死んだ人の幸せな一言
沖縄はニホンではなかった。
あと、北海道は3つあった。という現実を知ってほしかった。
「貴方に最後の選択をあげますね。私は女神さまですから」
ふんす! と、胸を貼る胸の無い自称女神様が俺の前に居るわけだが。
白い紙に白いワンピースな可愛い女の子を前にして90歳の儂は頭を撫でて上げるべきであろうか。
爺ちゃんは孫に甘いのはいつものこと。孫の友達に馴れ馴れしくしすぎて孫に嫌われて、婆さんにも呆れられた儂の記憶が蘇る。
「ああ、儂は幸せな人生を歩んできた。選択をくれるのは嬉しいがお嬢ちゃん、儂はこのままでいい」
そう、大往生で死んだのだから何も悔いは無いのである。
「えっとね。ふむむ」
自称女神の女の子が手に持ったノートをペラペラと捲りながらこんなことを言った。
「貴方は死にました。そしてですね」
「死ぬ時に最後に誰かに何かを伝えたいですか? それとも、誰かに何かを言ってもらいたいですか? 二つの内、一つだけしか選べません」
儂は何かを伝えたいのだろうか。誰かに何かを言ってもらいたいのだろうか。
……わからない。
・
母子家庭で育った俺は母親が大好きだ。
親父? 知らん。家庭を顧みない奴なんざどうでもいい。
戦争で死んだとでも思って生きていた。儂は沖縄で生まれた、その頃は、まだ沖縄は日本ではなかった。
暑い日差しと、言葉の壁と変わりゆく琉球はその次代の俺等は受け入れなければならない感情と、受け入れられない感情と……。
いつの間にかニッポンではなくニホンという言葉に代わり、沖縄はニホンに組み込まれていた。
学習も、教わっていた言葉が変わっていって、う、から、わ、からし、から、儂に儂はなっていった。
儂は儂という言葉を使って儂を伝えている自分が気持ち悪く思いつつも、幸せに生きようとしていた。
たくさんの人が死んだ。知り合いとか友人とか肉親とかそんな身近なものではなかった。
ただただ、死んだのだ。それを時代は時は受け入れて、忘れるのか…
うは、いや、儂は死にたかった。あの時に一緒に死にたかった。
思い出したくもない、死んだ友人の顔が悍ましい記憶の中から這い出してきては夢の中でうなされる。
好きだった場所も、好きだった家も、好きだった。
そう、儂にとっては全ては過去のことだ。
今は幸せにニホンで沖縄として幸せなのだろうか? 未だにアメリカの影響が残り続けるこの地に友人たちの血がこびり着いている。
私は日本人なのだろうか? うは、ニホンではなかった。日本人では無かったのに。言葉が通じてしまう。
孫たちの笑顔を見るたびに儂は思うのだ。
この笑顔は何も知らないほうが幸せという。
そんな自身を攻める顔も忘れた友人たちが問いかけているのではないかと。
だから儂は自称女神様にこう答えた。
・
「儂の選択を女神様に委ねたくない。儂は幸せだったと、儂は子らに、うは、思う。ありがとう」
その言葉が、肉親に届かなくてもきっと、爺の意地だけは世界に残って欲しいと思ったんじゃよ。
さようなら