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第二話

 改めて今日仕出かした事の大きさに、和樹はベッドの上で震えていた。あの時は電車の中のような光景をもう見たくないと必死だったために気付かないようにしていたが、正規手順以外での接続は紛れも無い違法行為だ。

 犯罪者になってしまった、和樹の思考はそれで占められていた。ぐるぐる、ぐるぐると思考が頭の中を巡っている。その思考のループを遮ったのはイリスの言葉だった。

 一切証拠は残していません、マスターを罪に問うことは出来ないと思われます、といわれたのだ。そのことに僅かばかり安堵して、自己嫌悪に陥った。犯罪行為であるのは一緒なのだ、何を安心しているのか。

 和樹の順法精神は意外に高い、少なくとも進んで違法行為を行おうとは思わない程度には。その点、イリスに順法精神はほとんど無い。イリス達管制人格の成り立ちを考えればそれも無理も無いことだ。

 管制人格はマスターの個人情報を不正な手段から守るために存在している。不正接続を確認したときのみ、その力を最大限に使い相手を撃退しているのだ。イリス達管制人格が戦ってきたのは既に違法行為を行っている相手であって、法を守る存在などに一度も会ったことが無かった。それに法を気にしていては負けていた相手もある。

 そんなこんなでイリス達管制人格には法律の知識はあっても、それを守るという概念がほとんど無い事が多かった。あったとしても自身の仕事を少しだけ減らすルールと言った認識がほとんどだ。管制人格にとってはマスターの意思こそが唯一にして絶対の法と言ったほうがいい。故に順法精神など望むべくも無いのだ、イリス達管制人格には。

 そのことに思い至り和樹は思案する。この非常識娘にどう常識というものを教えたものかと。少なくとも法の何たるかだけは教えなければなるまいと和樹は決心する。法律の条文ではイリスに間違いなく軍配があがる。先ほどの言もそれを証明するものだ。しかしながら法の精神――安全に社会生活を送れるようにするために法が存在するという認識では、まだ和樹に軍配が上がるだろう。

 イリス達は自分達を人間に使われる道具だと思っている。一部においてその認識は正しいだろう。しかしながら和樹はどうしてもそれを認められなかった。和樹はイリスを一個の独立した思考形態を持つ存在、簡単に言えば人と同じ知性体だとすでに認めている。

 それを道具と思うことは和樹にはどうしても抵抗があった。だからだろうか、和樹は無意識のうちにイリスを一人の人間として扱っていた。自身を道具だと思うイリスと、人間だと感じる和樹。その差がイリスと和樹の法に対する温度差に間接的につながっていた。


 休日の夜も更け、和樹の法の精神談義も一息ついた。これからのことを和樹はイリスと相談することにする。これからどうするとの和樹の問いに、返される言葉はマスターの思うままにというもの。その対応に和樹は頭を抱えるしかなくなる。さっきから、和樹はイリスが自身と対等な存在として接して欲しいと頼んでいるのに、聞き入れてくれないからだ。呼び方はともかく自身と同程度か、それ以上の知能の持ち主に傅かれるのは和樹の趣味ではない。

 その事をどう伝えようかと考え、もう遅い時間であったことに気付く。明日は学校がある、今日出来ることはここまでだと和樹は見切りをつけた。そうと決まれば和樹の行動は早かった。イリスに五感への干渉を止めるようにたのむと、すぐさま着替えに入る。そしてそのまま入浴、洗面を済ませ床につく。明日はどんなことが起こるのだろうか、そんな埒もないことを考えながら、和樹は眠りについた。



 和樹が夢うつつでそんなことを考えていたころ、警察庁情報対策課はてんやわんやの大騒ぎであった。またもや論理爆弾が見つかったのだ、よりにもよって警察庁が管理するサーバの中にだ。発動前に見つかったのが不幸中の幸いだろうか。しかしそれは気休めでしかなかった。

 真澄は手元にある被害予想報告書をその切れ長の瞳でにらみつけていた。その予想は殊更ひどいものだった。現状取れる手が選択肢の無いものである以上、この被害予想は当たり前のこと。しかしてそれが容認できるものであるかというと、断じて否と言わざるを得なかった。

