4.レインドロップス
「じ、地面が硬いわ」
私の言葉に、ジュードはしばらくきょとんとしたあと、くつくつと笑った。
人形のように整った顔をしている彼だったが、笑うと途端に幼く可愛くなって、私は胸がどきりと鳴るのを感じた。
「雲の国の地面はふわふわなんだったね」
「ええ、そうよ。ジュビアに聞いたの?」
ジュードは顔を曇らせた。私はしまったと口をつぐむ。
ただの友だちであった私でさえあんなに悲しかったのだ。ーー血の繋がった兄である彼の悲しみはどれほどだっただろう。
「雲の国の地面はね、真っ白でふわふわしていて、勢いよく飛ぶとね、自分の身長よりもずっと高くまで跳ぶことができるの」
私は話をごまかすように早口で言った。けれども、感動しているのも本当だった。
はじめて外に出たのは、森の中の屋敷に来てから十日後のことだった。
ジュードにエスコートされながら、エントランスを抜けると、そこには森が広がっていた。
自分の見知っているものとはあまりにも様相が違うので、しばらく呆けて動けないくらいだった。
「雲の国の植物は白いの。
葉は必ず銀色でやわらかいもの、幹は白くてすべすべ、花も白いものしか生えていないのよ。
だから、こんなにもたくさんの色が溢れているなんて驚いたわ。私、本当に地上に立っているのね」
屋敷は貴族の住まいにしてはこぢんまりとしていて、けれども立派な装飾のものだった。
「ーーそういえば、雨音がするのに濡れないのね」
ジュードは空の高いところを指差す。ある一点から、雨が弾かれ、弧を描きながらつうと地面へ向かって流れ落ちていくのが見えた。
半円状の透明ななにかがあって、雨を阻んでいるのだ。
「この国では、晴れることなど滅多に無い。でもそれだと植物は枯れてしまうだろう? おまけに外でする作業だって何もできない。
ここでは結界の役目も兼ねているが、どの街でもあのように魔法で透明な壁を作ってある。
そして、十日に一度だけ壁を消して、雨を取り込んでいる」
ジュードはそう説明した。
それから私たちは、森の中で木の実や花を摘んだ。
「日の差さない国だから、育つ植物は限られている。アナベルにアジュガ、ヒューケラにレインドロップス……」
彼は一つひとつ植物を指差しながら言う。
「あら、レインドロップスって……」
「君が昔出してくれた謎かけにあったね。
壺のような形の花は、ゴブレットのように中に水を入れて飲むことができる。そうして飲んだ水は甘く変わっている、と」
書物の中でしか見たことのないものが目の前にある。胸が高鳴り、顔に熱が集まった。
それが顔に出ていたのだろうか、ジュードはレインドロップスを摘んでくると、魔法で水を出して、その中にとくとくと注いだ。
「ーー光ってるわ」
水を含んだ花は、エメラルド色に発光していた。
「……あまい」
屋敷で出される水は、いつもジュードが魔法で出してくれる。だから味は知っているはずだ。
でも、花の蜜が混ざったからだろうか、……この花はとろりとした甘さが舌に残った。
「どれどれ」
ジュードはそう言うと、私の手からさっとレインドロップスの花を取り、口をつけた。私は思わず目を逸らす。
「この花はね、別名蛍草と言うんだ。澄み切った水を注いだときだけ光るんだよ」
ジュードの口から蛍、という言葉が出た瞬間、ひゅっと呼吸が浅くなった。思わず頬の鱗を隠すように触れる。
「どうしたの?」
私は首を振る。
「ーー少し疲れているみたい。そろそろ戻りたいわ」
「そうか。それじゃあ帰ったら薬草茶を入れようか」
ジュードの手が背中に添えられる。
その手はひんやりと冷たくて、硬くて大きくて、とても安心した。
森が少しずつ遠くなっていく。雨はまだ降っている。私は隣を歩くジュードの整った顔を見上げた。
彼は私の視線に気づくと、とろりとした笑みを浮かべる。私もつられて笑う。
誰かがそばに居てくれること。話してくれること。触れてくれること。とても幸せだった。会ってまだわずかな時間だというのに、どんどん惹かれている自分がいて怖い。
ーー私はまだ、肝心なことをなにも話していないのだ。