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第九話

 日に日に太陽からの送られてくる熱が強くなっていく八月中旬、学園の付属図書館で和樹はまた書籍と文献の山と格闘していた。今日も今日とて和樹は直行の課題をこなすため、図書館通いに精を出していたのだ。そうやって和樹がまた難易度が上がった目の前の課題を同じように四苦八苦しながら解いていると、急に名前を呼ばれた。

 「芹葉和樹君、だね」

 和樹の元に二人の人間が訪ねてきた。一人はどこかくたびれたジャンパーを羽織り、その見事なスーツを台無しにしている壮年の男性であり、もう一人はどこか疲れたような気配を纏った若い女性だった。ただその両者共通に瞳の下にはなぜか隈が浮かんでいたが。

 その二人はそろって前時代的な手帳をスーツの内ポケットから取り出すと。おもむろに開き、和樹の目に中身が見える様な位置に突き出した。はたしてそれは、いつまでたっても変わらない警察手帳だった。

 その事実に和樹は困惑する。いったい警察が和樹に何の用だと思ったからだ。壮年の警察官――譲二は手帳をしまうと和樹に論理爆弾があるとの匿名の通報があったことを切り出した。その言に和樹は約一ヵ月半前の事を一気に思い出す。たしかに和樹は警察に論理爆弾があると通報していたからだ。しかしなせ警察が和樹に接触してきたのか、和樹にはそれが分からなかった。

 イリスが脳内で警鐘を鳴らす、知らず和樹は身構えていた。その剣呑な雰囲気が相手にも伝わったのだろうか、譲二は話を聞きに来ただけだと言って両肩を上げた。

 「何を聞きたいんですか」

 和樹の言はどこまでも直球だった。それに譲二は苦笑すると自動販売機の件でちょっとねと和樹に微笑む。強面のその笑顔は和樹を怖がらせるのに十分な破壊力があった。和樹の膝が自然に震える。それに気付いたのだろうもう一人の警察官――玲奈が和樹に安心してと言ってくる。いわく、本当に話を聞くだけだからと。


 警察官達との会話が始まった、始まってしまった。その会話の間、和樹は生きた心地がしなかった。譲二達が聞いてきたのは唯一つ、なぜ論理爆弾があると分かったのかその一点だった。事実、三日間もの間、誰にも論理爆弾があるとは気付かれずその自動販売機は稼動していたのだ。それに和樹は目の前に警告表示が出たからですとしか答えられなかった。

 その説明に譲二達は一応の納得をした、してくれた。しかしてそれは一応であった。二人とも完全には納得していない。それは素人の和樹にもありありと分かった。実際に同じ状況にあって譲二たちは論理爆弾があるとはどうしても思えないからだ。しかしそれが不可能かといえば、可能と返さざるを得ない。その状況で論理爆弾だと看破した人間を譲二達は知っているからだ。

 故に一応の納得である。和樹の言はその一言のみであり、矛盾を指摘する余地もなった。和樹にしてみれば余計な事を言うことで、電脳症であることを告白しなければならない状態になる事を嫌っただけである。それが今回の場合は望外の結果を引き寄せた。事ここに至り、譲二達は切り札を切ることを選択する。――論理爆弾を無力化した人間を知っているかい、と。

 その言葉を聞いて、和樹の表情に動揺が走った。背には冷や汗がだらだらと流れ、和樹を気持ち悪くさせている。その様子を見取って相手は確信したのだろう、強い調子で知っているんだねと重ねて問うて来た。

 それに和樹はどう答えようか逡巡した、してしまった。その逡巡こそが答えになると分かっていてもだ。譲二達は和樹が話しだすのを辛抱強く待っていた。そして和樹の口から語られたのは譲二たちにとって予想の範囲内だった。

