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黒き神

「いい気味やって思っとるやろ。ざまあみろって」


 学校の帰り道、道ですれ違ったおばさんに吐き捨てられ、思わず足を止めた。

 私は一瞬、そのおばさんが誰か気付かなかった。

 ぼさぼさの髪に、部屋着のような上下の服。低く唸るような声。

 振り返ると、血走った目がじろりと私を見上げる。

「綾音のこと嫌っとったもんね、あんた。あの子がいなくなって嬉しいんやろ?」

 綾音のお母さんだと気付き、体が竦んだ。

 黒々と浮かんだクマ。ぱさぱさに痛んだ髪や、黄色く濁って充血した目。

 色もデザインもちぐはぐな服。

 化粧っけのない、やつれてくすんだ顔に、唇だけべったりとピンク色が塗られている。

 いつも欠かさず茶色い髪を巻いて、高そうな服を身につけ、隙の無いお化粧をしていた「本家のおばさん」とは、まるで別人だった。

「…………」

「そういえばお引越しするんやて? なんか後ろめたいことでもあるから、この村から逃げてくんか?」

 硬直する私の腕を、一緒にいた優奈ちゃんが掴んでさっと引っ張った。

「いこ、夏帆」

「あ……う、うん」

 とっさに我に返り、優奈ちゃんに引っ張られるまま、その場を後にする。

 ちらりと一瞬だけ後ろを振り返ると、おばさんは瞬きもせず、血走った目を見開いて私を凝視していた。

「夏帆ちゃん。お父さんによろしくって伝えといてな」

 おばさんはそう言うと、べったりとしたピンク色の唇を吊り上げ、私の目を見てにたりと笑った。

 家に帰ると、ママは台所の食器を新聞紙に包み、段ボールに詰めていた。

 扉を開けてリビングに顔を出した私を、少し驚いたように見上げる。

「おかえり。早かったね」

「あ、うん。部活、中止になったから」

 そこまで言って、言葉に詰まる。

 先ほど本家のおばさんに言われたことを思い出し、それをママに伝えるべきかどうか、少し悩んだ。

「あの、ママ……」

「ん?」

 しかし最後に言われた一言が、胸に引っかかる。


 ――――――――お父さんによろしくって伝えといてな。


「夏帆? どうしたの」

 ママが心配そうに私をのぞき込む。

 少し迷って、結局「ううん、別に」と首を振った。

 制服を脱ごうと思ったその時、洗面所の棚の上に、見覚えのないハンカチが置かれていることに気付く。

 白地に真っ赤なバラが描かれた、薄い化繊のハンカチ。

「あれ? こんなハンカチ、うちにあったっけ?」

 うちのタオルやハンカチはほとんど、ママがお気に入りのメーカーのオーガニックのコットンで作られたものでそろえている。 

 私もママも肌が弱いため、下着や服もあまり化繊のものは使わない。

 首をかしげる私に、ママは「ああ、それね」と洗面所に顔を出した。

「うちの前に落ちてたの。明日あたり、役場か交番に届けようと思って」

 ママはそう言って、透明なチャック付きのビニール袋にハンカチを詰めた。

白地のふちにべったりと、濃いピンクのシミがついている。

 油染みのようなそれを見た瞬間、私は何故か、先ほど見た本家のおばさんの顔が脳裏に浮かんだ。


 翌日から、乙黒村には雨が降りはじめた。

 引越しを週末に控え、準備は着々と進んでゆく。

 正直、東京に戻れることにホッとした。せっかく仲良くなった子たちと離れるのは寂しかったけど、それ以上に綾音のことや、山で見た化け物が怖かった。

 しかしそれとは別に、少し気掛かりなことがあった。

 ここ数日、夜になるとパパとママが二人でどこかへ出かけてゆく。パパだけが遅くまでいない日もあったし、ママだけが出かけるときもあった。

 どこで何をしているのかと尋ねても、パパもママも私には「引越しの打ち合わせをしているだけ」としか答えてくれなかった。

 私が愚痴交じりにそれを友人たちに話すと、真由香ちゃんは「それっておかしいよ」と核心を突いた。

「夏帆ちゃんの親、絶対何か隠してるよ。引越しの打ち合わせなんか普通、夜遅くにやらなくても電話とかでできるやん」

「だよね。私もここ引っ越す時、業者の人と打ち会わせなんか一回しかやんなかったし」

 ため息交じりに机に突っ伏すと、前の席に座っていた優奈ちゃんが「まあまあ」と私をなだめる。

「送迎会とか、お世話になった人たちに挨拶回りしてるんやない?」

「えー? だったらわざわざウソつかへんくても、最初からそう言えば済むやん」

 真由香ちゃんの突っ込みはその通りだと思う。

 けれど正直――――パパとママが本当は何をしているのか知るのは、ちょっと怖かった。

 だからウソをつかれていると薄々察しながらも、追及できないままでいる。

 その時、私は気付かなかった。

 だよねえ、下を向いたままと呟く私を、優奈ちゃんがなんとも言えない顔で見下ろしていたことに。

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