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高嶺の花  完全版  作者: 早川隆
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第二章  激情 (3)

このとき、娘子に化けていたことが災いしました。五歳になったばかりの歓寿丸様は、男子か女子かわからず惑乱した追手の者に、責め(さいな)まれ、生きたまま衣を()かれ、股間に陰茎があるのを確かめられたうえで、これを切り取られ、殺されてしまいました。ご想像ください。隠れ棲んでいた寒い山中の裏寂(うらさび)れた神社の境内で、追い詰められ、丸裸にされ、にやにやと野卑な笑いを浮かべた雑兵どもに取り囲まれ、陰茎を切り取られる五歳の童の、その恐怖と絶望と恥辱とを。


人の世とは、かくも無残で、かくもあさましく、かつ無情なものなのでございましょうか。天道是か非か。かつて斯様に書いた唐人(もろこしびと)がおりました。この話を聞けば、わたくしは確信を持って言い切ることができます。天に道はなく、神に情けはありません。仏に慈悲もございません。そこにはただ、うつろで(くら)く、底のない人の心の闇があるばかりです。


そして、(うつ)し世にひとり残された、おさい様のお心のうち。人々には、悪しざまに罵られ陰口を叩かれましたが、彼女の心にあったものは、いったい何だったのでありましょうか。


彼女は、べつに誰を害せんとしたわけでもありません。意図して誰かの幸せを踏みにじったわけでも、あまりにも多くのものを望んだのでもありません。ただ、ちょっとだけ、あと少しだけ、(はかな)い幸せを掴みたかっただけなのでございます。目のまえに、手を伸ばせば届く、小さな美しい花を見て、手を伸ばし、それを手に(つか)み、そして、もろともに奈落の底に落ちていってしまわれただけなのでございます。




話が、()れました。


啓徳丸様が、「まらを取られた!」と歌って、邸内を走り回ったのは、歓寿丸様の噂が山口に伝わってきたときのことでございました。この幼子の悲惨な最期も、(とき)が幾分なりとも隔たれば、人の(くち)()にはのぼれどそこから惨味と哀しさとが、削りとられていきます。そうでないと、みな気軽にそのことについて話せなくなってしまいますから。


おそらく、啓徳丸様にその話を伝えた誰かも、年端もいかない高貴な童に、事の重さ悲惨さがそのまま伝わらないよう配慮したのに相違ありません。わざと面白おかしく、股間を指差し「まらが取られた」などと教え、幼い啓徳丸様は、それをそのまま素直に歌に()え楽しく口にしていただけであると思われるのです。


ところが、そのとき運悪く庭に立っていたのが、激情をもって鳴る宮庄の姫君でした。彼女の一族を庇護する内藤家の末子とはいえ、そのあまりにも武士の情を欠いた悪ふざけぶりが、彼女の血のうちに(ひそ)む激情を刺戟しました。そして刹那(せつな)に、あのような烈しい折檻(せっかん)となって現れたのです。


とうぜんのこと、内藤邸じゅうが、ひっくり返ったような大騒ぎとなりました。同じく地位のある安芸国の国人領主の娘とはいえ、いまは家と領地とを喪い、いわば内藤家の厚意によって寄食している居候(いそうろう)に過ぎない立場。その姫が、まだ幼いお家の実子を叩きのめしたのです。誇りを傷つけられた内藤家一族と家人たちは激昂し、かな様と宮庄の一族を追い出すように主人へ求めました。

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