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1.図書室と秘密の鏡

 城が燃えたその日、私は運命のつがいの元へ落ちた。


 雲の国から、ーー雨と一緒になって。






 それは北塔でこっそり育てている幼竜の元へ行こうとしているときのことだった。


 つい先ほど婚約を破棄されたばかりで、すっかり堪えていたのだ。しかも彼は、妹と婚約を結び直すのだという。


 愛らしく華やかな妹の、勝ち誇った顔が思い出され、気分が沈んだ。




 廊下で侍女のシガーラに見つかった。

 とっさにまずい、と思った。幼竜の存在は知られてはいけない。


 ところが彼女は焦った様子で私の手を引き、上へ進むばかり。


「姫さま、早くこちらへ……!」




 背中に衝撃が走る。

 私は前のめりになり、床に手を着く格好になった。


 シガーラが私を部屋の中へと押し込んだのだ。続いて、扉が乱暴に閉められる音が響いた。


「シガーラ……!」


 叫びながら、扉をどんどんと叩いたが返事はない。外から鍵を掛けられており、開けることができなかった。





 硝子越しに覗いてみると、シガーラは、思いつめた表情をしていた。


 ややあって、金色のウィッグをかぶり、さらにその上からショールで頭や顔全体を覆っていく。私はなおも声を張り上げた。


 しかし彼女はこちらを振り返ることなく、焦げくさいにおいが漂ってくる方へ向けて走り去っていった。



 しばらくして、城のあちこちから轟音が響いてきた。なにかを壊す音、逃げ惑う人々の悲鳴……。反乱が起こったのか敵に攻められたのか。


 シガーラの行動の意味に思い当たって、驚くと同時に涙が溢れてきた。


 彼女には嫌われていると思っていた。専属侍女ですらない。それなのに、ーー蛍姫などと蔑まれる私のために、命をかけてくれるなんて、と。


 何もかもが変わってしまった。

 つい先ほどまでは何も変わらぬ一日だったのに。





 私が押し込められたのは、北塔の一番上にある図書室だった。


 本好きだった祖母が作り上げたものだ。


 ある出来事があって以来、ほとんど足を踏み入れることがなかったが、子どもの頃と変わらないその場所に、不思議な気持ちになった。




 私はふと、窓の向こうに目をやる。今日は雨が降っている。いや、降っているというのは下界の表現だったか。


 雨は、真っ白でふわふわの綿のような大地からふわふわと昇って空に還っていく。


 この高さなら跳んでくることはさすがにできないだろうが……私は念のため、窓の鍵を確認する。そして、窓に向けて背の高い本棚を移動させた。




 この国は、雲の上にある。

 大地は雲を固めてできているのでふわふわと柔らかく、助走して勢いよく飛べば、高く跳ね上がることができるのだ。



 ほとんど動いたことのない体は、ほんの少しの重労働でもう悲鳴をあげていた。


 だんだんと男たちの声が近くなってくる。--シガーラは、父は、妹は、民たちは……。

 頭の中にいろいろなことが浮かんで、考えもまとまらない。





 そのときだった。図書室の奥から声がした。ここにも敵が潜んでいたのかと身を硬くした。ところが。


「リュシィ、……リュシィ、そこにいるのか?」


 その声には聞き覚えがあった。ずいぶん声が低くなっているが、あの子の兄だ。


 私はほっとして、図書室の奥にある書庫へと向かった。書棚の秘密のスイッチで扉を開け、屋根裏部屋へ上がる。


 そこは子どもの頃、私の唯一の居場所だった。そして、私がここに立ち入らなくなった原因でもあった。


「リュシィ、頼む、返事をしてくれ……」


 声は悲痛さに満ちていた。

 私は意を決して、彼の前に立つことにした。書庫の奥、埋もれるようにして壁に掛かる、鏡の前に。



 その鏡は、私の胸から上が映るくらいの大きさのものだった。金色の縁取りで、精緻な植物を描いたような装飾があるこれは、祖母の宝物だった。



「リュシィ……よかった。無事だったのだな」


 久しぶりに見る彼は、すっかり大人の男の人になっており、思わず状況を忘れ、はっと息を呑む。


 銀色の髪に青い瞳を持つ美丈夫だ。

 中性的な美しさはそのままに、以前はなかった鋭さがあり、また、はっとするような艶やかさがあった。



「ジュビアのお兄さま……」


 私が言うと彼は、しまったというような顔をした。それから真剣な目をして問う。


「--今、謀反が起きているのでは?」


 状況を把握していることに驚く。


 だって、彼の後ろには雨が降っている。ざあざあと上から下へ墜ちている。

 この国では、雨は昇るものだ。だから、彼がいるのはきっと、ーー遠い遠いどこかの国。



 私が答えられずにいると、男たちの鬨の声が城を揺らすように響いた。早く隠し通路を探さなくてはーー。


「リュシィ、早く!」


 彼は泣きそうな顔でこちらに手を伸ばした。私もつられて手を前に出す。……互いに触れられぬとわかっているはずなのに、そうせずには居られなかった。




 ところが、彼の手は鏡をすり抜けて私の手を掴んだ。


 私も彼もはっとしたのがわかった。

 けれども次の瞬間、彼はしっかりとその手を握って、あちら側へと引いた。そして、私は引きずり込まれるようにして、鏡の中へと落ちていった。


 図書室の扉が破られる音がした。彼の手が刹那、離れる。私は鳥がはばたくような恰好で投げ出された。


 鏡の中は真っ白だった。空は雲で覆われてミルク色になっている。下から風が吹き上げてきて私のドレスをはたはたと揺らす。


 眼下には見たことのない、茶色の大地が広がっている。そして森がーー。私は墜ちていく。雨と一緒になって。


 いつのまにか、意識を手放していた。


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