 警察庁のサーバが無くなるということは、高度に電脳化されたこの世界では警察機能が麻痺するのとほぼ同じ意味を持つ。少なくとも電脳犯罪の増加は避け得ないものになるだろう。その再建にかかるまでの時間、現場の警察官だけで対応できるかといえば、難しいと返ってくるのが目に見えている。幸いにも時間はまだあるが、どう対応しようか真澄は頭を抱えていた。


 そんな真澄の悩みを吹き飛ばしたのは、一つの報告だった。情報研の連中が何とかできると言い出したのだ。情報研、正式名称を科学警察研究所情報科学研究室というその部署は、論理爆弾の現実的な対処法が物理破壊しかないとされてから、冷や飯ぐらいだったはずだ。事実、その研究予算は論理爆弾の対処マニュアルが出来てから年々減らされる傾向にある。

 そんな連中に何か出来るとも思えないが、真澄は藁にもすがる思いで協力を要請する。協力を依頼してからの情報研の対応は殊更に早かった。直ぐにそちらに対応班を向かわせると連絡があり。そして言葉どうりにその対応班が到着し、対策室へと入ってきた。

 それは一種異常な集団だった。一人を除き全員が研究者然とした白衣を着ており、その中心には十四、五歳だろうか若草色のワンピースを着た一人の少女がいた。少女の肌は抜けるように白く生気がまったく感じられない。その深い黒瞳もどこか輝きを失っており、それは少女の腰まで届こうかという黒髪も同じであった。整った顔に浮かぶのは乾いた笑み、何か大切なものを失った人間特有の諦観の表情だった。


 「情報研の白柿といいます」

 ――今回はよろしくお願いします。いえいえこちらこそ。そんな社交辞令じみた挨拶を情報研の代表らしき壮年の男性と交す。そんな挨拶が終わるやいなや、白柿と名乗った人物はさっそく問題のサーバの元へ自分を含む幾人かを案内するよう要請してきた。

 真澄は驚いた、驚くしかなかった。確かに事態は切羽詰っている、情報研の連中だけならば、少々引っかかりを覚えてもすぐさま案内しただろう。しかしながら白柿が指定した人物の中に部外者であろう少女が入っていたのだ、驚く以外にどうしろというのだ。それを白柿に伝えると、彼女がその対応策だと返ってきた。

 いったいその少女の何が対応策なのかと真澄がいぶかしんでいると、あなたには関係ないことだといっそ高圧的に突き放された。その言い草に真澄はカチンとくるが、今回協力を要請したのはこちら側だ。いかに本庁の付属機関とはいえ、最低限の礼儀は守るべきだろうと気持ちに蓋をする。

 詳しく話を聞こうとしても、彼女がいなければ何の意味もないと突き放されるばかりで、悪戯に時間ばかりが消費されていく。その問答に飽きたのだろう、少女は何時の間にかあたりを散策していた。そしてそれを目にすることになる。対策室の隅に置かれた証拠品、件の自動販売機をだ。

 管理体制をを疑われそうだが、あんな大物を保管しておく場所が無かったのだ。かといって無効化されているとはいえ論理爆弾などという危険物を野放しにしておく訳にもいかない。かくして外界から情報的に隔絶されている対策室の中におかれることに相成った。

 その自動販売機に少女は見とれた、あまりに見事だったからだ。論理爆弾をまるで赤子のように包む、その論理防壁による結界が。それを例えるならば一切の出入りを禁ずる白亜の牢獄と形容するのがふさわしいだろう。それほどに堅牢で綺麗であったのだ。思わず少女がその論理防壁に電脳世界で触れてしまうぐらいには。


 対策室の面々の視界の右下隅に赤い警告表示がいっせいに映る。その警告の下には接続切断推奨の赤い文字。誰もが呆然とする中、白柿一人が声を発していた。

 「長沼君、その論理爆弾を壊せ!! 」

 その声を聞いて長沼と呼ばれた少女は躊躇いもせずに、件の自動販売機に直接手をふれる。一瞬異音を耳が拾ったと思ったら、次の瞬間には視界の隅にあった警告表示は跡形もなく消え去っていた。いったい何があったのかと真澄は白柿を問いただしたが、白柿は自分で調べてみればいいと軽く突っぱねる。

