第十五話
真澄は噴出した問題に頭を悩ませていた。その問題は真澄の対処能力を超えていたのだから仕方が無いだろう。本庁サーバに導入したAIが他の官公庁や民間の組織に不正接続を繰り返していたことが発覚したのだ、頭を抱える以外の何をしろというのか。
籐矢は籐矢で渋い顔をして立っていた。ある程度信頼し始めていたAIの不法行為だ、その落胆は推してしるべきだ。法の番人たる警察自身が法を犯していたのだ、その影響は多方面にわたり今の真澄の現状になっていた。
真澄の机には膨大な書類が山の様に積み重なり、その右手にも書類の束が握られ左手で高速に捲られていっている。その全てが被害にあった他の組織の被害届だった。どれ一つとて情報を盗まれる、破壊されるといった実害は出ていないものの、全てサーバの論理防壁を破壊され丸裸にされている。
その復旧にかかる時間と人的資源と資金は考えたくない、おそらく天文学的数字に上るであろうからだ。その全てを警察が賠償しないといけないのか、そんな考えに真澄は囚われる。それに冗談じゃないと頭を振った。
暴走したのはAIだ警察組織ではない。その事に責任を押し付けられる相手を思い出し、籐矢にこの事実の連絡を入れるように命じる。その相手は言わずもながAIを開発した情報研だ。連絡を入れるコール音が喧騒に包まれている情報対策課の一室に響く。
二度三度コール音が続いたかと思うと、ようやく連絡がついた。それに真澄は奪うように電話を受け取ると、出てきた相手に名乗りAI開発の責任者である泰助を電話に出させるように申し込む。
そのことに最初は渋った情報研の担当者だったが、緊急事態ですとの真澄の声におされるように仕方なくわかりましたと了承の返事をする。どこかで聞いたような保留音が真澄の耳に聞こえてくる。
保留音が五分くらい続いただろうか、唐突にそれが切れ白柿ですとの声が真澄の耳に届く。その声を確認した真澄に行動は早かった。守秘義務も何もかも放り出して、泰助にAIが暴走していると簡潔かつ端的に言ったのだ。
その真澄の声に泰助は一瞬言葉に詰まり、言葉を発してきた。その言葉は真澄にとって驚くようなものだった。証拠は無いんでしょうその一言で真澄の言をばっさりと断ち切った。その一種傲慢だともいえるいいように真澄は唖然とするしかなかった。
確かに泰助の言う通り一切の物的証拠は無い、残されていない。あるのは一連の不正接続事件を捜査していった上で出てきた状況証拠ばかりだ。ことは警察庁の不祥事だ、状況証拠だけでは到底立件など出来ない。むしろこれ幸いと上に握りつぶされるのが落ちだ。
そのことに泰助も気付いているのだろうか、その態度は不遜といってよいものだった。言葉に詰まる真澄に物的証拠が無い以上、うちのAIの仕業とは限らないと泰助は言ってくる。重ねて多発的電脳攻撃事件の犯人の仕業かもしれませんなとも。
その言に真澄は歯噛みするしかなかった。泰助の言っていることは一部では間違いなく正しいのだ。事実、今回の被害届けも捜査本部に一元化されそうになっていたのを真澄が掘り起こしてきた。
泰助との会話はそれからも長々と続き、一応対応する人材を出してくれることになった。件の空恐ろしい少女をつれてくるといったのだ。その言にまた部外者を、それもまだ年端の行かない少女を危険に巻き込むことになるという事実に真澄は頭を抱える。
それからしばらくして頭を抱えていても仕様が無い、真澄はそう判断すると被害届の山との格闘に精を出す。警察庁サーバからからの電脳攻撃と思われる、その一文が一瞥した被害届に躍っていた。真澄はその被害届はを精読する。それは電脳研からの正式な被害届だった。
詳しい話が聞きたいから明日情報対策課にこれますか。そんな要請が真澄から和樹と直行にもたらされたのは電脳研への襲撃の被害届を出してから半日たった頃だった。その強制ともいえる要請に目を黒白させていた和樹と直行は、緊急事態ですので申し訳ありませんとの真澄の言に意識を戻す。
被害届を精読した真澄は襲撃者を撃退した直行と和樹に直接連絡を取っていた。なぜ警察庁サーバからの襲撃だと分かったか問いただしたかったためだ。すでに真澄は被害届にあった和樹の名前でおおよその見当がついていたが、直接話を聞きたいと思っている。
被害届の文面がこれでもかというほど曖昧だったからだ。確かに曖昧な被害届などいくらでもあるが、今回は事が事だ。警察庁最大の不祥事になるかもしれないのだ、出来るだけ詳しい話を聞きたいと真澄が考えるのも無理はないだろう。
そんなこんなで真澄と直行の話し合いは続いていく。和樹にも来て欲しいと言う真澄に直行は自分だけで十分だろうと返す。話し合いは平行線をたどっていた。だが結局、撃退した関係者全ての証言を聴きたいとの真澄の言に直行は折れざるを得なかった。
