44話 大牛人間
「ーーガハッ!」
口の中に鉄の味が広がる。
「ーー!」
声にならない声が、拳の突き刺さる腹から出る。
「ーーァガ!」
骨の軋む音が耳に木霊する。
ツンツン黒髪の少年ーー黒滝那月は轟音を辺りに響かせ、地面に叩きつけられる。
布切れのようになった少年の視界は血で赤く染まり、体は言うことを聞かず、指の一つも動かすことが出来ない。
「ーーぅ……あぁ」
唸り声を振り絞り、意識を繋ぎ止める。
一瞬でも気を抜くと、プツリと途切れてしまうから。
「ーー!?」
どうしてこうなったか。
その元凶が那月を見下すように直立する。
やや猫背気味であるものの、それでも那月の倍はある長身。
余分な肉が削がれた引き締まった身体。
だが、目立つのはやはり頭部に生える二本の角。
湾曲していて、鬼のそれや羊の物とも異なるが、『突き刺す』という一点において最も優れた形状の角。
鼻の穴には金色に輝くリングが付いており、角の下にひょっこり生える耳にも同様のリング。
顔全体は茶色の毛で覆われており、胸の辺りまで侵食している。
腰には亜麻色のボロ布。
そこから見える太ももは岩肌のようにゴツゴツとしていて、足首の先には黒く輝く蹄。
腰からはスラリと一本の尻尾が伸びる。
大方、人ならざる姿のその生き物は人と牛の合体した姿。
ファンタジーで言うところの『ミノタウロス』という奴だ。
そのミノタウロスは先刻、地面から手を突き出すと、地面を割いて姿を見せた。
赤く光る双眸に睨まれた那月は、蛇に睨まれた蛙のように固まり、動くことを忘れた。
その一瞬。
その一瞬で那月は天高く打ち上げられ、滞空して動けないでいる所を、ジャンプで追随して来たミノタウロスに叩き落とされ、今に至るという訳だ。
「ぁぅあ……」
視線は今もミノタウロスに釘付けだ。
だが、体は動かず、今襲われれば死ぬことは想像にかたくない。
逃げたい、生きたい、死にたくない。
そんな恐怖の感情が胸の奥を満たしていく中、那月は驚くべき光景を目にした。
ミノタウロスが那月を無視して踵を返すと、そのまま歩き出したのだ。
モンスターが生者を無視するなんて事は本来ありえない。
単に死んだものと思われたのなら納得だ。
だが、那月の目には生が宿り、ミノタウロスには殺気すらも放っていた。
それを死者と見紛う程、ミノタウロスは鈍感でも微弱でも無い。
「ーー…………」
那月は遠ざかるミノタウロスの背中を見て安心したせいか、意識が繋がる糸が確かに切れそうになるのが間近に感じられた。
━━あぁ、死ななくて済む……
━━そうだよな、もう皆逃げたんだし、もう休んでもいいよな……
━━そう、皆…………皆?
「……ンモ?」
ミノタウロスは何かの気配を察知し、振り返る。
「……いいわけねぇよな……」
そこにはゆらゆらと立ち上がる那月の姿があった。
「まだ逃げてる奴がいる。まだ戦ってる仲間がいる。それに何より、俺がお前に負けるのは気に食わねぇ!!」
「ンブルフッ!」
那月の闘志込もる視線を受けたミノタウロスは満足気に鼻を鳴らすと、那月に対して向き直る。
那月は震える足で一度強く地面を踏みしめ、足を安定させる。
「(しかし、どうする?俺があいつに勝てる未来が見えない……)」
那月は手に浮き出た汗をズボンのお尻の布で拭う。
「……?」
その時、手が何かに引っかかった。
那月はミノタウロスから目を離すこと無く、お尻の辺りにあるポケットからそれを取り出す。
「これは……!」
それは紫色の玉。
昨日初峰先生に貰った魔力活性薬だった。
「これを飲めば……もしくわ……!?」
━━絶対に一日二錠以上飲まないこと!