 言われるまでもなく、真澄は件の自動販売機を調べていた。けれど真澄には何も分からなかった。こんな職場に配属されていることもあり、真澄の電脳戦レベルはかなりの位置にある。その真澄に何も分からなかったのだ、論理爆弾が消滅しているという事以外の何も。頭の中が真っ白になりかけて、ふいに袖を引かれて正気に戻る。傍らには化け物を見るような目で長沼と呼ばれた少女を見る、籐矢の姿があった。


 このごろは非常識なことが起こりすぎて困る、籐矢はそう心の中で独りごちた。同時多発的な電脳攻撃もその一つだが、一番の極めつけは今日この時間に起こった。完璧であったはずの反射防壁をたった一人の少女が解いたのだ、それも一瞬で。

 その後に起こったことも籐矢の予想を超えていた。論理爆弾の解体、それもまたもや一瞬でのだ。ここに至り籐矢は少女の異常性をはっきりと認識していた。この長沼と呼ばれた少女にとっては、いかなる防壁も防壁では無いのだ。

 「柊課長、彼ら、いや彼女をサーバルームに案内してあげて下さい」

 ――それでうちのサーバは元に戻ります。そう真澄に籐矢は進言する。そんな籐矢の言に真澄は目を見開いた、まさか籐矢がそれを言い出すとは思わなかったからだ。情報研の介入に一番懐疑的だったのは籐矢だった。

 その籐矢が介入を認めた、それは真澄にとって認識を改める一つの契機だった。うだつの上がらなさそうな格好をしているが、籐矢はこの情報対策課で一番の腕を持つ電脳技官だ。籐矢自身は直ぐ謙遜するが、その認識は情報対策課の全員が共有していた。

 毒を食らわば皿まで。真澄は腹をくくり、白柿ら情報研のメンバーを警察庁のサーバルームに案内することにする。緊急事態ということで、本来は面倒くさい申請手続きをふっとばし、外部の人間の入室許可証を受付に出させる。そして本来定期的にしか開かれない、三重の扉を押し開いた。


 そこは底冷えする世界だった。最高の性能を発揮させるために常に冷却されていることもあるが、ここに初めてきた人間は必ず恐怖を感じるらしい。整然と並べられた人の背丈ほどのサーバたち。その只中を担当技官を筆頭に情報研と情報対策課の有志一同がつき従う。

 そして中央に程近い一角にたどり着いたところで担当技官の足がとまる。どうやらここが論理爆弾が仕掛けられたワークステーションらしい。事実、視界の右下隅には警告と接続切断推奨の赤い文字が躍っていた。

 そのことに籐矢は驚きを隠せずにいた。物理的にも論理的にも中央に位置するここは集中防御区画とも呼ばれ、最も守りの堅固な場所だったからだ。そこに穴をあけられた担当者の落胆を、籐矢はおもんばかる。

 籐矢がそんな風に担当者にがんばれと心の中でエールを送っていると、どうやら準備が整ったらしい。白柿と長沼と呼ばれた少女がワークステーションに近づいていく。

 「では始めます、長沼君」

 ――はい。白柿の声に返されたのは、どこか夢を見ているような頼りない返事だった。長沼と呼ばれた少女は目をつむり、問題のワークステーションにその手を触れる。一瞬、先ほどの自販機と同じ違和感に襲われたが、それは直ぐに無くなり、終わりましたとの少女の声がサーバルーム内に響いた。ここに連れて来た担当技官が確認すると、本当に論理爆弾だけが綺麗さっぱり無くなっていた。



 警察庁の建物から出て、白柿泰助は僅かに嘆息した。これで今まで秘密にしてきたことが明るみに出てしまったからだ。論理爆弾の解体を個人レベルで可能とする固体、それが彼の研究対象である長沼沙里亜という少女だった。

