第十七話
直行とルナが鉄壁の門番と対峙していた頃、和樹達は未だにAIとの戦いに忙しくしていた。激流を通り越して濁流となった論理攻撃の刃を何とかさばきながら、和樹達はいつの間にやら役割分担が出来ている。
後方で沙里亜がAIの黒刃を可能な限り相殺し、相殺し切れなかった黒刃を和樹とイリスが前衛となって排除するという分担だ。和樹達は奇しくも直行たちが十数年かけて至った戦法に稚拙ながらたどり着いていた。
そのためAIと和樹達の間には論理攻撃が存在しない空間が出来上がり、和樹達は幾分余裕を持って事に当たることが出来ていた。その余裕を和樹は現状を打破する手があるかどうかの思案に使う。
相手の実力は強力無比。対してこちらは人間二人に管制人格一体、数の上では三対一で和樹達が有利だが、実力では完璧にAIの方が上だ。そんな格上の相手、それも隔絶したといった形容詞が当てはまる相手にどう対応したらいいのか、必死に無い知恵を絞っていた。
だが状況は解決策を持ち出すまで待ってはくれない。AIがこちらに一歩踏み出してきたのだ、その滝の様な黒刃はそのままで。和樹達はそれらを迎撃することに精一杯で近付いてくるAIに適切な対処が出来ない。
AIは一歩一歩優雅とも言っていい足取りでこちらに向かってくる。無論その両の手は縦横無尽に翻され、黒刃を無数に生み出しながらだ。和樹達は黒刃を白い戦斧と青い槍、両の手に纏った論理攻撃で打ち払っていく。
だがAIは全く気にする風も無く着実に和樹達に接近してくる。その足が攻撃圏内に入り和樹は吹き飛ばされた、足による打撃でだ。衝撃に顔を苦痛にゆがめ、思い切り歯を食いしばる。論理防壁が一気に二枚破壊された。
AIは勢いのまま一息で沙里亜との間合いを詰める。その身に纏う論理防壁の強度に任せた突進。電脳研の襲撃時に和樹がAIに対して行った行為だ。どうやら他人の模倣をする事に特化する事で、ごく短時間でここまで成長したらしい。
沙里亜も白い戦斧をAIの迎撃に当てている。だが両の手が翻され生み出される黒刃が戦斧を粉微塵に帰していく。和樹が気付いたときにはすでにAIの間合いに沙里亜は入っていた。その両手足が沙里亜を襲う。
その猛攻は見事と表現するしかなかった。直行や沙里亜の様な踊るようにと表現することは出来ないが、流水の様に滑らかであったからだ。和樹はその動きを知っている。自身の戦い方なのだから当たり前だ。AIは命がけの実戦で編み出した技術まで完璧に模倣してのけた。
そのことに和樹は開いた口がふさがらない。一体このAIはどこまで化け物なのだとだ。すでに沙里亜に王手をかけているかのような状態。刻々と沙里亜の論理防壁が削られていく。その状態で和樹は歯噛みしながらどうするべきか頭をひねっていた。
何度も悩み、考え、煩悶し、出た答えはいたって簡単なものだった。今現在AIは沙里亜に注力してこちらに気を払っていない。この条件なら背後からの強襲が可能だ。和樹はすぐさまAIに向かっていく。そしてイリスと共に背後から不意打ちを敢行した。
AIの堅固な論理防壁が大きく揺らぐ。沙里亜はその間隙を突いて自身に放つことが出来る最大数の戦斧を練り上げ放つ。その数実に千以上、さしものAIもこの数は無視出来なかったのだろう。大きく距離を開け迎撃と回避に専念する。
涼しい顔をしているAIと異なり沙里亜は息も絶え絶えだった。沙里亜は今まで自分に匹敵する存在と戦ったことがない。沙里亜にとって電脳戦とは蹂躙であり、ただの遊びだった。極度の緊張の中で闘うなど今まで経験が無く、能力的な面はともかく精神的な面ではとても脆いのだ。
おそらく次が最後、そんな思考が和樹の脳内を駆け巡る。AIが守勢に回っているこの僅かな間しか勝つ機会は無い、和樹はそう判断した。思考と同時に白い戦斧が無数に踊っている只中に突っ込む。
五十三にも至る青色の従者を引き連れ、和樹は白い光としか表現できない場に飛び込んでいく。青の花弁が無機質な電脳空間に舞うたびに、白い大河を割り着実にその版図を広げる。論理攻撃に敵味方の区別は無い、ただ触れた対象を零にしていくだけだ。
その只中に飛び込むために和樹はイリスの補助を必要とした。和樹の論理防壁は電脳症患者の平均よりは確実に上だ、だがそれだけとも言える。電脳症の中でも最高峰である沙里亜の論理攻撃を防ぎきるにはいささか脆弱だった。
和樹は白い光に踊り込みながらイリスが護衛に付けてくれた五十三の槍を盾として消費していく。一本、また一本と青い花弁となって散っていく槍を見やりながら前進を続ける。はたしてその進む先には未だに白い戦斧に対応しているAIの姿があった。