 「論理爆弾を封印したのは俺です」

 そう事実を語ったのだ和樹は譲二たちに、無論イリスの事、電脳症の事は伏せてだが。その和樹の言に不正接続は犯罪だぞとそう注意されただけで終わった。その事に和樹は驚く、もっと重い罰を覚悟していたからだ。ワイヤード事件が起こってから電脳犯罪の厳罰化が進んでいる。

 その疑問をぶつけてみると、なに説諭で気に入らんのなら逮捕するぞと人の悪そうな笑みを向けられた。それに和樹は慌てて今のままでいいですと返す。呵呵大笑された、どうやら和樹は譲二にからかわれたらしい。それに司書の女性のきつい視線が突き刺さる。その態度は図書館では静かに、との言葉を無言で投げかけるものだった。

 その司書の女性に譲二は申し訳なさそうに黙礼する。確かに図書館でするような態度ではなかった。譲二は一通りの反省をすると向き直り、今一度和樹に言ってきた。逮捕するのはというのは冗談だが、もう不正な接続はするなとだ。それに和樹は分かりましたと答える、答えざるを得なかった。

 顔は笑っていても目は笑っていない、そのことに本気で怒った両親を思い出す。その怖さを骨身に叩き込まれて育った和樹は、ただ黙って頷くことしか出来なかった。ここに和樹と譲二達との初邂逅が終了した。



 「本当にあの対応でよかったのですか」

 「実被害も出ていないからな」

 ――それに不正接続の件は証拠が全くない、自白だけでは少々辛いな。車で本庁へ帰る道すがら、譲二と玲奈の二人はそんな会話を交わしていた。譲二の見解はそのまま担当班の総意でもあった。いかに犯人が自白しようとも、証拠が一切ない現在、和樹には匿名通報の件で事情を聞くのが精一杯だ。

 「不正接続は重罪ですよ、それを……」

 ――説諭だけで済ますなんて。そう言って玲奈は譲二に食って掛かる。しかし譲二は、だから証拠がないだろうがとのらりくらりとその追及をかわす。現場では自白だけで相手を逮捕することがままある。証拠を後から集めるというやり方だ。しかし譲二はその方法には反対の立場をとっていた。

 法の原則に反するからだ。証拠を全てそろえ裁判所に逮捕状を取る、出来るだけその手続きを譲二はふみたかった。だがその手続きをとるには和樹はあまりにも真っ白だった。それこそ自白と匿名通報と言う小さな染みがなければ、疑う余地の欠片もなく白なのだ。

 そんなもので逮捕状は取れない、譲二はそう判断する。そしてこれ以上洗っても証拠が新たに出ないであろう事も簡単に予想できた。

 「捜査本部に一元化すべきかもな」

 譲二はそう言うと、胸元から警察手帳を取り出し、和樹に対し説諭ですました旨を書き込んでいく。傍らで、また私が課長に報告にいくんですかとの泣きたそうな声が聞こえる。それに譲二は今回は俺が行くとだけ伝えた。

 今回だけは班長たる譲二自身がいくしかあるまい。そう考えると懐から無煙煙草の箱を取り出し、口元に運ぶ。全く面倒な事件の割りに結末はあっけなかったなと、譲二は埒もないことを考えていた。


 警察庁に着くと、譲二と玲奈は早速課長室へとその足を向けた。その途中捜査本部の人間に同情の視線を向けられた。真澄のわがままの被害者と担当班の面々は目されていたからだ。その視線が譲二は煩わしかった。

 刑事生活二十五年、もっと過酷な事件の捜査も経験したこともある。この程度で同情の視線を受けるほど、譲二はやわではない。そんな思考をしながら、課長室まで一歩一歩その歩を進めていく。しばらくして担当班の一室の前に着き、譲二は玲奈と別れれを告げる。そしてその隣の課長室にそのまま入っていく。その姿を玲奈は勇者を見送る目をして敬礼しながら見送っていた。


