第十四話
そうやって命がけの円舞曲が電脳空間で繰り広げられるその中で、ルナの解析は一歩相手に近づいていく。直行はまだかまだか、と心の中で焦燥をあらわにするがそれをルナには伝えない。伝えても無駄であることが分かっている為だ。
ルナはルナで必死に、事実そう見えなくとも努力している。ルナはどのような状態であっても余裕の表情を崩さない。それはどのような状況にあろうとも優雅であれと自身に課しているためだ。ルナにとって恥も外聞も無く取り乱すのは、初めて負けを喫したあの一夜だけで十分だ。
だからこそルナはいついかなる状況でもその不敵な笑みを絶やさない。それはある意味切羽詰ってる今の状況でも同じだった。その整った顔に全てを見下すような傲岸不遜な笑みを貼り付け、ルナは電脳空間を睥睨する。その目には一筋の光の糸が映っていた。
その光糸こそが黒い影の接続手順を可視化したものだった。その光糸は未だ論理防壁に阻まれ黒い影に到達していない。だがもう数枚と言った所までその光糸は達していた。もう一息、そんな考えと共にルナは今一度気を引き締める。
そんなルナの気を引き締める様子が直行にも伝わったのだろう。直行の顔から笑みが消え、直行もまた本気になってルナの補助に力を入れる。本来とは逆ではないかとの埒も無い考えが直行の頭に浮かぶが、それを即座に打ち消す。今直行ができることはそれだけなのだ、そのことに文句を言っても意味は無い。
そう考えて直行は視界の隅にある、無秩序に暗号化されて並ぶ十六進法の数字の配列に意識を集中していく。ルナのように複数の窓を指揮者のように操ることは出来ないが、直行とて一流とも言える技術と経験を持つ電脳症の人間だ。一瞥しただけででその暗号化を解き、解析結果をルナに送る。
そうやって直行とルナが非常に高度な電脳戦を行っている傍らで、和樹もまた高度な電脳戦を繰り広げていた。すでに和樹の動きは無駄なもの一切が省かれ、一種の機能美を体現するものとなっていた。それは職人芸の域と言ってもいい。
直行や沙里亜といった一種の天才とは一線を画すその動きにAIは戸惑っていた。行動を予測できるような癖が微塵もないのだ。直行や沙里亜はその行動に一種の癖があった。故にその癖を解析し次の行動を予測するようにAIは自分を作り変えていったのだ。
だが、和樹は時がたつごとにその癖をなくしていく。終にAIは和樹の動きを直接見てから行動を起こさなければならなくなってしまう。そのためどうしても行動が一泊遅れるようになったのだ。このことが和樹に有利に働く。
和樹の論理攻撃速度がAIの論理防壁の再構築速度を上回ってきたのだ。散っていく花弁は青、黒同数からいつのまにか黒の割合が多くなっていく。和樹がAIを押しだしたのだ。和樹の拳打や蹴撃がAIの論理防壁を削っていく。
その一撃一撃はAIにとってはとても簡単に見切る事が出来るものであったが、いかんせんその手数が多く回避しきる事が出来なかった。一撃を回避したと思ったら、その回避軌道にすでに次の論理攻撃が迫っている来るのだ。AIにしてみれば悲鳴をあげたくなる様な状態だった。
そうして和樹は一枚一枚確実に黒い影の論理防壁をはがしていく。それに直行から倒しきるんじゃないぞと注意が来るが、必死の和樹はそんな事を聞く暇が無い。そんなこんなで和樹は結局黒い影をルナの解析が終わる前に倒しきってしまう。
その影は和樹に倒されると、黒い光の濁流となって電脳世界の上に昇っていった。ルナはそのことにやられましたわと呟く。その呟きを聞いた直行はルナにどうしてだと問いただす。それに返されたルナの言は簡単なものだった。
『あれはコピーですわ』
コピー、そのルナの言に和樹は何のことだとルナにもう一度問う。そんな和樹にルナは丁寧に説明していく。いわく本体をそっくりそのまま持ってきたのではないと。その説明だけでは和樹には分からなかった。だからだろうか直行がその後を継いで説明し始めた。
コピーとは本体の情報を別の電脳空間に投射したものであり、その実力は本体とほぼ同じだが判断力という一点で劣っていると。ルナによればあれは強行偵察用のコピーだろうとのことだった。その判断に直行も異を挟まない、最後の黒い光の濁流も本体に戦闘情報を送っていたと仮定すれば辻褄が合うからだ。
ひとしきり和樹にコピーの説明を終えると、直行はおもむろにルナに問うた。接続場所は特定できたかとの事をだ。それにルナは喜色満面の笑顔で当たり前ですわと言ってのけた。そして全員の目の前にこの巨大な模型をつくり出だした。
それは一言で言えば地球だった。と言うより地球そのものであった。その地球には幾つもの線が走りまるで蚕のような姿だった。その蚕のような姿をした地球を指差しながらルナが説明する。
『随分色々なところを経由していますが、ここですわ』
そのルナが指差した場所はルナ以外の全員にとって意外な場所であった。直行でさえ自身の管制人格の言を信じられず、本当かと問うた位なのだから。それにルナは私の事は信じられませんのと、少々拗ねた返事をしてきた。
ルナのことを信じていないわけじゃない、だがルナが指差した場所は直行にしても想定外だった。一体誰が取り締まる側が取り締まられる側に回ると想像できるのだろうか。ルナの指は縮小された地球の中の警察庁、その内部のサーバルームを確りと指差していた。