忽然と和樹が一足の間合いにまで近づいてきたことに驚いたのだろうか、ほんの少しの間動きを止める。それを見て取り一息で残っていた間合いを詰めると右拳を眼前に突き出す。それは堅固な論理防壁に阻まれ傷を負わせることは出来なかったが、注意をもう一度ひきつけることは出来た。
それで和樹の目的は達成できていると言ってよい。目標を切り替えるための一瞬の隙、それだけで白い戦斧を回避できなくするには十分だ。息切れしていた沙里亜もすでに次の論理攻撃の準備に移っている。
白い戦斧がAIの論理防壁と鍔迫り合いを繰り広げ、双方共に花弁となって無機質な電脳区間に散っていく。黒と白、双方の桜が舞い散る中その両手足を果敢に翻し和樹はAIの行動を制限させる。その手腕は最初のときとは比べられないくらい見事なものだ。
最初は右手、次に右足。そうやって最初期のこう着状態まで和樹は必死でもっていく。沙里亜も援護の仕方を多少なりとも覚えたのだろう、和樹に向かう黒刃をイリスと共にその白い戦斧をもって迎撃していく。
ここにまた拮抗状態が作られる。和樹の足が舞踏の様に規則正しくかき鳴らされ、その両の手が流れるようにAIに向かう。イリスと沙里亜も無数の論理攻撃を放ち圧力をかけていく。そのさまは一種神話の戦いを再現させるようなものだった。
AIの手足に体が捉えられようとすると、どこからとも無く現れた青い槍が攻撃を邪魔する。それに対して黒刃を放てば沙里亜の白い戦斧が相殺し電脳空間に無数の花弁が舞い落ちる。和樹達の戦いは伯仲していると言ってよかった。
以前のままならば伯仲になるはずも無かった。ではなぜ互角に戦えるようになっているのか、そんな疑問が浮かんでくる。その答えは簡単なもの、ただ単に常時発動していた論理攻撃を相手に触れる瞬間だけ発動するようにしただけだ、それも変化のおまけつきで。
AIは和樹の論理攻撃が未熟と看破し無効化する論理防壁を纏っていた。そのため一切の被害を受けることなく蚊に刺されたとも思わずに放置する事が出来ていたが、その優位はここにきて崩される。
しかしながら拮抗では意味が無い。こちらは人間だ、どうしても精神的な疲れが出てくる。対する相手はAI、精神的な疲れなど無い。このまま持久戦になれば必ず和樹達の勝ちは無い。そう直感し手足をさらに加速させる。
ジリ貧、そんな言葉が和樹の脳裏に浮かんでは消える。かといって妙手など簡単に思いつくものではない。一刻一刻、時間だけが無為に消費されていく。それから幾許の時がたっただろうか、和樹はその右手に纏っていた論理攻撃をAIの左こぶしによって弾き飛ばされる。そしてその論理攻撃が何もない空間ではじかれた。
そのことに和樹は気付くと、右手の論理攻撃を再度構築しながら妙な違和感に囚われる。広さがほぼ無限大にある公共空間ではそんなことは起こらないとだ。であるならばここは公共空間とは異なる空間であると言うこと、すなわち――
『――個人空間!!』
和樹の言葉が電脳空間にこだまする。その和樹の声にAIが反応した、僅かに感嘆を込めて。
『ほう、存外に目端が利きますな、少年。いや、芹葉和樹君。ですが……それが分かったところで何も意味などありませんよ』
和樹の脳裏に直行の課題が思い出される。映し出されたのは一束のプリント、公共空間と個人空間の違いと言う直球な題名だった。その内容を要約すれば、主に三つに分けられる。
一つは能力制限について。公共空間ではネットワーク上にある開放されている各サーバの演算能力を借り受けることができる。つまりは自身の電脳やサーバにかかる負荷さえ無視すればほぼ無限大の能力行使が可能なのだ。だが、外部から隔絶されている個人空間ではその恩恵にあやかれない。空間構築者以外は自身の電脳やサーバの処理能力までしか使えないのだ。
第二に時間感覚の変化。通常、電脳空間における電脳症の人間の時間感覚は常人の三千六百倍まで引き伸ばされる。だがこれは公共空間におけるものだ。個人空間においては空間構築者と同等までか設定された時間感覚が適用される。場合によっては一般人よりも遅くなることもある。
最後に空間設定の限定が挙げられる。個人空間の名が示すとおり、空間構築者を中心とする一定範囲しか設定できない。その展開範囲も空間構築者自身の存在空間に限定される。基本的に空間構築者自身が存在しているサーバないし電脳の内側にしか構築できないのだ。
つまりこの空間は敵の本丸とも言うべき場所で、ほんの少しでもバランスを崩せば一気に自身が丸裸になる危険をはらんでいる。AIにとって電脳症の人間の能力を制限できるこの空間は福音に近いものであった。それは自信が消滅するリスクを高めてでもだ。それほどまでにサリアに勝ちたいという欲求が大きかったのだ。
