怪至①
「……いいじゃないか。オチも綺麗で、なかなか興味深い話だったよ」
私が話し終えると、真織はこちらを見ようともせず、木材を小さなノミで彫り進めながら呟いた。
薄暗い部屋にカリカリと、木を削る音がひっきりなしに響き続ける。
「そりゃ良かったな」
話を聞きながら作業をすると集中できるというのは、あながち嘘ではなかったらしい。
彼は始終、作業の手を止めることはなかった。
「幼馴染が迷い込んだ場所は一体どこだったのか、神社の石像や、青い着物を着た子供の正体とか、そそられる謎や伏線はたくさんあるけど」
友人はそこで言葉を区切ると、ノミを置き、やっと顔を上げて私を見た。
「――――まず一番気になったのは、どうして君はこの怪談の前提で嘘をついたのかということかな」
「……は?」
蝋燭の炎が揺れる。
壁に伸びた真織の影も、それにつられて大きく揺れた。
「Aと君は立場が逆だろう?」
「…………」
「行方不明になっていたのは幼馴染のAじゃない。君自身だ」
唖然と言葉を失う私に、友人は淡々と追い打ちをかける。
「そして青いワンピースを着たCという子は、ひょっとして君の妹さんじゃないのかな?」
何も言い返せなかった。二つの指摘はいずれも図星だったからだ。
「澪に……妹に聞いたのか?」
気付かれないよう、細心の注意を払って話したはずだ。
真織は木材に向き直り、ノミで彫った面にヤスリをかけ始める。
「いいや、初耳だよ。ただ、こんな人里離れた山の中で暮らし続けているとね、自分でも嫌になるくらい感覚が鋭敏になってしまうらしい」
手を止めることなく、自嘲するように呟く。
先ほどまで手のひらほどの大きさの立方体だった木材は、真四角の外殻を残しつつ、中に何かが彫られているようだった。
「先ほど君は言ったね。あちら側をさまよっている最中、濡れた土のにおいに混じってかすかに、吐き気をもよおすような腐臭がしたと」
シャッ、シャッと木が削れてゆく音が、静まり返った部屋でひそかに響く。
不意に作業机の上の、三猿の木彫り人形が目についた。
見ざる、言わざる、聞かざる……自分の握りこぶし大の、それぞれ両手で目、口、耳を覆った三匹の猿たち。
しかしよく見ると、それらの手の位置は絶妙にはずれていた。
目元に両手を置きながら、見開いた目を指の隙間から覗かせ、こちらを凝視する猿。
口をふさいるのではなく、まるで声を拡散させるように口元を手で覆い、丸めた手のひらの奥で歯を剥き、大口を開けた猿。
両手をそれぞれ耳の後ろに当て、音を集めるようにして聞き耳を立てる猿。
真織が土産物屋に卸した人形とよく似ているが、決定的に何かが違う。あの三匹は「三猿」ではない。
目、口、耳を剥き出した彼らの表情に禍々しいものを感じ、私はあわてて猿たちから目を逸らした。
「君の体からは時々、あいつとよく似たあちら側のにおいがするんだ」
「……あいつ?」
それには答えず、真織は無心で紙やすりで木材を磨く。
とっさに袖口を鼻に近づけた。自分のにおいは自分で気付かないとはよく言うが、特に異臭は感じない。
「よし、出来た。さてと」
ぽつりと独り言ちて、真織は座椅子から立ち上がる。
真四角の箱のような完成品を眺めると、着物の袖でさっと拭った。
自身の着物についた木屑をパンパンと床に叩き落とし、隣の部屋――障子戸の前で鎮座する人形に、ふらりと歩み寄る。
そんな友人の行動に不穏なものを感じ、つられて私も立ち上がった。
「お待たせ、ひいおばあちゃん」
何を思ったのか、真織は藤色の着物の襟に手をかける。
「お、おい。一体何を……」
止める間もなく、活き人形の胸元がはだけて露わになってしまう。
しかし着物の下の胴にはまるで何かを隠すように、湿布のように白い和紙がぴたりと貼られていた。
友人は躊躇うそぶりすら見せず、慣れた様子で和紙をはがす。
目を逸らそうとしたその時、視界の端をよぎった異様な影に、思わず視線を戻す。
「なんだよ、これ……穴?」
なだらかな二つの膨らみをもつ胸部、その中心が立方体の形にくり抜かれていた。
おそらく陶器でつくられ胡粉が刷かれた胴に、ぽっかりと空いた真四角の穴。
「僕も理屈はよく分からないけれど、この匣は曽祖母の核になるんだ」
そう言って、真織は右手に持っていた四角い木材を私にかかげて見せた。
ハコと言われた通り、木で作られた真四角の立方体だ。しかし彼は、先ほどからずっと、ノミで何かを彫っていたはずだった。
「核?」
「君はさっき怪談をひとつ話してくれただろう。怪異は語られた瞬間、聞き手の心に巣食って魂が宿る」
あまりに淡々と言われたため、一瞬聞き流してしまいそうになった。
「魂って……何言ってるんだ。お前、酔ってるのか」
真織は酔ってなどいない。
どれほど酒を飲んでも酔えない体質だからだ。
学生時代からそれを知っているはずなのに、違うと分かっていてもそう言わずにはいられなかった。




