第二十章 奇襲 (4)
出立の準備を終えた一隊は、ほどなく門前を経ち、荷車を押して郊外に向かいました。年老いた門番がひとりあとに残り、あとから加勢してくるかもしれぬ味方に、一行の行き先を伝えてくれることになりました。
局、元教様、そして左座の三名に付き従った家人は、わずか十五名。しかし、やがて町のあちこちから、報を聞いた加勢の者どもが集まり、また経好殿が去ったあとの山口警固衆として任に当たっていた山県元重という者が、手勢を整えて一行に合流しました。さらに道々、局とは内藤家中で見知りだった内藤就藤という男が、内藤家の手練十数名を引き連れて加わり、その総勢は約七十ほどに膨れてゆきました。
しかし、この程度の小勢で、これから寄せて来るであろう敵の大軍を迎え撃つことなど、まだ、とてもできない相談です。
今では、大軍上陸の報を知った市民たちが慌てふためき、町のあちこちで、あてどもなく喚いたり、駆け回ったりしております。荷車四台をごろごろと押しながら、一行は、そんな者どもを大声で叱りつけ、遠慮なく槍の柄を振り回してかき分け、ただひたすら町の北側を目指しました。
市川局は、付き従う者どもの隊列を振り返り、そこにあの、おたきが混じっているのを見ました。彼女は、隊列の後尾のほうに付いて、細身の槍を小脇に抱え、静かに覚悟を決めたような顔で前を向き、ただまっすぐに歩を進めておりました。
途中、がちゃがちゃと甲冑を鳴らしながら走る一隊とすれ違いました。隊長は、毛利家から派され、ここ山口の治安維持に任じていた井上就貞という者です。
井上は、すれ違いざま足を止め、一礼すると、こう言いました。
「市川様のご一族と推察つかまつる。われら山口警固の任を果たすべく、これから汀へと向かいまする。敵は大軍とのこと、わずかな刻でも稼いで防戦に努めまするが故に、皆様、早々に退がられよ!」
すかさず、局が、凛として言い返しました。
「我ら山口奉行の一族なり。おめおめと逃げ散ることできぬ。これから鴻ノ峰へと至り、そこに籠もって敵勢を迎え討たん!」
井上は、感じ入ったように「おお!」と唸り、さらに説明しました。
「畏まって候。小郡口は信常元実殿の隊にお任せし、我らはこのまま糸根の峠に登りて、敵勢来たらば一戦に及びまする。なるべく長くお支え申すが故、一兵でも多く勢を集め、城の守りを固められたし。それでは、これにて御免!」
彼は、一礼すると駆け去って行きました。あとに三十名ばかりが続きます。
皆々、歓呼し、称賛の声を上げ、彼らの武運を祈りました。勇敢な男たちでした。しかし、この小勢で、いったい何ほどのことができるでありましょう。
一行はさらに歩を進め、やがて、眼前に鴻ノ峰の威容が見えてまいりました。
かつては深い緑に包まれていたこの山も、高嶺城の造営のため、あちこち切り払われ、そこかしこに山肌が露出しております。稜線は段々に削平されて幾つもの郭状となり、上方で矩に曲がり、真横へ折れて本丸へと至ります。ただし、まだ段郭のいずこにも、いかなる防衛施設も作られておらず、櫓も、物見台も、小屋掛のひとつすら建てられておりません。山腹には幾つかの竪堀などが穿たれ、土塁はあちこちに盛られておりましたが、その上に柵は植わっておらず、壁もなく、そのさまはまさに、作りかけの裸城そのものでございます。
市川局は目をつぶり、かつてその中腹、古いお堂の建っていたあたりで交わした、氷上との情愛の日々を思い返しておりました。今、そこは整地され、郭のひとつとなっているようでしたが、山容が変わっているため、それがどこだったのかはもう、よくわかりません。
満月の夜で舞った、あの采女の舞のこと。そして、そんな二人を見下ろすように咲き誇っていた、高嶺の蒼と紫の花々のこと。
あれは、いったい、何だったのでありましょう。そのとき愛した男と、いま、まさにその場所で戦わなければならない。あまりにも厳しい運命の皮肉に、市川局は胸が灼けつくような思いが致しました。そしてその運命なるものは、その場所に「高嶺」などというふざけた名までつけて、二度も三度も局を嘲弄するのです。
もし天に、斯様なふざけた神がおわすならば、妾はもうすぐそこに昇り、意地汚く笑いながら波打つその布袋腹に向けて、きっと一太刀くれてやる・・・胸の内に、そんなどす黒い怒りをしまいこんで、市川局は、眼前に迫ってきた高嶺城を見上げました。