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高嶺の花  完全版  作者: 早川隆
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第二十一章  籠城 (2)

かつて、この大手門の数丁先のお堂のなかで(むつ)み合い、愛し合った男は、今は敵でありました。われら家族の幸せを奪い、子供たちから未来を奪う、忌むべき敵でございます。


今さら、なにをしに参った?妾をさらいに来たか?それとも、またあの甘やかな笑みと舞と言辞とを弄して(わらわ)を騙し、豊後へ連れ帰ろうとしに来たか?その手には乗らぬぞ。妾には、この国に守るべき家と、愛する家族を持っておる。いや、おそらくは、多勢をたのんでこの国ごと妾を(とりこ)にし、我がものにせんと図っておるのであろう。成るものか、斯様な企てが、奏功するものか!この城には、左座がおる。恵心もおる。我が子も居る。そして、今や、昔の気の張りを取り戻した、妾がおる。


氷上(ひかみ)太郎よ、おぬしは、来るときと、ところを間違えたぞ!


市川局は、この櫓門の上から、眼下に向けてそう叫びたい衝動にかられました。大手門前の広場には、わが手の者らが忙しく立ち働き、あちこちに荷が開かれ資材などが積まれているだけで、いまだ敵の姿はございません。それでも、局は、気が昂ぶり、一刻も早く氷上と見え、このように啖呵を切りたいと思ったのです。


局は、わが胸のうちに、燃え(さか)る熱情を感じました。かつて月の下で、優雅にたおやかに舞う氷上の姿に感じたものと、おそらくは同じ質のものであります。しかし、いま、かつての「聞かん気の姫」の内なる熱は、ただ烈々たる戦意と化して、かつて愛した男の胸元に向けた恐るべき鋭鋒(きっさき)となって、その着到を待ち受けていたのでございます。




そうこうしているうちも、城門を目指し、ぱら、ぱら、ぱらと加勢の者らが駆けつけて参りました。また、頻繁に海岸とのあいだを往復している物見どもが、馬の尻を叩き続けて走り抜け、大軍の様子を伝えました。そのうちの一人が、秋穂浦を見下ろす高台の上から、正確に敵船の形状と数を数えており、左座は、そこから敵の兵力を、正確に一千名と割り出しました。根来の衆らも同じ意見でございます。もちろん海岸でこの軍勢に合流した地元の大内残党らも加わっていることから、現在は、おそるべき大軍に膨れ上がっていることが想像できました。


左座ら実戦経験を持つ者らは、山上から駆け戻ってきた山県の手の者らの報告と、現状の飛び道具の数 (弓三十張、鉄砲十一丁)を検討し、次のような戦術を、市川局と元教に建言しました。


まるで階段のように連なる郭段(くるわだん)を、ひとつひとつ守り、寄せてくる敵に損害を与えつつ、徐々に退がっていく戦法です。この場合、「退がる」とは、山の上に高度を取って、上がっていくことを指します。高嶺城は、さいわい、深い山懐を(かね)に抱え込むようにして長大な稜線が折れ曲がる地形の上に築かれております。一段あたり、二刻(ふたとき)でも保たせることができれば、頂上の本丸までなんとか二日は時が稼げそうでございます。しかも、斜面が真横に屈曲する本丸の直下は最大の撃ち所で、ここに寄せた敵勢は真上の段から見下されるばかりでなく、側方からの横矢にも(さら)されることになります。


ここで、どれだけの敵勢を討ち取れるか。どれほど、敵勢の戦意を削り取ることができるか。これにより、敵軍による攻めの勢いが変わって参ります。仮に敵勢が寄せ集めの烏合の衆で、質に(はなはだ)しく劣る場合、この(おびただ)しい死傷者を見て攻めを中止し、麓にて対陣する道を択ぶことも、決してあり得ないことではございません。しかし、いずれにせよこの頃までには、味方の小勢の過半は討死している筈。数と装備が違いすぎ、圧倒的に劣勢であることは、変わりません。


「まあ、おそらくは無駄でござろう。しかし、僅かでも時を稼ぐとしたら、この策のみ。」

左座が、口の端をゆがめ、苦笑しながら局に言いました。周囲の根来衆も、その言葉に頷き、同意を示しています。彼らのような、戦闘に熟達した手練(てだれ)の者達にも、現下の情勢はかくも絶望的なものであったのです。


「そちが申すなら、その策で構わぬ。それで参ろう。良いな、元教殿。」

局は、はっきりと答え、息子のほうを見ました。元教は母を見て、黙って頷きました。

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