 本当ならば表に出そうとは泰助は考えていなかった。今回のことも所長の強制が無ければ協力などしなかったはずだ。沙里亜の体調を慮ってとは表の理由で、裏の理由はただ研究を独占したいという利己的なものだった。泰助はそんな人間なのである、うまく覆い隠してはいるが。

 そうして忌々しそうに警察庁の建物を見やっていると、名残惜しそうにしている沙里亜が見えた。普段は何にも無関心を貫いている沙里亜のその変わった様子に、何かあったのかと泰助は問うた。

 返ってきたのは、やれ自販機がだの、結界が綺麗だっただの要領を得ない話ばかり。普段を知る人間として珍しいなと思うが、それ以上の感情は浮かばなかった。むしろ嫌悪を浮かべなかっただけまだましだった、泰助は沙里亜のいつものぼそぼそとした話し方が生理的に大嫌いだったからだ。

 「まあいい、かえるぞ沙里亜」

 泰助はそうはき捨てるように言うと、乗ってきた車へと戻っていく。沙里亜もまたいつもの無関心な笑顔にに戻ると、泰助の後をアヒルの子供のように付いてゆく。泰助は事あるごとに沙里亜の事を気にするが、それは研究対象に向ける関心であり表面的なものだった。

 沙里亜にもそれが分かるのだろう、決して沙里亜は泰助に心を開こうとせず関係は冷え切っていた。故に泰助は沙里亜のことをどうしても研究対象としてしか見ることが出来ず、また沙里亜も泰助を法的な保護者という事実以上に見れなかった。



 警察庁の内部で、真澄は証拠物件への部外者の接触に対して叱責を受けていた。だがこれは形式的なもので実際にその内容は、これからは気をつけてください、の一言に要約できるものだった。それに真澄は部長はよくこんなに舌が回るものだと変な意味で感心していた。

 叱責が終わると、事後承諾になってすいませんと緊急用の書類を部長に差し出した。それはサーバルーム立入申請書だった。刑事部長――沢渡信吾はその書類を一瞥し、おもむろに自身のサインをそこに書き込んだ。信吾は自身が抜擢した部下をこの程度は信頼していた、少なくとも現場での判断を追認するぐらいには。

 信吾自身がたたき上げの警察官だけあって、現場ではいちいち上の判断を待っている余裕が無いときがあることをよく理解していた。だからこその追認である。本庁サーバルームへの外部人員の立ち入り許可は、本来部長以上の権限だ。課長である真澄にその権限は無い。今回それが通ったのは、緊急時であったことと、刑事部長の信任厚い真澄だからであった。


 「今回の事件は内部犯か、外部犯かどちらだ柊課長」

 その問いかけは突然だった。そのことにいつも通りだと真澄は安心すらする。真澄はそれに偽りの無い本心で答える。当分は内部犯、外部犯の両面で捜査を始めますと。それに信吾は僅かに眉をひそめると、君自身の見解を聞きたいのだと強い調子で言ってきた。それに対して真澄は、外部犯だと思われます、ただそれだけを言った。

 内部犯の可能性は真っ先に思い付いて全て洗ってある、合法、非合法両方の手段を用いてだが。しかしてその結果は真っ白といってよいものだった。少しばかり怪しいものはいたが、その全てに物理的に不可能だったとの裏づけはとれている。

 事ここに至り、真澄は内部犯の可能性は限りなく低いとみなした。となれば外部犯だが、実はこれも全く証拠が無いのだ。鉄壁を誇る本庁サーバに何の痕跡も無く論理爆弾を仕掛けられる人間がいるのか疑問だが、あの少女や自動販売機の件もある。そんなことが出来る人間がいると考えておいた方が、精神衛生上でも捜査上でも適切だと真澄は結論付ける。

 「以上の報告を持って本件の捜査に移りたいと思います」

 自身の見解と調査した事実を、嘘偽り無く真澄は信吾に報告する。もちろん件の長沼と呼ばれていた少女のことも含めて。それに信吾は黙って頷くと真澄に退出を促す。辞した真澄の靴音が消えると、信吾はおもむろに引き出しを開けた。そこには仲良さそうにしている男二人と女一人の笑顔があった。

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