第十六話
それは五十三本の槍の群れだった。イリスの放った青い光の槍群は一本とて目標を違わず黒い影に向かっていく。それに黒い影も気付いたのだろう、慌てたように両手を振り乱すと迎撃用の黒い戦斧を複数個創り出しこちらに放ってきた。
黒い戦斧と青い槍は電脳空間にその花弁を舞い散らせ、対消滅でも起こすかのように霧散していく。しかしサリアと戦う片手間であったためか、黒い戦斧の数はいかんせん青い槍よりも少なかった。結果、黒い影は回避を選択しサリアとの間に大きな空間を開ける。それを見やった和樹はすぐさまサリアの近くによって大丈夫かと問う。
『……助けてなんて言っていません』
返ってきたのはあまりにも非情な声だった。そんなサリアの様子に和樹は大きく肩を落とす。せっかく助けたのにという思いが心の内を満たしていくが、もともと自身の感情のままに助けただけだと考え直す。そこに一切の期待はなく、ただの自己満足だったのだから。相手に感謝される理由などない。
助けたのが和樹の勝手ならサリアがその行為に不満を持つのもまた勝手。そう思い込むことで噴出しそうになるサリアへの不満に和樹は蓋をする。その不満が的外れなものだと和樹自身も感じているからだ。
そんな事を考えていると黒い影がこちらに戦斧を放ってくる、その数実に百以上。サリアは目視で判断し、和樹はイリスに教えられてその総数を知る。黒い影はそのおよそ七割をサリアに向け、残りの三割を和樹に向けていた。そのことに和樹の自尊心が傷つくが、和樹はサリアより弱いのが事実なのだから仕方ない。
サリアは自身に向かってくる物と同数の白い戦斧を創り出し、黒い戦斧に相対する。イリスも同様だった。電脳空間に今度は白と青と黒、三色の花弁が舞い散っていく。その幾合かの鍔迫り合いの只中を和樹は黒い影へ近づいていく。和樹は未だに条件発動型の論理攻撃を扱えないからだ。和樹が戦うには黒い影と間合いを詰める必要があった。
サリアにもそれが分かったのだろうか、体に纏っていた論理攻撃を解除し白い戦斧の構築だけに集中し始めた。和樹の補助にまわることにしたのだ。事ここに至り、悲鳴を上げたのは黒い影だった。同時に二人の相手をしなければならなくなったのだ。悲鳴も上げたくなるだろう。その両の手を先ほどより慌てて翻し、幾つもの黒い戦斧を編み上げる。
しかしながらせっかく編み上げた黒い戦斧は、その全てがイリスの青い槍とサリアの白い戦斧に相殺されていく。結局、間合いを開ける時間も稼げず和樹の接近を許す事になった。和樹はすでに一足の位置まで迫っている。これを好機と捉え和樹はその無駄を極限までなくした一撃を黒い影に見舞う。
また水風船を殴った様なぐにゃりとした感覚が和樹の拳に伝わる。その奇妙な感覚を無視し和樹は拳打、蹴撃と息もつかせず繰り出していく。その一種、流れるような連撃はサリアに感嘆のため息を吐かせるには十分だった。
和樹を前衛に、サリアを後衛に置いたその戦闘は一見してちゃんと機能していた。和樹がサリアの論理攻撃の発動時間を稼ぎ、準備が整ったと見るやすぐさまそこから離脱する。前衛一人に負担が集中しているようだが和樹は気にしない。していられない、先ほどからサリアのこちらを一切考えない論理攻撃の渦に巻き込まれないようにするのに精一杯だったからだ。
この即席の連携を持たせているのは偏にイリスの功績だった。和樹の論理攻撃の補助、破壊されていく論理防壁の再構築、それに加えて後方のサリアからの論理攻撃への警戒。オーバーワークもいいところだ。しかしイリスは一言も文句を言わない、助けると言った和樹の言葉を実行するにはこの状態が最適なものだと判断している。
イリスにしてみれば和樹の言は納得のいかないものだったが、マスターの言だ仕方ないと諦めている。イリスとサリアが遠距離から一方的に黒い影を蹂躙すると言う案もイリスは思いついていたが、和樹がこの場にいる以上その案は廃案にせざるを得なかった。
