山より来たるもの①
長らく中止となっていたトンネル開通工事が再開したのを知ったのは、一ヵ月ぶりに麓の町へと出かけた時のことだった。
自家用車で峠道を下っていると、交通規制の白い看板が路肩に立てられている。
ちらりと横目で窺えば、隣山の裾から伸びる細い道路に、ショベルカーやクレーンといった工事車両がぽつぽつと停まっているのが見えた。
(あのトンネルは、確か————)
運転しながら、おぼろげな記憶を掘り起こす。
三年前の夏、作業員が見回り中に行方不明になって以来、工事は中断されていたはずだ。
再開されたということは、失踪した作業員が見つかったのだろうか。そんなことをぼんやりと考えていると、工事用の仮設信号機が赤に変わる。
ブレーキを踏み、封鎖された工事区域の向こうにそびえる小高い山をフロントガラスの窓から見上げた。
鬱蒼と茂る木々の合間から、ところどろ倒れた木々や、崩れて剥き出しになった山肌が覗いている。
周囲の山々と比べると少々、人の手を離れた印象が否めなかった。
峠を越えて国道に出た途端、焼けつくような日差しが降り注ぐ。
鉛色のコンクリートから立ちのぼる蜃気楼で、前方の景色がぐらぐらと煮立つように揺れていた。
「すごいなあ」
窓から眺める街並みの景色に感嘆半分、呆れ半分のため息をつく。
盆も半ばを迎えた酷暑の中でも「小京都」と称される古い街並みは、国内外から訪れた大勢の観光客で賑わっていた。
照り付ける日差しに炙られながら、観光客でごった返す大通りを見ているだけで、冷房を効かせた車内にいるはずの自分まで汗がにじんでくるような気がして、房の風速を一段上げた。
駐車場に車を停めて、取引先の土産物屋・双樹堂へと足を運ぶ。
薄鼠の紬に黒い紗の羽織という和の装いに身を包む僕に、道行く人々がちらほらと視線を投げてくる。和装など、さほど珍しいものでもないと思うが、洋装が常の人には新鮮なのかもしれない。
暖簾をくぐった真織を、丸々と太った初老の男性……店の主がすかさず店の奥から出迎える。一礼し、僕は持参した紙袋を差し出した。
「お疲れ様です双樹堂さん。こちら、ご注文のお品です」
店主は人の良さそうなえびす顔を和ませ、両手で紙袋を受け取る。
「毎度ありがとうございます、坂之井さん。暑かったでしょう、今お茶を用意します」
「いえ、お構いなく」
「そう仰らず、涼んでいってくださいよ。ちょっとご相談したいこともありますし」
用事が済むと早々に立ち去ろうとする僕に、双樹堂の店主はにこやかに食い下がった。会計を済ませた子連れの女性客が立ち去ると、ちょうど店内は客が途絶える。
店主は息子に店番を任せ、僕を応接間に招き入れると、手ずから冷茶と水羊羹をふるまってくれた。
「坂之井さんのお品、評判いいんですよ。根付や像も人気やけど、特にお面が売れ筋で」
「お面ですか」
「ええ。最近じゃ予約したい、個人的に注文をしたいと仰るお客様も少なくないんです。出来たら少し品数を増やしていただけると、当店としても有難いんですが」
内心苦笑し、出された水羊羹を一口齧った。
控え目なこし餡の甘さと、爽やかな笹の香りが舌の上に広がる。
赤字に金箔をあしらった漆塗りの銘々皿に、自分の生白い顔がおぼろげに映り込んでいた。
「あいにく僕は面打ち師ではありませんし。お恥ずかしながら、納品している分をこなすので手一杯で」
「そうですか。確かに、ご作業に差し支えてしまってはいけませんからなあ。でももし気が変わったら、いつでもおっしゃってくださいよ」
やんわり断ると、付き合いの長い店主は深追いせず引き下がってくれた。
打ち合わせが一区切りつくと、僕はふと思い立って「そういえば」と切り出した。
「乙黒山のトンネル工事、また始まりましたね」
店主はちらりと顔を上げた。空になった自分のグラスに冷茶を注ぎ、ひと息で飲み干す。
「そうそう、先月から再開しとりますなあ」
「ということは、行方不明だった作業員の方が見つかったんですか?」
冷茶をすすりながら、それとなく尋ねてみた。
「それが、未だに見つかっとらんそうですよ。まあほとぼりが冷めたっちゅう判断でしょうなあ」
「なるほど。確かにあのトンネルが通れば、だいぶ便利になりますからね。再来年の春先には開通するどか」
「どうやろなあ……あの一帯も、なかなかいわくつきというか」




