乙黒村③
既に階段をのぼっていた綾音の妹が、怪訝そうに振り返る。
私はイライラしながら、少し早足で後を追った。
「姉ちゃん。引っ越してきた子、来たけど」
そう扉を開くなり、鈴音は踵を返して、来た道を戻ってしまう。
トン、トンと階段を下りてゆく足音を聞きながら、一人残された私は途方に暮れて部屋を見回した。
閉じきった、少しかび臭いにおいがした。
決して散らかっているわけではない。けれど、異様に物が……特にぬいぐるみが多い部屋だった。
床は畳でもタンスや勉強机は洋風で、窓際には大きなベッドが置かれている。
その上で扉に背を向けて毛布にくるまっていた女の子が、もぞりと起き上がった。
「……なに」
寝起きの不機嫌そうな子の顔を見た瞬間、少し驚く。
ぱっちりとした大きな瞳に、すっと通った細い鼻筋。
つんと尖った顎に、赤い小さな唇。日に焼けていない色白な肌と相まって、まるで人形のように綺麗な顔をしていた。
色黒で丸顔な妹とはあまり似ていない。
「なんか用?」
けれど純粋に驚いたのも束の間、低い声で素っ気なく尋ねられ、気まずさに視線を逸らした。
「……おばさんが、綾音ちゃんと遊んできなさいって」
「それで来たの?」
おずおずと頷く私を、綾音はじろりと見上げる。
次の瞬間、彼女は人形のような顔を露骨に不機嫌そうにしかめた。
「ちょっと。なんで私の真似しとるの」
「は? 真似って」
「髪」
吐き捨てるように呟き、綾音はベッドから飛び降りた。どしん、と床が軋む。
言われてみれば確かに、私も彼女もよく似た髪型だ。背中まで伸びた髪を私はシュシュで、彼女はヘアゴムで右耳の後ろでひとつにくくってる。
「違うよ。そもそも私、綾音ちゃんと初対面だし」
完全な言いがかりだった。わざわざ真似しようとも思わないし、今、初めて会ったばかりの子と同じ髪型なんて狙って出来るわけもない。単なる偶然だ。
それに綾音は同じと言うけど、微妙に違う。
彼女はシュシュでくくっているだけだけど、私はところどこ編み込みをしてある。
そう言い返すと綾音はふて腐れてそっぽを向いた。
「もういい、あのタンスの上の段ボールとって」
突然変わった話題にポカンとする私に、綾音は右を向いて顎をしゃくる。
「早く。あんた届くやろ、背高いんやから」
示された方を見れば、確かに背の高い衣装タンス上に小さな段ボールが置かれていた。遊び道具でも入っているのだろうか。困惑しながらも、私は背伸びしてタンスの上に手を伸ばした。
すると背後でトン、トン、と足音が響く。
「……え?」
じゃきん、と耳元で響いた音と、首筋をヒヤッとかすめた冷たい感触に、肌がざっと粟立った。
髪の毛の束がバサッと床に落ちる。一拍おいて、シュシュが足元に転がり落ちた。
おそるおそる振り返ると、大きな裁ちばさみを持った綾音がすぐ後ろに立っている。
髪を切られたのだと気付くのに、少し時間がかかった。
「な、なにす」
「あんたが悪いやろ。分家のくせに、勝手に私の真似したんやから」
「ぶんけ? なにそれ……」
わけわかんない、と私が呟いた瞬間、人形のような白い顔が苛立たしげに歪む。
「どうせこんな田舎、嫌や思ってるんやろ」
「は?」
「嫌なら来なきゃいいやない。なんで私がこんなところ来なあかんのって顔してるなら、最初から自分ちにおれば良いやん」
早口でまくしたて、ハサミを勉強机の上に放り投げる。ガシャン、と重く鈍い音が響いた。
いきなり髪を切られたことへの衝撃が大きすぎて、目の前の女の子が何を言っているのか、うまく頭に入ってこない。
「あんたみたいな子、一番嫌い」
「なんなの、いきなり」
喉が締めつけられるように苦しくて、うまく声が出てこなかった。
そんな私を素っ気なく一瞥すると、綾音は赤い唇の両端を吊り上げて笑う。
「こんな田舎にも、古くさい家にも来たくなんかなかったんろ? やったら早く東京に帰ればええやん」