和樹を守りながらではそんな真似が出来ないからだ。せめて和樹をイリスの変わりに守ってくれる存在がいればそれも変わってくるのだが、いない以上考えても仕方がない。そう結論付けてイリスは和樹の補助にその全能力を投入する。
戦いは拮抗状態から、こちらの有利に傾いていた。和樹の無駄のない連撃が黒い影の論理防壁を削っていき、サリアの白い戦斧が黒い影の戦斧を相殺していく。そしてそれ以上の白い戦斧が黒い影を蹂躙する。黒い影はもうその論理防壁を残り少なくしていた。
後もう少し、そんな共通認識が和樹とサリアに出来上がる。それに和樹は連撃の速度を自身が行える限界速まで上げた。そんな状況で黒い影が爆発する。無論、和樹の論理攻撃が黒い影の本体に届いたわけでもなく、それはサリアの論理攻撃も同様だ。ただ単にいきなり爆発したのである。
その光景に和樹もサリアもそろって唖然としている。二人の理解の範疇外にあったためだ。自爆、そんな言葉が二人の脳裏によぎって直ぐに否定される。その爆発の中心に人影があったためだ。その人影は白い髪に、黒い柔和そうな瞳。片眼鏡を左目につけその背筋を伸ばし立っていた。漆黒の執事服を着こなして自然体で佇んでいる、その態度は老執事を髣髴とさせた。
『存外にやりますな、少年よ』
そんな声が、中心に立っていた人影から発せられ電脳空間に響く。まさか私本体が出てこなければならないとは、そう言ってその漆黒の執事服に包まれた右腕を振った。その瞬間無数の論理攻撃が和樹たちを襲ってきた。一瞬、そう一瞬にしてだ、和樹とサリアの論理防壁が雲散霧消する。
すぐさま二人とも論理防壁を再構築したが、全く準備動作する事なく複数の論理攻撃を構築してのけた相手の技量に内心舌を巻く。一体どうやってそれをなしえているか、甚だ見当がつかなかったからである。
論理攻撃の構築には僅かだが時間を必要とする。あの直行でさえ一瞬で構築可能な論理攻撃は一回に一種類だけだ。だが目の前の老執事は一気に複数の論理攻撃を放ってきた。少なくとも人間ではない、それが和樹とサリアの共通した見解になる。そしてそれは正しかった。
あの老執事はAIの電脳空間における姿だった。自己進化を繰り返すことでAIはこの姿に至ったのだ。警察庁サーバを守るという責務を放棄したために、AIは偏在させていなければならなかった自己を一つにまとめる事が出来た。その結果が老執事の姿であった。
閑話休題、そんな事は露とも知らず、和樹とサリアは件の老執事と話し合いを続けていた。相手が言葉を発して来たことで、少なくとも言葉が通じることが分かったためである。和樹がその背にサリアを庇い何でサリアを襲うんだ、と問えば。それが私の存在意義ですので、と和樹にとっては訳の分からない言葉を返された。
だがサリアは違ったらしい。思い至ることがあったのだろう、その身を硬くこわばらせるとあなたはあのAIなんですかと問うた。その言葉に老執事は笑みを深めると無言で首を縦に振りサリアの言が事実だと肯定する。
その会話に驚いたのは和樹だった。サリアが老執事をAIだと看破したことにもだが、それよりもここまで人間に、正確には電脳症の人間に近いAIが開発されているという事実に戦慄したのだ。そんな事ありえないと。
だがおそらくは事実なのだろう、サリアと老執事は二人にしか分からない昔話で話し込んでいる。いわく、老執事――AIの負けっぱなしであったとのことだ。それにサリアは最後は楽しめましたよと返していた。
そんな穏やかな時間はAIの一言で終わりを告げた。では始めましょうか、沙里亜さん、少年、そんな言葉と共にAIは戦闘態勢を作る。それに和樹はどうしようもないのかと言い戦闘の回避を試みる。その和樹の態度に返ってきたのは私の存在意義を否定しないで欲しい、とのAIの苦笑した声だった。
ここに激戦が再開された。否、それはAIによる一方的な蹂躙と呼べるものだ。和樹の論理攻撃は右半身のみでいなされ、イリスと沙里亜の論理攻撃も翻されたその左手から放たれる無限ともいえる論理攻撃の束に相殺される。
