第二十章 奇襲 (5)
山裾に貼りつき、ぐるりと廻るような細い道を上ると、とつぜん、眼前に頑丈そうな大手門が姿を現しました。門扉は開け放たれており、右のほうには小高く盛られた櫓台が見えます。もちろん、まだそこに櫓はございませんが、大手門そのものが櫓門となっており、そこへすでに数名の人影が立って、門前の広場を見下ろしておりました。
市川局は、そこにひとり見知った顔があるのを知って、驚きました。思わず門前に駆け寄り、人影を見上げて、こう呼びかけました。
「御坊・・・いったい、そこにて、なにをしておいでじゃ?」
呼ばれた僧形の老人は、ゆったりとした笑みを返し、暢気な口ぶりで局に答えました。
「待ったぞ、遅かったのう。それにしても此度は、驚くべき仕儀と相成ったな・・・いきなり、この山口を衝くとは。敵の軍略も見上げたものじゃ。」
「恵心和尚!妾は、そこで、なにをしておいでかと聞いておりまする!」
櫓門の上に立っていたのは、毛利氏に仕える外交僧、竺雲恵心その人でございます。すでに老境、しかも仏に仕える身でありながら、周囲には物々しく武装した僧兵と思しき男たちを侍らせ、しかし自らは紫衣をまとって数珠を提げ、ただゆったりと笑って高みから一行を見下ろしております。
「御坊!おわかりか?ここはもうすぐ、戦場となり申す!疾く、退がられよ。御坊のもとには、先ほど、わが子らを遣わし申した。」
「あの子らは心配無用。わが寺が、責任を持って預かる。」
恵心和尚は答えました。そして、こう言い添えました。
「兵が、足らぬのであろう。いまここに、七名だけじゃが、腕の立つ鉄砲衆を連れてきておる。もとは根来の者らじゃ。もっとも、肝心の鉄砲はいま、手元に四丁しか無いがのう。」
いつのまにか局の横に立っていた左座が、和尚を問い質しました。
「根来の衆は、御坊とは宗派が違うはず。なぜ、この方々が御坊と同心なさる?」
恵心は笑い、左座にこう答えました。
「そのほう、鋭い。これらは訳ありて転宗し、都からの道中、儂を警固などしていた者らじゃ。腕は立つ。かつては三好三人衆などと都にて派手に戦うておったのを、拾った。刻がないゆえ手短に申すが、儂もこの城に籠もるぞ。なに、儂はさすがに戦の役にはたたぬ。それは、これなる根来の者どもの受け持ちじゃ。だが、儂がただ城中に居ることで、敵勢のなか、攻めに二の足を踏む者なども、少しは出て参ろうぞ。」
「坊主といっしょに籠城なぞ、縁起が悪うて困り申す!」
局が、敢えて無礼な物言いで退城を促しましたが、それを聞くと和尚は呵々大笑し、
「さすがは、宮庄の聞かん気の姫じゃ。このところ、市川に手懐けられ、すっかり大人しゅうなったと思っておったが、こういう非常なる時には、やはり、地金が出るものよのう。まことに佳き気勢じゃ。お主が総大将なれば、もしかして、この戦、勝てるやもしれぬぞ。」
「戯言ばかり、申されるな!」
局は叱りましたが、このときには、この頑固な老人を退城させることは、もう諦めておりました。恵心和尚は、市川経好殿と局とのあいだを取り持った過去がございます。はじめは、このお節介に腹を立てたものでございましたが、その後の十数年、夫とともに付き合いを深めるうち、この老僧の持つ気概と勇気、そして義侠心のことは、よくわかっておりました。
「まさに、地獄に仏。これで、心おきなく戦って成仏できますな、母上。」
かたわらに居た元教様が、局にだけ聞こえるように、そっと軽口を叩きました。
局は、「これっ!縁起でもなし。」と息子を叱りましたが、その、歳に似合わぬ落ち着きには、どこか安堵もいたしました。そして、こころのなかで、恵心和尚とその配下の仏僧たちに、ひそかに頭を下げたのでございます。