第十八章 勿忘草 (3)
眼前の毛利軍を跳ね除けるには、もっと思い切った、彼らの喉笛に直接、刃物を突きつけるような大胆な計策が必要でした。
あまり、時が残っているようには、思えません。吉岡は、彼が長年月にわたり想をあたため準備し続けてきた乾坤一擲の計策を、いま行うときであると決断しました。それを簡潔に輝弘に伝えました。それだけで充分でありました。
輝弘は、言いました。
「おやじ殿。もしかすると、永遠の別れでございます。お見送りは結構。われら、すでに死兵と化し、志遂げなば、そこで神に召される覚悟が出来ております。」
そう言って、握り合わせた両の拳を、吉岡の前に掲げました。拳のあいだから、銀鎖の先に十字架のついたロザリオが垂れました。輝弘は、山口から舞い戻ってきたあと、切支丹となっていたのでございます。
「うむ。そちには、來世また会おうと言うても、聞き入れてはもらえまいな。」
吉岡は、苦笑しながら言いました。しかし、すぐと真面目な顔になり、
「儂も、疲れ果てた。そろそろ、あの世からお声がかかる頃じゃ。お主とは、行き先は違うが、もしかしたら、また会えるかもしれぬ。」
「なにを申されます。おやじ殿には、いましばらく、この世にて頑張っていただかないと。拙者の行く先には、左座が居りまする。もし拙者に同心せねば、斬り結んで、無理にでもあの世への道案内と致しましょうぞ。」
「ざざ、か・・・あの男は。」
「左様。頑固者でござる。そして、よき男。拙者の、終生の友でございます。」
吉岡は、黙って、輝弘の涼やかな顔を見つめました。そして、こう言いました。
「この策、あくまで敵地の撹乱が目的じゃ。しかし、まったくもって前例の無い戦。なにがどうなるか、誰にもわからぬ。もしかすると、思うた以上の成功を収めるようなことも、あり得る。配下どもには、そう信じさせるのだ。そして、お主もそうと信じよ。さすれば、道が開かれるかもしれぬ。」
輝弘は、眼を輝かせ、吉岡に言いました。
「実は拙者、その積りで居りまする。この計策は、奏功いたします、きっと。大内氏の血を受け継ぐ遺児が、山口に攻め寄せて之を取り、周防を、そして長門を取れば、各地の山野に逼塞するかつての配下どもがきっと、先を争ってわが軍に加わりましょうぞ。」
「そして、海峡を封鎖する。」
吉岡は、言いました。
「さすれば、全軍が筑紫洲に出張っている毛利勢は、進退極まろう。あの小憎き小早川や吉川が、我らの足先に這いつくばり、国へ返してくれろと、泣きながら憐れみを乞うのじゃ。痛快なことよ。とにかく、それがわが軍の、唯一の勝機じゃ。」
「そうなりまする。必ずや。」
輝弘は、胸を張り、自信たっぷりにそう言いました。
「古今に例なき、未曾有の大計略でございます。かならず、成功させてご覧に入れまする。さすれば、赤間ヶ関のあたりで我らまた、お会いできまするな。」
「そう、願いたいものだ。とにかく、初こそが肝心。赤穂浦から陸に上がり、なるべく早うに山口を陥とせ。そここそが、勝負じゃ。」
「はっ。」
輝弘は、頷きました。そして、楽しげに微笑むと、こう言い添えました。
「山口では、戦わずとも我ら、むしろ歓迎されるやもしれませぬ。」
吉岡が、解せない顔をしました。輝弘は続けました。
「いや、山口は、勝手知ったるわが町でございます。いまでもそこに、馴染みの女子なども居りますれば。」
そう言って、涼やかに笑いました。