そして相殺し切れなかったAIの論理攻撃がイリスと沙里亜を襲うのだ。それを二人は円舞曲を踊るように回避していく。全てギリギリの円舞曲。そのことに和樹は焦りを隠せずに考えていた。どうやってこの状況を覆したものかとだ。
AIの戦法は単純だった。サーバの処理速度に任せた物量戦とAI独自に編み出した近接戦の組み合わせ。本来であれば二人一組で行うそれをAI一人でやっているのだから隙が生まれるはずがなかった。結局、和樹はこの状況を打開する手を何ら思いつかず、ただその手足を動かし続ける事しか出来ない。
それはイリス、沙里亜共に同じだ。沙里亜にしてはAIに近接戦に持ち込まれたら終わりであったし、イリスにしてみればAIに対するには完全な力不足であった。むしろこの三対一で互角とも言える状況に持ち込めている事が僥倖だ。
未だにAIの蹂躙は続いている。頭上から雨のようにAIの論理攻撃が降り注ぎ、終にイリスは論理攻撃の全てを和樹に向かう論理攻撃の迎撃に向けなければならなくなった。それはすなわちイリスを守る青い槍がなくなることと同義だ。
事実、イリスの論理防壁はAIの論理攻撃によって青い花弁が舞い散りじりじりとその枚数を減らしている。そのことに思い至って和樹はいったん引くことを選択する。それが間違いだった、あの黒い影との戦闘のようにむしろ攻撃を激しくしたほうがイリス達の負担は減るのだ。相手の注意をひきつけると言う意味で。
結果、和樹達は一切攻撃できなくなり、防御と回避だけに専念しなければならなくなる。それは現時点でAIに勝つ手段を放棄したようなものだ。和樹たち三人はその瀑布の様な論理攻撃に翻弄され、何一つ有効な手立てが打てない。そのことに三者三様に歯噛みしていた。
電脳空間でどれほどの時がたったのだろうか。AIによる論理攻撃はさらに激しさを増し、和樹達の論理防壁は時間と共に減っていく。もちろん可能な限り再構築をかけている現状でだ。いよいよ和樹達の後は無くなって来ていた。
白と青の花弁が電脳空間に舞う中でAIはその両手を指揮者のように翻し論理攻撃の大瀑布を和樹達に放っている。その只中で電脳症はこの程度だったのかとAIは落胆をあらわにしていた。これなら外部に隔離しているもう一人の電脳症の人間と戦ったほうがまだ手ごたえがあったのではないかと考える。
外部に隔離しているもう一人とは言わずもなが直行のことである。AIはそのもう一人の事を戦闘の只中にありながら思い出す。和樹達には全く余裕が無かったが、AIの方にはそのような事が出来るだけの余裕があった。
思い出したのはあの橙色の刃だ。AIの論理攻撃の尽くを灰燼に帰した一種芸術作品の様な美しさを持った刃。その刃にAIは魅了された、だからこそ今のAIの論理攻撃はそれを模倣した漆黒の刃であった。
無機質な格子に彩られた電脳空間に漆黒の刃が幾重にも幾重にも重なって走る。その刃を和樹達は刃の間を潜り抜けるようにして回避していく。イリスと沙里亜は危なげないものだったが、和樹はその刃に論理防壁を一枚持っていかれた。息つく暇も無く次の刃が迫ってくる。
この現状に和樹は苛立ちを隠せなかった。自分一人が足をひっぱている状態にあるからだ。イリスも沙里亜も和樹という重石がなければもっと上手く立ち回れたのではないのだろうか。そんな思いに和樹は囚われる。
その和樹の考えは一面では正しかった。確かに和樹と言う足手まといがいなければ、今の状況ならもっとまともに戦えていただろう。だが同時に最初の均衡状態には和樹がいなければありえなかったのだ。イリスも沙里亜も後衛型で前衛がいなくてはまともに戦えない。
今はAIが完全に後衛型として振舞っているためこんな状況に陥ってるが、もし先ほどのように前衛と後衛を一人でこなすようになったら今度こそ手がつけられなくなる。イリスと沙里亜はそれを防ぐことに全力を出していた。
和樹達が黒い影に押し込められている頃、現実世界では直行が後ろを振り向いていた。ルナに電脳攻撃を受けている人間がいると警告されての反射的な行動だ。その目が和樹に向かって倒れていく沙里亜を捉えた瞬間、直行は電脳世界に降下していた。
