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高嶺の花  完全版  作者: 早川隆
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第二十二章  遠雷 (1)

一夜を費やして、どんどんと膨れ上がる軍勢を再編成した大内輝弘は、夜明けとともに全軍へ進発を命じました。


そのとき、大内勢は、なんと総勢六千名を越える一大軍団となっていたのでございます。これだけの大軍ともなると、その指揮統率にはたいへんな労苦を伴います。よって、輝弘は、地元勢から選抜した、土地勘のある五百名ばかりの先発隊を先に出し、次に輝弘自身に付き従ってきた豊後勢一千、そしてそのあと、着到順に並べた味方勢を八隊に分け、それぞれ軍監を付け、時間差を設けて随時進発させました。


この配慮により、狭い回廊を渋滞させることなく、大軍が円滑に進んで行くことができます。しかも、後方八隊のうち三隊には峠越えを命じたため、ちょうど良い具合の分進となり、昨夜の浜辺での混乱状況から考えれば、考えられないくらいに整然とした進軍を行うことができました。輝弘には、こうした手配りをそつなく行う能力がございました。


すでに、進路を塞ぐ邪魔者は、昨夕までに排除してあります。峠を行く三隊は、昨日の戦闘で討ち死にし、討ち取られた井上就貞らの(くび)が、斬られてそのまま木の枝から吊るされているのを横目に、悠々と山越えをして行きました。


やがて先発隊は、山口市街を遠くに望見する野に到達しました。後続を待たず、まずは彼らがそのまま町に入り、安全を確認します。そして、もし敵守備隊の大将が降を乞わば、これを傷つけずに輝弘の前まで丁重に案内するよう、厳命されておりました。五百名の地元兵らは、槍穂を前方に突き出しながら、慎重に町へと入っていきました。本日、まだ敵兵の姿は一兵も見ておりません。道も町も、なにもかもが静かでした。


山口への無血入城と、それに続く高嶺城への整然たる進軍。そして全軍そこに集結し、静かに、大軍の威を見せつけます。高嶺の、かつて輝弘も眼下に山口の市街を眺めたことのある位置からそれを見下ろす市川局は、きっと、交戦の無駄を悟ることでありましょう。輝弘は、いや、氷上太郎は、知っておりました。かな様が、勇敢ではあるが、決して無謀な姫などではないことを。そして、深い情に溢れ、無駄な人死(ひとじに)を是とするような無慈悲な姫ではないことを。


もうすぐ、彼が長年望んできたことが、成就します。

彼は、遂に、やり遂げたのです。




やがて、あとに続く本隊にも、山口の町の外縁部が、うっすらと見えてまいりました。輝弘にとって、心の底から、懐かしい光景です。かつては、自身が住み、暮らした町。


その地理は、自ら歩き廻り、その隅々まで知っております。


また輝弘には、現在の山口防衛の人事についても、すでに詳細な知識がございます。


奉行の市川経好は、遠く博多の戦地にあり、しかも最近の立花城崖下での激戦に巻き込まれ、行方不明となっていることがわかっておりました。井上就貞は昨日、その手勢ごと糸根峠で討ち取ったことを確認しております。内藤就藤や山県元重は、数十名程度の小部隊を率いた経験しか保たぬ侍大将。そして経好の長子、すなわち輝弘自身の実子であり、かな様との愛の結晶ともいえる市川元教様は、まだほんの十四歳の若武者です。


要するに、現在、山口に残る、ないし高嶺城に籠もる軍勢のうち、まともな規模の軍を率いた経験のある将は皆無。よって、残軍の指揮統率は、ばらばらになってしまっている筈なのです。こういったことどもは、地元から秋穂浦に参集してきた大内氏の旧臣たちから得られた報でございました。


彼らは、今は毛利氏の配下で冷遇され、下賤な役割で追い使われている身分ではございますが、同時に、間近でいろいろなことを見聞きすることのできる者たちです。彼らは、腰を折って愛想よく支配者たちの申し付けを聞き、怜悧な武家の眼で支配者たちの内幕や事情を探りながら、そこから(すく)い取った確度の高い知らせのみを、輝弘にもたらしたのでありました。


静まりかえる山口の町。残軍は高嶺に退がり、兵力は皆無。これから、物見の任を与えた先発隊の復命を待って、各隊、順番に堂々とあそこに入城します。


輝弘がかつて、能舞台で采女の舞を舞い、道場を開き、美しき姫と愛し合った、あの町です。あの懐かしき山口が、いま、腕を開いて自分を差し招いています。


十四年前、この町を去る時に託した、

(わし)はどんなことをしてでも、また戻る。そして、おぬしを迎えに参る。」

という伝言を、彼は実現したのでした。

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