、その生き残りは語り継いでいる。
まずは謀反が起こった。民たちが虐殺された。
それから兵たちは城へ向かい、制圧した。
時の王ビルポリバグは反乱軍に殺され、第一王女リュシオラは身投げしたという。
ところが、第二王女マリポーサが片手を上げると、まばゆい光とともに、数多の美しい青い蝶が舞った。
その光を浴びた反乱軍は、憑きものが落ちたように静かになった。
マリポーサのことを聖女だと初めに言ったのは誰だったのか。
やがて、彼女が女王となった。
ーーしかし、謀反の立役者こそ、マリポーサ女王と王配ファングだったのではという説がある。いずれにしろ、千年前のことなので、真相は闇の中である』
いつの間にか、窓に激しく雨が打ちつけていた。今日が雨の管理日だったらしい。ドームをすり抜けた雨たちが、大地を窓を濡らす。
ぽろぽろ、ぽつぽつと、聞いたことのない音色が響く。
けれども、私にはその不思議さを楽しむ余裕はなかった。書物に書かれた内容が、あまりにも衝撃的過ぎて。
「ーー千年前……?」
私がぽろりとこぼすと、ジュードはばつが悪そうな顔をしながらも、深く頷いた。
「そうだ。雲の王国ヌージュモルンは、千年も昔に滅びている」
「ーーまさか」
私は笑った。
「それなら私は? 今ここに居る私は一体なんだというの?」
思わずジュードに身を預けるようにしてもたれかかり、その胸板を拳でどんどんと叩いていた。不安で呼吸が浅くなっていた。
今にも足元ががらがらと崩れていきそうな感覚があって、涙がぽろぽろと落ちてきた。
ただただ怖かった。
「あの鏡はきっと、時や空間を越えて繋がれるものだと俺は考えている」
ジュードが言った。
彼は、私の身体を離すと、少しかがんで、まっすぐに私の目を見て「ずっと会いたかった」と言った。
「ーー君が姿を消したあと、どうにかして会いたくて、話を聞いてもらいたくて、雲の王国のことを調べた」
「……私に?」
ジュビアのことを、最後まで聞かずに逃げてしまったからだろうか。
「ヌージュモルン。雲の王国。
聞いたことのない国だった。だから、他の大陸の話だと思ったんだ。ーーけれども、いくら調べてみても、そんな国はどこにも存在しない。
兄にも泣きついた。なんとかして見つけてほしいと。けれども無駄だった」
ジュードの声が沈んだ。
「もう手立てがないとなったときだった。答えは足元にあった。
図書室でこの書物を見つけて、なにげなく手に取りーー俺は絶望した。だって、君は千年も前にこの世界から消えていたんだ。
反乱だけではない。魔王が現れて国を滅ぼし、去っていったという記録が残っていた」
--魔王がなにかはわからないけれど、それなら、きっと反乱をやり過ごしても私は生きていなかったのだ。
ジュードは泣きそうな顔をして笑い、それから私の背にそっと手を回した。
それは、触れたら壊れてしまう硝子細工を扱うような慎重さだった。
「私、……生きてるわ」
「ああ。あのとき、君が図書室にいてくれてよかった。俺の声に応えてくれて……本当に嬉しかった」
ジュードの瞳から、ほろりと涙がひと粒落ちた。
私は胸がいっぱいになって、それを指先で拭った。そして、彼の胸に強くぶつかっていった。ぎゅっと背中に手を回した。
ジュードは一瞬びくりと身を硬くしたが、ふたたび私の背に手を回すと、今度はぎゅっと抱きしめてくれた。