何よりも警察からの協力要請だ。国民には建前上協力の義務は無いが、断ったら後々面倒臭いことになる可能性もある。直行はその協力要請を受けておいたほうがいいと判断を下す。それに件の襲撃が本当に警察庁サーバから行われたのか確認するいい契機でもある。
研究室の電話を切って直行は和樹に向き直り、明日九時に警察庁に行くことになったと伝えた。直行のその言に和樹はやっぱりそうなったかと諦観の表情を浮かべている。その姿に少し胸が痛くなる直行だったが、なってしまったことは仕方ないと考え直した。
「面倒臭いが、行くしかないな」
「……そうですね」
そんなやり取りを本の山で埋め尽くされた研究室の片隅で交わし、和樹と直行は目の前にある、一枚ずつの書類の文言をその目で淀みなく追っている。その書類はここの所長から押し付けられたものであって、守秘義務契約書と先頭に書かれていた。
件の襲撃で得た電脳研の情報を外に漏らすなと言われたのだ、それも所長直々に。そしてこの守秘義務契約書を投げる様にわたされた。その様子は電脳症などといった面倒臭い人間とは出来るだけ関りたくないという感情がむき出しだった。自身が対応を迫ってきたというのにである。その書類に直筆で署名しながら、和樹はあまりお近づきになりたくない人間だなと考えていた。
電脳研の襲撃から一夜明けて、和樹と直行は警察庁の前に来ていた。要請のあった襲撃事件の詳しい話をするためである。警察庁の建物は巨大だった。その十二階建ての威容に和樹が呆然としていると直行に肘でつつかれた。確りしろということだろうか。
そんな事を考えて和樹は直行に連れ立って警備員の詰所で受付をすますと、警察庁の入り口をくぐる。その自動ドアの中は空調が効いていて、外を歩いている間に出てきた汗が引いていくのが分かる。八月の終わりになった今でも未だに残暑が厳しいのだ。
そうやって涼しい風に当たって和樹が一時の涼を取っていると、真澄の使いである籐矢が現れた。軽く互いに自己紹介を交わすと和樹達を急ですみませんがと言って早速案内し始める。エレベータで七階まで昇ると、そのリノリウムで作られた廊下を籐矢の先導で歩いていく。そして籐矢はある部屋の前で止まり、おもむろにその扉を押し開けた。
「ここで、待っていてください」
籐矢はそう言うと、自身は廊下にとって返した。その足は少し急いでいるようでどこか浮き足立っている。約束の時間まで後五分、そんなに急ぐことでもないだろうと和樹は思う。一緒にいる直行も同じ感想を抱いたのだろうか、和樹に対し首をかしげ両手を軽く上げて疑問を表していた。
それから五分、ちょうど約束の時間になったところで真澄が和樹達がいる殺風景な一室に籐矢と共にやってきた。自身が情報対策課課長である旨を告げると真澄は自身の氏名を名乗る。それに直行、次いで和樹と自己紹介を続けていく。
「電脳攻撃が警察庁から行われたとのことですが……」
真澄はいきなり本題を繰り出した。無駄な問答を嫌ったためである。それに一瞬目をむく籐矢だったが、和樹達は正直にことの次第を話し始める。電脳研が電脳攻撃を受けてその対処に直行と和樹がかり出されたくだりまでを話し、籐矢が疑問の声を上げる。
なぜこんな年端の行かない少年を危険な現場に放り込んだのだとだ。そのことに真澄は籐矢には電脳症のことを説明してなかった事を思い出し、この機会に話すことに即座に決めた。そう決断した真澄は、和樹たち二人にあなた達のことを彼に話してもいいかと問うてきた。
直行はさも当然のような顔をしていたが、和樹は真澄のその言に驚いていた。和樹自身は一言も自身が電脳症であることを話していない。自身の親にさえ秘密にしていたのだ。それをこんなほとんど関係の無い人間に指摘されたことに和樹は狼狽した。
その和樹のうろたえる様子を見て籐矢も何か感じるものがあったのだろう、自分が聞いてもいいことなのか和樹たちに問うて来た。私はかまいません、と直行はいっそ晴れやかにしていたが、和樹は心中穏やかではなかった。
幾分かの逡巡の後に和樹は開き直って、かまいませんと籐矢に返す。その返答を聞いた真澄は彼ら二人は電脳症なのよ、あの長沼と呼ばれていた少女と同じとどこか遠い目をして言ってきた。籐矢はその真澄の言に驚いたが、どこか納得した顔をする。
件の少女と同じであるならば、こと電脳戦においては一般の電脳技官よりもはるかに戦力になるだろうとの解に至ったからだ。しかしながら籐矢はその決断を下したであろう人間に義憤を覚えていた。籐矢は話を中断させたことを和樹達に詫びると、話を続けて下さい、と促す。
その籐矢の言に直行はどこまで話したかなとうそぶきながら、和樹がかり出されたくだりから話をもう一度始める。籐矢はその直行の話を憤懣やるかたない様子で聞いていた。その籐矢の様子を見て和樹はここにもまともな人がいると密かに安堵していた。
一通りの話が終わり、場に沈黙が降りてくる。直行は大体の本当の事を語っている、もちろんイリス達管制人格のことは伏せてだが。結果として直行は世界中を経由して不正接続してきた対象を一瞬で逆探知した化け物のように真澄達に思われていた。