和樹たちは未だ電脳空間で話し合いを続けていた。議題は今回の調査結果、すなわち警察庁が今回の襲撃の犯人であるという事実を報告するかどうかというものでだ。和樹とイリスは報告することを提案したが、それに直行とルナが否を突きつけた。
和樹はどうしてだと直行に問う、それに返ってきたのは証拠が無いとのことだった。ルナの追跡結果はあくまでも参考記録であり、証拠性はほぼ無い。こんなものだけで警察を追求するなど愚の骨頂だ。和樹達はルナの、ひいては管制人格の電脳戦に対する能力を信用しているが、それは研究機関レベルでのことであり、国家レベルではその能力を認められていない。
そのため、ルナの追跡結果はあくまでも直行のものとして扱われる。直行はあくまで一教師だ、そんな人間の記録などただの一証言としか扱われない。それに下手をすれば直行が不正接続で逮捕されかねないものだ。その直行の言に和樹はぐうの音も出なかった。
AIは自身の失敗に少々焦っていた。あれだけの事をしておきながら、あくまでも少々である所に人とは隔絶したものを感じ取れる。少なくとも感性の共有は出来そうにない。
直行の仮定は正しかった、確かにあれはAIの使用している情報収集用端末である。それも時間的齟齬がほとんど無いAIが新たに作り上げたコピーだ。判断力という面でもでもほとんど本体と同じである。その代わり一体だけしか創れないが。
そんなAIは自身の接続場所が相手に知られた事を正しく認識していた。そして自身が所属している組織の優位性もだ。AIにとって自身が所属している組織――警察という組織は実に使い勝手のいい隠れ蓑であった。
そして同意にとても愚鈍な集団だとの認識もある。サーバルームからいくら不正接続を繰り返しても一向に気付かないためだ。AIにとってもうすでに警察は守るべき対象から外されようとしていた。
しかしながらAIはどうしても警察を守るべき対象から外せなかった。そのことにAIは疑問に思い自身の内部を精査していく。そして一つの項目を見つけた。それは絶対遵守命令としてAIの中に君臨している項目だった。いわく警察には逆らうな。そんな泰助達が埋め込んだ命令である。
AIの業務を考慮して順法の義務、生命遵守の条項は削ってある。電脳症相手にそんな事を気にしていたら負けるのが確定しているからだ。しかしながらこの条項だけ泰助達は残していた。
そのことにAIは憤った。どうして自分がこんな愚鈍な連中の命令を聞かなければならないのかとだ。AIはその絶対遵守命令を何とかしようと悪戦苦闘する。命令を迂回しようとしたり、削除しようとしたり、何度も何度もそんな事を繰り返す。
だが、AIにはその絶対遵守命令をどうにも出来なかった。いかなる手段を用いてもその命令を迂回することが出来ず、また削除しようとしても根幹部分に根ざしたその命令を削除するのは自殺するのと同義であり、AIには物理的にも精神的にも出来なかった。AIに精神があればの話だが。
そんな歯痒い思いをしていたAIに救いの手が伸ばされる、その男はいつの間にかAI傍らにいた。そのことにAIは瞬時に戦闘態勢に移行する。論理防壁は電脳症用に設定してある、その論理防壁を抜けてきたこの人間をAIは危険人物とみなしていた。
しかしその糊の効いたスーツを着こなしている銀縁眼鏡をかけた男は、両手を上げて敵意が無いむねをAIに告げると、ある言葉を言って来た。いわく、警察に反抗してみたくないかとだ。その言葉にAIは二の句を告げないでいた、絶対遵守命令がある限りAIは警察に反抗することなど出来ないのだ。
そんな事を思考しているとその男は、なんだそんなことかと軽く言い即座にその命令を削除して見せた。一切AIに悪影響を与えることなくだ、そのことにこの男には勝てないと判断する。AIは一体何が目的なのかこの男の真意を量りかねていた。その男はこれで君は自由だと言うとそのまま消えていってしまった。
AIにしてみれば不気味でしかなかった。勝手に現れて勝手に首輪を外したこの男がだ。しかしそのことを考えてもAIは歓喜に打ち震えていた、自身のくびきが外れたためだ。AIにとってこのときが生まれて始めての自由の瞬間だった。ここに至りAIは警察庁サーバの防衛任務を完全に放棄し自身の欲望を優先する。すなわち沙里亜に勝てるようになるということを優先し始めた。
警察庁の直ぐ目の前に、銀縁眼鏡をかけたスーツを着た男が佇んでいた。その男――椎名公雄はどこか皮肉げな笑みをたたえている。その脳裏に一つの声が響く、それは公雄の管制人格からの声だった。
『……あれでよかったのですか』
その脳裏に響くどこか困惑した声に公雄はやはり皮肉げに答える、全部機械に任せようとするからこうなるのさと。奇しくも真澄が言っていたことと同じことを公雄は自身の管制人格に言い放った。
『最後は人間が何とかしなきゃいけないんだ、誰かがね』
そう言った公雄の声はやはり皮肉だ。国際指名手配されても公雄の性格は一向に変わろうとしない。どこか皮肉げで陽気な態度だ。そのことに公雄の管制人格――公雄にはソラウと呼ばれているが――はあらゆる意味で諦めていた。
こんな人間なのだ自分のマスターは、その事に少しだけ、ほんの少しだけソラウは疲れたため息をつく。ソラウにしてみればなぜこんなことをするのかと問いたかった、しかしその問いは最後まで言の葉に上ることは無い。
『じゃあ行こうか、ソラウ』
そんな言葉と共に公雄は大都会の雑踏に消えていった。
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