電脳空間では警察庁の庁舎が巨大な攻性防壁のドームで覆われている。そのことに直行は舌を打つ、和樹たちと分断されてしまった。直行は和樹達の元へ行こうとその攻性防壁にルナと共に論理攻撃を浴びせる。攻性防壁はそれが論理攻撃だと認識すると自身の一部を棘の様に変化させて尽く迎撃していく。
だが攻性防壁は瞬きするかの間に元に戻ってしまった。自己復元機能を持つ攻性防壁、その考えに至り直行はこれは骨が折れるぞ、と嘆息する。それに返されたのはどこまでも強気なルナの言葉だった。
『私達になら破れますわ』
事実そのルナの言は正しいだろう。直行とルナの二人ならば時間さえかければこの程度の攻性防壁の破壊などたやすいものだ。そう時間さえかけられればである。ルナはその翡翠とも見紛うほどに透き通った碧眼で辺りを見回しお客様がいらっしゃいましたわと誰にとも無く呟いた。
あたり一面には無数の黒い影達が蠢いている。電脳研を襲ってきたものもいるがその大多数は見知ったことの無い影であった。直行はもちろんルナの目にも無数としか映らなかったその影達は、一度咆哮を上げるとじりじりとこちらに近づいてくる。
それに相対するは、その身を橙色に輝かせる主従二人だけ。誰の目にもその数的不利は明らかであった。だが主従二人はいっそ傲慢に言い放つ。自分達を倒したいのならばこの万倍を連れて来いと。鳴らされる直行の右中指と共に無数の影と二人の主従の電脳戦の火蓋は切って落とされた。
電脳空間に橙の刃が一瞬だけその軌跡を残す。万倍をつれてこいと言い切った主従は、その言葉の通り黒い影達を蹂躙していった。ルナが放つ橙色の剣群は魔弾となって黒々とした影に突き刺さり、その内部から影を塵芥に変える。
そのルナの活躍に答えるように、直行も自身に伸ばされた論理攻撃を纏う獣の腕を左手で払う。そして自らの右手をその獣の腹に向けて中指を鳴らした。右手の先の空間に瞬きするかの間橙色の鎌の刃が現れ、次の瞬間には黒い獣を巻き込んで霧散に帰していく。
灰燼に帰した黒い獣を一瞥し、直行は次の相手に向き直る。飛んできた黒い戦斧を半身になって回避し、また右指を打ち鳴らす。それで相手は橙色の刃にまた巻き込まれ、その身を粉雪の様にして電脳空間に舞っていく。
『コピーにしても弱すぎるな』
直行が呟くとルナが間髪いれずに、劣化を頭につけるべきだと応じる。戦闘中にもかかわらず直行はそれはいいと大声で笑ってしまった。決定的な隙、それに黒い影が一気呵成に突撃していく。
黒い影の濁流に直行は飲み込まれる。だが本来心配するはずのルナは、われ関さずと黒い影との激闘にその身を晒したままだ。ルナの相棒はこの程度でどうにかなるようなものではない。事実、橙色の閃光がその濁流を割り、至って暢気な姿の直行がその中から出てきた。
『油断しすぎですわ』
どこかで言ったような台詞をルナはまた直行にかける。その返答は油断など微塵もしていないというどこか楽しそうなものだった。そのまるで危機に立つ事を喜んでいるかの様な直行の様子にルナはまた悪い癖が始まったと嘆息する。
直行はどこか戦闘狂の気があるのだ。研究機関を出て教職についてからはその傾向は鳴りを潜めていたが、和樹との度重なる模擬戦と先日の襲撃でどうやらぶり返してきたらしい。直行の顔はいつの間にか飢えた獣じみた物に変わっていた。
また黒い影が集団で襲ってきた、しかしその集団はルナの剣群に行く道を遮られ足並みが乱れる。その剣群の只中を直行は突っ切って、隊列からはみ出した黒い影をその橙色の鎌の刃をもって各個撃破していく。その結果、直行とルナの周りには黒い影のない二十メートルほどの半円が出来上がっていた。直行とルナ双方の連携による絶対防衛圏だ。
それは決して破られることのない絶対の盾。数多の戦場を歩んできた二人だからこそ出来る、文句のつけようのない完璧な連携が生んだ侵されざる聖域。その中央部でルナは巫の様に神楽を舞い神剣を無礼な侵入者に向け、直行は守護者の様にその刃を振るう。美しいとしか表現できない戦いだった。
