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いざなうもの⑤

「なあ爺ちゃん。隣町のゴミ屋敷って、誰か住んどるん?」

 翌日、Aが何気なく尋ねると、祖父の顔色が変わった。

「お前、あの屋敷に入ったんか」

 昨日の権幕を思い出し、Aや従姉弟たちは縮こまる。

「頼む。怒らへんで、頼むから正直に言うてくれ」

 てっきり怒鳴られるとばかり思ったら、祖父は懇願するような声でそう続けた。そんな祖父の様子に、Aは子供心ながらに隠し事はできないと思ったという。

「……家の中までは入ってない。門の中には入ったけど、お勝手口までしか行ってない。本当だよ。昨日も言ったやん、Cちゃんによく似た子を勘違いして追いかけていったって。そんで、その子がお勝手口の中に入って……」

「あの屋敷に、お前たちと同じくらいの子供がおったんか?」

 差し迫った表情の祖父に気圧されるように、おずおずと頷いた。

「うん。青い浴衣みたいな着物の、男の子なのか女の子なのかよう分からん子……」

 Aの答えを聞いた瞬間、祖父はヒュッと音を立てて息を飲んだ。

 孫の顔をまじまじと見つめ、しばらくしてから長く大きなため息を吐いたという。

「…………そうやったか。よう正直に話してくれた」

 かすかに震える声でそう言って、皺だらけの手でAの頭をそっと撫でる。

「お前が見たのは人やない。ツツミワラシや」

「つつみわらし?」

「ここらは昔、水害の多い土地やったのは知っとるやろ。鉄砲水が起こるたび、大勢のもんが流されて死んだ。せやからわしらのご先祖様たちは水害が起こらんようにするため、堤防ん中に……」

 Aは固唾を飲み、祖父の言葉を待った。しかし祖父はふと苦虫を噛み潰したような顔で、口を噤む。「……いや、忘れえしまえ。あの屋敷はもう、かなり前から誰も住んどらん。二度と近寄ったらあかん」

 話を強引に断ち切るように言って、おもむろに立ち上がると、祖父はAに背を向けた。


 その翌年の春、A家は父親の転勤で一家揃って大阪に引っ越した。

 Aが体験した一連の出来事は、一体何だったのか。何故、AとCちゃんはお祓いを受けなくてはならなかったのか。

 それら一切を語らないまま、Aが中学生にあがる前、彼女の祖父は病死した。

 二年後、Aが迷い込んだ「ゴミ屋敷」は取り壊され更地になり、しばらくすると新しい家が建っていた。

 実はこの話には、些細な後日談がある。

 Aから当時の詳細を聞いた私はふと思い立ち、地元の神社を参詣した。

大国主命、秋葉大権現、稲荷大社に参拝した後、秋葉権現の末社の裏、鎮守の杜にぽつりと建つ祠にふらりと立ち寄る。

 祠に手を合わせてから、私はおもむろに裏手へ回り、地面に置かれた石像の数を目で数えた。

 やはりというべきか――――減っている。

 何度数えても、石像は五体しか無かった。

 もっとも私はこの小さな祠の裏に石像が置かれていたことは知っていたが、数を数えたことなどこれで初めてだ。だから本当に一体減ったのか、それともAが最初から数え間違えていたかは分からない。

 Aと私は幼稚園からの幼馴染だ。

 小学四年生の時、Aが父親の転勤で大阪に引越してからも、母親同士は年賀状のやりとりを続けていた。

 が、私たちが中学三年生の時、Aの父親が再び本社勤務となったため、A一家は再び地元に帰って来た。

 かくして再開を果たした私たちは、奇しくも同じ高校に通うことになる。

 そして高校二年生の修学旅行の夜、私はAから行方不明の事件の顛末を聞いた。

 Aがゴミ屋敷に迷い込んだその日、私は親戚の子と遊園地に行っていた。

 夕方家に帰ってきた時、ちょうどAのお祖母さんから「Aを見ませんでしたか」と電話がかかってきたことを覚えている。

 小学生の頃、私はAとよく遊んだ。

 Aや彼女の従姉弟たちと、神社や空き地でかくれ鬼をしたこともあった。

 あれから十年以上が経った今でも、この話を思い出すたびに考える。

 タイミングや立場がほんの少しずれていたら、ゴミ屋敷に誘い込まれていたのはAではなく、私や他の子たちだったのかもしれないと。

 祠の裏の石像が一体減ったことを、Aは知っているのだろうか。

 尋ねようと思ったことは何度かあったが、結局言い出せないまま、私たちは高校を卒業した。

 私は隣県の大学に、Aは東京の専門学校に進学し、再び離れ離れになった。

 それから幾度かAと会って話す機会はあったが、神社や石像、ゴミ屋敷のことが話題にのぼることはついぞ無かった。

 神社は二年前、老朽化のため大規模な改装工事が行われたと母から聞いた。石垣や柵はそのままに、拝殿や社務所の大部分が改修されたらしい。

 裏の石像がどうなったかまでは知らない。

 大学を卒業してから名古屋で就職して実家を出た私は、それきり新しくなった神社に詣でる機会に恵まれないまま今に至る。

 東京で結婚して働いている彼女も、きっと私と同様に、神社に行きそびれているのではないかと、何となく思う。


 ただ、ひとつだけ明らかになったことがある。

 かつてAが遭遇したゴミ屋敷の子供――祖父が語らなかった「ツツミワラシ」のことだ。

 私が数年前に帰省した盆の折、祖父の墓参りの際、菩提寺の住職と他愛もない世間話を交わした中で、ふと気になって「ツツミワラシ」のことを尋ねてみた。

 当時、私は大学で民俗学を専攻していたが、どんな郷土資料や民話の研究資料を紐解いても、それが何かを知ることが出来なかったからだ。

 それとなく尋ねた私に、人のよさそうな住職は困ったように眉を下げて笑った。

「そらあ、お祖父さんが正しいわ。子供に話せるもんやないで」

「どういうことですか?」

「ツツミワラシはな、つつみわらしって書くんや。堤防の堤の字な。まあ教えたってもええけど、あまり大きな声で話すようなことやないからね」

 念を押すように言って、住職は声を低くする。

「堤童子いうんは、人柱や。残酷な迷信やけどな、昔は橋やらお城やらを作るとき、土台に人を生き埋めにしたら崩れへんって信じられとった。堤童は文字通り、堤防が崩れんように堤の中に埋められた子供や。ここらは貧しい土地やったから、口減らしも兼ね取ったかもしれへん。埋められたのはもっぱら、十にもならへん子供やったらしい」

 半ば予想していたとはいえ、悲惨な歴史に答える言葉もなかった。

「せやから、せめてものはなむけやったんやろうねえ。埋められる子供には晴れ着を……青の四つ身を着せとったそうや」

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