黒き神⑤
でも、と薄れかけていた記憶がまざまざとよみがえる。
あの時、綾音は何と言った?
――――この山にトンネルなんか空けたら、オグロサマが《《出てってまう》》やろが!
ああ、と震えながら息をつく。
あの子の言っていたことは、正しかったんだ。
逃げなきゃ。この山から、化け物から。
その一念だけが、油断すれば恐怖で埋め尽くされ、今にも思考を放り出してしまいそうな自分自身をかろうじて支えていた。
ここから、あいつから逃げないと。
ドアを開けようと、震える手を把手に伸ばす。
けれど何度引いても、扉はびくとも動かなかった。
チャイルドロックがかかってしまったのだと気付いた時にはもう、真っ黒な怪物は車のすぐ横に迫っていた。「ひっ!?」
真っ黒な手がバシン、と窓を叩く。
ビクッと目を閉じた次の瞬間、獣が唸るような低くひび割れた声が、窓のすぐ外から空気を震わせる。
『……ケ…………ケロ……』
「なっ、なに!? なんなの!」
やけくそになって叫ぶと、バシン、と再び車が小さく揺れる。
ぎぎっ、と金属を引っ掻くような音が鼓膜を刺した。
『 開 ケ ろ 』
「————っ!」
がくがくと膝が笑う。息も切れ切れに、私は首を横に振る。
バン、と目の前に真っ黒な手のひらが叩き付けられ、窓に広がる無数の赤い目玉と視線が合った瞬間、私の意識はぶつりと途切れた。