 バタン、そんな音と共に課長室の扉が譲二によって閉じられる。課長室は真澄の実直な性格を表すように、どこか殺風景なものであった。そんな一室で譲二はことの一件を真澄に口頭で説明していた。

 「……以上の理由から説諭のみにとどめました」

 その報告を聞いて、真澄は分かったわとため息をつきつつ頷いた。その了解の返事を聞いて、譲二は捜査本部への統合を真澄に進言する。真澄は顎にその右手をつけ目を瞑り僅かな時間黙考すると、その進言を受け入れなかった。

 そのことに譲二は驚いた。いったい真澄は何にこだわっているのだろうか。そんな思考が譲二の脳裏に浮かび、そして一ヶ月半前の少女のことを思い出した。白柿といった男に連れてこられた長沼と言う少女のことをだ。

 おそらく真澄は件の少女と一樹という少年を重ねているのだろう。譲二はそう見当をつけ、そしてそれは間違っていなかった。そう、真澄は長沼と呼ばれた少女と和樹という少年が同じような存在ではないかと考えていたのだ。

 同年代であり異常なほどの電脳戦の技量を持つ。そんな共通点しかなかったが、それだけの共通点があるともいえる。真澄の勘はこうゆう時はよくあたるのだ、事実、この勘によって解決された事件は数知れない。

 今回もその勘に従って、目の前の譲二に命令を下す。和樹と長沼と呼ばれた少女のことを調べろと。職権乱用というのならそう呼べばいい。真澄はそうやって事件を解決してきたのだ。第一、今捜査本部――正式名称、多発的電脳攻撃捜査本部に入っても担当班の面々は足を引っ張るだけとの判断もある。

 その真澄の判断に、譲二は俺たちは課長の私兵じゃないぞとの僅かな不満を感じながら、了解ですと返す。その様子が伝わったのだろう、真澄は一瞬ひるむと何事もなかったように話し出した。


 「この一ヵ月半ご苦労様、息抜きだと思いなさい」

 ――今度はゆっくりでいいから。どうやら真澄は譲二たちへの慰労をかねて、こんな突拍子もない命令を下したらしい。実際にはその譲二の考えは的外れであったが、素性調査ぐらいならばあまり負担にならないのは事実だ。その言に譲二は僅かにため息をつくと、もう一度分かりましたと了承の意思を伝えた。



 そんなやり取りが情報対策課の課長室で行われていた頃、科警研の研究室の一室では、今日も今日とてAIと沙里亜の電脳戦が行われていた。結果は言わずもなが、今回も沙里亜の圧勝であった。

 だがその時間は三十秒台中ほどまで延びていた。途中途中、戦闘中はいつも無表情な沙里亜が嫌がる場面があった。それはAIの論理攻撃が沙里亜の論理防壁を破ったためであり、初期の頃と比較すると格段の進歩を遂げていた。

 「よし、ここまでにしよう」

 泰助の声が研究室に響くと、固唾を呑んで見守っていた研究者達が一斉にサーバの元へ駆け寄る。功労者の一人である沙里亜の元に歩み寄ったのは智彦だけだった。

 「ご苦労様」

 そう智彦がその苦労をねぎらうと、別に疲れていませんと無表情で声が返ってきた。いつも通りのやり取りだと智彦は苦笑する。先日から智彦は事あるごとに沙里亜の行動を観察していた。その結論は無気力、それに尽きた。そうして観察した過去を振り返っっていた。


 沙里亜は誰に対しても同じ行動をとり、誰に対しても心を開かない。それは智彦にしても同じだ。ただ人形の様に言われたことをこなしていくだけの機械の様だった。

 それでいいはずがない、智彦はそう思い僅かに嘆息する。沙里亜を機械の様に扱う研究者達も、それがさも当然だと言う風に受け入れている沙里亜も、そのどちらもが狂っていると智彦は考える。