そこまで思い出して和樹の脳裏に一つの考えが浮かぶ。その考えを実行に移すべく和樹はサリアに声をかけた、論理爆弾作れる? と。それに返されたのは二十秒ほどもらえればとの声。ならばその時間を稼ごう、そうアリサとイリスに声をかけアリサの分の論理攻撃の迎撃を和樹とイリスの二人で負担する。二十秒程度ならばやってやれないことはない。
『何を企んでいるのかは知りませんが、無駄ですよ。あなたたちはここで果てるのです』
AIが余裕綽々に嘲笑する。そんな状況でもAIは一切、論理攻撃の手を緩めず一気呵成に黒刃を突撃させてくる。じりじり、じりじりと和樹とイリスはAIに追い詰められていく。それでもなお二人とも必死で黒刃を迎撃していく。アリサも目を瞑って論理爆弾の構築に集中している。
そんな限界に近い攻防の中、和樹は心の中で一秒一秒丁寧に数えていく。その回数が十八に到着したとき、アリサが目を開き抑揚の小さな声で呼びかけ和樹に構築した論理爆弾を投げ渡した。
『――使って』
その声に答える時間も惜しいと和樹は後ろ手で論理爆弾を受け取り、そのまま発動直前の論理爆弾に改変を加えていく。加える改変は指向性。自身の拳の先端から真っ直ぐに論理攻撃が伸びていくようにする。受け取ったときは白い光の玉だった論理爆弾は、和樹に改変され右拳と腕の中ほどまでを覆う白い光の篭手になっていた。
それを見やると和樹はAIの瀑布のような攻撃を一瞬だけ受け止め、引き絞った右腕を勢い良く正面のAIに向かって突き出す。拳の先から一直線に白い光が伸びて行く。その光は進行方向にあるAIの論理攻撃をことごとく霧散させるとAIのまじかまで迫った。
『どのような攻撃でも、直進するだけならば見切るのはたやすい。どんな威力でも当たらなければ――』
AIがあざ笑いながら回避行動をとる。それを目にし和樹はにやりと形容すべき笑顔をその顔に浮かべた。――それでいい、この攻撃に必要なのは威力じゃない。必要なのは単純にサーバの処理能力を超えた論理攻撃の量である。AIに回避された論理爆弾はそのまま突き進み個人空間の境界に激突する。パリン、とガラスが割れるかのような音が電脳空間に響き渡る。
『しまっ――』
AIが言葉を発せれたのはそこまでだった。一瞬の硬直の後AIの目の前には先ほどと同様に右腕を光の篭手で覆った和樹の姿。その腕はすでに引き切られ放たれるのを今か今かと待ち望んでいた。
それを確認しAIはにわかに焦りだす。個人空間の破壊の余波で移動できなくなっているため回避は不能。迎撃も先ほどの威力の前には無に等しい、ここに至りAIは最後のあがきとばかりに体全体に論理防壁を残った処理能力を使い切って構築した。だがそれに相対するのは、コピーとはいえ元は超一流の技量を持つサリアの作成した論理爆弾である。引き絞られた腕がはなたれ、AIの構築した論理防壁を鎧袖一触に蹴散らすと、黒い花弁へと変化させた。そしてそのままAIの腹に拳が突き刺さり背中側へと白い光条が突き抜ける。
貫かれた穴を唖然と見ていたAIは全身に白い罅を入れながら、電脳空間の闇へと消えてゆく。その場にAIの姿は何も残らず放たれた姿勢のままの和樹と、黒い花弁の残滓だけだった。それが強力すぎたAIの末後の姿だった。
『――無事のようだな、芹葉』
そんなこんなでAIを倒してから数分後、和樹の前に押っ取り刀で直行がルナとともに駆けつけてきた。僅かに放心していた和樹はその言葉に現実に引き戻される。未だにAIを倒したという現実感が薄かったが、直行とイリスの言葉でようやく現実だと再認識し始めた。和樹のうちに湧き上がるのは歓喜それのみであった。
『じゃあひと段落ついたところだし、現実に戻ろうか』
――そっちの君もね。そう言って直行はサリアにも声をかける。サリアは無表情でうなずくとすぐさま降下をといて一筋の光になって現実世界に帰っていく。それを見送っていた直行と和樹もそのあとに続いていった。
現実世界で目が覚める。和樹は自身のほうに倒れてくるサリアの体を間一髪でかばうことに成功した。その代償に背中をリノリウムの床にしたたかに打ち付けたが些細なことだ。和樹は自身の上に載っているサリアを見やる。その視線に気づいたのだろう、サリアは幾分か慌てて和樹の上から体を起こす。そして片手を差し出すと無表情ながら「ありがとうございます」とか細い声で言った。それに対し和樹は怪我がなくてよかったと返しその片手をとって起き上がる。
「じゃ、またどこかで」
「はい、どこかで」
そう二人して奇妙な予感を感じながら別れ、和樹は自動ドアをくぐり外へ、サリアたちはエレベータの前で立ち止まっている。それをガラス越しに見やると外にいるであろう直行の元へと小走りに向かっていくのだった。
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