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高嶺の花  完全版  作者: 早川隆
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第十七章  戦雲 (5)

これまで、内海における毛利氏の絶対的な制海権を保証していたのは、なんといっても村上水軍の力。毛利にも直属の優れた水軍衆がありますが、なんといっても数が少なすぎ、すでに瀬戸内のあちこちの島々に根を下ろし、各水域の潮流と航路を熟知している村上水軍の大群と戦って利はございません。


もし、村上水軍がすでに大友と手を握り、この内海の航行を、大友方の若林水軍などに認めてしまっているのだとしたら。


以前には毛利帝国を(まも)るもっとも固い外殻であったはずの内海が、無防備な、ただの柔らかい下腹にすぎなくなってしまいます。長門、周防、そして安芸。長大な帝国の海岸線が、敵軍の思うがままの攻撃に(さら)される危険がございます。これは毛利氏にとって、いかな外地での敗軍などより、遥かに重大なことのはずでした。


山内元興は、真っ暗闇のなか、ただひたすら前へ向け高速で航走する快速船の()のうえに立ち、慄然(りつぜん)としました。




毛利は、負ける。




彼は、そう、ひとりごちました。毛利は、負ける。この重大な危機に、まだ、まったく気づいてもいないのだから。


他ならぬ彼自身が、敵と通謀(つうぼう)し、貴重な軍需物資をいま懸命に運んでいる最中でございます。そんな彼が、自分の裏切った毛利氏の行く末を(うれ)うのは、いかにも可笑(おか)しなことでありました。しかし、それまで彼は、毛利氏が大友に敗れるなどといった将来を、微塵(みじん)も考えてはおりませんでした。元興にとって毛利は、無限不朽、不敗の大帝国です。これまでの二十年間、連戦連勝、またたく間に全中国を席巻し、元興の故郷を踏みにじり、一族の幸せをずたずたに引き裂き、実の兄をも非業の死へと追いやりました。その毛利が敗れ、滅びる将来など、これまで考えたこともございません。嬉しいことなのか、悲しいことなのか。


これまで、(くら)く密やかな想いを胸に内海を駆け、巨額の利を手にし、それを以て毛利と自在に駆け引きし、時に手を組み、時に裏切りました(今回のように)。そうした自由を手にしていることこそが、元興の誇りであり、同時に巨大な毛利帝国に対する、彼なりのひそやかな復讐であったのです。しかし、その巨大な毛利が、まさか、打ち倒されてしまったとしたら。


元興は、あらためて身震いしました。


そしてそのとき、なぜか、山口にいる市川経好と、その美しい妻の面影が頭をよぎりました。彼らは元興にとり、いわば、大毛利の象徴です。彼らが憎いのか、それともなにか憧れを持っているのか、元興は、自分の心中奥深いところにある彼自身の想いが、よくわかりませんでした。しかしともかく、海が無防備であるということは、山口にある彼ら夫婦にとっても、きわめて重大な危機であるということになります。戦線の後背地で、ひたすら戦争の利を貪る立場であったはずが、ある日突然、戦場になってしまうかもしれないのです。


どうなるのだろう、これから。

どうすればよいのだろう、儂は。

そして、あの二人は・・・。


頭がごちゃごちゃになり、整理がつかぬまま、いつしか夜が明けて参りました。元興の配下の漕手たちは、がんばり続け、遂にこの困難な仕事をやり遂げました。ちょうどそのとき、前方に豊後の蒼い島影と、(みぎわ)を照らす幾つかの灯火が見えてきたのです。漕手は拳を振り上げ、海上で快哉(かいさい)を叫びました。元興も、片手を挙げてかれらの健闘をたたえましたが、その顔に笑みは、ございませんでした。

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