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高嶺の花  完全版  作者: 早川隆
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第十八章  勿忘草 (4)

その頃、山口の市川経好邸のなかで、説明のつかない、おかしな事件が起こっておりました。


九州に大挙侵攻した味方の大軍は、各地で大勝利を収め、まっしぐらに博多へ向け進軍を続けております。大友軍の抵抗は微弱、じりじりと退()がり、いまは博多の浜のどこかで、両軍の決戦が行われている頃合いでございましょう。


山口では、この大軍勢の後詰のため、相変わらず活発に大量の軍需物資や糧秣(りょうまつ)などが取引されておりました。町の辻々に立った市では、まだひとつとして店が畳まれることはなく、活気は以前のままでございます。やがて前線から、景気のよい捷報(しょうほう)が飛び込んでくることになるでしょう。博多が陥ち、大友が降参して、やがて大軍が凱旋して参ることでございましょう。その時の騒ぎは・・・誰もが、そのことを考え、さらなる利得のことを思い、胸を踊らせておりました。


市川邸では、この間、ひとつだけ変化がございました。当主の市川経好が、毛利輝元公じきじきのお召しを受け、そのまま最前線の九州へと旅立っていったのです。四万もの大軍が渡海し敵地を攻めることなど、古来、日の本にほとんど例のないことでございます。糧秣の補給、軍の統率と士気の維持、慰労のための人々の手配など、なすべきことは山ほどあり、内治の手腕に()けた者が、占領地でも緊急に必要とされました。


山口は、遥か戦線後方の安全地帯。町は変わらず平穏で繁栄を続け、治安を乱すなにものの影も、見ることはありません。奉行の市川が、しばらくこの町を離れたとしても、大きな問題が起こることはなにもないと思われました。


経好殿は、ともに暮らし、幸せを分かち合った家族としばしの別れを告げ、一軍を率いて、去って行きました。




市川家には、山口周辺の治安維持のため、少ないながら数百の手勢がございましたが、そのほとんどが主人と行を共にし、海を渡って行ったのでございます。あとに残されたのは、ほんの数十名ばかりの警固(けいご)の武士と召使い、下人や女どもだけでございます。ここから海へと下り、秋穂浦の泊に至れば、内海の航路警戒用に雇い入れている市川直属の海賊衆が居りますが、彼らはあまりに遠く、数も少ないため、留守を守る人数としては数えることができません。


邸内に残された市川局が頼りとするのは、ただ、左座宗右衛門ひとりあるのみ。左座は、すっかり大きくなった三人の息子たちを、相変わらず厳しく躾けております。長男の満月(みつづき)丸様は、十四になり、既に元服を終えておりました。新たな(いみな)は、元教(もとのり)。烏帽子親は左座で、慣例により彼の名から偏諱を与えるべきなのですが、身分の低い左座がこれを固辞し、名は他の有力者から与えられたものでございます。


下の幼子ふたりも、いまではすっかりと大人びて分別もつき、家人たちの気持ちもまとまり、市川の一家は、市川局の差配のもとで、しっかりと留守を守ることができておりました。

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