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高嶺の花  完全版  作者: 早川隆
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第十八章  勿忘草 (2)

回廊が巡る大きな中庭には、一面に水が張られ、陽の光を照り返してきらきらと輝いておりました。菡萏湾(かんたんわん)のかなたから寄せてくる微風が、老いたる皺だらけの頬をそっと撫ぜ、吉岡は、眼をつむりしばしうっとりと致しました。そのまましばし眼を閉じ、思いにふけってから、やがて、彼は眼をかっと開けて、回廊を大股に歩き出しました。


そのまま草履をつっかけ、脇の庵へと移り、中で待ち受けていた男と対面しました。年の頃は、おそらく三十か四十。若いとはいえませんが、吉岡と向かい合うと、まるで親子のようでありました。


男は、深く拝跪(はいき)したあと、ゆっくりと顔を上げました。吉岡は、言いました。

「太郎、そちの出番じゃ。」

太郎と呼ばれた男は、はっとして、やがて少し眼を畳に落としてから、吉岡に言いました。

「おやじ殿。遂にそのときが参りましたか。」


「左様じゃ。儂としても断腸の想いでは、ある。しかし、万、止むを得ず。いま行かねば、あとに千歳(せんざい)()いを残すこととなろう。」

「かしこまりました。拙者としても、長らく待ち望んでいた役割でございます。」

太郎は、居住まいを正し、吉岡の眼をまっすぐ見据えて、答えました。


「うむ。」

吉岡は答え、しばらく、無言で、太郎の顔を見つめました。なにか、いとしいものを、手放すかのような哀しい眼でございます。しかし、それもほんの一時だけのこと。またもとの厳しい表情に戻り、太郎に言いました。

「すでに、海は()けてある。お主の連れて参る軍勢も。精鋭とはいえないが、全員、お主とともに死ぬる覚悟のある者ばかりだ。」


太郎は、それを聞くと、満足げに頷きました。




申し上げるまでもなく、いま吉岡と語らっている男は、山口を去り、かな様と別れた氷上太郎の、十二年後の姿でございます。あの白面の美男子だった昔に較べ、いまはやや日焼けし、頬に皺など刻まれ、それなりに老けた顔貌ではございます。しかし、その瞳の輝き、人の心を(とろ)かすような涼やかな笑顔などは、昔のままでございます。


氷上は、豊後に戻ったあと、もとの本名である大内隆弘を再び名乗り、能役者ではなく武人として、堂々と吉岡に仕えました。そして数年前、大友家の運動で京の将軍家を動かし、大内輝弘という名を賜ったことは、すでに述べたとおりでございます。


しかし、氷上、いや大内輝弘は、自分の主である吉岡長増のことを、「おやじ殿」ど呼びます。これは、両者の関係がただならぬ密接さをもっていることを示しておりました。輝弘が、父の犯した罪に連座し山口を逃れた折、豊後で窮迫しているところを吉岡に拾われ、以降、我が子同然の扱いで大切に育てられてきたのです。


輝弘にとって、吉岡は、いわばこの世における最大の恩人でございます。かつては、自分と同じように吉岡の恩を受け、吉岡の邸宅内に多数の親なし子たちが育てられておりました。彼らは、ある者は隠密として、ある者は諜者として、筑前や肥後、阿蘇、日向や薩摩などの各国に派され、それぞれの活動を行いました。しかし長年月のうち、その消息はひとり絶え、ふたり絶え、今では、輝弘を除けばほんの数名の活動が知れるばかりです。


輝弘は、他の子供達と較べると、つねに別扱いでした。それは、彼が、大内家の高貴な血を受け継いでいるからに他なりません。いざ危急の際、この血統は大友家にとって、のちのち大いに利用できるかもしれない大切なものだったのです。




そしていま、その大切な輝弘を、遂に使うときがやって参りました。多々良川を挟んで毛利四万の大軍と対峙しているわが勢は、約三万。戦闘は膠着(こうちゃく)し、すぐと決着がつきそうにはありません。しかしながら、ただいたずらにこうして時が経てば、また、いつ誰が裏切るかもわかりません。隣国の龍造寺(りゅうぞうじ)の動きも不気味です。いまは精気を取り戻している御屋形様が、また、いつ心を病んで指揮を放棄してしまうかも心配事でした。


毛利に幾らかでも打撃を与えるため、すでに、吉岡は打てる手はあちこちで、打っておりました。その最大のものが、尼子勝久殿の一党に対する支援です。彼ら、出雲の山中に逃げ散ったかつての尼子氏の残党に、京都経由で手を廻して、多額の金銀を投じて武具と資金を与え、蜂起(ほうき)(あお)ったのです。


この、背後での異変は一定の脅威を与え、この報が届いてしばらくの間、九州の最前線でも毛利軍の陣立てにいくらか動揺が起こったほどです。しかし、その勢威の頂点にあった毛利はあまりにも強大な大帝国であり、この程度のことですぐと揺らぐ気配はございません。まさに、蟷螂(とうろう)の斧。豊後をすぐに救うには、遠く出雲や美作などといった地でいくら騒擾を起こしても、その効果はたかが知れているのです。

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