直行はなんら嘘はついていない、ただ語っていないことがあるだけだ。相手が勘違いするのは勝手である。そんなことまで直行は責任をとろうとは思わない。その直行の言に真澄たち二人は異口同音に信じられないと呟いた。
もちろん真澄も籐矢も電脳症の人間の非常識さは件の少女で知ってはいる。だがしかし今回の直行の言は俄かには信じられないものだった。直行にしてみれば意図的に真実を伏せているとはいえ、事実を述べている。信じられないのならそれでいいと真澄達を軽く突っぱねる。
真澄達はしばらくの時間黙考し、直行の突拍子の無い話しを信じることにした。そうしなければもしもの時に後手後手に回らざるを得ないからだ。少なくとも直行の話は迫真のものであったため、信憑性があると真澄達は判断したのだ。
そうと分かれば真澄たちの対応は早かった。協力ありがとうございますと頭を下げると、和樹達をその一室から解放する。真澄たちにしてみればもっと突っ込んだことまで聴きたかったがすでに時刻は九時五十分、十時にもう一つの約束がある以上そんなに時間はかけていられなかった。
真澄は和樹達二人に退出を促し自身も見送りに行く。その途中で真澄は黙考していた。直行の言が正しいのならば一刻を争う自体だとだ。その思考はエレベータを降り入り口近くまで直行たち二人を連れて行くまで続いていく。
警察庁の入り口近くまで真澄達に見送られ、和樹達はその自動ドアをくぐり抜けようとしていた。しかし外に出ることは出来なかった。外から警察庁内部に入ろうとしていた人物がいたからだ。そしてそれはあの自らのことをサリアといった少女だった。
和樹は身をよじってすれ違った直行とは異なり反射的に身を引いてしまった。そのため庁舎の内と外に一瞬だけ分離されてしまったのだ。そしてそれが運命の分かれ道であった。そのサリアと言った少女が一瞬の後に和樹の方に倒れこんできたのだ。
とっさにその体を和樹はささえようとする。瞬間脳裏にイリスの電脳攻撃です! という声が響いてきた。その声に和樹は支えようとした体制のまま反射的に電脳空間に降下する。降下した電脳空間では、あのサリアと言った少女があの黒い影を相手取りどこか苦い顔で踊っていた。
黒い戦斧と白い戦斧が互いに互いを食いつぶしていく。サリアとその黒い影の戦いは拮抗状態だった。和樹はその拮抗状態を何とかしようと飛び込もうとして、イリスにその行く手を遮られた。イリスの行動に和樹は疑問を呈する。
『どうして邪魔をするんだ! 』
その和樹の声に返ってきたのはどちらも私達には敵です、との何の感情も含まない冷たい声だった。確かにイリスの言うことには一理ある。両方とも和樹には敵と言っていい存在だ。片方はおよそ二ヵ月前、もう片方はつい先日に戦った相手。二ヶ月前のは惨敗であったが。
『両者共倒れの状況が最も望ましいです』
そう言ってイリスは今にも飛び出しそうな和樹を押しとどめる。そのイリスの言に和樹は敵の敵は味方って言うだろと反論する。イリスはその顔に無表情を貼り付け、では黒い影のほうに味方しますかと問うてきた。
そのイリスの言に和樹は絶句する。和樹が言葉を紡げないのも無理はなかった。客観的に考えてみるとイリスの言の方が正しいのだ。片や和樹の電脳に直接電脳攻撃を仕掛けてきた存在、片や他人の命令で敵対することになっただけの存在。どちらが和樹とイリスにとって脅威となるかは火を見るより明らかだった。
しかし和樹は目の前でサリアが倒れようとしている姿を見ている。それは未だに和樹の脳裏に時たま翻る、電車の中で倒れていく人たちの姿を髣髴とさせた。和樹は理性と感情どちらを優先するか思い悩む。理性ではイリスの言が最適解だと認めている、だが感情は今すぐにサリアの手助けをするべきだと訴えてくる。
その板ばさみに和樹が苦しんでいると、サリアの論理防壁が一枚破壊されたところであった。電脳空間に白色の輝く花弁が舞っていく。その様子を見やり和樹は理性よりも感情を優先させることに決めた。感情のままにイリスに和樹は言い放つ、サリアの手助けをすると。
『……分かりました、マスター』
なにか言いたげな視線をイリスは送ってくるが、和樹はあえて無視をする。イリスの不満が最もだと言う事に和樹とて気付いているからだ。それでも感情として放っておけないのだから仕方がない。現状サリアの方が押されてきている事もその感情を後押しした。
『いくぞ、イリス』
和樹は電脳戦用の思考に切り替え、一気にサリアの元へ飛翔する。今度はイリスもその行動を止めようとせず、従者のように和樹の後ろにつき従った。そして和樹の合図と共に目前の黒い影に向かってイリスが現在放てる最大数の青い光の槍を放ったのだった。
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