乙黒村⑥
その日の夜、本家の人たちが菓子折を持って、うちまで来た。
「昨日はうちの綾音がすんませんなあ、今井さん。あの子はちょっと変わっとって。体が弱い子で、私らも甘やかして育ててまったもんやから」
「小黒さん。大事にする気はありませんが、ああいうことは困りますよ。一歩間違ったら、娘が大怪我をしていれないんですから」
珍しく、パパは本家のおじさんにはっきりと言った。
きっと昨日はお酒が入っていたから、頭が上手く回らなかったのかもしれない。
おじさんの横に座っているおばさんは、見るからに期限の悪そうな顔で黙っている。玄関で挨拶してから何も喋っていない。
昨日のへらへらした態度もそうだけど、たぶん自分の娘があまり悪いことをしたとは思ってないんだろうなと察しがつく。
その隣で申し訳なさそうに肩をすくめていたおばあさんが、ハンドバッグから何かを取り出した。
「本当にごめんなさいねえ。大事なお嬢さんに、孫がとんでもないことを。少しばかりやけど、どうか」
これで、と分厚い封筒を差し出され、とたんにパパはトーンダウンしてしまう。
「まあ、子供がやったことですから。幸い、怪我もなかったし……」
信じらんない、と胸の中でパパを詰る。
お金を払ってもらったからって、私の髪が元に戻るわけじゃないのに。
すると黙って聞いていたママが「待ってください」と、おもむろに口を開いた。
「お受け取りできません。昨日も言いましたが、謝るなら綾音ちゃん本人がきちんと夏帆に謝ってください」
面喰うおじさんとおばあさんを横目に、おばさん……綾音のお母さんはこれみよがしにため息をついた。
「悪いけど今井さん、あの子は絶対謝りませんよ。そういう頑固な性格なんですから」
あまりに一方的な言い分に絶句するママに、おばさんはどこか勝ち誇ったような顔をした。
「綾音はやってへんって言うてますから、正直、私は母親として自分の子を信じさせてもらいます。それにもし本当に夏帆ちゃんの髪を切ったなら、それ相応の理由がそちらの子にもあるんやないですか?」
「どういうことですか?」
ママの顔がかすかに強張る。
隣のおじさんが焦ったように「おい、やめないか」と止めると、おばさんは渋々口をつぐんだ。
こちらの気が済まないからと、分厚い封筒を無理やり置いておこうとする本家のおばあさんを、ママはやんわり説得する。
気まずい空気の中、本家の人はお菓子だけを置いて、帰っていった。
おばさんが言った通り、いつまで経っても綾音本人が私に謝りに来ることはついになかった。
それからあっという間に一ヵ月が過ぎた。
転校先の学校に馴染めるか少し不安だったけれど、結果的に問題はなかった。
一学年につきクラスはひとつ。私たち六年生は十五人しか生徒がいないという小人数制の教室は、予想以上に和気あいあいとして、いじめらしいいじめも無かった。
更に不幸中の幸いだったのは、綾音に髪を切られた事が連休明けには既に学校中に知れ渡っていて、引越し早々災難にあった私に皆が同情的だったことだ。
「可愛いけどちょっと変わってるよね、綾音ちゃんって。学校にも全然来ないし」
そう教えてくれたのは、隣の席の優奈ちゃんだ。
「家が『地主さん』だからっていばってるし。あまり関わらない方がいいよ」
綾音が不登校だということを、私は初めて知った。
全く来ないわけではなく、一ヵ月に二、三回くらいは思い出したようにふらりと学校に現れる。けれど大抵、すぐ早退してしまう。
学校にいる間、綾音が誰かと楽しそうに話すのを見たことがなかった。
先生や同級生に喋りかけられても、一言だけ気の無い返事をするだけで、あとは一人でずっと机に座っている。
クラスメイトたちも用がない限り、綾音には近寄ろうとしなかった。
てっきりあの容姿や強気な性格から、クラスのリーダー的存在だろうと思っていたけど、意外にも彼女はクラスメイトたちから敬遠されているようだった。
一学期が終わって夏休みに入ると、乙黒村では祭りの準備が始まった。
夕方になると太鼓や笛の音が鳴り響くようになり、村のあちこちにのぼりが立てられてゆく。
パパも土曜日の夜になると、お祭りの打ち合わせで家を空けるようになった。