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後日談

「珍しいな、お前がついて来るなんて」

 愛車を運転しながら、友人は窓を開け、助手席に座る僕に声をかけた。

「山に住んでるから、他の山なんか見たくもないんじゃなかったのか?」

「……まあ、たまにはいいかなと思ってさ」

 窓の外を眺めながら、ぽつりと答える。

 先月にくらべると、風も空模様もずいぶん秋めいてきた。正面にそびえる小高い山を見上げる。

 僕の膝の上には半分に折り畳んだ黒の羽織と、小さな紙袋をのせていた。ハンドルを操作しながら、友人はちらりと横目で紙袋に視線を投げる。

「なあ。さっきから気になってたけど、その紙袋なに入ってるんだよ」

 小さく笑って「秘密」と答えると、友人は怪訝そうに眉をしかめた。

 途中まで車で山道を登って、通行禁止のバリケードの前で車を停め、僕たちはけものみちを歩く。

 そうしてたどり着いた乙黒山の頂上には、「乙黒村犠牲者慰霊碑」と銘打たれた真新しい慰霊碑が建っていた。

 友人は四角く背の低い御影石に刻まれた犠牲者の氏名や碑文にさっと目を通すと、無言で手を合わせる。

 僕はその間、ずらりと並ぶ六十人を超える犠牲者の氏名を一人ずつ目で追った。

 そして最後から二番目に彫られた「今村夏帆」の文字を認め、持参した紙袋の中から、小さな風呂敷の包みを取り出す。風呂敷をほどき、僕が中から小振りな木彫りの像を取り出すと、横で見ていた友人は不思議そうに目を見開いた。

「それ、お前が彫ったやつか」

「うん。お供え物」

 短く答えて、献花台の上に、親子の猿を象った木像をことりと置く。つややかに磨かれた飴色の表面に、太陽の光が白々と反射した。

「乙黒村に知り合いがいたのか?」

「まあね。そういう君こそ、この山には取材で来たわけじゃないかったんだ?」

 僕が尋ねると、友人は「ああ」と瞑目する。

「大学の時、フィールドワークで乙黒村の祭りを調べさせてもらったんだよ。オグロサマっていう来訪神を、村の住民じゃなく、外部から来た人間にやってもらうっていう、少し変わった風習があってな」

 友人の言葉に、僕はぴくりと石碑から顔を上げた。

「のどかで空気が綺麗な所だった。村の人たちも良くしてくれて、夏なのに冷房がいらないくらい涼しくて」

 そこで小さく息を吐くと、友人は昔を懐かしむように石碑を見下ろし、目をすがめる。

「虫除けを忘れたら、中学生くらいの女の子が手作りの虫除けを貸してくれたんだ。お母さんが自家製のハーブから手作りしたっていうやつで。あの子は無事だったんだろうか」

「そういえば君の卒業論文は、この地方の奇祭について調査したんだっけ」

「ああ。……だからこの村が土砂崩れで半壊したって時は、本当に驚いた。本当に、いい人たちばかりだったのに」

いつになく湿っぽい友人の言葉に、僕はなんとも皮肉な気分になる。

彼も、一週間前に出会った少女も同じ、乙黒村の「外」から来た人間だ。

立場が違えば、村に抱いた感情も180度異なるということか。

 切り立った岩場からわずかに身を乗り出し、友人とともに眼下に広がる町を眺める。

 既に復興が済んだ町並みは、遠目に見渡す限りでは、八年前の災禍の爪痕は感じさせない。

「そうか、下衆な勘繰りをしてしまったみたいだね。僕はてっきり、君がお抱えのホラー作家と一緒に、この土砂災害のもう一つの顔を調べにきたのかと思ってたんだ」

「……そっちの用件も、ないわけじゃないけど」

 友人が露骨に顔をしかめた。

 八年前、乙黒村を襲った通称「乙黒山豪雨土砂災害」には、未だ解明されない大きな謎がある。

 犠牲者の六十名のうち、正式な死者は三十二名。

 しかし残りの二十八名は、未だ発見されない「行方不明者」が占めているのだ。

 土砂崩れや津波と言った大規模災害では、行方不明者が何年、何十年と発見されないままのことは決して珍しいことではない。

 しかしそれは沿岸部の地域の場合で、海に面していない山間部の「土砂災害」では、死傷者はともかく行方不明者はごくわずかだ。

 時間はかかるが、大半の犠牲者はほぼ半年以内に発見されるらしい。

 だが乙黒村の「行方不明者」は、土砂災害から八年が経った今も尚、確認されているだけで二十八名が発見されていない。

 彼らはおそらく昨年、土砂災害から七年の時を経て失踪宣告がなされ、ようやく慰霊碑に名が彫られた。

 その中には小黒綾音や、今井夏帆の母親・奈帆子の名前がある。

「それと、ここに手を合わせに来たのは別だからな。俺は、お前ほど人でなしじゃないぞ」

「失礼だなあ」

 呆れ顔の友人に笑い、僕は風呂敷を紙袋にしまう。

「僕だって一応、死者を悼む心くらい持ち合わせているのに」

 もう一度手を合わせから、僕と友人はどちらからともなく慰霊碑に背を向けて歩き出す。

 ふと爽やかな香りが鼻をかすめた。 

 視線を感じて慰霊碑を振り返ると、献花台に供えた木像と目が合う。帰路につく僕たちを、親子の猿はいつまでも見送っていた。

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