さらに一波、直行とルナは黒い影の襲撃を壊滅させる。ルナの剣群は構築に集中できる現在、千本を超える数になっている。故にそれを向けられる黒い影達はたまったものではない。聖域に踏み込んだ数多の黒い影がルナの橙色に輝く剣に串刺しにされ次々破裂する。それを潜り抜けても直行の刃に灰燼に帰される。
黒い影達はここに来て方針の転換を余儀なくされる。圧倒的な物量でも押しつぶせないこの敵を屠るために一計を案じたのだ。それは簡単に言えば解析だった、一部の影を囮にしての威力偵察。影を破壊していく論理攻撃を解析して無効化しようと言うのだ。個体として勝てないのなら群体として勝つ、そんな単純な一案だった。すでに群体としても負けている様な気がしないでもないが。
直行とルナは黒い影達の動きが変わって来たのを肌で感じていた。それでもあえて今までの対応を変えようとはしない。この連携が直行とルナの最強の攻撃法であることもその理由の一つだが、もう一つ理由がある。攻性防壁の解除の時間を稼ぎ、ついでに相手の行動の理由を見極める。そのために直行とルナは自身の最強の札さえも捨て札にする事を厭わなかった。
その様な両者の思惑が交差して、黒い影達の一部が侵入しそれを直行とルナが迎撃する。そんな構図が自然と出来上がっていった。ここに一旦、戦線はこう着状態になる。直行はその状態に思惑通りだと人の悪い笑みを浮かべていた。
すでにルナが攻性防壁の分析、解除にかかっている。一部のタスクを攻性防壁への対応に回している現在、この結界は完璧と言えるものでは無くなっていた。だがこの程度の侵入量ならば直行の仕事が多少増えるだけだ、何も問題は無い。
その直行の考え通り、侵入した黒い影達は全て直行とルナによって迎撃されている。一体として漏らさずだ。だがその黒い影達はじりじりと直行とルナが創り上げた聖域を侵食していく。事実、その半径は十五メートルまで縮んでいた。
原因ははっきりしている、直行とルナの論理攻撃を受けても灰燼に帰さない黒い影達が出てきたからだ。その影達を破壊するために直行とルナは二度、三度と論理攻撃を叩き込まなければならなかった。
そして終に、直行達の論理攻撃を受け止めても平然としている個体が出てくる。直行とルナの論理攻撃が無効化されたのだ。その様子を影達は見やり、こちらの勝ちだと言いたげに気勢を上げ興奮した獣の様に直行達に向かってきた。
ルナが踊るように放った論理攻撃も、直行が右指を打ち鳴らし放つ論理攻撃もそれぞれ黒い影達に受けとめられる。黒い影達は一切の痛痒を感じていないようだった。その様子に直行とルナは僅かに眉を上げるだけ。まるでこうなる事が分かっていたかの様に冷静だった。
直行は自身の論理攻撃を防いだ黒い影達に向かって、無効化された右指を馬鹿の一つ覚えのように打ち鳴らす。橙色の鎌の刃が黒い影に向い、受け止められた。黒い影の獣の顔が笑うかのように歪む。
その瞬間鳴らされた直行の左指と共に、黒い影が押し潰され破壊された。直行の打ち鳴らされた左指と共に現れたのは直行の身長にも届こうかと言う橙色の大槌だ。一瞬後にはその大槌は霧散に帰したが、黒い影達に新たな恐怖を与えるには十分だった。
ルナも同様に今までの剣を異なる形の剣に変え、瀑布の様に黒い影達に放つ。黒い影が一斉に爆発する。それを見やり直行とルナは口々に言の葉を紡ぐ。いわく、人をなめるなと。その言と共に十メートルまで縮まっていた聖域が元の距離まで回復した。
黒い影達は混乱していた。自信を持って行った一計が直行とルナには通じなかったためだ。だがしかし黒い影達はその案しか直行達に対抗する手段を見出せなかった。故にその一計に黒い影達はこだわる。
ルナの剣群が雪崩のように押し寄せ、直行の大槌が黒い影達を挽肉にする。そんな只中にあって一縷の望みを自らの案に託し、黒い影達は解析を続けていく。そんな黒い影達をあざ笑うかのように直行とルナの論理攻撃がその形をまた変えた。
その事態の様相は千変万化、論理攻撃の形は千差万別といってよい。黒い影達は悲嘆に暮れる。こんな非常識な人間相手にどう戦えばいいのかと。だが黒い影達には引けない理由がある。
