第二話 キレナイカの奇跡
■1941年(昭和十六年)1月 リビア エル・メキリ
西とアンジョーニらのバビーニ装甲旅団は、急進してきたイギリス第四機甲旅団についに捕捉されてしまった。
倍の数をもつイギリス戦車部隊に果敢に挑んだ彼らだったが、多くの敵戦車を撃破しつつも燃料弾薬切れにより次々と活動を止めていた。
戦闘前に、日伊両軍の戦車兵らは生き残る事を厳重に言い含められていた。擱座した戦車から脱出した彼らは、言いつけ通りあらかじめ用意しておいた白旗をすぐに掲げている。
幸い撃破された数の割に生存者は多い。イギリス軍戦車の2ポンド砲が徹甲弾しか使えず、西らの戦車がディーゼルエンジンで残弾もなかった事が功を奏し、爆発しない事が理由だった。
そして今、イタリア側で戦闘を続けているのは西とアンジョーニの2両の戦車だけだった。敵はまだマチルダII戦車1両を含む10両以上が生き残っている。
「敵、目標二時、距離1000!てっ!」
放たれた47mm 徹甲榴弾は不用意に側面を晒していたMk.II戦車の砲塔に吸い込まれた。わずか12mmしかない装甲を簡単に貫いた砲弾は砲塔内で爆発する。
砲塔下部の予備弾薬、次いで燃料のガソリンが誘爆したMk.II戦車は砲塔を空高く噴き上げて爆散した。遠方でほぼ同時にMk.I戦車が爆発する。アンジョーニがまだ健在な事を確認し、西の口元に笑みが浮かぶ。
「進路10時、躍進100!残弾は?」
2両を撃破したとはいえ、まだ敵の数は多い。西は表情を引き締めると車内に指示を飛ばした。
「徹甲(徹甲榴弾)残り3発!」
「抵抗できるのはあと少しか……ならば最後は大物を食おうか」
西は装填手の答えに頷くと咽頭マイクを抑えアンジョーニを呼び出した。
「アンジョーニ、こちらの残弾3。そっちはどうだ?」
「こっちも残りは2発だヨ。もう十分に時間は稼いだ。准将も死んじまったし、もう意地は十分見せた。どうする西?そろそろ降参するカイ?」
「ここまで来たらギリギリまで粘りたいな。それにこれが最後ならあの亀野郎と決着をつけておきたい」
西の言う亀野郎とは、マチルダII戦車のことであった。
その戦車に西やアンジョーニ達は常に苦汁を飲まされてきた。砲は他のイギリス戦車と同じ2ポンド砲なので怖くない。動きも鈍重だ。しかし全周を覆う分厚い装甲は彼らの戦車の47mm砲では容易に貫けない。いまだ彼らはマチルダII戦車を撃破した事が無かった。
「以前にも狙ったが500でも抜けなかったゾ」
「ならばもっと肉薄するだけだ」
「……まったく突撃好きは変わらんな。仕方ない俺も付き合おう。白旗をちゃんと用意しておけヨ」
「すまんな」
こうして二人の操る戦車は敵のマチルダII戦車に向けて最後の突撃を開始した。
「油断したな……」
擱座したマチルダII戦車の上でイギリス戦車連隊指揮官の中佐が自嘲した。周囲を見渡すと敵味方多数の戦車があちこちで煙を上げている。敵は全滅させたはずだが撃破された数は味方の方がどう見ても多い。これではどちらが勝ったか分からない。
彼の言う通り、イギリス第四機甲旅団は完全に油断していた。
確かに敵の戦車部隊が手強い相手であることは、これまでの戦闘から十分に理解していた。しかし既に敵の補給は切れ士気も崩壊している。ここで抵抗した所で包囲殲滅されるしかない。イタリア人なら適当な所で戦闘をやめて降伏するだろう。そう思っていた。
だが、いざ戦闘が始まってみると敵は予想外の抵抗をみせた。結果的にほとんどの敵は降伏した。しかしそれは弾切れや燃料切れが理由だった。つまり戦える限りは最後まで抵抗した事を示していた。
「負けた癖に、なんだ奴らのあの表情は」
敵兵士らは降伏したくせに皆笑っていた。まさに「やり切った」という晴れ晴れとした表情だ。まったく腹立たしい、そして見上げた根性をした連中だった。
最後まで抵抗した2両の戦車は特にそうだった。
マチルダII戦車を挟み込むように突撃してきたその2両は、ついでとばかりに2台の味方戦車を食った後、至近距離で砲を放った。
まったく無謀としか言いようがない。奴らの砲ではゼロ距離でもこの戦車の装甲を貫けないというのに。
「馬鹿な奴らだ」
そして勇敢な奴らだった。
砲が効かないと分かった連中は(後で調べたらもう弾切れだったらしい)、そのままこの戦車に突っこんできた。おかげで足元にはマチルダIIのサンドウィッチが出来上がっている。とても食えたもんじゃないが。
