第二十二章 遠雷 (2)
しかし、輝弘には、やや気がかりなことが、二つばかりございました。
まず、敵勢に、あの左座宗右衛門が混じっているらしいこと。彼が、旧主・大内義長公自刃のあと、敵方の市川経好に拾われ、そのもとで長く仕えていることはわかっておりました。あの左座が・・・武芸軍事全般に通暁し腕も立つ男が、高嶺城でどれほどの役割を果たしておるのか。旧友としてその実力をよく知る輝弘にとっては、まずそれが一番の心配事でございます。
また、次に、妙な音のことがございます。はじめは自分の耳鳴りかと思っていたのですが、先ほどから、ときどき、かすかな太鼓の響きのようなものを感じます。いっとき、なにかがどんと鳴って、そのあと谺が宙を響き渡り、空のあちこちに反響して、やがて消えてゆくのです。その不思議な音は、一定の間隔で起き、響き渡って参ります。そしてそれは、町に近づくにつれ、徐々に大きくなって参りました。
あれは、何であろう?
輝弘は、考えました。豊後に数門ある大筒の一種のようですが、あのように希少で高価なものが、毛利領内の、この戦線後方の安全な町に据え付けてあるという噂は、聞いたことがございません。輝弘は、定期的に山口から寄せられる諜者からの報に接し、この町のだいたいの防衛施設のことを、よく知っておりました。大筒を据え付けるには、大きな陣地と砲台、陣屋などの設備が必要です。しかし輝弘の知る限り、そのような大掛かりな備えは、この町には、ございません。
遠雷か、なにか天地の理による自然の現象か?しかし、過去、山口に棲んだこともある輝弘は、そのような現象を眼にしたことも、話に聞いたこともございません。
遠雷とすれば、音が鳴ったあと、しばらくして下腹を打つような響きが襲って来るはずですが、この音には、それがありません。どちらかといえば軽やかですらあり、ただ遠くで大きく鳴り、ぱちぱちと細かく弾け、そのあと空に溶けるようにして、ただ消えていってしまうのです。
同じその音を、町に入った先発隊の将兵も耳にしておりました。彼らは、一列の縦陣になって、数本の辻道から、同時に町の中へ浸透して行きます。しかし、町には敵影一兵たりとも見えず、各戸は扉を閉ざし、住民たちも外に出ては来ません。それなのに、どこかから、あの不思議な音が、一定の感覚で空を鳴りわたって参ります。
かつてこの山口に居たことのある者は、町のあちこちに住み着いていた唐商人が、邪気を祓うため火を点けて鳴らす、爆竹なる仕掛けを思い起こしました。それらは、短冊のように結わえられており、ひとつ火を点けると、ぱちぱちと続けざまに弾けて火花を散らすのです。いま鳴り渡っている不思議な音も、そうした、続けざまに弾けるような、音の伸びがございます。
「大筒・・・い、いや、あれは種子島の音じゃ。」
誰かが口にしました。言われてみるとそのとおりかも知れぬ、と各兵たちが思ったところ、その矢先、またもう一発、どどんと鳴りました。幾つかの種子島が、筒先を揃えて一斉に鳴り渡る音。一丁や二丁ではないので、音が合わさり、まるで大筒のように大きく聞こえるのです。
しかし、いま自分たちがその目標になって撃たれているわけではありません。
どこから、誰が?
やがて、隊列の脇にはみ出た一名が気づき、艮の方角を指差しました。
「あれは・・・遠くじゃ。あの、鴻ノ峰のほうで鳴っておる!」
鴻ノ峰。あの、市川家の者を中心に、山口防衛の毛利軍残党が立てこもっているという山です。物見の報告では、そこには、ほんのわずかな兵どもしか居らぬとのこと。ところが、あの山から、何度も何度も種子島の音が鳴り響いてくるのです。それも、一丁二丁の音ではありません。少なくとも十か廿、いや、それ以上の種子島が、一斉に鳴り渡っているように思えました。
城兵どもが、早く攻め寄せて来いと当方を挑発してきているのでしょうか?それとも、こちらの寄せを怖れ、ただ必死に虚仮威しをしているだけなのでありましょうか?