━━もし破ったら君、死ぬから
「って!もう今朝飲んじゃってんじゃん!」
「ンモ?」
那月の突然の奇声に首を傾げるミノタウロス。
それでも、攻撃をしてこないのは、那月の準備が完了するのを待っているのだろう。
何とも、有難いのか、有難くないのか……
「まぁ、いいや。どのみちこんな薬に頼るわけねぇしな……んな事よりーー」
那月は再びミノタウロスに視線を向ける。
「始めようぜ……大牛人間!」
「ン、ブルフフ!!」
言語が伝わらなくても理解出来る。
互いが互いに交戦の意志を伝え、両者の間にピリついた空気が流れる。
「……!ーーフッ!」
先に動いたのは那月だ。
目をかっと見開いて、小さく息を吐くと、ミノタウロスからやや右にズレた所へ向かって走る。
「ーーリャァ!!」
那月はミノタウロスの横で身を屈めると、地面に落ちた短剣を二本拾う。
そして、ミノタウロスへ向けて一本短剣を投げつける。
「ンブル!!」
ミノタウロスは飛来する短剣を掌で叩き落とす。
「はぁぁーー!!」
間髪入れずに那月の右手に握られた短剣による斬り上げがミノタウロスの正面から迫る。
だが、ミノタウロスは体を後ろに反らすことでそれを回避。
次いで、那月が無防備に空中に放り出した体目掛けて拳を繰り出す。
「ンモッフ!!」
「ーーフッ!」
那月は持ち前の身体能力を活かし、繰り出される拳に足を合わせると、パンチの勢いを利用して、後方へとジャンプしてミノタウロスと距離を取る。
「……?」
ミノタウロスは手応えの伝わらなかった拳を不思議そうに眺める。
那月はフンっと鼻を鳴らす。
「仕切り直しだ」
それからは、那月とミノタウロスの攻防は激しさを増して行った。
那月が拳を繰り出す。
「フッーー!」
「ブルフゥッ!」
ミノタウロスがそれを躱しカウンターの一撃を返す。
しゃがんで回避した那月は短剣でミノタウロスの腕の腹を斬りつける。
短剣とミノタウロスの腕との間で火花が散り、甲高い音が響き渡る。
「硬ってぇ……!」
那月はミノタウロスと距離をとり、痺れる腕を軽く振る。
「なんだ?鉄か何かで出来てんのか?」
ミノタウロスの腕を見るも、切れているのは皮膚の表面だけで、肉までは届いていない。
さっきの感覚からして那月の攻撃ではミノタウロスにダメージを与えることは出来ないだろう。
「あぁ!スキルさえ使えれば……!」
那月は嘆きの声を上げる。
那月の脳裏に過ぎるのは、先日のゴブリンセイバーとの邂逅である。
那月はあの時、確かに一撃でゴブリンセイバーを眠らせた。
だが、それはスキルによるところが大きいと言える。
『厄災の魔女』ことクロエによって覚醒させられた那月のスキル《:重力》。
それは、とても強力で今この状況を覆す事が可能かもしれない。
しかし、それは届かぬ糸と言うものだ。
那月のスキルは強力だが、その強大な力を許容するだけの強靭な肉体を那月は持ち合わせていなのだから。
無い物ねだりをしても仕方ないと那月は頭を振って、ミノタウロスを睨みつける。
「スキルが無くたって、お前如き倒してやるぜ!だって俺は最強のプレイヤーになる男だから!」
気合いを込めた那月は地面を蹴り、駆け出す。
迎え撃つミノタウロスも那月の意気を認め、防衛姿勢を取る。
那月はミノタウロスの顔に拳を叩きつけ、ついで短剣で斬りつける。
ミノタウロスは反撃の素振りすら見せず、ただ攻撃を受けている。
「おりゃりゃりゃ!」
拳、剣、拳を交互に繰り出し、最後に天高くジャンプすると空中で一回転を見せ、勢いを増したかかと落としをミノタウロスの眉間目掛けて振り下ろす。
「ーーブルフッ!!」
その時だった。
今までされるがまま、不動の意思を見せつけていたミノタウロスがその頭を振り上げたのだ。
刹那、那月の踵とミノタウロスの額がぶつかる。
鈍い音を周囲に轟かせ、時が止まったかのように両者ともに譲らない攻撃。
だが、それも一時の事。
次の瞬間には顔を振り抜いたミノタウロスと、天に打ち上げられた那月の姿があった。
「あぁァああぁァァァァァぁぁぁああ!!」
痛々しい声が尾を引く。
ドスッという音が那月の体を受け止め、地面に寝かせる。
足を抱えて蹲る那月。
「ブルフッ」
顔を振り抜いた姿で那月を見下ろすミノタウロスは鼻を鳴らす。
そして、激痛に悶え、苦しむ那月をつまらなさそうに見つめ、手を伸ばす。
まるで、もう遊びはお終いだとでも言うように。
ゆっくりと、伸ばされる腕、五本の指が那月に触れる。
那月は何もすることが出来ない。
ただ、迫る指を黙って見つめる。
那月の体が包まれる。
体に浮遊感がゆっくり、ゆっくりと積み重なっていく。
足が地面から離れる。
「ぅ、あぁ……あ……」
天高く持ち上げられた那月。
眼下にはミノタウロスの赤い瞳が広がっている。
━━死んだな、これは……
無駄に冷静な頭が死を悟る。
━━あぁ、なりたかったな。最強のプレイヤー……
ミノタウロスが口を開く。
━━翔たち、上手くやったかな……
那月の体から指が離れていく。
━━もう、終わりか……翔、この牛はお前に任せたぜ。お前が倒して、そして……
ミノタウロスの口が近づく。
鼻を劈く臭いも、今の那月には届かない。
━━生きろ
ミノタウロスの口が閉まる。
そして、赤い鮮血が宙を舞った。
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