乙黒村②
「じゃあさっそくだけど、お皿配ってくれる?」
本家のおばさんが当然のように、積み重ねた小皿をママに手渡す。
ママは目を白黒させつつも受け取った。なんだか、ひどく胸がモヤモヤする。
いつもだったらママはこういうホームパーティーのような食事会では、準備から片付けまで、いつも率先して自分から動く。
料理を取り分けたり、お皿を配ったり。
けれど今回は本家の人が勝手に私たち家族を誘った食事会なのに、向こうからママに手伝えと言うのは何か違うと思った。
そんなことにも気付かず、パパは集まった男の人たちと早くもビールを飲み始めている。
「私も半分配るよ」
そっと声をかけると、ママは首を横に振った。
「いいよ夏帆、ご飯いただいておいで」
「でも……」
「あらあ、自分からお母さんのお手伝いするの。偉いねえ夏帆ちゃん」
背後から突然、おばあさんの甲高い声が響き渡る。
すると奥の席でお酒を飲んでいた近所のおじいさんが、私に気付いて目を丸くした。
「そっちの子が綾音ちゃんと同い年いう子か? はあー、大女だな。小学生には見えんわ」
何がおかしいのか、集まった人たちがどっと笑う。
パパも少し気まずそうに笑っていた。ママだけが心配そうに、私をちらちらと窺っている。
「おおおんなだって!」
「変なのー!」
集まった近所の子供たちからも、容赦のない声が飛んでくる。
私は思わず背中を丸め、皆の視線を避けるようにうつむいた。わざわざ言われなくても、他の同級生より背が高いことくらい、自分が一番よく分かってる。
誰にも気づかれないように目をぬぐい、音を立てないよう鼻をすすった。
コップに注がれた冷たい緑茶を飲み干すと、少しだけ胸が落ち着く。
黒いつやつやのテーブルに並ぶおかずはどれもべったりと甘くて、濃いお醤油の味がした。
私やママが食事を終えても、パパは本家や近所の人たちと一緒にいつまでもダラダラとお酒を飲んで、やっと家に帰る頃には時刻は午後十時近くを回っていた。
その翌日の夕食も、何故か当然のように本家のお屋敷で一緒に食べることになった。
いくら私が嫌がっても、パパは「地元の人たちと話すのも仕事のうち」だと全然聞いてくれない。
それどころか地元の子たちと打ち解けるために私も積極的に交流すべきだと、斜め上なお説教をされる始末だった。
机に並ぶのは昨日と変わらずお醤油の味のべったりと甘い煮物や、しょっぱい漬物や焼き魚だった。
唐揚げやフライは普通だけど、それでもママの料理の方がずっと美味しい。
食欲もわかず、ちびちびと緑茶で白いご飯を流し込む。
引っ越す前、ママがよく自家製のハーブを入れて作ってくれたパスタやピザ、ハンバーグが無性に恋しかった。
「夏帆ちゃん、ちゃんと食べとるの?」
自分が使った食器を台所の流し台まで持っていこうと立ち上がると、あまり汚れていないお皿に気付かれたのか、男の人たちにお酌をして回っていた本家のおばさんが見咎めるように言う。
「あ、はい。ごちそうさまでした」
おばさんは広間の奥の男性陣をちらりと見遣ると、箸を机に置いた。
「夏帆ちゃん、綾音の部屋で遊んできたら? お父さんのお食事が終わるまで暇やろうし」
綾音という子は私と同い年らしい。
昨日の挨拶や食事の時も顔を出さなかったため、私は彼女をまだ見たことがなかった。
「え? でも、別に……」
「せっかくだから遊んでもらいなさい、夏帆」
どうしてパパは昨日から、いちいち余計なことばかり言うんだろう。
おばさんにへりくだって、そのくせ私には指図するような言い方にチンときた。別に「遊んでもら」わなくたってちっとも構わない。
「鈴音、あんた夏帆ちゃん連れて行ってあげなさい」
断る間もなく、おばさんは大きな声で子供たちの席から自分の娘を呼んでしまう。
私は綾音の妹に案内され、二階にあるという彼女の部屋に向かった。
しかし一階の奥の階段をのぼろうとしたその時、台所からお手伝いさんの声が響く。
「普通、本家に呼ばれたらエプロン着て手伝いにくるもんだのに。よっぽど世間知らずやわ、あのお嫁さん」
聞こえよがしな陰口に気が滅入る。
一瞬、誰のことを言っているか分からなかったけれど、本家のおばあさんの声が
「正くんも苦労しとらんとええけど。ああいう大人しそうな女ほど、何考えとるかわからんで」
と答えた瞬間、ママのことを言っているんだと気付き、私は思わず立ち止まった。
――――――――馬鹿じゃないの?
苦労してるのはパパじゃない。私とママだ。
そう口に出してしまいそうになり、思わず唇を噛んだ。