両サイドから十数トンの質量に激突されれば、いくら重装甲のマチルダIIでも只では済まない。衝撃で足回りを破壊され走行不能となってしまった。車体まで歪んでいるから、この戦車はもう二度と使えないだろう。これが北アフリカにある最後のマチルダIIだったというのに。
その上、機甲戦力に大損害を受けたイギリス軍は、それまでの無茶な突進もあって敗走するイタリア軍を結局捕捉できなかった。もうベンガジへ逃げ込まれるのを阻止できない。こうなったのも全部ここに居る奴らのせいだった。
そして視線を横にずらせば、この事態を引き起こした張本人らが早速騒ぎを起こしていた。
「なんだこの不味い飯は!」
「パスタ食わせろ」「いや蕎麦だ!」
まったく本当に馬鹿な奴らだ。中佐は苦笑すると騒ぎを抑えるためマチルダIIを降りて行った。
エル・メキリにおけるイタリア軍の奮闘と退却成功は「キレナイカの奇跡」と呼ばれた。バビーニ装甲旅団は英雄として称えられ、その奮闘ぶりは後にロンメルや敵であるモントゴメリーすらも称賛したという。
この後、西とアンジョーニはケニアの捕虜収容所に収容され、終戦までそこで過ごす事となる。
ただし彼らはここでも大人しくはしていなかった。窓から見えるケニア山になんとなく登りたくなった彼らは、登山経験者を誘って収容所を脱走し、なんと80kmも離れたケニア山に登山に出掛けてしまったのである。
物資をくすねて作った貧弱な登山装備しか無かったにも関わらず、彼らは4人で見事レナナ峰(4,985メートル)に登頂成功してしまう。
意気揚々と捕虜収容所に戻った彼らはイギリス人に怒られるより呆れられ、懲罰は1か月の独房で済んだという。
両国の戦車については、第二次世界大戦で日本とイタリアの交流が遮断された事により、それぞれ独自の進化を遂げていく事になる。
日本は一式、三式と次々に新型戦車を開発したが本土に温存されたため戦場の主力とはならず、終戦まで九七式中戦車改が前線で戦い続けた。
イタリアはより強力な75mm砲を搭載した戦車の開発を目指したが技術者不足により未完に終わる。その結果イタリアの主力戦車は、降伏の日までずっとM16/39とその派生型である砲戦車セモベンテであった。
■2013年(平成二五年)神奈川県 藤沢市
湘南の海岸線を走る国道134号線は、沿道に江ノ島などの観光名所も多く映画やドラマで使われることも多いため、いつも車や人が絶えない。
そんな渋滞名所の国道沿いに変わったレストランがあると最近話題になっていた。
「Carro Armato-CHIHA」。イタリア料理と日本料理をミックスした無国籍料理が売りの店である。戦後すぐにこの地に開店し、それなりに歴史のある店として地元では有名な店であった。
とは言え昨年まではそれほど客も多くなかったのだが、今年から一部で話題になった結果、若い客で常に混雑するようになっていた。
「今更アニメなんかで話題になるなんてね。やっぱり僕の代で店の名前を変えとけば良かったかな?はいよ明太子パスタ・キレナイカ風」
背の低い方のシェフが厨房から料理を差し出しながら愚痴る。
「そんなことしたら高祖父達が化けて出るヨ。それに若い客も増えて良かったじゃないカ。ほらジェノベーゼ蕎麦できあがり」
背の高い方のシェフが混ぜっ返す。こちらは外人の血がいくらか混じった風貌であった。
出された料理を二人の少女が客のテーブルまで運んでいく。
「来月で二人とも高校入学か。寂しくなるな」
「変な男に引っかかるなヨ」
その少女らの後ろ姿に彼らが声をかける。
「もう、女子高だから大丈夫って何度も言ったでしょ」
「まったく父さん達は心配性なんだから~」
彼らの言葉に少女らはコロコロと笑う。二人の少女は来月からそれぞれ別の高校に進学する予定だった。一人は栃木県、もう一人は千葉県だった。どうしてもやりたい部活があるというのが理由らしい。
県外という事で父親である彼らも最初は反対したが、全寮制の女子高で妻も娘の味方に回った結果、最期は渋々折れるしかなかった。
「まぁ、たまに顔を見せてくれればいいよ」
「いきなり彼氏を連れてくるのだけは勘弁ナ」
西とアンジョーニの子孫らは今も日本で仲良く暮らしている。
イタリアが史実よりマシな機甲戦力を持っていたので、コンパス作戦の展開やイタリア軍の被害も史実と少し変わっています。大負けする事に変わりありませんが。
ケニア山のエピソードは実話です(もちろん登頂したのは西やアンジョーニではありませんが)。イタリア人パネェです。
藤沢にあるというレストランは「シーキャッスル」をイメージしました。もちろんあんな面倒くさい店でなく開放的な雰囲気のお店という設定です。