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黒き神②

 その日の帰り道、いつのように優菜ちゃんと二人で歩いていると、通りすがりに知らないおばさんがわざわざ傘を上げ、ジロジロと私を眺めてくる。

 そのおばさんだけじゃない。

 ここ最近、皆が皆というわけではないけれど、近所の人とすれ違うたびチラッと顔を見られたり、やけに視線が合ったりする。

「なんだろ、あのおばさん」

 首をかしげる私から、優奈ちゃんは「さあ」と目を逸らす。

 人通りの少ないあぜ道にさしかかってから、彼女は気まずそうに切り出した。

「……夏帆、本当に親から何も聞いてない?」

「え?」

 きょとんとした私を、優奈ちゃんは意を決したように傘を上げ、切れ長の瞳でじっと見上げる。

「村で噂になってるよ。夏帆のお父さんが、綾音ちゃんちのお母さんと浮気してたって」

「…………は?」

 唐突に告げられた言葉に、頭がうまくついていかなかった。

「浮気って……うちのパパが、おばさんと? なんで?」

「わかんない。まだ真由香は知らないと思う。私も言うつもりないし。でもたぶん、うちらの地区の大人はほとんど知ってる」

 うそ、と反射的に言い返しそうになり、口ごもる。

 ずっと胸に引っかかっていた。あの時、おばさんが私に「伝えといて」と言い残した言葉。

「うちの親も、私が八歳の時に離婚したんだけどさ」

 優奈ちゃんの声に、ハッと現実に引き戻される。

「うちのパパも夏帆んちと一緒。綾音のママと浮気してたんだ。でも村の人の噂を聞くまで、誰にも本当のこと教えてもらえなかったの。パパが単身赴任に行くって言われて、私は長いことそれを信じ切ってた……」

「優奈ちゃんちの、パパも?」

「あそこのおばさんはそういう人なんだって。人の物がすぐ欲しくなる病気。綾音のパパもそれを承知で、世間体が悪いから離婚しないらしいよ」

 パパは物じゃない、と痺れた頭の片隅で突っ込んだ。

 しかし一ヵ月前に思いがけず聞いた、綾音と鈴音の言葉が耳元でよみがえる。


――――あんたの父親が悪いんやろ。


――――うちで一番あの人が本家とか分家とか、誰が誰より偉いとか格下だとか、お金持ちとか貧乏とか、そういのにこだわってるもん。

――――あんたんちのお母さん美人やったから、気に入らんかったんやと思う。


「綾音ちゃんと妹、お父さんがそれぞれ違うんやって。ほら、あの子ら全然似てないやん」

「…………」

「だから夏帆も、あまり気にせん方がいいよ」

 気遣うような友人の声が、耳に膜がかかったように遠くくぐもって聞こえる。

 私は何も考えられず、ただ「うん」とだけ返した。

 痺れたように凍えてゆく頭の片隅で、この話をしてくれたのが噂好きな真由香ちゃんでなく優菜ちゃんだったのが、不幸中の幸いだと他人事のように思った。

 それから優奈ちゃんとどう別れたか、あまりよく覚えていない。

 家に帰りたくなかった。

 きっとパパの顔もママの顔もまともに見られない。どういう顔をして二人に接すればいいか分からない。

 ママとパパも、離婚するんだろうか。

 優奈ちゃんちの両親ように。

 家を素通りし、小雨がぱらつく村の中をフラフラとあてもなく歩き回り――――気付けば私はあの日以来、ずっと通るのを避けていた裏道に出ていた。

 通学路に戻ろうとしたその時、奥の四辻から見覚えのある車が角を曲がってくる。

 シルバーの軽自動車。ナンバープレートを見れば、ママの車だと気付いた。

 軽自動車が路肩に止まり、運転席から半透明のレインコートを着たママが降りてくる。

「……え?」

 車をロックすると、ママは灰色の鳥居をくぐって山を登っていった。

 一ヵ月に見た化け物が、まざまざと脳裏によみがえる。

 ――――止めなきゃ。

 そう思うのに、喉が痺れたように強張って声が出ない。

 私は灰色の鳥居と、その奥でぼうぼうに繁る木々を呆然と見上げた。

 立ち入り禁止だと知っているはずなのに、ママはどうして山に入っていくんだろう。

 鳥居の陰からこわごわと、参道をのぞき込んだ。

 半透明のレインコートに包まれたママの後ろ姿が、どんどん遠ざかってゆく。

 今朝「行ってらっしゃい」と私を見送ったママと、一ヵ月に見た綾音の最後の姿、彼女を呑み込んだ化け物の姿がかわるがわるフラッシュバックした。

 胸がひどくざわついて息苦しい。

 頭がうまくまとまらず、どうしようもなく足が、体が竦む。

「…………」

 私はしばらく迷ってから、折り畳み傘を閉じて予備のレインコートを羽織る。

 そして山へ吸い込まれるように、私も鳥居の内側へと足を踏み入れた。


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