 だからこそ自分ぐらいは沙里亜を人間扱いしようと智彦は決めていた。同僚に変わり者だとのそしりを受けることも覚悟してだ。しかしてその同僚たちは、どこか諦めたような視線で智彦の事を見るだけで、一向に智彦のことを変わり者だとは呼ばなかった。

 彼ら研究者達も同じ道を通っていたからだ。彼らとて最初から沙里亜に無関心であったわけではない。むしろ無関心の度合いが強い者ほど、初期に沙里亜と友誼を結ぼうと努力したのだ。しかしてその結果は、今日の状況から推して知るべきだろう。

 惨敗だったのだ研究室に残った者の誰もが。一部沙里亜の心を開きかけた者もいたが、そんな人間達はその後直ぐに辞表を提出している。例外なく沙里亜に対し化け物との捨て台詞を残して。

 なぜ変だと言われないのか疑問だった智彦が年近い先輩技官――坂井広軌に聞くとそんな事を説明された。その事実を知って智彦は首をひねる、辞めていった人間の方が天才、化け物と揶揄される電脳技官であったためだ。

 いったい何が彼らの精神を破壊したのだろうか。智彦はそのことに興味を引かれ、自分自身で調べようとした。それに対し広軌が止めておけと釘を刺す。そして広軌は智彦に対して語りだした、その辞めていった全員が沙里亜と同じ電脳症であったことをだ。


 電脳症の人間と常人の間には、電脳戦において越えられない壁がある。それは速さだったり、上手さだったりそんなものだ。しかしてこの研究室にいる電脳症の人間は沙里亜一人。最先端とも言える電脳戦用AIの開発に電脳症の人間が関っていないなど冗談にしかならない。その事実に疑問を感じていた智彦は広軌の言に納得した。そういう裏話があったのかとだ。

 さらに広軌は智彦に語っていく。沙里亜が電脳戦で辞めていった彼らを完膚なきまでに叩き潰したことをだ。その広軌の言の葉に智彦はまたもや驚くことしか出来なかった。驚いて、驚愕して、愕然として智彦はある事に気付く。広軌が語ったことのほぼ全てが智彦が聞きたかった事実であるという事にだ。

 なぜそんなに詳しいのか智彦は広軌に聞くと、はたして返ってきたのはどこか諦めたような笑顔と、俺も調べたからなとの乾いた声だった。その事実に智彦は広軌も沙里亜の心を開こうとして挫折した人間だった事に思い至る。

 「俺と同じ失敗はするなよ」

 そう言って広軌は智彦を消極的ながらも応援する。広軌とて今の状態が正しいものだとは思っていなかった、しかし疲れすぎてしまったのだ。沙里亜という少女は電脳症以外の人間に全く興味がない、その事実に。

 智彦もその広軌の話しを聞いて、無駄ではないのかとの思いに囚われる。しかしそんな弱気な考えを頭を振って追い出した。何事もやってやれないことはない、それが智彦の理念だった。


 そう決断してとった行動は単純だった。ただ沙里亜に事あるごとに話しかける、それだけだ。その結果が今日の無表情での返答だった。結局は変わっていないじゃないかと思われるかもしれないが、これは智彦にしてみれば格段の進歩だった。

 なぜならば、沙里亜の対応が無感情から無表情に変わったからだ。沙里亜は感情を表に出すことは少ない。相手に何かしらの情を浮かべたとき基本的には無表情になってその相手に反応を返す、泰助がよい例になる。

 智彦に向けられている感情が、好いものか悪いものかは神のみぞ知るといったところだ。だが無関心という最低の状態からは脱することが出来た。ようやく、本当にようやく一ヵ月半もの時間をかけてスタートラインに智彦はたったのだ。

 これからが大変だ、そう智彦は独りごちる。だが同時に何とかなるだろうとも思っていた。どうしようもない無関心から無表情まで引っ張りあげたのだ。どうにかなってくれないと今までの事が報われない。そんな事を考えながら智彦はもう一度気を引き締め直した。


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