それは黒い影達の原型からの至上命令。直行とルナを決して警察庁の中に入れないように厳命されていたのだ。悲しいかな黒い影達にはその命令を拒否する権利がない。よって黒い影達は自身の身を引き換えに前進していくしか方法がなかった。
黒い影達の愚直な前進が始まった。ここに無尽の影と無限の論理攻撃との戦いが始まったのだ。そのことに直行は表情を変えずに舌を打つ。直行とルナと戦う上での最適解に黒い影達が気付いたと判断したためだ。
実際にその判断は杞憂であったが、黒い影達は図らずも直行とルナの最も苦手とする戦法を最終的に選択した。その圧倒的な数と解析力に任せた物量戦。いかに規格外とはいえ直行は人間だ、物量戦や持久戦に持ち込まれるとつらいものがあった。
人間である以上集中力にはおのずと限界がある。直行はたゆまぬ鍛錬でその集中力を人間が持ちえる限界まで鍛えていたが、それにもやはり限りがあるのだ。ルナやイリスと言った管制人格にはその限界がない。これも電脳戦で人間が管制人格に勝てない要因の一つだ。
黒い影達は黙々とその歩を進めていき、直行達は淡々とそれを迎撃していく。黒い影達は最初の半分までその数を減らしていた。黒い影達の目的は今のところ達成されているが、殲滅されるのは時間の問題といえる。
その現状を鑑みて黒い影達はもう一度思案する、いったいこの規格外相手にどうすれば主命を果たせるのかと。その答えが出るやいなや黒い影達は一斉に直行達のもとから引いてく。
直行はその様子をいぶかしんだが、ルナの今のうちにとの声によい機会だと頭を振って埒もない考えを追い出す。解析を優先すべき、そう判断すると直行はルナの元に戻る。ルナは論理防壁の解析作業に全力を持って当たっていた。
黒い影達が不自然に引いてから幾ほどの時がたっただろうか、攻性防壁が異変を現してきた。その下方から上方に向かって黒い色が侵食していったのだ。白く輝いていた攻性防壁は一瞬にして黒色の花に変わる。その威容は巨大な薔薇の様だった。直行とルナは慌てて攻性防壁から距離をとる。その一瞬後、攻性防壁が縮み、そして一気に爆散した。その中心部には幽鬼の様に姿を揺らめかし一人の青年が何事もなかったように佇んでいる。
それはあの黒い影達の成れの果てだった。直行達と戦う上で黒い影達は考えた。その過程で出た結論が戦力の集中だ。群体としても個体としても負けていた現状、主命を果たすためにはこれ以外に選択肢が無いと判断したのだ。
件の姿がその腹案だ。このままでは主命をはたせないと判断した黒い影達は最後の勝負に出た。攻性防壁を構築していた処理能力を直行たちの対処に全て当てたのだ。結局ジリ貧で終わるならいっそと、黒い影達は自身の最強の姿で相対することを選択した。
直行達にしてみればその変化は望外のものであった。一対二ならばこちらの方が数的有利に立てるからだ。先ほどまでの物量戦では技量的にはともかく直行の精神的には不利だった。いかに隔絶した技量を持つとはいえその身は人間。おのずと限界がある。
しかしその考えは甘かった。そのことを実際に戦ってみて直行たちは痛感する。攻性防壁の自己回復能力まで取り込んだのだろう。直行やルナの論理攻撃をその身に受けてもすぐさま傷が塞がっていくのだ。
どの様な論理攻撃も、暖簾に腕押し、ぬかに釘。どれ一つとして決定的な傷を与えられず、時間だけが無常に過ぎていく。それに苛立ち無視して警察庁への方へ向かおうとすると黒い論理攻撃が襲ってくる。それは無視できない威力を持ってこちらに向かってくるのだ。
手詰まりだった、どこをどう思考しようとも一切の解決策が見当たらない。それでも直行とルナは黒い青年に向けて論理攻撃を放っていく。警察庁の中には直行の教え子がいる、現実世界、電脳世界両面でのだ。ルナにとってもそれは同様。そのため両者に諦めるという感情は思考の端にも上らなかった。
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